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竜と記憶(1)

(……また夢)


 空一面に暗雲が立ち込め、ゴロゴロと稲妻が走っている。

 薄暗い大地は荒野の様相だった。草木のない赤茶けた地面にゴツゴツとした岩山、地割れの景色が見渡す限り広がっている。

 生き物の気配がまるでしない。


(小人たちが済む荒野より、ずっと枯れてる……)


 ──知らない景色だ。

 ──それに、いつもと何か様子が違う。……ファナ=ノアの気配を感じない。


 急に、ごおっと風が吹いた。

 頭上の遥か上を、何か大きなものが通り過ぎていく。

 見上げると、巨大な黒い……『竜』が蝙蝠のような大きな羽でばさっと空気を叩いた。──童話の本に見たままの姿。ただ想像より遥かに威圧感がある。


 再び、凄まじい風が巻き起こった。

 その『竜』はずんぐりとした巨大な爬虫類のような体躯で、額に一角獣のような角が生えている。腹まで覆う漆黒の鱗は分厚くて固そうだ。


(────すごく、大きい)


 しかし、不思議と怖くはない。


『異端なる者』


 不意に、雷鳴のような声が曇天の空に轟いた。


(……!?)


 声を発したのは、あの『竜』か。

 ──もしかして、自分に、話しかけているのだろうか。


『異端なる者よ、さっさと出て行くがいい。汝の居場所はここにはない』


 ──異端なる者? ……居場所?

 無機質なその声が何を言っているのか分からず、唖然とする。


 沈黙。

 『竜』がまたばさりと翼を打つ。


 不意に、ラズのものではない、別の声が荒野に反響した。


「随分だな。俺は、生みの親がここにいると聞いたから来ただけだ」


(……この声)


 口調が全く違うが、聞き覚えのある男の声だった。

 その姿は、ラズからは見えない。──だというのに、まるで自分の口から発せられた声のように感じた。


『獣が親を求めるなど、ありえぬ。人の心を持った獣など、ありえぬ』


 上空からさらに重たい声が降ってくる。


「それで異端……か。自分がこの世界の弾かれ者だということはよく分かった」


 さほど気にしていないような声色で、()は言い捨てた。

 ──まるで、別人に乗り移って、その人が体験したことを見ているかのような感覚だ。だからなのか、()が本当は何を感じているのか、不思議と伝わってくる。


(本当は……とても虚しい気持ちを押し殺しているだけ……のような気がする)


『…………』


 黒い『竜』がうろんげに睨んでくる。

 ──早く出て行け、とでも言いたげに。


「出て行くさ。どこへでも行ってやる」


 ()は肩を竦める。


()()()を見に行く。居場所を見つけるまで……終わりのない旅だ」


 小さく、自戒のように呟く声が耳に残った。

 ()はそのまま踵を返す。暗雲の世界がぐにゃりと歪んだ。

 そして、唐突に突き放される感覚。大きな背中が目の前に現れ、すぐに遠ざかっていく。


(────待って)


 伸ばした手が空を掴んだ。




 †




「エンリさん、おはよう」

「おはよう、ラズ。無事に帰ってきてよかった」


 その女性──エンリは嬉しそうに駆け寄って、ラズを優しく抱きしめた。

 彼女は、小人たちにとっての聖地、ノアに住む数少ない人間の一人だ。年齢は四十歳ぐらいで、癖のある赤茶色の髪を首の後ろでまとめて流している。髪飾りの付いたベージュのヘアターバンが家庭的な雰囲気を感じさせる。


