第三話 ネガティブ少女騎士
新居に引っ越した翌日、ニコラは言われた通り城の中にある近衛騎士団の詰め所に赴いた。道中何度も騎士らしい者とすれ違ったが、彼等の三割程度は亜人であった。生まれつき屈強な戦士となりうる素養を持つ彼等亜人なら騎士も立派に務まるのだろう。
それに少数だが人間の騎士の中にも女性が居た事に驚いた。地球でも基本的に戦闘職は男が圧倒的に多いが、それでも女性兵士は二割程度は居る。しかしそれは発達した文明を持ち、基本的人権の保障された地球文明だからこそだと思っていたが、どうやらこのボルド帝国は亜人の権利を保障するだけでなく、女性騎士の存在を認めている先進的な考えを有しているらしい。
途中からは見習いの少年に案内してもらい、詰め所の最奥にある執務室へとたどり着いた。その奥の椅子には三十歳程度の美形の壮年の男が座っていた。
「ようこそ、ニコラ=コガ。私が陛下よりボルド帝国近衛騎士団を預かるフランシス=メレスだ」
「ニコラ=古河です。これからよろしくお願いいたします」
「こうして直接話すのは初めてだが、君の活躍は色々と聞き及んでいる。それに先日の武術大会では陛下のお側で直に君の戦いを見ていた」
互いに直接話した事は無かったが、フランシスの方が幾らか気安い態度なのは、彼の言う通りニコラの戦いをつぶさに観察したが故だろう。戦闘技能者とは戦いの中で相手を理解する人種である。そしてそれは観戦という些か一方的な形でも顕れていた。対してニコラの方はフランシスを遠目で数度見たきりであり、特別印象には残っていなかった。
「未熟な戦い方で退屈だったのでは?」
「未熟なのは否定しないが、君という人間を推し量れたのは幸いだ。それに技量はこれから身に着けていけばそれで良い。人は誰しも最初は素人であり、修練によって達人となる」
フランシスの言葉に偽りはない。ニコラの戦闘経験は乏しく訓練時間もここの騎士とは比較にならないほどに短い。だが、フランシスはニコラの類稀なる才覚と精神を高く評価していた。例えそれが地球文明の科学技術に助けられた部分が大きかったとしても、さして評価が下がるわけではない。
それに今朝方リシャールが提出した報告書を読めば、少し知識のある者ならニコラを簡単に手放して良い人材ではないと理解出来るだろう。
「そういう訳でこれから君は騎士としての教育を受けてもらう。勿論他国人である君の事情を考慮して戦闘訓練以外にも勉学に励める場所を用意しよう。他に何か希望があれば遠慮なく言ってくれ」
「なら俺の連れの娘にも教育の場所を提供してくれませんか?あれはエルフだから人の生活にまだ慣れていないので、働きながらでもいいから人を学ばせたいんですよ。それにエルフは生きているだけで危うい立場だから護身術も仕込んでください」
「分かった、手配しておこう。それと今のうちに忠告しておくが、君は他の騎士から妬まれる立場にあるから、色々と気を付けたまえ」
フランシスの忠言にニコラは口元を曲げながら、この手の嫉妬は珍しい物ではないと同意した。
ボルド帝国の近衛騎士団には大雑把に三つの階級がある。
一つは見習い騎士、これはそのまま騎士団に入ったばかりか単純に実力が足りない者だ。ニコラも最初はこの見習いになる。
二つ目は見習いから卒業した、正式な近衛騎士。生まれ持った優れた資質と絶え間無い修練によって己を苛め抜いて卓越した戦闘者となった者達だ。この階級におよそ百名が所属している。
そして最後の階級は上級近衛騎士。これは騎士の本懐であるデウスマキナを操る、ボルドの中でほんの一握りしか居ない、栄光を一身に受けたエリート達である。亜人以外の全ての騎士はこの上級騎士を目指していると言っても過言ではない。
しかし、現実は厳しく、全ての騎士がデウスマキナを操れるはずがなく、保有数という現実が彼等の夢を冷たく阻んだ。
ボルド帝国のデウスマキナ保有数は百騎前後。しかしその内の六十騎は地方領主の家が所有する騎体であり、帝国騎士団が保有する騎体は訓練騎や回収用のベルゲタイプが十騎を占める。つまり実戦で使えるデウスマキナは三十騎程度しかない。それは上級騎士の定員枠が三十名しかない事を意味する。
勿論、今後デウスマキナを新規製造すれば枠は増えるが、ボルド帝国のような大国でも一年に一騎製造するのがやっとである。これでは全ての騎士を満たすには到底足りはしない。結果、近衛騎士団の中では熾烈なイス取りゲームが昼夜を問わず繰り広げられていた。
そんな中で、新入りであるニコラがデウスマキナ二騎を個人所有しているとなれば、デウスマキナを与えられなかった騎士から凄まじい嫉妬を受けるのを想像するのは容易い。いや、上級騎士の中でも低位騎体しか与えらなかった者も、上位騎体に乗るニコラを妬む者は必ず出てくる。
ただし、一つだけニコラにも優位な点はある。二騎の内、ヘリウスはニコラが乗るが、もう一騎のアプロンは修理が終われば帝国に貸し出される。その貸出先が近衛騎士団である可能性は極めて高い。それを見越して、所有者であるニコラと縁を結んで便宜を図ってもらおうと考える者も少なからず居るだろう。無論デウスマキナには搭乗者との相性の問題があるが、人は僅かな希望があればそれで十分だった。
そうした騎士を味方に引き入れれば団内での孤立も避けられるとフランシスは考えていたし、ニコラも人の感情が面倒なのは二十数年の人生で色々と経験してきたので色々と対応を考えている。
