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竜人の郷の異変(9)

 シャルグリートは仰向けのまま蔦の這う岩を見つめて嘆息した。

 赤竜の洞は冬であるのに温かく、なおさら怪我がじくじくと疼く。おかげでなかなか寝付けない。


「……シャル、大丈夫?」


 義姉、ルクエが汗を拭いてくれた。──聞き心地の良い、甘い声色。


 小さな旅の仲間二人は相当疲れていたらしく、すぐに寝こけて穏やかな寝息を立てていた。

 牙の竜は赤い岩のごとくとぐろを巻いて動かない。よほど深い傷があるのだろう。

 竜は疲れた時を除いてほとんど寝ることはない。その代わりに定期的に──概ね冬、長い眠りにつく。

 赤竜は冬眠しないが、数百年に一度、数年にわたる眠りにつくらしい。


 もう一頭の竜……今は人の姿をしているレノは一人洞窟の外で何かしているようだった。


(そういや、あいつが寝てるところを見たこと無かったな……)


 見張りを交代でしているときも静かに目を瞑っているだけで横にすらなっていなかった。


 初めて会ったのは二年前。

 平原の国で、竜人の言葉が分かる彼に興味を持ち、なりゆきで一週間ほど同行した。先日の飲み屋街の時のように涼しい顔で助けてくれたこともあったのだが、シャルグリートが腹を立てたせいで最後は一方的に喧嘩別れした。

 その次に遭ったのは一年前だ。ばったり平原の国の首都で会った。その時は一日首都を案内してくれた記憶がある。


 『白銀の竜』というのは、十三年前に牙の竜のもとを訪れた、四頭目の高い知性を持つ竜の呼び名だった。

 当初はまだ言葉を介さず、わずか数ヶ月郷に滞在した後、忽然と姿を消した。


 シャルグリートはまだ五歳だったが、大人たちが慌ただしくしていたこともなんとなく覚えている。

 竜を倒すも従えるも、竜人にとっては力の象徴となるので、白銀の竜が誰かに組みすることがあれば新しい勢力が生まれる可能性があったのだ。

 だから白銀の竜がいる間、決して友好とは言えない間柄の爪の民たちもよく訪れていた。

 シャルグリートも何度かその姿を見たことがあるし、一度だけだが話をしたこともある。


(あの竜が、レノだった……のか)


 子供の頃の自分が何を話したか、記憶は朧げだ。

 シャルグリートは心配気に覗き込む義姉に話しかけた。


「なあ……、今日の竜どもの話、意味分かったか?」

「あー……、ううん。神竜の話なんて、分からないものでしょう」


 彼女は困ったように笑った。

 肩に着くくらいのピンクがかった柔らかな髪に、伏し目がちな大きな茶の瞳が愛らしい。


「でも……神竜たちが、ディックをなんとかしようとしていることは……分かるわ」


 シャルグリートには豹変したという兄のことが未だに信じられなかった。しかし、他ならぬ義姉がそう言うのを否定することはシャルグリートにはできない。


(<(しろ)の王>に狂わされた……兄貴が?)


 考えると頭が痛くなってくる。ファナ=ノアが語る<虚の王>にまつわる話は、『なるほどそうなのか』以上の疑問を抱こうとすると頭が痛くなるのだ。

 ノアの教えが小人たちに絶対視されるのは、この辺りの神秘性によるらしい。


(それでなんでラズが狙われる……訳わかんねえ)


 しかし竜の話が正しいとするならば、狂わされた兄がラズを狙い、レノはラズを守ろうとしている。


 ──では、自分は?


「くそっ……俺は、蚊帳の外かよ……ッ」


 ──特別な力が欲しいと思ったのは今に始まったことではない。


 人望と才覚を備えた兄と比較されながらも、兄の支えになりたくて、郷を飛び出し山地からも出て技を磨き何度も己を省みるようにしてきた。

 ──しかし蓋を開けてみれば、滝見の郷で民を煽動したのもラズの指示通り、自分はあっさりと牙の竜の下敷きになる程度の力しかない。


「……二ヶ月前にシャルが帰って来た時、ディックは見違えたって、とても喜んでいたわ」

「──ああ、それは直接言われたよ」

「でもね、本当はまだまだだって。自分が上に立つことばっかり考えるんじゃなく、仲間を作って、その仲間を勝たせられるようになってくれたら、右腕を任せられるだろうにって……」

