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騎神戦記  作者: 卯月
第二章 支配者達の遊戯盤
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第七話 訓練初日



 登城したニコラとセレンは上司のフランシスに挨拶しに行くと、途中でセレンだけは待ち構えていた女中達に連れて行かれてしまった。フランシスの命令で、行事見習いに相応しい服を見繕うらしい。

 しばらく一人で待っていると、身支度を済ませたセレンが戻って来た。普段は長い銀髪をそのまま流していたが、今は頭をすっぽりと覆う被り物の中に髪を隠して、エプロン付きの白いローブに褐色の身を包んでいる。

 似合っているか聞いて来たので、元が良いから何を着ても似合うと正直に答えるとセレンは嬉しそうに抱き着くが、連れて来た年嵩の女性から公衆の面前で抱き着くのは行儀が悪いと注意された。既に指導は始まっているわけだ。

 使用人の女性と共に騎士団の執務室にいるフランシスに挨拶をすると、後の事は彼女に任せてあるので何の心配もいらないとだけ言ってセレン達を下がらせた。


「美しいお嬢さんだが悪い虫が付かないようにこちらでも気を配って置くから安心しなさい。それに午後からは一緒に勉強出来るようにヤン司教にお願いしておいた。ジゼル様も歳の近い娘と話せるから、少しは気が紛れるだろう」


「何から何までありがとうございます。では俺は訓練に励みます」


 歳が近いのは見た目だけだと突っ込みたかったが、上司がジョークを解してくれる人かまだ分からないので黙っていた。『沈黙は金、雄弁は銀』父の口癖を思い出したニコラは、少しだけ家族が懐かしいと感じた。


 騎士団の訓練所に顔を出したニコラに何人かの騎士が声をかけたり、肩を叩いて模擬戦に誘ってくる。思っていたより嫌われていないのはありがたい。

 その中から指導役のノンノを探して挨拶をすると、彼女はさっそく訓練をすると言ってニコラを手招きした。


「では今日からニコラさんを鍛えようと思います。どれでも好きな武器を使っていただいて構いません」


 訓練所の一角でハルバードを肩に乗せたノンノは、昨日に比べて明らかに機嫌が良い。もしかしたら武器を持つと性格が変わるタイプの人間かも知れない。

 ノンノに手伝ってもらい、生まれて初めて鎧を着たニコラは、取り敢えず一番使い慣れている長方形の大楯と警棒に近い短い棍棒を手に取り、それと腰に短剣を差して対峙する。

 礼の後、ニコラは楯を突き出してノンノを観察する。小柄な女性に刃引きしただけの長柄武器は不釣り合いだが、彼女は重量級武器を構えても微動だにしない。この構え一つ見ても相当に鍛えられているのは疑う余地も無い。

 先に動いたのはニコラだ。楯の圧力を全面にノンノの攻撃を封じるつもりだったが、それを読んで反対に斧の部分で楯を引っかけて引き倒そうとした。慌ててニコラが棍棒を持った拳を柄に当てて引き剥がしたが、ノンノは怯むどころか石突を脛にぶつけてきた。

 タクティカルアーマーを装備しつつ防具を着込んでいるので痛みは無いが、長柄武器と戦った経験の無いニコラにとって非常にやり辛い。長柄武器は基本的に距離を詰められるとその長さが仇となって攻撃が制限されるが、彼女は瞬時に柄を持つ部分を握り直して間合いを変えてくる。おかげで接触するほど近づいても余裕でこちらの攻撃に対応してしまう。技量は武術大会本戦で戦ったナルシスと同等か上。さすが若くとも近衛騎士である。

 そして今度はおかえしとばかりにノンノが仕掛ける。彼女は突きを繰り出した。それを楯で防ぐが、構わず何度も突き続けた。常に楯の中心を突き続けるので、何か次の布石なのだろう。単調な突きだがそれゆえに速さはかなりのものであり、反撃に転じる機会が得られない。

 十を超える突きにそろそろ慣れ始めたニコラが、ノンノの虚を突くためにタイミングを見計らって右手の棍棒を顔目がけて投擲する。だが、ノンノはそれを読んでいた。顔に段々と近づく棍棒に驚く事も怯む事もせず、僅かに首を傾けて兜で受けつつ、投擲に意識を向けて注意を怠ったニコラの足を斧の部分で引っかけた。

 長身の為に重心が高いニコラは簡単にバランスを崩してしまい、仰向けに転びそうになるが、寸前に楯もノンノに投げつけた。訓練所に鈍い音が響くが、彼女はそれにも怯まずニコラを引き倒した。

