荒野の盗賊(1)……ユウ
ファナ=ノアは怪馬の背の上で、ゆっくりと薄目を開けた。
ノアの郷を出て二日目の朝を迎える。
荒野は本格的な冬を迎え、空気は凍るように冷たい。
小さな布のテントをはって、寝袋の中でもさらに厚着してやっと眠れるくらいだ。
フードと首元にファーが付いたグレーのコートの下は、いつもの白の僧服と違って地味な赤茶のジャケットとズボンを身につけている。シンプルで実用的な飾りポケットやベルトがついており、雰囲気は軍服に似て男性的だ。
白い髪は頭の横で緩く縛ってまとめているので、横髪がすっきりして鋭い印象である。今のファナ=ノアは周りからは美少年に見えることだろう。
(術のほうはそろそろ、ほとんど本調子かな──)
生死を彷徨う怪我をしてから一ヶ月。本来なら回復に半年はかかる怪我であったが、傷そのものはリンドウの治療により一週間ほどで塞がり、今では虚弱感も感じない。
左足は未だにぴくりともしないが、動かない足での生活にも慣れてきた。
ラズが竜人の郷に旅立ってからは二週間と少し。
その間、各郷に散らばっていた仲間が代わる代わる顔を見せてくれた。
安泰な冬という訳にはいかず、大渓谷側は食糧難、南の果てにも小鬼の群が現れたため、ニール司祭やジルたちはそちらの対処に奔走している。
そんな中、北東に時折現れて、小人を拐う人間の野盗の相談があった。もともと時折耳には入ってきていたのだが、この冬になって既に二件、もしかすると先月の領との衝突によって状況が悪化しているのかもしれないと直接出向くことにしたのだった。
北東の地区は人間の領の農耕地帯と面している。その通り道には、ファナ=ノアの故郷もあった。
術を使って辺りの空気をほんのりと温めながら、最近始めた朝の柔軟体操を始める。
もともと身体が硬い方なので、数日やった程度では進展はなく、前屈しても膝までしか手がつかない。
不器用に身体を動かすファナ=ノアを見てノイが少し笑った。小人に珍しい戦士である彼は見張りのため、夜通し起きてくれていた。
苦笑いを返して労う。
『ノイ、ありがとう。もう休んでくれ』
『いいや、朝の鍛錬をするつもりだろう? 付き合ってから休む』
『……いいのか? では頼む』
最初に付き合ってもらった日は派手に転んでしまい、それを見たノイは気まずそうにしていた。二週間もすればそろそろファナ=ノアの運動音痴っぷりにも慣れてきて、ここ数日はこの若い郷長を鍛え直すのが逆に楽しくなってきたらしい。
ファナ=ノアは杖で身体を支えて立ち上がり、距離を保って向かい合った。
ノイがカッと気迫を入れて踏み出す。
『──行くぞ』
『ああ』
下段からの薙ぎ──迫る木剣を出来るだけ引きつけてから、ファナ=ノアは風の刃を作り出して剣の腹を軽く弾いた。
ノイは武術民族<シヴィ>の民の筆頭──その程度では微塵も動じない。弾かれたと同時に姿勢を低くして剣を返し二刀目を放っている。──予想していた動きではあるが──至近距離でかつさっきよりも速い!