「では見習い騎士ニコラに最初の命令を与える。他の騎士達に挨拶だ、私について来い」
「了解しました。これより騎士団長殿に付いて行きます」
フランシスは無意識に敬礼をしてしまったニコラを見て一瞬何をしているのか訝しんだが、漠然とこの行為が彼の国では上位者に従う姿勢なのだと理解した。そして挨拶に行く前に、帝国式の敬礼をニコラに教えた。
「帝国では兵士も近衛騎士も敬礼は利き手の掌を軽く開いて胸に置く。練習でやってみなさい」
フランシスに言われた通り、肘を曲げて右手を左胸の上に置いた。何度か練習して、動作を身体に馴染ませると合格を貰えた。元々軍人であり姿勢の悪さは矯正されているので、それなりに様になっている。おかげで覚えるのが早くて良いとフランシスから褒められた。どうやら騎士の中でもこの敬礼を中々覚えられなかった者はそこそこ居るらしい。
フランシスと共に騎士団の訓練場にやって来たニコラに見習いを含めた近衛騎士百人超の視線が突き刺さる。大半はニコラを値踏みするように観察しているが、何割かはニコラへ嫉妬や敵愾心が顔に出ている。それはきっと憧憬や羨望のような感情の裏返しだろう。それ以外にも無関心を貫く者や、純粋に同僚が増えた事への喜びを示す者もいる。
「今日から見習いとして騎士団に入るニコラだ。知っている者もいるだろうが、彼は今年の武術大会の優勝者だ。そして先日、ギルスとの小競り合いでデウスマキナ一騎を撃破している。見習いと思って甘く見ていると鼻っ柱をへし折られるから気を付けておけ」
「今日から見習いとして入団するニコラ=古河です。他国人なのでこの国の作法がまだ分からないので、色々と迷惑をかけると思いますが、ここは一つ寛容の精神を以って接して頂きたい」
つい先ほど覚えたばかりの敬礼だったが中々堂に入っている。騎士達も鳴り物入りで入って来たとはいえ、いきなり新人に理不尽を強いたりはしない。それに今は騎士団長の目があるので、お行儀良くしていないと評価が下がる。
それに彼等も武で飯を食っている以上は、強い者には一定の礼儀や敬意を持つので、既に力を示したニコラを多少なりとも認めている部分があった。ただ、それはそれとして見習い以下がデウスマキナを操り、あまつさえ星を得るなど可愛気が無いと思う騎士は多い。
「見習いの指導役はノンノ=フォーレに任せる。しっかりと教育するんだぞ」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいメレス団長!!私にそんなのむーりぃむーりぃ!!」
騎士達の中から一人の少女の絶叫が聞こえる。ただし、ニコラからは他の騎士達に埋もれてしまって顔が見えない。多分、彼女は他の騎士に比べて背が低いのだろう。
挨拶が終わり、フランシスが解散を言い渡すと、多くはそのまま散っていくが、何割かは新入りのニコラを囲んで情報を得ようと話しかけた。多くはどこの出身なのか、どんな武器を使うのか、デウスマキナの戦闘の詳細など、あれこれ質問が飛んで来る。
「そんな一度に答えられないぞ。ああ、そういえば俺の指導役のフォーレと言う方はどこにいる?先に挨拶しておきたいんだが」
囲んでいる騎士達の中にいないかもしれないのでやや声を大きくして名を呼ぶと、囲いの外から声が聞こえた。
その声に反応して人だかりが割れて、一人の栗色の髪のおでこの広い少女がニコラに近づく。彼女は他と同様に騎士鎧を纏っているが、体格は華奢であり、身長もセレンよりは少し高いが、成人女性の平均を大きく超える物ではない。勿論大男のニコラと比べたら、頭一つ以上は差がある。鎧を着ていても足取りはしっかりしているので見た目よりは筋力はあるだろうが、どうにも気弱な顔立ちから、本当に騎士なのか疑わしい。
「えっと、私がノンノ=フォーレです」
「初めまして、見習い騎士のニコラ=古河です、フォーレさん。今後、色々と面倒をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」
「――――やっぱりむーりぃ!こんなすごそうな人を指導するなんてむーりぃ!!なんで私なのよー!」
ニコラから目を背け、頭を抱えて無理無理と叫ぶ。外見で人を判断するつもりの無いニコラでも、彼女が本当に騎士なのか疑わしくなってきた。
念のために隣にいた立派な鬣を持つ屈強な獅子人の騎士にノンノの事を尋ねる。
「この嬢ちゃんは普段からこんな事言ってるけど結構強いんだぜ。それにデウスマキナも与えられている上級騎士だから、あんまり舐めた態度は取らないでくれよ。虐めるのも無しだ」
「そうだそうだー、ウチの姫に文句あるのか―!」
「いや、無いけど」
獅子人の言葉に周囲の騎士も便乗してニコラを脅す。ニコラ自身には上司であり先輩役のノンノを軽く見るつもりはないのだが、彼女自身の言動が原因で普通の対応をしていても、虐めているような疑いを持たれてしまうのかもしれない。
ニコラも下士官として色々な将校を見てきたし上官に持ったが、彼女のような性格の戦闘技能者は初めて見た。
「まだ小隊長を務める新人少尉のお守りの方が楽かもしれない」
この世界にやって来て初めて挫けそうになり、今後指導役となる少女と同様、ニコラは頭を抱えた。




