第二話 帝都の食糧事情
国営工廠を後にしたニコラ達は城に向かい、そこで解散となった。城在住のリシャールや兵士達と別れたニコラとセレンは、現在城の使用人に案内されて、帝都の第三区にある一軒家の前に立っていた。
「こちらが今日から騎士ニコラ様の住居となります。必要最低限の家具は備え付けてありますのでご自由にお使いください。それと、家の鍵と金庫の鍵をお渡しいたします。これは城に預けてあったニコラ様個人の所持金と共に陛下から賜った支度金が家の金庫に入っていますので、後ほどご確認ください」
ニコラは使用人から受け取った真鍮製の鍵をしげしげと眺めた。電子キーか生体認証キーしか扱った事の無いニコラにとって、こういったアナログな鍵は存在自体は知っていても、実際に使う事には新鮮さを感じる。
「それから、近衛騎士団長のメレス様から明日の正午までに城に来るよう伝言を預かっていますので、お忘れないようにお願いします。それでは私は失礼いたします」
必要な事だけ伝えると使用人はさっさと帰って行ったが、彼はずっとニコラとセレンを見る目が非常に生暖かった。きっと二人の事を若い夫婦か恋人同士だと思い、逢瀬を邪魔しないように気を使ったのだろう。微妙に余計なお世話だとニコラは思ったが、どうせ初対面の相手と長々と話す事も無いので、さっさと鍵を開けて家に入った。
家は手入れが行き届いており、ゴミや埃の類は一切無い。それに使用人の言う通り、椅子やテーブルのような家具は用意されていた。流石に水瓶は空で薪も無いが、台所には鍋やフライパンのような調理器具が幾つか置かれていた。ただ、包丁や食器は無いので、それらは自分で買わなければならない。
二階には部屋が三つあり、うち二つはベッドと小さな机があるだけ。もう一つの部屋はかなり大きく調度品も整っており、ここが家主の部屋なのだろう。
一通り見て回ると二人が使うにはやや広く感じた。元々家族向けの家なのか、これが帝国騎士の待遇として普通なのかはニコラには分からなかったが、ボロでないのは確かだ。
「これなら住むには不足は無いな。掃除も荷ほどきも必要無いから、今日の所は食糧とか日用雑貨とか揃えるか」
「お買い物?あたしも行くね」
これからニコラと二人で住むのに嬉しさを感じたセレンが腕を取って、早く出かけようと催促する。確かにこの様子を見れば、使用人が二人の事を夫婦だと思うのはそう間違いではないし、実際に二人はそれに近い。
施錠したのを確かめた二人は、手を繋いで商店街のある第四区へと向かう。
帝都は一から九区まで区切られている。一区は城や行政区画。二区は貴族の邸宅の集中する高級住宅街で、ニコラに与えられた家は第三区。これは主に城勤めの役人貴族や騎士など、あるいは経済的に余裕のある平民が住む、中流から上流の間の身分の者が住む区画である。騎士になるニコラに与えられる家としては適当だろう。
そして第四区は商店が立ち並ぶ商人の町である。最初に都に来た時にとった宿なども第四区だが、あの時は色々と忙しかった事もあって、ゆっくり見る事が出来なかったが、今回は長期滞在が決定しているので、二人は時間を掛けて一軒ずつ店を見て商品を選んでいた。
最初に揃えたのは二人分の食器である。城で食べた時には多くは銀製品かガラス製を使っていたが、平民は基本的に陶器か木製の食器を使う。ニコラ達も食器にはさして拘りが無いので、皿や器は手入れが楽な木製を選んだが、ナイフやスプーンは耐久性を考慮して銀製を選んだ。
「そういえば、ここじゃあセラミックもステンレスもセルロースも無かったな」
「?なにそれ?」
「セラミックは頑丈な陶器、ステンレスは錆びない鉄、セルロースは鉄より頑丈な木だよ」
「へー、そんなのがニコラの住んでた所にはあるんだ。ん?いやいや、木ってそんなに堅くないってば!」
「まあ、正確には木そのものじゃなくて、植物を材料に造る素材だな。用途が広いからスプーンから要塞まで、何でも使えるのは木と同じだけど」
