竜人の郷の異変(8)
スイの背中にもたれながら、うつらうつらしている間にまた夢を見た。
土砂降りで雷鳴が轟く中、ファナ=ノアが困った顔をして、布を雨除けにして立っていた。
「ああ……この雨」
これはさっきウィリに起こして貰った雷雨の風景だ。
ラズは慌てて雨が止むイメージをした。と言っても印象に強いのは冬の寒空だが。
「ここでは、器用に操るのでありんすね」
「!! 猫さん!?」
ラズは声に驚いて慌てて膝下を見遣る。
ファナ=ノアも急に現れた黒猫に驚いた顔をしている。何か口を開いたが、やはり言葉は聞こえない。猫のまろい声だけが、山地の風景に響く。
「二つの世界がこんな風に交わるとは、奇異なことでありんす。──いや、もともと一つでありんしたものが、分かたれた名残がここでありんしょうか」
耳をぱたつかせて黒猫は感心したように言った。りん、と耳元の鈴が鳴る。
ファナ=ノアは猫の声も聞こえないようで、首を傾げたあと、なんとなく座ったままだったラズを見て顔を曇らせた。
近づいて膝を折り、白い指先でラズの腹部を示す。
真新しい血の跡が衣服を染めていた。
居眠り前は傷が痒くて熱い程度だったが、起きたら痛そうだな、とぼんやり思う。
体の調子は夢の中でも一足飛びに治ったりしない。苦笑して、大丈夫だ、というように首を振って見せた。
ファナ=ノアはため息をついてから、寒空の山地の景色を見回した。
「こちらの御仁の方が、優れているようでありんすね」
「……そうだね」
基準がよく分からないが、ファナ=ノアがすごいと思うのはラズも同じなのでとりあえず同意する。
それから、ファナ=ノアは黒猫をまじまじと見た。
その様子に思わずラズはぷっと笑ってしまった。
かわいい、と顔に書いてあるような表情だったからだ。
「ファナって昔から小動物好きだよね」
ファナ=ノアもはにかんだ笑みを見せ、黒猫の喉をくしゃくしゃと撫ぜた。黒猫もまんざらでもない様子で喉を鳴らしている。
「くうー、心地いいところを理解していんすね」
たまらず猫はゴロンと転がり、柔らかい黒い毛並みの腹を見せた。
(どうでもいいけど雌だったんだ……)
ファナ=ノアはさらに笑って顎を撫ぜる。
お腹を触ってみたくなって手を伸ばすと、黒猫はしゅたっと姿勢を戻し、しゃーっとラズを威嚇した。
「分かっていんせんね、デリカシーのない!」
「ええっ、ごめん……」
その様子を見てファナ=ノアは楽しそうに笑った。
擦り寄ってきた黒猫を抱き上げて、ファナ=ノアはラズに手を差し出す。
その手を取ると、風にふわりと押し上げられた。
目線が合う。ファナ=ノアの赤い瞳が揺らめいた。
「……大丈夫、ちゃんと無事に帰るよ、必ず。約束」
ラズは手を離し、小指を出して悪戯っぽく笑って見せた。
指切りをして、ファナ=ノアも優しげに微笑んだ。
まどろみの中、スイの声がした。
『───着いたぞ』
(……うん)
『───ファナ=ノアと会っていたようだな』
(夢も見えるの?)