その剣が届く前に旋風を纏って弾こうとしたが、間に合わなかった。
ぴた、と喉元に木剣の切っ先が当てられ、ファナ=ノアは術の発動を止めた。今使うとノイを怪我させてしまう。
『二撃目は読んでいたのか』
『ああ、しかし分かっていても簡単に止められるものではないな』
これが実戦なら、初撃の対処ができた時点で武器を破壊して相手の自由を奪えるファナ=ノアの勝ちなので、ノイは特段勝ち誇ったりしない。
実は彼と同じ<シヴィ>の民だった者の記憶を覗き見る機会があって、剣術について少しだけ知識がついたのだが、所詮付け焼き刃──まだまだノイには敵わない。
しばらく訓練に付き合ってくれたノイが怪馬の腹に横になった頃、もう一人の旅の仲間が目をこすって起き上がった。
「二人とも……また早いね」
「おはよう、リン」
彼女の名はリンドウ──ラズの叔母だ。動かない左足の治療を兼ねて、同行をかってでてくれた。
彼女は炭火にあたりながら、ノソノソと毛布を畳む。ファナ=ノアが荷物袋から食糧を取り出そうとすると、リンドウがあっと声をあげた。
「待って、ファナ=ノア。私がやるから」
「昨日もだったが……交代でいいんじゃないか」
「まあ、私が好きなのよ。妹ほどじゃないんだけどね。それに、温かくしてくれてるから、そのお礼ってことで」
リンドウは眠気を覚ますためか、ぱん、と両の手で頬を叩いて深呼吸した。髪を梳いて高い位置にまとめてから、手早く持参したパンを錬金術で加熱し、荒野の果物で作ったジャムを塗る。
「ありがとう。リンが作るとなんでも美味しいから、嬉しいよ」
「ふふ、褒めてもこれ以上はでないよ」
ファナ=ノアは加減が苦手だがパンを温めるくらいはできる。ただ、ここまでほどよく香ばしくすることはできない。何かコツがいるんだろう。
「……ところで、リン。これはなんていう生き物か知ってるか?」
ファナ=ノアは手近にあった拳大の石を手に取り、今朝ラズと会った夢に出てきた動物の絵を地面に描いてみた。
リンドウはその絵を見て、眉根をひそめてしばらく考え込む。
「ハムスター……? 違うか、これ、耳なんだよね。これは鬣?」
「……下手で悪い。髭だ」
「で、これが足?」
「……これとこれは尻尾」
「……」
「……次はもうちょっとよく見る」
「そういう問題かな……」
リンドウはおかしそうに笑った。
ファナ=ノアは印象で捉えがちなので絵はあまり……というか全く上手くない。──尖った耳の先が微かに熱いのは、寒さのせいだと述べておく。
ちなみに、ラズは見たものの映像全体を覚えるらしく、なんでも写実的に再現する。夢の世界の景色がラズの方のイメージに依存しやすいのはそのせいだ。彼に夢で何か見せようと思ったら、かなりしっかり観察して覚えないといけない。
──そう言えば、彼が怪我をしていたことをリンドウに言った方がいいだろうか。
(……無駄に心配させるだけか)
大丈夫だ、また会える、とラズはいつもの指切りをして見せたし、きっと大丈夫だろう。
──もし、ウィリたちにも何かあったならもっと表情が暗いはずだし、ファナ=ノアにも伝えてくれるはずだ。
(──なんとなく気配の位置が読みづらい。……もしかして、<虚の領域>にいるのか?)
山地がどんな場所かは知らないが、北側に抜ければすぐそこが<虚の領域>だ。只の人は<虚の王>による暗示のため立ち入ることはできないが、出入りできる存在に導かれれば話は別だろう。
(何もないといいが)
丁度真北の方角を見て、ファナ=ノアはふう、と息を吐いた。
†
次の日の昼、ファナ=ノアはふと故郷の方角にわずかに違和感を感じて意識をそちらに向けた。<空の目>……とファナ=ノアが心中でそう呼ぶ、いわば千里眼の術。
(──誰か……いる……?)
みすぼらしい格好をした小人が数人、地に倒れている。
怪物に襲われたような様子はない。──<空の目>は意識がある間は常に発動しているので、そんな大きな空気の揺らめきがあればとうに気づいている。
生気のないその光景の中、年端の行かない小人の少女が膝をついて呆然としていた。
倒れた小人たちの中でただ一人、大判の布を幾重にもかぶっている。
背丈ほどもある長い綺麗な栗色の髪に、赤みがかった焦げ茶の大きな瞳、あどけない顔立ち。
「二人とも……ちょっと寄っていいか?」
ノイはリンドウの後ろでうつらうつらしている。
リンドウは頷いて首を傾げた。
「どうしたの?」
ファナ=ノアは視線をまだ見えぬ荒野の向こうに向けて、答えた。
「荒野の真ん中に小人が取り残されている。……おそらく、奴隷の亡命者だ」