 ニコラもこのまま倒れているわけにはいかず、残る短剣を引き抜きつつすぐに起き上がろうとするが、既にノンノの切っ先はニコラの顔に突き付けられていた。


「参った、降参だ」


「武器を投げるのは悪い手ではないですけど、楯を投げるのは悪手です。今みたいに引き倒されても楯があれば攻撃を防げますが、短剣だけでは無理ですよ」


「楯をぶつけて怯ませて時間を稼ぐつもりだったが、ノンノさんが全く動じないのは考えていなかった」


 躱すなり武器で弾くなりすると思ったが、怯みもせず怪我も厭わず攻撃を選択するのは予想外だ。おかげでものの見事に負けてしまった。

 立ち上がり、ノンノをよく見ると唇から出血している。朱に染まる血化粧というのは独特の色気を生み出すものだと、ニコラは生まれて初めて知り、しばし彼女の艶姿を眺め続けた。

 ニコラの視線が自分の唇に注がれているのに気づいたノンノは手当をしてもらうと言って医務室に向かう。その場に残されたニコラに観戦していた騎士達の中にいる獅子人の騎士、カディンと名乗る屈強な男が笑いながらニコラに話しかける。


「嬢ちゃんは強かっただろ。ああ見えて、騎士団の中でも上から数えた方が早いんだぜ。ただお前も最初の模擬戦で嬢ちゃんに傷を負わせるんだから見掛け倒しの木偶の坊じゃないんだな」


「そりゃどうも。あの人の強さは身を以って知ったよ。伊達で騎士やってるわけじゃないんだな」


 油断はしなかった。だからこそ純粋な技量で負けているのをまざまざと見せつけられて自分の力不足を悔しく思う。しかし、このまま負けっぱなしは気に食わない。

 他の騎士から賛辞を貰ったとはいえ、ニコラの騎士としての最初の訓練は苦い敗北で終わった。



 最初の模擬戦以降はノンノと指導を兼ねた模擬戦を行った。大半はニコラに武器の扱いを教える指導であり、騎士の武器としてスタンダードである剣と盾、槍、戦斧、ハルバード、弓など多岐に渡る武器の扱いに、ニコラは大いに苦戦する。

 陸軍でも格闘の訓練は欠かさなかったので身体の動かし方や間合いの取り方はある程度共通するものだが、武器はそれぞれ重心やリーチが全く異なり、どれも長い時間訓練する事で身体に馴染ませるものなので、一朝一夕での習得は最初から期待していない。

 一応ニコラは格闘や銃剣戦闘には長けており、それでも十分戦えるのは先日の武術大会で示しているが、ノンノや他の騎士からすればそれで満足してもらっては困るし、生身での武器の扱いに慣れておくのは以後のデウスマキナ戦にも大いに役立つと言われれば、ニコラも納得せざるを得ない。


「私も最初はハルバードの扱いに苦労した物ですが、ミーノスは重量武器の方が相性が良いので我儘は言えません。それに戦場ともなれば手元にいつでも愛用の武器があるとは限りませんから、何でも一通り扱えるのに越した事はないです」


 ニコラもノンノの言葉には覚えがあった。つい先日もギルスの白いデウスマキナと交戦したが、あの時ニコラが使った武器は鉞だ。あれとて使い慣れた武器ではないが、他に選択肢が無かったのであれで戦った。ノンノの言葉に偽りはない。

 午前中丸々使って一通り武器の取り扱いの訓練に精を出したニコラは、他の騎士達と共にタダの食事を摂ってから、今度は勉強の為に訓練所を辞した。



 昨日と同様に礼拝堂に赴くと、扉越しに何やら騒がしい声が聞こえる。どちらも聞き覚えのある声だった。このまま中に入っても良かったが、興が乗ったのでニコラはそのまま扉越しに中の騒動を楽しむことにした。


「ちょ、だめですよセレンさんっ!みだりにジュノー様の像に触れてはなりません!」


「えーちょっとぐらいいいじゃん。それにしてもこの人凄く綺麗だねー、胸も大きいし。でもなーんか腹立つなー」


 声しか分からないが、どうやらセレンとジゼルは仲良くやっているらしい。声以外にも色々と物音がするので、多分セレンが奥に飾られている女神像を無遠慮に触っていて、それをジゼルが諫めているのだろう。


「おや、こんな所でどうなさったのですかコガ殿?」


「こんにちはヤン司教。今中は取り込み中なので、もう少し待っていてもらえますか?」


 大の男二人して扉の前で少女達を盗み聞きなど変態的だが、邪魔するのも野暮なのでここは大目に見てもらいたい。

 礼拝堂では二人の少女が押し問答を続けていたが、ジゼルの方が強く引き留めた為、セレンは不承不承ながら彼女に従った。ただしその代わりに神についてジゼルに尋ねる。


「でもさー、ジゼルはこの像を大事にしてるけど、これってその女神様がくれたわけじゃなくて、人が石を削って作ったんでしょ?それならこれを作った人は毎日ベタベタ触ってたのに、そっちは良いの?」