「……はは、兄貴らしいな」


 ──自分にはまだ難しい。心の中心にある物差しが、強いか弱いかでできている自分には。

 シャルグリートは上がる方の腕で目元を隠した。


「分かってるつもりなんだけどな──」


 何度も己を盾にして前に出ようとするウィリ、シャルグリートの命を諦めず赤竜に挑み続けたラズ。……絶対たる父親の命に反発して、彼女を妻にするのだと宣言した兄の姿も、シャルグリートの印象に強く残っていた。


 ──誰かを守る、という強い意志──。


 特定の誰かへであったり、普遍的な身の回りの全てのものへの感謝の情と、行動だ。

 そういう相手は自ずと信じられる。シャルグリートはウィリとラズのことを仲間だと感じている。


 ──しかし、自分はどうだろうか。戦いにおいても、彼らを守ったりしただろうか。彼らが戦いやすいように動いたりしただろうか。

 彼らがそういう人柄だから今は仲間に入れてもらっているだけで、事情がなくなれば彼らはわざわざシャルグリートを仲間に選んだりしないだろう。


「……義姉(ねえ)さん」


 ──悔しい。


 ──なぜ自分はまだこんなにつまらない男なんだろう。


 ──兄への親愛、義姉への感情、旅の道中人間や小人たちと築けたものや、山地に戻って感じた仲間といる安心感。


 ──失いたくない。


 シャルグリートは義姉の顔を見上げた。


「兄貴がおかしくなったっていうんなら──元に戻す。義姉(ねえ)さんを泣かせんなって殴ってやんねーと」


 口にすると、何かすっきりした。


 ──彼女のために、兄のために、同胞のために、それからついでにラズのために、もう一つついでに嘘つきな竜の友人のために、戦う、というのは悪くない気分だ。

 ──兄が強かろうが、竜たちが何をしようが、諦めてなんてやらない。


「……うん、頼りにしてるよ、シャル。あなたはとても『強い』竜人だもの」


 彼女はシャルグリートの手に自分の手を重ねて言った。その目に浮かぶ大粒の涙は、夫へのものだけではない気がした。胸の奥が芯から熱くなるのを感じて、なんとなく目を逸らす。


「っ()つ……」


 痛みを堪えて無理矢理寝返りを打ち、シャルグリートは義姉に背を向けた。


「もう寝る。義姉さん、さんきゅーな」


 義姉がゆっくり涙を拭いて、赤竜の隣の毛布に戻り、寝息を立てるのを背中ごしに感じながら、シャルグリートもゆっくり意識を落としていった。




 † † †

 † † †




 時間は少し遡る。


 牙の郷上空を飛び回る竜の数は、百頭を優に超えていた。


「まあまあの見せ物だな」


 郷で一番背の高い建造物は監視塔を除いてはコロシアムである。


「ディグルエスト……どうか」

()()()だ」


 最上段の賓客用の建物の屋根の上で、ディグルエスト──もといマガツは機嫌が良さそうに笑った。流れるような銀髪が、血の匂いが混じった冷たい風になびく。


 マガツの後ろには、罪人として投獄されていた男が心酔した顔つきで控えている。

 その階下、コロシアムの回廊で、上位の戦士たちが青い顔をして立ち尽くしていた。


 半刻ほど前には竜に襲われる家族を助けに行こうとした者がいたが、マガツは嗤ってその戦士を串刺しにした。そして、半死半生で生かしたまま、その場にいた戦士たちに向かって、ここでともに見物せよ、と命じた。


「どうせ壊れる世界なのだから、目に焼き付けておくといい。今すぐ心中するなら、好きにしろ。その時は家族も一緒に死なせてやろう」


 牙の郷は人口が最も多く、故に竜と戦えるくらいの力を持つ者もここにいる上位以外に八十人ほどもいる。しかし、そんな数では、この広い郷で逃げ回るか弱い民を守ることはできない。

