竜と記憶(4)
あの後、ヘトヘトになるまで基礎練習で追い込んでから、シャルグリートと試合をした。
レノと違って容赦なく反撃をしてくれるので実戦に近い経験が詰める。──うっかりしてると本当に殺されかねないので全く気が抜けないが。
身体能力の強化と他の術を同時に使えるようになるために、身体全体に術をかけ続けることは疲れた今も継続させていた。
(錬金術の基礎練習は夕食後にやろう……)
疲労でガクガクしている足を術と気力で動かしながら、教会への帰路へ着く。
見るだけだったのに夕方まで付き合ってくれたレノが、不意に振り返った。
「ちょっと浮かしますよ」
「……え?」
その言葉に疑問符を返したとき、体がふわりと風に押し上げられた。
(ファナと同じ術──!?)
風を操って浮遊する技は、人間が錬金術と呼ぶ技と本質的には同じだが、周辺の空間に絶えず物理エネルギーを放出する必要があり、小人──それも、ファナ=ノアくらいしかできない。彼らは術による物質変化など細かい操作が苦手な分、エネルギーの形質変化に長けるのだ。
驚くラズを尻目に、レノ自身も軽やかに地を蹴り、一足で身長の十倍以上ある高さの岩壁を浮上した。
ノアの郷は、巨岩の割れ目が風蝕により広がって生まれた空洞に作られている。
岩肌を登ると、殺風景な巨岩の上に辿り着いた。
夕陽の輪が近くなり、岩の割れ目から見下ろすと遥か下に小人たちが夕食の支度をしている。
「君たち兄弟をリンドウのところに運んだときは、こうやったんですよ」
ラズを岩の上に丁寧に下ろしてレノが言った。
巨人に郷が襲われた日、レノは意識がなかったラズと兄をリンドウの元に連れて行ってくれたという。
──馬車も、馬すらないのに、体格のいい兄と自分をどうやって運んだのかは確かに疑問だったが、そういうことだったのか。
彼は隣の岩の段差に腰掛ける。ラズもそれに倣った。
「昼に言っていた、夢の話を教えてくれますか?」
──その話をするために、わざわざこんな人気のないところに? そんなにセンシティブな話なのだろうか。
不思議に思いながら、ラズは乞われるままに話し始めた。
「ここより枯れた荒野で、黒い大きな『竜』がいて、レノと話をしていたんだ」
レノは一瞬目を見開いた。それから、懐かしそうでいて、どこか影のある笑みを浮かべた。
「……そんな昔のこと、私もすっかり忘れていました」
不思議な言い回しに、ラズはきょとんと瞬きした。
「前に──、私が君を助けたことによる副作用がある、と言ったでしょう」
「ええと、うん」
──確か、死にかけていたから、生命力を分け与えた、と言っていた。あのときは副作用の話は『その時がきたら』と濁していたが。
レノは言いにくそうにこほん、と咳払いする。
「共振しすぎたようで、記憶まで渡してしまったようなんです。……私は与えるのが下手で」
「それが……昨日見た夢?」
「おそらくは」
妙な夢には耐性があるが、他人の記憶を覗き見てしまうなんて。
驚き、戸惑い──それから、この不思議な旅人、レノのことへの興味でラズはどきどきした。
「昔……ってどれくらい?」
「さあ……前にも言った通り、このところ数えていなくて……少なくとも、二十年以上前のことです」
レノは曖昧な笑みを浮かべる。
「それで、どんな話を?」
「レノは親がそこにいるから来たって言ってたよ。でも、竜に異端って言われて、だったら出て行くって」
「……。う─ん……、思い出せない……。光景はぼんやり浮かぶんですが」
レノは腕を組んで唸った。
その様子に笑みをこぼしてから、ラズはしゅんとした。
「……レノがすごく遠くに行ってしまって、もう会えないような気がした」
「急には、いなくなりませんよ。私は存外君のことを気に入ってしまった」
「いつかはいなくなるってこと?」
優しい言葉に、じんわりと心が温まる。と同時に、やはりいつかどこかへ行ってしまうことへの寂しさを感じる。
「……そうですね。私は元来旅人です。旅を続けなければ彼女に会えない」
