荒野の盗賊(3)……ユウ
ラズと再会してからまだ一週間と少し。
ピアニーは今日は貴族の子女らしい装いで応接室に向かっていた。
ハーフアップにして結い上げた栗色の長い髪には、控えめで上品な翠色の髪飾りをあしらってある。
その見目はお人形のように可愛らしいはずだが、その表情はこれ以上ないくらい不機嫌だった。
前を歩く初老の従者は慣れた様子で彼女を一瞥してから、応接室の扉を開けた。
その一瞬で完璧な笑顔に切り替える。
「お待たせいたしました、ミクレル様」
スカートの裾をつまんで優雅に一礼すると、その男……ミクレル=エンデイズも立ち上がった。
二十代前半の彫りの深い顔立ちで少し太ったその男は、鋼務卿の次男……ピアニーの未来の夫、ということになっている。なっているが、少なくともピアニーは了承した覚えはない。
それでも来たら追い返すことはできないので、非常に不本意だが相手をしなくてはならない。
「いやいや、今日もお可愛いらしい」
「まあ、そろそろ美しいと仰っていただきたいものですが」
「美しいとも、もちろん。ご体調はいかがか?」
「おかげさまで、今は落ち着いておりますわ。明後日は初めて街を出られますの」
「ほう、それは、どちらへ?」
「南東の、財務卿の領内ですわ」
「──盗賊の動きが活性化しているという話だろう、大丈夫なのか?」
「……ええ、ですので行き帰りは憲兵隊に同行して頂くのです」
ここまで心のこもらない受け答えをしていたピアニーは内心で首を傾げた。この男に心配されるとは思わなかったからだ。少し意外な気持ちで返事をすると、婚約者はふむ、と唸った。
「良い、旅となるといいな」
「……ありがとうございます」
「憲兵の規模はどれくらいなんだい?」
なぜそんなことを聞くんだろう。
ピアニーは怪訝に思ったが、すぐににこりと微笑んだ。
「……聞き及んでいませんわ。ですがリゼル様が指揮なされるので、心配はご無用です」
「ああ、イリゼルト=フリッツ卿は、警務卿に次ぐ剣士という噂だな」
「ええ」
婚約者は何かを考えるように二重の顎に手をやっている。嫌な感じだ。
ピアニーは話題を変えることにした。
「──それより、鉱山都市に小人のための特区をお作りになるんですって?」
「耳が早いな。小人のためといっても、逗留できるのは同時に十人まで、荷の交換のみさ」
「交換? 都市からは何をお売りになるの?」
「それは──薬や食糧となるだろうな」
彼はそこでなぜか少し笑った。
(……薬)
──少し予感はしていたが、エンデイズの者がそう表現する品物となると。
気づいたことを悟られないようにピアニーはにこりと微笑む。
「荒野での生活は大変でしょうから、きっと喜ぶでしょうね。慈悲深いことでいらっしゃいます」
「だろう? 兄上は間違いなく、荒野を掌握するよ」
上機嫌になった婚約者を、冷めた目で見つめる。
(……そんなことを私に言うなんて、この人、本当にこの縁談の目的を分かっているのかしら)
憲兵隊の長でピアニーの父、警務卿ブレイズ=ディーズリーが鋼務卿エンデイズ家の悪事をなんとか暴こうと画策していることは知っているはずだ。
ただ、悪事、と言っても、それを取り締まる法がそもそもないのが問題だった。
人の心を壊す不思議な嗜好品の何がどう問題なのか立件もままならず、この街に巣くう売人を盗人の罪などで捕らえるのが関の山。
さらにあろうことか領主家リーサスがこれを擁護した。領主家が強行して、ディーズリーとエンデイズを近づけたのは、ブレイズの動きを牽制するためだろう。ディーズリーも黙認、あるいは加担しろ、と。
これに乗じて、エンデイズは、ディーズリー家の家格を乗っ取ろうとしている。
そうやって、鉱山都市で始まった闇が領を静かに侵食しているのだ。
