竜人の郷の異変(7)
分厚く黒い雲から、大粒の雨が降っている。
ぽつん、ぽつん、と音はだんだんと騒がしくなり、ざあざあと剣戟の音すらかき消していく。
カッとあたりが一瞬白み、間近で雷鳴が轟いた。そして轟音とともに、数頭の竜が黒く焦げて地上に降ってきた。
上空を周回する竜の数は減りつつあった。人を襲うというより、竜の死体を持ち去っていく個体も少なくない。おかげで郷の惨状の割に竜の死体はあまりない。
「はあ……はあ……」
ラズは術の出力を抑えてはいたが、なしでどうにかし続けることは出来ず、疲労はそろそろ限界に達していた。雨に打たれた衣服がやたらと重く感じる。
時折視界の端を、白銀の光が瞬いて通り過ぎる。──あれは、レノの輝石だろう。落雷の人的被害を抑えてくれている。
雨で視界が悪い中、シャルグリートが歩いてくるのが見えた。
見た目はボロボロだが、しっかりした足取りだ。
「……元気そうダナ」
「──そう見える? シャルこそ、大きな怪我してないなんて珍しい」
「お前……俺をなんだと……」
軽口を叩きあって、水位が上がってきた滝壺の浅瀬から離れる。
戦っていた竜人たちの数は四分の一ほど──ほとんど手練れのみになっていた。負傷したらすぐに下がれたので、滝壺周りを戦場にしてからは犠牲はほとんど出ていない。
それでも、数十人は竜に拐われたはずだ。さっき滝浦の洞窟を出る前に、すすり泣く人を見た。
一方で、東隣の郷……族長がいるという、牙の郷の上空の竜の数は減っていない。──ラズは己の力が及ばないことへの腹立たしさを感じていた。
バリバリバリ!と一際大きな雷鳴が鳴り響く。
「────?」
雷鳴以外の何かの気配を感じて、ラズはなぜか──背筋がぞっとした。
(これは、怒り……? 殺気?)
気を張り詰め、辺りをゆっくりと見回す。
次の瞬間、ごおっと凄まじい風が吹いた。
立っているのがやっとで目を開けるのが辛い。
「!!」
目の前に、何か、巨大な赤いものが一瞬で迫ってくる!
ラズはギリギリで反応して剣の腹で受けたがそのまま吹っ飛ばされてすぐ後ろの岩壁に背を打ちつけた。
「な……っ!?」
薄目を開けると、滝壺周辺の戦士たちがいた場所に、一頭の竜が降り立っていた。
全身真紅の鱗に、白い立髪、金の瞳をした人の三倍ほどの大きさの竜だった。
身体のあちこちに生傷の跡があり、さらに右目が潰れている。
その脚は、一人の竜人を踏みつけていた。
短い銀髪がちらりと見える。
竜人たちは色素が薄い髪色が多いが、銀髪は多くない。
「シャル!!」
† † †
滝のベールの向こうは雷雨となり、すぐに水位が上がって洞窟の中もわずかに浸水していた。季節は冬であるが、ウィリが空気を温めているので寒くはない。
洞窟がいかにパワースポットだとはいえ、ウィリはファナ=ノアではないので、広範囲で空気を温められても発火まではできないし、風の刃の威力自体は大して変わらない。
術を使って疲れるということはなくても、神経はすり減る。
口を閉じていれば竜人と人間は判別できないので、そばにいるレノは一瞥されるだけだが、ウィリは珍しげにじろじろ見られて、居辛さを感じていた。
言葉の壁があるので当然だが、ウィリはレノと話したことがない。
しかし彼はいつも穏やかで、目線が合うと軽く笑うし、ラズがとても信頼している様子なので、ウィリもなんとなく彼の側では緊張しなくて済んでいた。
(なんていうか、先代のノアの郷長みたいな安定感……。っ!)
何度かの雷鳴が響き渡り、ウィリは身体を固くした。
荒野では夏に時々大雨が降る。すぐに洪水が起こり、ノアの郷も治水しなければ湖に沈んでしまう。──だからこんな雨は嫌いだ。
(──これを私が起こしたなんて)
ファナ=ノアが巨大な竜巻を起こしたとき、同じように広範囲の空気の温度操作をしていた。これはある人に教えてもらったんだ、と言っていたが、もしかするとそれもラズなのかもしれない。
(竜がかなり、減ってきた)
落雷を恐れたのか、飛び去っていく竜も少なくない。しかし……逆に近づいてくる竜もいる。
「……?」
赤い鱗の、巨大な竜。
ウィリはその大きさよりも、禍々しさに恐怖した。
近くの岩壁にもたれていたレノが顔をあげる。
ウィリの表情から何か察したように、見てくる、と目配せした。
裾の長いコートを怪馬の荷物に預け、洞窟の入り口に立つ。
「……えっ?!」
ウィリが次に瞬きした時には、彼の姿はもうそこにはなかった。
† † †
「──っ」
ラズは岩を強く蹴って間合いを詰め、シャルグリートを踏みつける赤竜の脚に横に引いた剣を振りかぶる。しかし赤竜は素早く反応し、シャルグリートを踏みつけたまま、前脚の爪で剣を絡め取った。
すぐに反対の前脚が迫り、ラズの身体を鷲掴みにする。
(────やばっ)
握り潰される前に術で内から外に螺旋状に力をかけてその掌をこじ開け、なんとか逃れて間合いをとった。
がく、と膝が折れる。
「────!」
苔むした岩に震える手をついて身体を支える。ぬる、と血が出て行く感触がして、そのときやっと、腹に大きな傷があるのに気がついた。
掴まれたときに食い込んだのか。
「くっそ……」
ラズは掠れる声を張り上げた。
「シャルを離せ!!!」
ラズは赤竜の脚に向け、雨に濡れた地面を伝って雷を走らせる──
(<紫電>!)