「えっ、そ、それは……」


「それにこの像、ちょこちょこ煤が付いてるけど、掃除とかしてないの?してたら触らないと綺麗にならないじゃない」


 言葉に詰まるジゼルをよそに、セレンはどんどん畳みかけるように宗教的な疑問を口に出すと、感情的になったジゼルが全て教義だと言って押し切るが、それでセレンが納得するはずも無く、余計に教義がある理由を問うが、神の教えだから一点張りのジゼルは一層感情的になるという悪循環に陥った。

 流石にこれ以上放置するのは不味いと判断したヤンが中に入って、知らない振りをしながら穏やかに二人を宥めると、どちらも落ち着きを取り戻した。そして改めてニコラも礼拝堂の中に入った。

 セレンと共にニコラは席に着くと、早速授業が始まる。今日はセレンが居るので、この国、あるいは人間社会においての規則や常識をメインに据えた授業になった。そしてニコラには口述の内容をそのまま文章に書き取って覚える作業が追加された。

 内容は昨日ニコラが教わったような法律と同じだが、今回は罰則も追加されている。

 ただ、ここでセレンの口にした疑問が一つの波紋を呼ぶ事になった。


「でも人間も亜人も変だよねー。やるなって言われてる事をやったり、罰があると分かっていても悪い事するんだから」


「その罰が万遍なく行き渡るわけじゃないからな。どこかで取り零しもあれば見過ごされる事もある。だから悪い事をしても罰せられないと嵩をくくったり、その方が利益になったり効率的と考えれば、人は容易く掟であれ法であれ破るものだぞ」


「ですがそれは間違った生き方だと思います。人も亜人もセレンさんのようなエルフも正しく生きねば、必ず不幸になってしまいますわ。私達は常に神から授かった戒律の下、清く正しく生きねばなりません」


 ジゼルの言う事も分からないわけでは無い。易きに流れて犯罪や悪事に手を染めるのは道義上からも法律からも外れ、いずれ怨みを忘れない人々からの報いを受ける時が必ず来る。それを避けるために法を守り、他者の規範となるような生き方を続けるのは辛く険しくとも正しいと言える。ただ、法律とはどちらかと言えば強者を縛る枷であり、弱者にとってはそれなりに機能する防具だ。勿論、護っていても踏み躙られる事は多々あるが、長い目で見れば利になる事が多い。清く正しくとは言わないが、トータルで考えれば弱い者ほど法や戒律を守るのは自己の利益を護る事に繋がる。

 そう考えれば彼女の言う事はもっともだ。しかしそれはどこまでいっても理想論であり、全ての人が同じように考え、実践できるとは限らない。それに幾ら正しく生きようとも、悪意ある者が善人を食い物にするのはいつの時代、どこの国でも変わりはしない。

 ニコラはどちらかと言えば彼女の考えには否定的だったが、面と向かってジゼルの言葉を否定はしない。そんな事をしたところでさして意味は無く、何より年下の少女を虐めて楽しむ趣味は無い。セレンはベッドの上で虐めたが倍以上年上なのでノーカンである。


「でもさー、あたし達は別に神様に何か教えられたわけじゃないけど、幸せに暮らしてたんだけどなー。同じ村の中で知ってる相手を殺すとか考えた事も無いよ。今だって弟や父さんを傷付けたギルスの兵士は許せないけど、そいつらを殺したいとか思わないし。なんでわざわざ神様に駄目って言われないと守れないの?」


「えっ、いえそれは、その…」


「ほほほ、セレンさんは私達より遥かに善良な心をお持ちだ。誰もが貴女のように考えられれば、世の中はずっと平和で幸せに満ちているでしょう。ですが人は愚かでそのようには考えられない。だから神という強大で人が及びもしない御方が授けた尊い教えとして守らせねば容易く世は乱れてしまうのです」


「そ、そうです!司教様の仰る通り、私達はいついかなる時もジュノー様の教えを守らなければならないのです。でないと人は簡単に教えを忘れて多くの人を不幸にしてしまいます!だから私は―――私は守らなければっ!」


 それっきりジゼルは俯いて黙り込んでしまった。よく分からないが、彼女は盲目的に戒律を守るだけの育ちの良い少女ではなく、何かしら事情を抱えているのだろう。さして親しくない相手の事情に踏み込むのは色々と難しいが、今後それなりに長く付き合っていくことを考えると、少しばかり手助けするのは間違っているとは思わない。

 ニコラが何か声をかけようとしたが、その前にヤンがジゼルに退席を勧めてしまい、彼女は無言で部屋を出て行ってしまった。セレンは自分が何か悪い事を言ってしまったのかと思い追いかけようとしたが、ヤンがそれを引き留めた。


「お気を悪くしないでください、セレンさんが悪いわけではないんです。ただ、あの娘は色々と事情を抱えているので出来れば何も言わずに見守ってあげてください。では、授業を続けましょう」


 その言葉にセレンはやや戸惑うが、横のニコラもヤンを支持したので、色々と思う所はあるが今は黙って従い、引き続き授業を受けた。



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