その先
密集した天幕に隠れるようにできた小さな広場。
そこにさっきまで響いていた、剣戟の音が鳴り止んだ。
「……参りました」
「音をあげるのが早すぎんか? まだ三十分も経ってないぞ」
「もう、燃費切れ……」
見物していた憲兵隊の面々から、遅れてわっと拍手が巻き起こった。
ノアの郷へ帰るまでの開いた時間で、ラズはブレイズに手合わせを申し込んだ。
ブレイズに対して逃げてばかりなのは不本意だったのだ。
ファナ=ノアは何か確信があるように『もう大丈夫だから好きにしろ』と後押ししてくれた。
(ちょっと自信あったのにな……)
はぁ、とため息を吐く。
「……なんで動きが読まれるのか全然分かんない」
怪我がない今はラズの方が速いが、押していたのは最初の十分程度で、それから尽く攻撃が届かなくなった。
「動きは面白いが、まだまだ剣筋が甘い。錬金術の気配も読めるようになりゃ対策ができる」
ブレイズには小傷がいくつもできていたが、たいしたダメージはない。
対するラズも外傷はほとんどないが、気力が尽きてしまって負けるのは時間の問題になっていた。
(ここでボロボロになる訳にはいかないし)
停戦できたとはいえ、戦地であることに変わりはない。
まあ、もし銃で狙われることがあればファナ=ノアはその前に気付くだろう。会談のあと撃たれた時はその威力や仕組みを知らなかったから対応できなかったと言っていた。
怪馬の力を借りればすぐに逃げることはできるが、力は温存しておくことに越したことはない。
「剣の技量差がありすぎて、錬金術に頼るしかなくなるんだよね」
荒野では術を使うのも楽だし、体力も以前よりあるが、それでも使い続けるとすぐに力尽きてしまう。
「まあ、剣もその年でそこまで使えりゃ十分だがな。うちの中隊長くらいか。でかくなったら俺より強くなるかもな。将来が楽しみだ」
「そのときはまた、お手合わせよろしくお願いします!」
ペコリと礼をすると、ブレイズは楽しそうに笑った。
「ところで、レノって人知ってる?」
その名を出されたブレイズはぴくりと反応した。
「下町の酒場で時々会う奴だな。ここ半年ほど見なかったが。なあ、あいつも谷の國の人間なのか?」
「違うよ。父様の友達ではあるけど」
「ほーお。あいつに会うことがあれば、次は負けんぞ、と言っといてくれ」
「……何の話?」
「あいつに訊け」
「はーい。ところでさっき、半年って言った?」
「ああ、最後に見かけたのは初夏だったかな。それがどうした?」
ラズは少し考えてから首を振った。
「……ううん、なんでもない」
「おーい、やっほー」
憲兵隊の野営地を出るときに、軽い声がした。
他の兵士より良い鎧を着ていて、兄や父と同じブロンドに青い目をしている。整った顔立ちなのに軽薄な笑みを浮かべたその青年には見覚えがあった。
「あ……。こないだはすみませんでした」
「何その低姿勢!」
頭を下げると、青年は面白そうに笑った。
「街に寄ることがあれば、また遊びに来いよ。伯父貴も喜ぶ」
伯父貴、というのはブレイズのことだろう。──ディーズリー家の人なんだろうか。
「僕、出禁にならないの?」
「俺たちが検問やってるんだぞ? なんとでもなる。中に入って暗殺でも企むなら話は別だが」
「はは……、お兄さん、仕事いい加減って言われない?」
「リゼルだ。本名はイリゼルト=フリッツ。いいんだよ、給料の分はきっちりやってるし、あとは適当で」
からからと青年は笑った。それから少し真面目な顔をする。
「ブレイズ様が小人も守るべき民だと言うなら、お前らの自由を保障するのも俺の仕事だ。まあ当面は表立ってはできないだろうが」
「憲兵隊の人って、ブレイズさんのことすごい信頼してるんだね」
「特にここにいる奴らはな。そりゃ末端は違う考えの奴もいるけどなー」
「ふーん……。じゃあ、またお邪魔するよ。このお礼に何か手伝いたいから」
「おー、マジメだな。じゃあ、またな」
「さよなら」
ラズがファナ=ノアたちの元に戻ると、彼らは旅支度を終えたところだった。
「ウィリたちは?」
「隣の郷に、安全になったって、伝えに行った。そのまま先にノアの郷に戻るって」
小人の少女が答えた。
ファナ=ノアは大分回復したらしく、宙に浮かんで楽な姿勢をとっている。
「ディーズリー殿はいい人だな。鋼務卿は、悪巧みをする気しかないようだが」
『ファナ=ノア。俺のように、変われない奴はいる。牢獄の準備くらいしておけよ』
ジルの悪態に、ファナ=ノアはふう、と息を吐いた。
『人は変われる。ジルだって、変われているよ。しかし、罪を抑止するための社会の仕組みは別問題だ。人間と共に暮らすなら必要だと私も思う』
訳してくれた少女に、ラズは訊いてみた。
「悪いことした小人はどうなるの?」
「そもそも争いごとをしたがる人はジルしか見たことない」
「へえ……」
故郷の國の人口は五十人ほどだったが、血気盛んな人もいれば大人しい人もいた。種族全体で争いを好まない、というのはなんだか不思議に思えた。
時刻は夕方に差し掛かっている。今からだと、ノアの郷に着くのは深夜だろうか。