同時にウィリが放ったと思われる風の刃が竜の周りでうねるが、赤竜はばさりと翼を素早く打ってウィリの風を吹き飛ばした。
代わりにラズの電撃は直撃したようで、みじろぎして金の片目でこちらをギロリと睨んでくる。シャルグリートを踏みつけていた脚が少し緩んだ。
途端、ボッ、と音がして、一帯の地面に急に火が広がった。
「!!」
周辺の水を一気に蒸発させ、息をするだけで火傷しそうな空気で満たされる。
(っ……熱を、打ち消さないと──)
──力を絞り出した脱力感が全身を苛む。
ウィリが術を使ってくれているのを感じたが、追いついていない。
(どうしたら──このままじゃ)
一瞬、死、というワードが脳裏をよぎって熱いのに背筋が冷やりとした。
ファナ=ノアを助けに行った夜、スイに待っててと伝言した時も本当はその可能性が脳裏にあった。
──仲間が全員無事だと分かって、ブレイズを撒いてへたり込んだ時、やるだけやったからあとは自分一人くらいどうなっても仕方ない、という諦観がラズの中にあったと思う。
あの時スイはそれを怒ってくれた。
──今は状況が違う。シャルグリートが目の前で殺されそうになっているのに、諦めることは自分で自分が赦せない。それは巨人と最後に対峙したときの感情に似ていた。その結果が脳裏を過ぎる。
「……っ」
──違う、同じでは無いはずだ。それなのに、震えが止まらない。
顔を歪ませたラズの頭を、誰かがぽんと叩いた。
「────?」
先ほどと打って変わって柔らかなそよ風が頬を撫ぜる。
穏やかな声がした。
『大荒れですね、アングレイス』
赤竜がピクリと片目を細める。そして、唸るように言葉を発した。
『何の用だ、白銀──』
ラズと赤竜の間にふわりと舞い降りたのは、人と変わらない大きさの白銀の竜だった。
赤竜のようなトカゲ体型と違い、蛇のようにしなやかで長い体躯、背には黒曜の立髪がたなびき、蜻蛉のような透明の薄い翅が三対生えている。
『事情を聞かせてもらえませんか? ──それと、踏みつけているのはあなたの標的ではない』
白銀の瞳を細めて、その竜は竜人の言葉を発した。
「……?」
ラズはその竜のプラチナの瞳の雰囲気に強い既視感を覚えた。穏やかな口調と声色はどことなく彼に似ている。
『……なぜそう言い切れる。竜人の裏切りだ、これは』
『あくまで勘ですが、そうとも言い切れません。──協力してもらいたいことがあります。賢明なご判断を、牙の竜殿』
『……』
赤竜はゆっくりと脚を退けた。
『……北の洞穴で待つ』
言い残して赤竜はバサッと翼をはためかせ、高く飛翔して飛び去った。
その場の誰も身動きできず、その後ろ姿が山地に消えるのを見守ることしかできなかった。
ややあって、白銀の竜の姿が一瞬揺らめき、ラズの見知った姿に変わる。
いつもの黒いラフなシャツと、金属の飾りが付いたカーゴパンツ姿。雨に濡れた黒い癖っ毛が伸びて頬に張り付き、どこかミステリアスな印象を受ける。
トン、地上に降り立った彼は、膝をついて固まっているラズのところに歩いてきた。
「……レノ」
掠れた声で、ラズは彼の名前を口にする。
降り注ぐ小雨が地面を再び冷やす。雲間から差し込んだ光が小さな虹を描き、危機が去ったことを物語っていた。
張り詰めていた気が途切れ──
「っ! ぜぇっ……はぁっ……」
息が乱れ、たまらず咳き込み、ラズはそのまま前のめりに倒れた。
その身体をレノが支える。
(さっきの竜……)
彼は落ち着いた表情でラズの傷に手をかざした。
「治療は得意ではないので、止血くらいしかできませんが」
穏やかな、声。
その二の腕に掴まり、プラチナの瞳を覗き込む。──なぜだか、笑みがこぼれた。
「はは……見間違いかな……さっき、……白い竜がレノになったように見えたんだけど……」
「誤魔化したつもりはないですが。白銀の竜ラズレイド・レノ……と名乗ることもあります」
「え……なんだ、人間じゃないの?」
温かくて力強い腕に体重を預ける体勢で身を起こし、血が出て行ってぼーっとする頭でレノの顔を見上げる。
さっき赤竜と何の話をしていたのかとか、彼の正体をラズの父は知っていたのかとか、疑問は山ほどある。
(でもそれより……)
──そもそも、このばらし方は彼らしくないんじゃないだろうか。
「……なんで今、皆が見てるところで」
レノは少し驚いた顔をした。
「この状況で、そこが気になるんですか? ……今はそれが必要だからです。ことが終われば別人の姿を借りれば済むことですし」
(『必要』……?)