ニコラの説明を若干胡散臭そうに聞いていたので、証拠と言ってサバイバルナイフを見せるが、それでもセレンは信じていなかった。実際、地球統合軍から支給されたナイフはセラミックも混ぜてあるので独特の光沢と質感を持っており、どう見ても植物を使っているようには見えない。と言うかセレンが知っている刃物は石か金属なので、幾らニコラが非常識な存在でも、木が刃物になると簡単には納得してくれなかった。
あちこち回っていつの間にか昼過ぎまで掛かってしまいセレンが空腹を訴えると、そこに都合よく近くにパン屋があったので二人は覗いてみる。
「いらっしゃい!ウチのパンは絶品だから、一度食べたら病み付きになっちゃうよ!」
威勢のいい店員の言葉通り、様々な形のパンが放つ香ばしい匂いが胃を刺激した。その中でニコラが気になったのが他のパンより焦げ目の付いた四角いパンだ。それは芳醇な肉の匂いが漂っている。これは只のパンではないと直感が訴えかけている。
セレンもしきりに鼻を動かし食欲と好奇心をそそられて、これを食べたいとニコラに訴えた。
「おっ、その肉詰めパンが気になるんですかい?それは中に豚の内臓を潰した肉を入れて脂を塗って焼いたんだ」
つまりこれは地球のロシアや東欧地方で食べられているピロシキに近いパンなのだ。昔ロシア系の母が作ってくれた料理を思い出して、懐かしさからセレンの分も含めて五個買うと伝え、さらに夜や明日の朝の分の違う種類のパンも纏めて購入して、別の店で買ったバケットに入れてもらった。
「いやー、未来の騎士様にご贔屓にしてもらって、パン屋として嬉しいねえ。またお願いしますね」
商売っ気のある愛想笑いを浮かべた中年の店主に代金を払って、近くの広場にあるベンチで買ったばかりのパンを食べる事にした。
香ばしい匂いのする肉詰めパンを一口齧ると、濃厚な肉の旨味と同時に爽やかな香りが口いっぱいに広がる。
「もぐもぐ。―――これ豚の内臓なのに、えぐみが無いし後味がすっきりしてるね」
「そうだな、豚の脂も塗ってあるから重たい味だと思ったが、多分香草のおかげで豚の強い味を抑えているんだと思う。これなら舌も飽きない」
ニコラも詳しくは分からないが、肉にハッカのような香草を混ぜているのだろう。おかげでしつこいぐらいに自己主張する豚の内臓の味を程よく抑えてくれた。おかげで五個あったパンは全て二人の腹の中に収まった。
飲み物は二人とも広場の無料の水飲み場で汲んできた水だ。これは街に雇われた職員が井戸から水を汲んで、それを素焼きの瓶に入れた物だ。これは誰でも無料で利用出来るので、多くの者が渇きを潤すのに役立っていた。
「ところでさー、パン屋のおじさんにもニコラの顔って知られてるんだよねー。何だかあたしまで恥ずかしくなっちゃったよ。そういえば今までの買い物の時にも、何かみんな親切にしてくれたよね」
午前中の買い物で店の者に様々な便宜を図って貰えたことを思い出して、ニコラのオマケ扱いだったものの上客として親切にしてもらったセレンは上機嫌である。エルフであれ人間であれ、自分が特別扱いを受けると、気を良くするのはさして違いはないらしい。
とは言え、それも無理からぬことだろう。何せ今年の武術大会優勝者として三万人以上もの衆人観衆の元で顔を晒した以上、直接顔を見た事が無くとも噂で容姿は帝都どころか帝国中に広まっている。
屈強な亜人に匹敵する、黒髪青眼の頭一つ抜け出た長身に、世にも珍しい銀髪赤眼褐色肌のエルフの少女を側に置いている青年など、どこを探してもニコラ唯一人だけだ。今も食事をしていると、広場にいる民衆からそれとなく注目を集めている。
セレンの恥ずかしいという気持ちも、特別扱いを受けると同時に、多くの者から四六時中注目を集めているからだろう。ただ、当のニコラは相手を不快にさせない程度の対応しかせず、精々買い物でオマケしてくれて儲けもの程度にしか考えていなかった。
「別に恥ずかしがらなくたっていいじゃないか。それに俺はただの一兵卒からちょっと偉い騎士になった程度で、この国の中じゃ下っ端だぞ。どうせ、一月もすれば皆飽きて大して注目なんてしないさ」
「そんな事無いと思うけどなー。それにあたしはニコラを褒められて嬉しいんだよ」
