竜人の郷の異変(3)
二週間と少し前、竜人の郷にて──
コロシアムの中央に、銀髪の男が立っていた。
整った顔立ちに、肩に着くくらいの長さの流れるような銀髪を後頭部でまとめた、貴公子、という表現が似合う二十代半ばの竜人の青年だ。
青年は冷ややかな目で口の端を吊り上げた。
「終幕か」
ごおっと風が吹く。頭上に人の三倍ほどの大きさの、真紅の竜の姿があった。
赤竜は怒り狂ったかのように吠える。空気が震え、観衆は耳を塞いだ。ぼたぼたと黒い血が飛び散る。
「竜人よ……先がないと思え」
その血が何滴か顔にあたり、青年は目を細めた。
ばさり、と赤竜は飛翔する。そのまま北に飛び去るのを、人々は恐々とした表情で見送った。
その日──時期外れの族長を決める決闘の催しに集まっていたのは、千人ほどいる牙の郷の人口の五分の一ほどと、十ある郷の代表たちだった。
挑戦者は皆がよく知る人物だった。族長の第十一子で、一夫多妻制の中、ただ一人、それも人間の妻を娶った変わり者である。竜人らしからず周囲によく気を配り、郷同士の繋がりやバランスを整えた手腕は父親である族長にも認められ、長男と並んで次期族長にと期待されている人物。
それが──なぜ。
四角いコロシアムには、おびただしい血の跡が広がっていた。
一週間前、今日の決闘を受けさせるために、その青年は族長の前で側近たちを皆殺しにして見せたのだという。
まさか、賢明で穏やかなこの銀髪の青年がそんなことをする訳がない……、そう半信半疑だった観衆は、それが本当の話だったのだと信じざるを得なかった。
最初に戦った腹違いの兄をいたぶるように引き摺り回し、父親であるはずの族長を八つ裂きにして薄く嘲う。見るものを戦慄させ、目を逸らしたくなるような凄惨な殺し方だった。
コロシアムで相手を死に至らしめるのはルール違反ではない。しかしそれを目的として戦う訳ではない。
さらに、この行為を目に余ると怒った族長の騎獣たる牙の竜に傷を負わせ、その竜に呪いの言葉を口にさせた。
牙の民はどうなってしまうのだろうか──、誰もがそう思った。
「──何故、牙の竜を傷つけ追い出した!?」
震える声で問いかけた者がいた。
その問いに、銀髪の青年はふっと笑った。
「牙の竜の怒り、というものがどんなものか興味が湧いた」
「なっ……」
観衆がどよめく。
過去にそれがあった時、数多の竜の群が郷を襲い、人口は半減したのだと聞く。
竜は群れることはなく、牙の竜の配下という訳ではないが、かの竜は賢く、無垢な竜達を誘導してけしかけることができるのだ。
「何のために、族長の座を奪ったんだ……」
「絶望を撒くため」
青年は涼やかに笑む。
「世界の終末に、供える華としてはちょうどいいだろう」
しん、と場が凍りついた。
青年は笑みを張り付かせたまま観衆を見回して、満足げに呟いた。
「──いい表情だ」
何人かの竜人が震える足で立ち上がった。
立ち向かおうとしたのか、逃げようとしたのかは定かではない。
──次の瞬間、その身体を複数の棒状の透き通った刃が串刺しにしたからだ。
コロシアムの観覧席に、血飛沫が舞い、悲鳴があがった。
青年がゆっくりと闘技場から降りる。そして、最前席で見守っていた年の近い腹違いの兄に歩み寄り、透き通る剣を作り出して手渡した。
「そこのお前、とどめを刺せ」
二つ隣で、手足を串刺しにされた腹違いの兄弟が、血を流して怯えた目で彼らを見た。
「──聞こえなかったか?」
視線の先で中年の男がびくりとした。
恐怖に呑まれないよう、握った拳から血が滲んでいる。
「……っ! そんな要求を呑む訳がないだろうが!」
「──ほう、それでどうするんだ?」
「!!」
身体が自由に動かない。どころか、勝手に動き始めて、男は信じられない顔で呻いた。
「や、やめろ……」
がくがくと震える足が、血を流す兄弟に向く。
他の竜人達も、体の自由を奪われたのかのように微動だにできず、ゆっくりと刃が心臓に向けられるのを愕然と見つめるしかできなかった。
ズブリ、と簡単に刃が刺さり、新しい悲鳴と血飛沫が観覧席を染めた。
「………っ」
意思に反して腹違いの兄弟に刃を突き立ててしまった青年は、やっと手を離すことができて呆然と膝をついた。
銀髪の青年はその肩を叩いて冷ややかに笑う。
「兄弟を殺したのはお前の手だ。本当は、目障りだったんだろう?」
そして、震える彼の耳元で囁いた。
「違うなら、ここで自害して証明しろ」
しん、と静まり返る。
誰も動けず、何分も経ったかのような錯覚があった。
男はただ恐怖の形相でへたり込んだままぴくりとも動かない。
ふ、と笑って銀髪の青年は顔を上げた。
朗々とした声で宣言する。
「今日から私をマガツと呼べ。従う者はしばらく可愛がってやる。抗う者には恐怖を味わってもらおう」
竜人たちは呆然とその言葉を聞いていた。
「手始めに、小人を支配する。……使者が来るなら、捕らえて連れてこい」