『───いいや、起きた後の思考しか掬い取れない』
ゆっくり目を開ける。
そこは、枯れた山地の真冬のはずなのに、暖かく緑に満ちた場所だった。
「お前、良く怪馬の背で寝らレルな」
シャルグリートが骨折による激痛で脂汗をかきながら呆れたように言った。声の調子はいつも通りだが、強がっているのは間違いない。
「いちち……スイは優しいから」
体勢を変えた瞬間の痛みに顔をしかめながらラズは答えた。
「へー、話できたら女ミタイのイメージか?」
「さあね。さっさと降りたら」
ニヤニヤからかってくるのをラズはあっさりと受け流す。
(どっちかというと捻くれてて無愛想なおじさん、って感じだよね)
『───筒抜けだぞ』
言いながらもスイはしゃがんで頭を下げた。降りる時に額の一角を支えにしろということらしい。
(はは、ありがとう)
身体を動かすと激痛だが、眠って回復した体力で術を使って痛覚を無視する。
地面に降り立って顔を上げたとき、レノの姿が竜に変わっていた。
四足で立つとラズよりも視線が低い。トカゲ型の竜は後脚で立つのをよく見たが、体型的にこの竜はそれはしないようだ。
薄い翅を震わせて少し浮かぶ。そよ風がふわりと髪を揺らした。
ウィリとシャルグリートは表情を固くして白銀の竜を見つめている。
「私から離れないでください」
口を動かさず、くぐもってはいるが聞き慣れた声を出す。
『……綺麗な生き物ね』
ウィリがぽつりと呟いた。
確かに曲線が多く、金属様に輝く身体は流麗という言葉が似合う。
ラズの側によろけながら降りたシャルグリートが渋い顔をして言った。
「言っとくガ、竜は人を喰うゾ……。牙の竜も毎年──」
「とりあえず言っておくと、私は食べませんよ」
「……チッ。信じる訳ナイ」
ホバリングしたまま、レノは蔦の生い茂る大きな洞窟に先導した。
寒々しい山の景色と打って変わって、洞窟の前は緑が濃い。
『どうしてここは景色が違うのかしら』
『竜の影響だと思うけど……』
天井を見上げながら、ウィリに呟き返す。そこにはびっしりと茶色い蝙蝠がしがみついて眠っている。
そう深くない場所に、赤い大きな竜がとぐろを巻いているのが見えた。
『……遅かったな』
『すみません、お待たせして』
白銀の竜は向かい合って同じように身体を丸めた。
『なぜヒトまで連れてきた? 竜人、人間、しかも小人? それに馬……供物のつもりか?』
『はは、まさか。それにあなたは今飢えてはいないでしょう?』
『……まあな』
赤竜の影から、おずおずと顔を出す人影があった。
「……?」
その女性は、レノの後ろにラズたちを認めて、パッと駆け寄ってきた。
「シャル!」
そのまま、シャルグリートに飛び込むように抱きついた。
『義姉さん!? 本物?! ……うぐっ』
シャルグリートは支えられず後ろに倒れる。
ウィリが戸惑った顔で風を操り二人を受け止めた。
赤竜の渋い声が洞窟内に響く。
『──ルクエ。知り合いか』
『ディックの弟よ』
『……どおりで見間違えた訳だ』
赤竜は片目でシャルグリートをまじまじと見た。
『……いや、似ていないな。頭が悪そうだ』
『ひっでー。……義姉さん、やっぱり……牙の竜のところにいたんだな』
シャルグリートは深く息を吐いた。
その目つきは普段と違って柔らかい。
『ディックの様子が変わって……相談に』
『親父を殺したって、本当に兄貴……なのか?』
『……違ったら、どれだけ良かったか……! 中身だけ、別人になったみたいな……』
言いながら、ルクエは涙目になった。
『それは、突然に?』
白銀の竜が振り返って彼女に問いかける。
『ええ……急に、頭を抱えて倒れて、その後』
思い出したかのように、彼女の顔からさあっと血の気が引いていく。
『……』
白銀の竜は赤竜に向き直った。
赤竜は片目に大きな生傷がある他、身体のあちこちに大小治りきらない傷がある。
『アングレイス、その傷は、その者が?』
『──そうだ』
『もともと、そんなに力のある人物だったんですか?』
『いいや、まさか。それに、竜人であんな力を見せた者は初めてだ。広範囲で無制限に金剛石を生み出し、ましてや生物の自由を奪うなど』
『……だからあの時、たかが人相手だというのに本気で仕掛けていたんですね』
『お前が邪魔しなければ、すぐに踏みつぶせたのだがな。ささやかな抵抗ではあったが』