「グレンさん、また来てくれるって」


 その抱擁に少し戸惑いながら、ラズは彼女が一日世話をしていた捕虜の兵が無事に国に戻ったことを伝えた。


「おかえり、ラズ君」


 彼女と同居している十代後半くらいの人間の若い夫婦が顔を出した。


「あ、えと、どもです」


 二人と顔を合わすのはまだ二度目だ。


「今日はお仕事がお休みの日なんだね」


 エンリは子供たちを預かったり勉強を教えることが仕事のようなものなのでいつも家にいるが、この夫婦は服飾の仕事をしているそうで、いつも朝から家を開けていた。

 ここの人々はだいたい三日に一回くらい休みをとるそうだ。


「君がここにいるってことは軍はもう引き返したの?」

「うん、まずは春までは大丈夫そう」

「やっぱり、ファナ=ノアはすごいな」


 若い亭主は安堵と感嘆のため息をついた。

 黄土色の髪を短く刈り上げ、腕に大きな入れ墨がある彼は、荒野に面する平原の国、リーサス領にある小さな町の豪族の息子だという。


「でも、大変なのはこれからよ。小人たちの理解者を増やしていかなきゃいけないんだから!」


 その妻は明るい茶のショートボブの髪をふわふわさせながら、元気よく言った。

 彼女は夫と同郷で、農民の出身らしい。


「理解者を増やすって……どうやるの?」

「ファナ=ノアの教典を人間の文字に訳して伝えようと思うの」

「教典……」


 その話になるとファナ=ノアがいつも遠い目をする本のことだ。

 父親や大人たちがファナ=ノアの話をまとめてそれらしく作ったものが元らしい。


「それって、どんなことが書いてあるの?」

「世界の救済について」


 それはきっと、最初にファナ=ノアと話した時に聞いた話のことだろう。

 この世界は老いて、近く終末を迎える。戦乱を沈める者が世界の創造主<(しろ)の王>の後継となり、終末を回避する、という話だ。


「それから、自己愛、他者愛、魂の行方なんかを、ファナ=ノアがそれを言ったときのエピソードと一緒に書いてあるの……って、私もエンリに聞いただけなんだけどね」

「小人の文字はまだ読めないからな……」


 夫婦は顔を見合わせて苦笑した。


「エンリさん、僕、小人の文字も読めるようになりたい。またしばらく、朝少しでいいから、教えてもらっていいかな」

「もちろん」


 エンリはいつものようににっこりと微笑んで頷いた。

 彼女が預かっている小人の子どもたちと夫妻が和気あいあいと過ごす傍らで、少しの間、ラズは小人の言葉について教わった。


「小人の言葉って、人間の言葉と述語と目的語が逆だよね」

「そう、最後まで聞かないと、言葉の意味が分からないでしょう。小人たちの傾聴の姿勢ありきの言語よね」


 この女性は遊牧民の出身らしいが、とても頭の良い人のように思う。実際、彼女は小人の言葉をすぐ覚えたし、彼女が来てから冬の備えなどを教えてくれて生活が楽になったそうだ。


「それにしても、ラズは覚えるのが早いのね。勉強も得意なの?」

「うーん、体を動かす方が好きだけど、夜は叔父さんにみっちり勉強させられてきたからなぁ」


 叔父には四つ上の兄とともに文字や計算、化学や経済学、礼儀作法、チェスなどの戦略ゲームなど色々と叩き込まれた。

 試験の点が悪いと翌日昼間も勉強になるので、効率よく頭に入れるよういつも努力してきた。

 先日人間の貴族に会ったときには使う気にならなかったが、きちんとした敬語なんかも教えてもらったことがある。


「……小さい頃から剣術も勉学もそこまでやるってことは、ラズは貴族の出なの?」

「違う……けど、似たようなものなのかも。ここで言う郷長の子どもみたいな立場かな」


 ラズの故郷は人口五十人程度の規模でありながら、大国である森の国には属さず独立を保っていた。それでいて隣の街との交流も盛んに行い、人も物も豊かな國だった。


「そんな立場の子が、なんでこんなところに……?」

「國が巨人に襲われて……もうないから」


 暗くならないよう、冗談めかして肩を竦め笑う。


「巨人?」


 若い夫が初めて聞いたように訊き返す。


「大山脈のとても高いところに住んでいた、人間の二倍くらいの大きさの人たちだよ」

「へえ……てことは、君はそんな遠くから、ここへ。通りで珍しい黒髪なんだな。リンドウさんや、レノさんもか」


 ラズは平原や荒野では珍しい、黒髪黒目だ。旅に出る前に短く切っている。歳はもうすぐ十一歳、背丈は平均並みで小人よりわずかに高い。

 荒野までの旅に付き合ってくれた叔母のリンドウと旅人のレノも、黒髪である。


「リン姉はそうだけど、レノは分かんない」

「しかし、なぜわざわざ?」


 クレイトの疑問は最もだ。

 小人たちのすむここ、ノアの郷は大渓谷の近くにある。対する大山脈は世界地図上、真反対の位置だ。通常馬で旅をした場合半年から一年近くかかる距離がある。

 質問攻めに苦笑いしてしまう。──しかもここからは説明が難しい。どこまで言ったものか。


「ファナ=ノアを夢で見たんだ。それで、会ってみたくなって」


 嘘は言っていないが、正確には小さい頃から何度となく夢で会って、一緒に大きくなったから幼なじみのような感覚だ。

 輪をかけて自分勝手だった幼少期、あんなに思いやりと慈しみをもった人は周りであの子くらいだったから、教えられることが多かったように思う。

 いつか必ず現実の世界で会いたい──ずっとそう思っていた。


「ということは、ファナ=ノアが君を呼んだのか……やはり、奇跡の技だな」


 どうやらファナ=ノアをリスペクトする方向で納得してくれたようだ。


「……そろそろ昼時だね。長居しちゃってごめんなさい。エンリさん、また明日」

「ええ、私も楽しかったわ。また明日ね」


 ラズはぺこりとお辞儀をして、彼女の家を後にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小人の理解者を増やす。 当面の目的はこれですかな……。 ラズくん、頑張るのじゃ……!! そして夢では竜が出てきたのですかね!! ロマン……。 [気になる点] 特にないです! [一言] ち…
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