竜の姿で出なければ、赤竜が退かなかったなどということだけなら、皆の目の前で人の姿に戻る理由にはならない。
まるで、己の存在を知らしめようとするかのような行動だ。
「ぐっ……、くそ」
レノの背中の向こうでシャルグリートが辛そうに身体を起こした。
レノはラズを支えたまま半身だけ振り向く。
シャルグリートの下敷きになっていたいくつかの小さな白銀の鱗がふわりと浮かび、持ち主の手の中に収まった。
(っていうか……鱗ってまんまじゃん)
視線に気付いたレノは少し笑って、それを手のひらから手品のように消した。
わざわざポーチに入れて持ち歩いているように見せたのも偽装だったようだ。
ラズもつられて笑ってしまう。少し、緊張が緩んだように感じた。
レノはシャルグリートに声をかける。
「歩けますか?」
『うっせーよ……。お前、何のつもりだ』
噛み付かんばかりの表情のシャルグリートの問いに、レノはただ肩を竦めた。
(これが普通の反応だよね……)
シャルグリートからすれば、何を落ち着いて笑っているんだ、と思っただろう。
「……シャル、文句は後で言おう? とにかく、今は、その怪我……」
その時、ウィリが駆け寄ってきた。竜の襲撃は赤竜の襲来で途切れたようだ。
彼女はシャルグリートに手をかざし、怪我の状態を確認して青ざめた。
『全身あちこち骨折してる。よく起き上がれたわね……』
『……治せる?』
『ここまでだと、そう簡単には……』
そう言って今度はウィリは立とうとしないラズを見た。
『そのお腹の怪我……っ! 内臓に至ってるんじゃ……!』
『……たぶん。少し休んだら自分で治すから大丈夫』
ラズは、はあ、と息を吐く。
それからウィリは、レノを見上げた。
戸惑いと懐疑感を含んだ目線を、レノは涼しい表情で受け流す。
『……ウィリ、今は我慢して……』
『……』
ウィリはラズとレノを見比べてから、ふいと顔を背けてシャルグリートのそばにしゃがんだ。
竜人たちは洞から出て、赤竜の攻撃を受けた戦士たちの様子をみて回っている。
『白銀の竜、殿……?』
戦いの最中にシャルグリートが郷長だと紹介していた中年の男が近づいてきて、恐る恐るレノに話しかけた。
『礼を。……甥まで喪うところだった』
『私は自分の都合で動いただけです』
レノは自分より少し大柄な郷長に向き合って、含みのある笑みを見せる。
『──あんたは、何をしようとしているんだ?』
『……別に。この小さな主のお守りとでも言っておきましょうか』
淡々と言いながら、ラズの頭をぽんぽんと叩く。何か話題にされているのは分かってラズは怪訝な顔をした。
「なんか……僕をダシにしてない?」
そう言うと、レノは苦笑した。
「鋭いですね。……さて」
レノは少し真面目な顔をした。
「私はあの竜と話がしたいので北の洞に行こうと思っています」
シャルグリートははっとして苦い顔をし、意外なことを言った。
「……! おい、レノ! 俺も……持ってけ」
「……連れてけ?」
こんな怪我でもぶれないボケとツッコミをする二人にレノは苦笑する。
「──でも、なんで?」
「牙の竜には、俺も聞きタイことがアル」
「自分で怪馬に乗れるなら、ご自由に。……真面目な話、今君たちを置いて行くのは不安があるので、付いてくるならその方がいい」
「そう言うんなら、僕も行く」
もう一度、はあ、と息を吐いてから、ラズはウィリの方を見た。
『ウィリ、寄り道になるけど、レノとシャルの用事に付き合おう。どのみち、この怪我で危険そうな『族長』に会うのは怖いし……』
『それ、最初から選択肢ないじゃない。シャルグリートかレノがいないと交渉にならない』
『……ああ、そっか』
血の気のない顔で苦笑するラズを見て、ウィリは嘆息した。
『いつ発つの』
それをレノに問いかけると、彼はプラチナの目を細め、
「牙の竜は待たせると怒るので……今、すぐにでも」
と答えた。
ブクマ、★評価、何卒よろしくお願いいたします。
ご感想もお待ちしております( ´∀`)