レノは夕陽の輪を見つめながら、ため息をつくように言った。
ラズはその言葉をしんみりと反芻してから、ん?と首を捻った。
「『彼女』?」
「言ってませんでしたっけ? ……私は、生き別れた妻を探して旅をしているんですよ」
レノは何でもないような顔をしているが、──今すごく重要なことを言ったのではないか。
「そ、それ早く言ってよ!! 案内とか荒野まで何ヶ月も付き合わせちゃったじゃん!」
途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
しかしレノはただ苦笑した。
「いえ、どのみち今はできることがないので、気にしないでください」
「……僕にできることがあるなら言ってね」
「気持ちだけ受け取っておきます」
彼自身の旅の目的の邪魔はしたくはない。
──半年ずっとそばにいてくれた、師のような、父のような存在。寂しい気持ちが再び持ち上がったが、彼にそんな顔を見せるなんて情けない真似はしたくない。その時が来たら、笑って別れたいと思った。
「あの『竜』って、まだ荒野にいるのかな」
「……さあ、移動しているかもしれません。山地に行くと、あれの小さいのがたくさんいますよ」
「へぇー!」
他にも何か引っかかっていたような気がするが、思わぬタイミングで山地の話が聞けて頭から抜け落ちてしまった。
「そうそう、山地に行く前に、君に伝えておきたいことがあります」
少し改まったように、レノが切り出した。
「以前、命のあり方について話をしたでしょう」
「名前が同じだから、命のあり方が似てたって話だよね」
だからラズが死にかけたとき、レノは命を分けることができて、ラズを助けてくれた、と聞いた。
「前に説明しきれなかった生命のあり方について、伝えておきたいんです」
「……うん」
「生命そのものと、あり方、というのは別物です。生命そのものは魂に言い換えられます。錬金術を使うと消費するのは、この生命エネルギーです。対して、あり方というのは自己認識のことです」
目を瞬かせると、レノは苦笑しながらそのまま続けた。
「自分がどのような存在か、という情報を核に、生命は形作られる。そして肉体はその影響を受ける」
「生物の細胞の核みたいなもの?」
「そうですね。私たちの体が細胞の集まりだという観点から言うと、細胞の核の中にある情報は、今言った生命のあり方、自己認識によって常に書き変わっていきます」
「ええ……そんなの、ありえる? それって要は思い込んだら身体もそうなるって話だよね」
「そもそも錬金術がそういう技じゃないですか」
レノは言いながら左手をトカゲのように変化させたので、ラズはぎょっとした。
竜人に扮していたと言って歯を変化させて見せた時もそうだが、彼は自分の体を造作なく変化させる。
「でも、自分が別の何かだと認識するなんて、普通できることではありません。私だって、例えば明日から女になれと言われたら無理です」
「あはは……」
左手を元に戻しながら、レノはいまいち笑えない冗談を言う。
「山地は危険ですし、この先、何が起こるとも限りません。だから、知っておいて欲しかったんです。自身の生死すら、自己認識によってコントロールされることを」
「自分は死なないって信じられれば、死ぬことはないってこと?」
「そうです。でもそれは言うほど簡単なことではない。それでも、君ならもしかするとできるかもしれない」
そう言うレノの目は優しげだった。
「だからもし、この先死を意識することがあれば、今言ったことを思い出してください。君にまだ死んで欲しくない、私からのお願いです」
夕陽の輪が沈みかけている。そろそろ戻らないと夕食に間に合わない。
立ち上がりながら、ふとレノは話題を元に戻した。
「あと、もしかすると、私の記憶を見る機会はこの先増えるかもしれません。できれば、何を知っても、他言しないでもらえますか」
「ファナにも?」
それを聞いてレノはなぜか苦笑した。
「……君の判断に委ねます」