 統率できる者もなく、竜に(ついば)まれる同胞たち──。震える拳を握りしめて、郷を見つめる戦士たちの表情は苦悩に歪んでいた。


 マガツは、手札にしたい者たちの心に従属への諦念を植え付けると同時に、彼らの誇りを汚そうとしているのだった。

 ──仕方ないと諦め、与えられるストレスの吐け口として、自ら他者を傷つけるようになるまであと少し──あとはその低俗な快感を正当化するように仕向けることで、支配下に置くことが容易になるだろう。

 誇り高い竜人たちを操るに至るにはまだ時間がかかりそうだが、マガツは焦ってはいなかった。


 何度目か襲いかかってきた竜を金剛石で串刺しにした頃、マガツは不思議そうに目を細めた。


「…………?」


 隣の郷に黒雲が発生している。竜の術か何かだろうか。

 しばらく観察していると、激しい雷の音が聞こえてきた。

 落雷を受けて竜の数が徐々に減り、牙の郷の方に流れてきたり、山地に散って行く。

 竜、というよりは、人の側が仕掛けた結果のように見えるが、そんな力を持つ竜人に心当たりはなかった。


 さらに同じ方角に、牙の竜らしき大きな赤竜が舞い降りるのが見えて、マガツは立ち上がった。


「そろそろ頃合いだ。民がいなくなるのもつまらぬし、竜を片付けるとしようか」


 腕を一振りすると、周囲に金剛石の槍が数百近く浮かび上がった。マガツはさらについ、と指先を上空に向ける。槍は音もなく宙を滑り、飛び回る竜の腹に突き刺さり──鈍い、音がした。


 ──ドッ。ドドドドドッ──!!


 コロシアムに残留する戦士たちが固唾を飲む中、周回していた竜のほとんどが串刺しとなって地に落ちていく。ついさっきまでギャアギャアと騒がしかった郷に静寂が降りるのにさして時間はかからなかった。


「エーゼル、それから──お前とお前。付いてこい」


 指名された戦士たちは、悠然と笑うマガツにぞっとしたように身を震わせた。

 マガツは意に介さず、屋根からコロシアムの外へ足を踏み出し、急降下──トン、と地上に降り立つ。

 そしてゆっくりと、滝見の郷に足を向けた。




「牙の竜が現れたにしては、被害が少ないな。誰が退けた?」


 雨はすでにやみ、滝に虹がかかっているが、マガツはそんなものを愛でる趣味はない。

 出迎えた滝見の郷の長は平伏し、顔を上げないまま答えた。


「……白銀の、竜が……」

「────ほぉう……」


 マガツの切長の碧い目が、地を染める夥しい黒い竜の血を昏く反射した。


「──そいつは、何か言っていたか?」

「……人間の少年を、主だと」


 それを聞いてマガツは口の端を吊り上げた。


「……くくっ、面白い冗談だな。それで、その人間というのは、どういう奴だった?」

「剣の腕は確かなようで……一人で何頭もの竜を相手にしておりました」

「ほう」


 マガツは屈んで郷長の肩に手を置いた。郷長はびくりと硬直する。


「肝心な報告をまだ聞いていないな──異種族は連れて来い、と命じたはずだが、今そいつはどこにいる?」

「……シャ、シャルグリートがあなたの元に連れて行く、と言いましたので、……任せました。その人間の少年と小人の女、それから、白銀の竜が人に変じた男の四人です。……先に赤竜に負わされた怪我の治療をする、とどこかへ」

「シャルグリート? ……ああ」


 マガツは立ち上がって少し考える素振りをした。

 それから、郷長を労うもことなく、唐突に踵を返し、歩き出す。

 (とも)の竜人が無表情に後を追う。彼らは皆、放心したように、焦点の合わない異様な目つきをしている。

 マガツは薄ら笑いを浮かべながら、彼らに命を下した。


「この戦いで竜を多く倒したものを集めろ。()()をくれてやる。ああ、あと……」


 肩に垂れる銀髪を一房摘み、にい、と笑う。


「銀髪は珍しいのだったな。ならば…………である者も連れてこい」


 そして──口の中だけで呟いた。


「長きに渡る不毛な旅を終わりにしてやろう……ラズレイド・レノ」

義姉さんの落書き

https://twitter.com/azure_kitten/status/1260774508471783426?s=20


ブクマ、★評価、何卒宜しくお願いいたします。

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