「俺は働いて酒が飲めればそれでいいんだけどな。で、腹も膨れた事だし、次は何を買う?」
食器と当面の食料品は買った、湯を沸かす程度の調理器具も最低限はある。寝起きするのに困らないし、服は取り敢えず後回しでも構わない。となると後は嗜好品か娯楽用品、あるいは装飾品をセレンと共に見て回ってもいい。
ニコラの提案にセレンは悩んだが嗜好品の方を選んだ。出来れば様々な色の宝石やガラス細工のアクセサリーを見たいと思ったが、嗜好品の中には酒類も含まれているのは知っている。つまりニコラが酒を欲しがっていると知っているので今回は遠慮したわけだ。
嗜好品というものは酒以外にも茶やお菓子のような食品、煙草のように香木や香草を焼いて臭いを楽しむ品もある。ニコラは酒は大好物だが、他の嗜好品が嫌いなわけではないので、この世界特有の嗜好品を見て回るのは結構楽しみにしていた。
ただし二人が訪れたのは酒を扱っている店では無かった。訪れた店は砂糖を使用したお菓子やジャムなどを扱う喫茶も兼ねた食料品店だった。砂糖はボルド帝国を含めた大陸でもそれなりに貴重であり、店にいる客は見るからに裕福な女性が目立つ。そして彼女達の連れ合いらしい男性陣は暇そうにお茶か何かを啜って暇を持て余していた。
セレンは自分に気を使わなくていいと言ったが、ニコラも甘いものはそれなりに口にするので、多少の順番違いは気にならない。それにセレンは店に入る前から漏れ出している甘い匂いに反応して、長い耳を上下に揺らしていた。口ではどうとでも言えるが身体は正直だった。
「うわーなにこれっ綺麗!ねえねえ、この綺麗な四角い石みたいな物も食べ物なの?」
「それは果汁を砂糖で煮て固めたジュレです。甘くて見栄えが良いので、当店でも人気のある商品なんですよ」
さっそくセレンは商品棚に陳列してあるお菓子に釘付けになり、店員に説明を求めていた。彼女が手に取っているのはゼリーだろう。透明なガラス瓶に入っている赤、黄、緑、紫など、まるで本物の宝石のようなお菓子に好奇心を刺激されて子供のようにはしゃぐ。
他にも様々な果物のジャムや砂糖をまぶしたドライフルーツ、そしてそれらを材料にした焼き菓子などが溢れており、甘いものの好きな女性にとって、さながら楽園である。
ニコラもウイスキーなどの強い蒸留酒のツマミにチョコレートなどを食べるので、喫茶コーナーで屯っている他の男性客と違って幾つか購入しようと物色する。
置かれているお菓子の多くはケーキやビスケットだが、中にはプリンのような生に近いお菓子も多く取り揃えている。カスタードクリームやホイップクリームを使ったケーキも多いが、チョコレートやココアのようなカカオ豆を使ったお菓子は見当たらなかった。それに今まで誰もコーヒーを飲んでいない事からカカオ豆もコーヒー豆もこの大陸には無いのだろう。
無い物は無いので仕方ないのだが、いざ二度と飲めないと思うと、ニコラも寂しい気持ちにはなる。
結局、ニコラは幾つか物色してビスケットの詰め合わせを手に取った。そしてセレンの方を見ると、彼女は店員に次々と商品を渡していた。軽く見てもざっと十は超えている。それには流石にニコラも許可はしなかった。
「これからはいつでも買えるんだから、いっぺんに買っては駄目。二つまでにしなさい」
「えー、ニコラのケチ!ひどいっ!」
まるっきりお菓子をねだって駄々をこねる子供と母親のような光景だったが、流石にセレンは子供に比べると物分かりのいい歳なので、文句を言いながらも最後は従い、大量のお菓子の中から四角いゼリーの入った瓶とキャンディーの詰め合わせを選んだ。
それと菓子に合うお茶の葉とパンに使うジャムを幾つか見繕ってもらい会計を頼むと総額で金貨十枚だった。これだけで一般的な平民の一か月分の給料が飛ぶ。ギルス兵から巻き上げた軍資金と弩を売り飛ばした金があって良かったとニコラは思った。
菓子店を後にした二人は家に帰る道すがら数種類の果実を買い込む。それと酒屋で蒸留酒を一本買うと、二人とも良い物が手に入ったと上機嫌で歩き、通行人は目立つ二人を見て何やらひそひそと噂をしていたが、さして気にするほどの事では無かった。




