旅と再会(9)……討伐
霜が降りる寒い早朝、ラズは昨日教わった剣術を復習しながら、眠る怪馬たちやウィリとビズのための見張りをしていた。
術の調整も同時に挑戦している。こちらは実戦に使えるようになるまでまだ時間がかかりそうだ。
(やっぱり、最後に頼れるのは自分自身の剣術なんだよな……)
いくらなんでも同い年の女の子に負けてしまうとは思わなかった。可憐な笑顔が脳裏によぎる。
「──あ。おかえりなさい」
レノと欠伸混じりのシャルグリートが歩いてくるのを見て、ラズは声をかけた。
「お酒くさっ」
レノは臭いを術で消したのか全く気にならないが、シャルグリートの呼気からはむわっとお酒の香りがした。
昨日、ウィリが見聞きの術で飲み屋街にいるシャルグリートを見つけてくれたのだが、ラズはすでにくたくただった。単身街に戻るのは大変だし、と困っていたところ、レノが迎えをかってでてくれたのだ。
「朝帰りしちゃってすみません」
彼は肩を竦めて冗談めかす。
「いいよ、ブレイズさんとは久々だったんでしょ」
剣を鞘に戻してラズは笑い返した。
なぜ知っているのか……それは怪馬たちが持つ念話能力のおかげだ。
ただし、レノの怪馬は無口なので直接話した訳ではない。
スイはウィリに話しかけていたようだし、話せないという訳ではないはずなのだが、まるで後ろめたいことでもあるかのように目すら合わせてくれないのだ。
話していると、ウィリが小さなテントから顔を出した。──なんとなく、機嫌が悪そうだ。彼女のモラルからして任務中に単独行動で迷惑をかけあまつさえ飲み明かして帰るなど言語道断なんだろう。
シャルグリートはだるそうに頭を振りながら彼女の方を見て、「ん?」と目を眇める。
「他の小人は?」
「ああ、ビズともう一人は昨日のうちに荒野に帰っちゃったよ」
ノアの郷に戻って領の状況をファナ=ノアたちに伝えるためだ。──警務卿ブレイズ=ディーズリーの娘であるピアニーのことも話してある。
テントから出てきたウィリは身支度をすでに終えているようだった。肩の高さで切り揃えてあるストレートの茶髪を揺らして立ち上がる。
『ラズ、──訳してくれる?』
彼女は棘のある口調でずい、とシャルグリートの前に出た。
『あなた、勝手に街に行って、レノさんがいなかったら、今ごろ牢獄よ、分かってる?』
──気まずい。
とはいえ通訳を断ることもできそうにない。できるだけマイルドにシャルグリートに伝えると、彼は小さなウィリをうろんげに見下ろした。
「ハァ? ……帰ってきたダローが」
ウィリの雰囲気から十分に不機嫌が伝播したようだ。苛ついたような低い声に、ウィリは少し怖じけたようだったが、きっと睨み返した。
『街にどんな用事があるかと思ったら、酒だなんて! あなたがしっかりしてくれないと、山地にも荒野にも平和はないのよ、分かってる?』
彼女の毅然とした口調に、シャルグリートはうっとおしそうに声を荒げる。
「キャンキャンうるさい──ッ! 息抜きクライ……うっ」
心なしか蒼い顔をしたシャルグリートは急に口を抑えた。
──もしかして、二日酔い?
「悪っ……タンマ」
絞り出すように言って、そのまま岩に手をついてへたり込む。
『ええ!? ちょっと、ここで吐かないでよーーー!!』
ウィリの声が裏返った。
「シャル待って我慢して! すぐそこ小川だから!」
……──先が思いやられる。
大きな背中をさすりながらラズは嘆息した。
竜人が住む山地への旅の再開に、それからさらに半日要した。
そしてその後たっぷり一週間、ウィリとシャルグリートの険悪なムードは続いたのだった。
†
†
暗がりを、一人の少年が歩いていた。
コンクリート塀で挟まれた、大人が二人並んで歩けるくらいの舗装された細道だ。
歳の頃は十六、七か。大きめのボタンがついた膝丈の黒い外套を羽織り、背中に大きな楽器を入れるようなケースを背負っていた。
ふと、足を止めて振り返る。
「また、お前?」
視線の先には、塀の上にちょこんとすわった小さな黒猫がいた。
尾が二本あって、頭の大きさの割に耳と目が大きい。その大きな耳と首に、大ぶりの鈴をつけていた。少年のたれ気味の目元が緩む。
「いいよ、おいで」
りん、と音をたてて、猫は少年の肩に飛び乗る。嬉しそうに喉を鳴らした。
猫を肩に乗せたまま暗がりを歩くこと半刻。
錆びついた鉄階段をカンカンと上り、表札が手書きされてある扉を開けると、奥の炊事場から女性が顔を覗かせ、目を丸くした。
「お帰り伶乃、その猫なあに?」
「さあ? 懐いたみたいで。飼っていい? 母さん」
「駄目って言わなきゃいけないんだけど……あんたがおねだりするなんて珍しいから、特別ね。大家さんにバレないように気をつけてくれる?」
「分かった」
一人寝そべってちょうどくらいの広さのこじんまりした部屋で鞄を下ろすと、猫は床にすたっと降り立った。
今度は鈴の音は鳴らない。
(……ここ、何?)
夢だということは分かるが、見たことのない景色と情報に、ラズは混乱していた。
「ここは、ぬしの中の世界」
「……は?」
急に目の前の猫が声を発した。幼女のような高くてまろやかな声だった。
「聞こえんせんでありんしたかえ?」
──妙な口調だ。
「いや、聞こえてはいるけど」
「それはよいことです」
猫は満足そうに目を閉じた。笑っているように見える。
(返事された……!?)
ラズは驚いた。相手と話せる夢は初めてだ。
「さっき、『レノ』って呼ばれてた人、誰……?」
「さあ、それは知るところではありんせん」
猫は髭をもしゃもしゃと動かしながら答えた。
ラズの知る、レノという人とは全く面影も声も違ったので、偶然名前の音が同じなだけなのだろうか。
「それより、ぬしの名前は?」
黒猫が二本の尾をくゆらせ、可愛らしい声で尋ねてくる。
「……ラズ」
「ほうほう、なるほど」
猫は前脚を舐め、顔を撫ぜた。それから大きな金色の目でラズを見た。
「これから少うしばかり、お世話になりんす」
「君の名前は?」
「名乗るような名前はありんせん。好きにお呼びくんなまし」
「ええ……じゃあ、猫さん」
りん、と音がした。猫が呆れて頭を垂れたのだ。
「……まあ、いいでありんす。ラズ殿は、ここがどういう世界かご存知でありんすか?」
「どう……って言われても……」
その様子を見て、黒猫は頭を振った。
「──やれやれ、先が長きようでありんすね」
りりん、と涼やかな音がなる。いつの間にかそこは真っ暗な何もない空間になっていた。
金の目だけが、妖しげに煌いている。
「いいでありんす。こなたの記憶のつぎはぎの世界を、気長に楽しむことにしんす」