『みんな無事に帰れてほんとに良かった……。ファナ=ノアも、春までゆっくり休めるね』
少女がため息をつくように言った。
『いいや、春までに……やりたいことがある』
怪馬にふわりと座るまでのその言葉は聞き取れたが、続きがよく分からない。
それを聞いた別の小人が心配そうに何か言った。
少女に助けを求めると、会話の内容を教えてくれる。
「石?を探しに、行くって。あと、竜人のところにも行きたいって。詰め込みすぎ、って皆心配してる」
「なるほど……。ありがとう」
「もちろん、体を治すのを優先する。でも、春までに打てる手は打っておきたい」
ファナ=ノアは真剣な目をして言った。
走り出した怪馬の背中で少し考えてからラズはファナ=ノアに声をかけた。
「ファナは自分で竜人のところに行きたいの?」
「……いいや、でも、冬の間に行くとすれば、武器の案は間に合わないから、私か……君しかいないだろうな」
「僕でもいいの?」
「ラズがいいならだが。……嬉しそうだな」
「えっ」
嬉しそうに見えただろうか。しかし、竜人の郷という未知の場所には少なからず興味がある。
「ラズは本来は、冒険好きだものな」
ファナ=ノアは表情を緩めた。
「正直、私自身はしばらく荒野の中のことだけでも大変だから、動けそうにないと思ってたんだ。これから冬だしな。だから、君が行ってくれるなら嬉しい」
「どちらにしても、まずは輝石がないとね」
「そうだな。急に平原に出る用事がないとも限らない。本格的な冬になる前に、それだけは確かめておきたい」
「ただいま」
深夜だったが、ノアの郷の入り口で、ウィリとソリティ司祭、リンドウとレノが出迎えてくれた。
「おかえり……良かった、無事で」
「リン姉、全然大丈夫だよ! ファナがいるもの」
「あんた、いつも飛び出すじゃない」
「うっ、それはそういう作戦だったし……」
「やっぱり! 言い出したの絶対あんたでしょ」
「リン姉、だんだん母様に似てきた……」
ファナ=ノアと小人たちはくすくす笑った。
「ブレイズはどうでしたか?」
教会の方へ歩き出しながら、レノが訊いてきた。
ジルたちとは、そこで別れる。
「すごく良い人だったよ。『次は負けんぞ』って何の話?」
「またしょうもない。酒の飲み比べのことですよ」
彼は呆れた様子で笑った。
「レノってそんなにお酒飲むの?」
宴では酒をたくさん飲んでいたイメージがない。
「酔えないたちなので、私にとってはただの水です」
肩を竦めてレノは言った。
話している間に教会の中庭に差し掛かる。
ファナ=ノアたちと分かれてから、ラズは大事なことを思い出して、リンドウとレノに話しかけた。
「あ……、そうだ、僕、輝石が見つけられたら、竜人の郷に行こうと思うんだ」
二人は驚いた顔をする。
「なんでまた」
「えっと……」
事情を話している間に、既に借りている部屋の前に着いた。──静かな夜の廊下で立ち話をすると、少し声が響いて気を遣う。
リンドウはレノを見た。
「昨日の晩、レノも竜人の郷に行くって言ってなかった?」
「……ええ。言いました」
「そうなの? なんで?」
その問い掛けにレノはなぜか少し言い淀んだ。
「……ただの、物見遊山ですよ。しかし君も行くなら……私も同行させてもらってもいいでしょうか」
「なんで訊くの? こっちがお願いしたいくらいだよ」
彼は竜人の言葉も話せる。これ以上頼るのも迷惑だろうからその気はなかったのだが、一緒にいられるのはとても嬉しく感じた。
「シャルも一緒でいいよね?」
「君のご自由に」
彼はその言葉を予想していたように頷いた。
「……疲れているでしょう? 今日はこの辺にしましょう」
「あ、うん。遅くにごめんなさい。おやすみ」
レノは微笑んで挨拶を返し、自室に戻って行った。
「……」
リンドウは曖昧な顔をしていた。
ラズとリンドウも借りた部屋に戻り、身支度もほどほどに横になる。
「私はここにいるから、行っといで。気をつけてね」
ぽつりと、リンドウが言った。──さっきの、竜人の郷に行く話のことだろうか。
「はぁい。リン姉がいればファナも助かるとおもう……。僕も帰る場所がまだあるって、おもえるのはうれしい……」
かなり疲れが溜まっていたので、横になると急激に眠気が襲ってくる。最後自分が何を言ったか考える間もなく、意識がすとんと落ちていった。
† † †
「……帰る場所、か。ツェルにもできているといいけど」
リンドウはあどけない甥の寝顔を見ながら呟いた。
第二章完結でございます。
ここまで読んでくださって本当に本当に感謝です。
いつも長文感想を寄せてくださる親友様、厳しい指摘をバンバン下さる相方様や、頼もしい作家の朋友の皆さま。
そして、ここまでページをめくり、大切な時間をくださった読者様に改めて、心からお礼申し上げます。
お楽しみいただけておりましたら幸いです。
彼らの物語がより色づくように。
彼らの物語をより好きだと言ってもらえるように。
私も日々願っております。
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