『力比べだと分が悪いですからね』
白銀の竜がふっと笑ったように見えた。
シャルグリートは何の話か理解したらしく、複雑そうな顔で白銀の竜を見る。
『それで、協力してほしいこととは何だ?』
『私の予想通りであるなら、その人物は次はここの彼──ラズを狙ってきます』
スイにもたれて立っていたラズは、急に名前を呼ばれて少し驚いた。
「僕が、何?」
白銀の竜は振り向かない。
シャルグリートを見たが、彼も意味が分からないという顔をしていて、訳してくれる雰囲気ではない。
『む……? それはお前の名前ではなかったか?』
『ええ、まあ。あなたが私の名前を覚えていたなんて意外ですが』
『たかが十年そこらだろう』
『三回くらい名乗りました。覚える気がないんだと』
『それで、なぜ人間の子供が関係する』
『あなたなら、言わずとも分かると思いますが』
赤竜は困惑した表情のラズをじっと見つめた。
『────こんな子供がか。吹けば飛びそうだが』
『そんな子供に、竜の大群は退散を余儀なくされたんですよ』
『──であれば、お前は奴が<虚の王>に狂わされたと言いたいのか?』
『……そんなところです。このままだと、牙の民も、……世界すら危うくなるでしょう。私はこれでも、この世界を気に入っているんですよ。私が介入することで大人しくなるならいいのですが……』
『……』
『しばらくここで休んで行っても?』
『好きにするといい』
赤竜は身体を丸めて目を閉じた。
『世話になります』
そう言ってから、白銀の竜は人の姿をとった。
「別に、竜が本当の姿ならそのままでいいのに」
「長くこの姿でいすぎて、こちらの方が落ち着くんですよ。服を着るような感覚ですかね」
「ふうん」
──彼の記憶の夢は常に人の姿をしていたし、正体が竜だとしても、己に対する認識は人だという感覚が強いのかもしれない。
「傷の具合は?」
「思ってたより良くない……治すのに何日かかかりそう。……で、何の話をしてたの」
「なら数日ここに逗留するでしょうから、後でゆっくり話しましょう。とりあえずは、……彼らの疑念を晴らしましょうかね」
レノは面倒そうにではあるが、ウィリとシャルグリートを見た。
シャルグリートの義姉という人間の女性、ルクエは牙の竜と一緒にいたぐらいなので、竜には慣れているのか、レノが人の姿をとったことの方に驚いた顔をしている。
『ウィリ、ここで治るまで休もうって話になったんだけど……レノや牙の竜と一緒だと不安……だよね』
急に話しかけられてウィリは困った顔をした。
『人を……食べない?』
『食べないって言ってたよ』
いつもの穏やかな眼差しに、ウィリは戸惑いを残したまま、レノをまっすぐ見つめた。少しだけ、手が震えている。
『……じゃあ、こう伝えて。──私は、竜はこの間初めて見たばかりだけど、郷で人を殺すのをたくさん見たから、やっぱり怖い。だけどあなたがラズを大切に思っているのは本当だと思うから』
彼女は強気に微笑んだ。
『あなたも私の守るべき仲間』
ラズが訳したのを聞いて、レノは少し驚いた顔をしてから微笑んだ。
「さすがは、白き衣の司祭ですね」
それからシャルグリートに視線を移す。
「……シャル?」
「──あ、ああ?」
ぼーっとしていたシャルグリートがはっとラズを見下ろした。
「混乱しているなら、追々でいいでしょうかね」
「もうそろそろ夜だし、野営の準備……しようか」
『あんた、休んでなさいよ』
『……はあい』
ウィリの背中に、夢で会ったファナ=ノアが元気そうだったことを言うかどうか一瞬考えて、ラズは言うのをやめた。
──人から言われると怒りそうな気がする。
そんなことを思いながら、ファナ=ノアの気配がする方角を探っていて、ラズはふと首を傾げた。
(……? ファナ、北東に移動してる。何か、あったのかな)
今いるところからするとちょうど真南の方角だ。
(ファナなら大丈夫だろうけど)
今日の竜の襲撃だって、ファナ=ノアなら易々と撃退できただろう。
やることがなくなったので、スイにもたれかかったまま、ラズは息を吐いて目を閉じた。
挿絵落書きです
https://twitter.com/azure_kitten/status/1260762850563252227?s=20
ブクマ、★評価、何卒宜しくお願いいたします。