そんな中でピアニーの立ち位置をこの男は気にするそぶりはない。まだ年端の行かない少女だと侮っているのだろう。
(鈍感で、ある意味助かるわ)
そんなピアニーの思案に気づいた様子もなく、婚約者はへら、と笑って手を広げた。
「ディーズリー邸には、素晴らしい中庭があるんだろう? 案内してくれないか」
「今は冬ですので、残念ながら見応えなどありませんわ」
淑女の笑みで答える。
──しかしさっきからなんとなく、彼の視線が気になって気持ちが悪い。
「なら、画廊はないのか?」
「……お爺さまの剣の展示室ならございますが」
「……剣……いや、それでいい。見せてもらおう」
「分りました。ルータス、案内をお願いできる?」
目配せすると、従者が恭しく礼をして恭しくドアを開ける。
彼の先導で廊下に出ると、婚約者はエスコートをするように手を差し出した。
(……嫌だわ。これがしたかったのね)
その肥えた手を見下ろして、ピアニーは身を引いた。
婚約者の顔が口惜しげに歪む。
「……婚約しているんだから、もう少し距離が近くてもいいと思わないか」
「──殿方にお近づきになるのは慣れておりませんの。ゆっくりで構いませんこと?」
言い訳を口にすると、前を歩く従者が咳払いした。
どうせ、いつも父に付いて回って汗臭い兵士たちに混じり鍛えている彼女が、男性に近寄るのが苦手な訳がない、と笑いを堪えているのだろう。
その後面白く無さそうに剣のコレクションを眺めながら、婚約者はなおも時々距離を詰めようとしてきたが、その度にピアニーは理由をつけて避けた。
そろそろ諦めてくれたかと思いながら、最後の一振りの前に来た時、婚約者がある疑問を口にした。
「ところでピアニー様は剣に興味がおありか?」
「……」
剣への、興味か。
「さほどは……ございませんわ」
これは正直な言葉だった。負けず嫌いではあるが、戦うことそのものは、別に好きな訳ではない。
父が喜んだから、兄と慕うリゼルや古参の兵士たちが嬉しそうだから、という理由で剣を握ってきた。結果的には積み上げたものは自信となり、自分のアイデンティティの一つとなっているので、大事にしたいとは思っている。ただ、公には剣を嗜むことな病弱の裏に隠すようにしているから、ここは話を濁しておこう。
「ほう、では剣姫の噂は誤りだったか。まあ、そうだとは思ったが」
「まあ。そんな大層な噂、どこからたったのでしょうね」
ピアニーが剣に秀でているのを知るのは家族以外だと憲兵隊の上級訓練場に出入りする者のみだ。あとは市井にお忍びで作った友人たちと、ラズくらいか。
外で披露することはほとんどないので、人々の口から漏れたとしても冗談として処理されることは目に見えている。
「……なんにしても、これからは銃の時代だというのに、剣など詳しくなっても仕方ないな」
「──そうですね」
自分から剣の展示を見ると言い出したのに、気の効かない感想だ。
腰を抱こうとする手から一歩下がって逃れて、ピアニーは扉を開けた。
「そろそろ次の御用がおありでは?」
「──ああ。長居してしまったな。次は二人きりで会いたいものだ」
(───絶っっ対、嫌!)
心の中で思いっきり叫んでから、ピアニーは玄関ホールで振り返りにこりと笑い、スカートの裾を摘んで一礼した。
「私も、母の職務のお手伝いがございますので、こちらで失礼いたします。……それでは」
婚約者を見送らず、部屋に戻って着替えていると、彼を門前の馬車まで送り届けた従者が戻って来た音がした。
「ピアニー様、時折冷や冷やしましたよ。投げ飛ばしてしまわないか」
「……」
ピアニーは下ろしていた髪を三つ編みにしてまとめると、ため息をついた。
「しないわよ、まだ」




