旅と再会(3)……双子
翌日の朝は、一段と寒い曇り空だった。
ファナ=ノアは暖かそうな襟付きのコートを着て、見送りに来てくれた。
シャルグリートは寒いのは苦手と言っていた通り、上着を重ねて着膨れしている。
一方ラズは、短い黒髪を茶に染めていた。街に入るならば、黒髪は間違いなくトラブルの元になるからだ。
「気をつけてな」
「うん、行ってきます。ファナも無理しないでね」
二人のやりとりを聞いていたリンドウが苦笑した。
「あっさりしてんのね」
「だって一ヶ月でまた会えるし」
「だな」
ラズとファナ=ノアは笑い合った。
そこに、服飾の仕事をしている人間の夫婦が近づいてきた。
「ラズ君、頼まれていた服と靴、持っていけるか?」
「うん、まだ余裕あるから大丈夫。ありがとう! ……あれ、靴も?」
「素材はリンドウさんが作ってくれたんだ。これ、すごくいいね」
黒いゴムに近い靴底は、谷の國で作られていたものと似ている。
「そうなの? リン姉、ありがとう!」
「いえいえ。あんたが戻ってくる前に、もっと色々作れるようになっとくから期待してて」
リンドウはそう言って笑ってから、レノの前に立った。
レノは竜人の郷に行った後は荒野には戻らないつもりだと言っていたから、リンドウとレノは再会の予定のない別れになる。
なんとなく、色んな気持ちを押し込めたような表情にラズには見えた。
「長いこと、楽しかったよ。ありがとう」
「こちらこそ」
一方のレノは、気づいているのかいないのか、あっさりした様子で微笑んだ。
『シャルグリートさーん!!』
「また来てねーー!!」
彼が居候していたシヴィの面々や、郷の少し年長の子どもたちがシャルグリートを抱擁して別れを惜しんでいる。彼らとシャルグリートはチャンバラごっこなどをして遊んでいるのをよく見かけたものだ。
「世話になりましタ────、……くーっっ」
シャルグリートも子どもたちを抱きしめてもどかしそうに唸った。
「早く行くゾ!!!」
「あ! ちょっと!」
耐え切れなくなったのか、郷の人々と話していたラズの首根っこを掴んで怪馬の元に引きずっていく。
「エンリさん! リン姉! 行ってきます!!」
「──いってらっしゃい!」
ノアの郷でお世話になった、たくさんの人々に見送られて、ラズは短い旅のスタートを切ったのだった。
† † †
ラズたちの姿が見えなくなった頃、司祭ソリティがちらりとファナ=ノアの顔色を窺った。
「行っちゃったね?」
「だな。──さてと、やることは山積みだ」
頷いてあっさりと踵を返すファナ=ノアに、ソリティは意外な顔をした。
たぶんソリティが思うほど、ファナ=ノアは名残りを惜しんでいない。──なぜなら、ラズは信じるに値する。どちらかといえばウィリの方が心配だが、彼女の身だってラズがきっと守るだろう。
(案外夢ですぐ会うかもしれないしな)
夢で会える条件は不明だが、ふと思い出したときや辛いときに繋がることが多い。
「そうだ、ノイ」
ファナ=ノアは後ろを歩く戦士、ノイに話しかけた。
「なんだ?」
「私の修行に付き合ってくれないか?」
「──は?」
彼はぎょっとした顔をした。
彼は小人に珍しい武術を修める一族、シヴィの筆頭戦士である。普段からファナ=ノアの護衛を買って出てくれる、頼りになる存在だ。
年は三十、精悍な顔立ち、茶色の短い髪を輝石でこしらえた金環で押さえている。
「ファナ=ノアの? 相手になると思えないが」
「術の立ち上がりや細かい操作を改善したいんだ。接近戦が苦手なことへの対策で」
「それでも私程度なら斬り込む前に対処できるだろう」
「どうかな。でも最初はとりあえず、石を投げてくれるだけでいい」
「分かった、それくらいなら」
「ありがとう、よろしく頼む」
隣でソリティが意外そうな顔をした。
「まさか、ラズくんに対抗して? ファナ=ノアって負けず嫌いだっけ」
「違う。……メグリとクシナを助けられなかったからだ」
先日のことは、ソリティには既に全て話してある。
彼は、その名を聞いて表情を暗くした。普段からニコニコと振る舞っているソリティにしては珍しい。
「……ファナ=ノアだって、完璧じゃないことを僕たちは分かってるよ。だから僕たちがいるんだし」
「ソリティ、私も分かってる。だけど、必要な努力を怠ることはしたくない」
「うぅん……怪我が治らない今、優先すべきことかな」
思案顔の補佐役に、ファナ=ノアはふと微笑んだ。
──彼の気持ちはとても嬉しい。しかし、思い詰めて言っている訳ではない。
「こういうことは継続が大事だから、始めるなら早い方がいい。それに、衰弱から回復するためにも、運動した方がいい」
「そこまで言うなら……。でも、足は動かないんだろ」
「そっちも時間がかかるがなんとかなりそうだ」
あれからリンドウと相談して、体内の神経を繋げる治療とリハビリを試すことになったのだ。──自分自身は細かい術の加減は苦手なので、彼女が手を貸してくれなければずっとこのままだっただろう。
ファナ=ノアの返答を聞いたソリティは信じられないかのように目を見開いた。
「そうなの……? ────よかった……」
そして、深く深く息を吐く。
ノアの郷に常駐する二人の司祭──ソリティとウィリは、ファナ=ノアがこの郷に来た六年前から、兄や姉のようにずっと側にいてくれた人でもある。ファナ=ノアの足が動かないことを人一倍気にしてくれていたことだろう。
改めて感謝しつつ、ファナ=ノアはもう一つの懸案を口にした。
「あとは北東の野盗の件、冬のうちに解決させないとな」
「僕たちだけで解決できたら良いんだけどね……なんでもファナ=ノア頼りで本当に情けない」
「仕方ない。術師も、戦士もすぐには育たないんだから」
「……」
ソリティの笑みがまた陰る。──今の彼には厳しい言葉だったのかもしれない。
ファナ=ノアがノアの郷の長になる前から、ソリティは教団の幹部だった。
当初の教団は、一強のファナ=ノアに人々が頼ってやってくることを誇りとし、各郷に支部を作る発想などなかった。人を育てる発想もだ。
「もっと、前から、始めていれば……。ファナの怪我も──メグリやクシナ、タキの皆が死なずに済んだのに……」
「……ソリティ」
ファナ=ノアの調子が戻るまで弱音を吐くまいと、今まで気持ちを押し込めていたのかもしれない。
教会への道半ば、ソリティの小さな自責の声は、ぎりぎりもう一人の司祭ニールにも聞こえていたらしい。彼は数歩寄ってソリティの背中に手を回した。
「気持ちは僕も、同じです……」
重たい空気に、ファナ=ノアはふう、と息を吐く。
「そうだな。後悔が尽きることはない。ただ──」
ファナ=ノアの身体を宙に浮かす風が、そよそよと周囲の小人たちの頬を撫ぜた。
「私たちが望むのは、皆の『幸せ』だろう。まずは自分をそうできなければ、誰に幸せを分け与えられるだろうか。だから私は、後悔に囚われたくない」
──奪われた怒りや無力さへの自責で、笑うのを止めれば、昏い気持ちが皆に伝播してしまう。
「無理に感情を押し込める訳じゃない。今まで通り、やるべきことを一つ一つやっていけば、気持ちも前を向くさ」
少し微笑んで、二人に向き直る。──これは本当は、自分に向かって言った言葉だ。それを二人がどう受け取るかは分からないが、彼らの気持ちを軽くするために、自分にできることは、笑うことと前に進むこと。
ソリティは弱々しい笑みを浮かべた。
「ファナ=ノアは強いな、全く」
「私が心折れずにいられるのは皆がいてくれるからだ」
──特定の心を許す人だけでなく、まだ会わない人も含め、世界の全てが愛おしい。辛い仕打ちをしてくるとしても、この世界を救けたいのだ。
ファナ=ノアは雲の隙間に見える青い空を見上げて淡く笑った。
† † †
ノアの郷を出てしばらくした頃。
『うー、さっみー……』
怪馬の背で身体を震わせてシャルグリートがぼやいた。
山地の怪馬は荒野や平地の怪馬より少し脚が長くてスリムだ。
「シャル、何か言った?」
「寒い」
「あ、そう」
「あと、眠い」
「……落ちないでよ」
荒野と山地の間には、人間の住む街や村がいくつかある。
東の大渓谷沿いに迂回しても良いが、まっすぐ街々の間を縫って突き抜けた方が速い。
その進路には、ちょうど、ファナ=ノアが捕まっていた街もあった。
街までは約三日、そこから山地まで一週間、山地の中の移動が数日だという道程だ。
「スイは寒いの大丈夫?」
巨大な怪馬、スイに話題を振ると、スイはぶるると鼻を鳴らした。
特に理由がなければラズはスイへの言葉は口に出している。──本当は口に出さなくても念じるだけで会話ができるのだが。
『───さすがに、真冬は走れなくなる。だから普通は平原に移動するのだ。昨年はそれができずに群れが滅びかけた』
「どうしたの」
『───ファナ=ノアが温め、脚を治療し、平原へ導いた。だから、我らはファナ=ノアに協力するのだ』
「そうだったんだ。スイに会えたのはファナのおかげだったんだねえ」
『───全く、ファナ=ノアには感謝が尽きん』
「ん? つまり、スイも僕に会えて嬉しいってことかな?」
ラズはニヤリとして立髪を撫でた。
鱗の間から生えている立髪は少し硬い。
『───ふん。ファナ=ノアと別れた後少しベソをかいてくせに』
「……それ、皆に言わないでよ」
──やっと会えたファナ=ノアが夢の中と同じように友達と思ってくれていたこと、全て喪ったと思っていた自分に帰りたいと思える場所ができたこと。思い返すと少し涙腺が緩んでしまったのだった。
唇を噛んで堪えたので、スイ以外には気づかれていないはずだ。
スイの読心を跳ね除けることもできるのだが、ラズはそれはしないことにしていた。
打算的なことを考えるときも含めて、スイはラズのことを見つめ、受け入れてくれている。いろいろ悩んでいるのも知っているはずだが、それも『能天気』の一言で片付けてくれるので逆に安心してしまう。
──そんなスイに対して心を閉ざすと、スイの信頼を失う気がするのだ。
『───なら、私の耳を温めてくれ』
「了解」
今も、自身の体に対して修行のために身体強化の術を使っている。それに加えて、治療と同じ要領で、スイの身体を温めた。
複数の術の並行行使はまだまだ難しいので、なかなか良い練習になる。
「お前、何一人でブツブツ言ってる?」
シャルグリートが怪訝そうな顔をした。
「スイ──怪馬と話をしてた、だけだけど」
「はあ?! 馬は話しナイダロ」
「……え?」
スイがくっくっと笑った。
『───あいつは特に無口だ。我々の多くはよほどでなければ他種族に話しかけない』
『あいつ』とはシャルグリートが跨る怪馬のことだろう。スイだって十分無口だが。
(念話ができることは、本当は秘密なんだね)
『───ああ。昨年まで、認めた相手にすら話しかけることはなかった。あいつは山地の産まれだから、そのつもりなんだろう』
初めて会ったとき、スイから話しかけてくれたのは、本当に運が良かったのかもしれない。
「お前、ペットに対して話しかける奴だったんダナ……」
「なんかその言い方むかつく……」
「お? 闘るカ? 身体が温まるゾ」
「やらないよ。走り出したばっかじゃん」
ラズは呆れ顔で嘆息した。




