一歩(8)……決戦
(……まだ夜か)
何度目か目を覚まして、とうとうリンドウは寝台から起き上がった。
教会で貸してもらえた部屋はラズと相部屋なので、いないと少しだけ広く感じる。
(ちょっと歩いて気を紛らせよう)
鎮まり帰った狭い廊下を静かに歩いて中庭に行くと、見知った人影があった。
「……レノ?」
声をかけると、彼はゆっくり振り向いた。
「心配で眠れませんか?」
「そう。やっぱりついてくべきだったかな、とか、考えてしまってね」
リンドウは戦いの場に行きたくなかった。先日のような危ないことはもう御免だったが、無事を祈るだけというのもなかなか辛いものがある。
「大丈夫ですよ。あの子はもう」
「そう……だよね」
月輪の薄明かりに照らし出された微笑に、リンドウもためらいがちの笑みを返す。
彼の言う通り、ラズは最近無理して元気に振る舞おうとすることが減った。ファナ=ノアを助けられたことで、故郷で誰も助けられなかった無力感から立ち直れたのかもしれない。
「あなたこそ、何をしてるの?」
「特に何も。月の輪を見ていたくらいでしょうか」
初冬の澄んだ夜空に、ぼんやりとした光のアーチがかかっている。夕陽と同じように、未明の時刻だけ岩の隙間から光が差し込む。暗いので岩の色がなく、日中とはまた違った印象だ。
「こんな景色になるんだ……知らなかった」
「私は昼よりこちらの方が好きです」
プラチナの瞳が月の光を受けて淡く光った。モノクロの風景によく馴染んでいる。
「たしかに、似合ってる」
そう言うと、レノは不思議そうな顔をした。
「あなたは、いつままでこの郷にいるつもりなの?」
「彼らが戻ってきたら、竜人の郷に行こうと思っています」
竜人の郷というと、あのシャルグリートの故郷か。
リンドウはあのノリがどうにも苦手だった。
「それはどうして? シャルグリートと一緒にってこと?」
「いいえ、そんなつもりはありませんが。次は山地をぐるっと回って国境から海の国に行こうかなと。単なる物見遊山です」
──それはとても面白そうだ。
(連れて行って欲しいと言ったら、どんな顔をするだろう……)
想像してから、リンドウは心の中だけで頭を振った。良くない結果しか思いつかない。
「いいな。私はしばらくここにいるから、良かったらまた寄って」
「ええ」
レノとは、四ヶ月前の事件が起こる前、二回、数年ほど間を開けて『噂の薬師に興味がある』と訪ねてきた程度の間柄だった。
国境あたりで知り合った商人の女性に引っ掻き回されて二ヶ月、どこかぎくしゃくしてしまったが……これで後腐れなく元の関係に戻れるといい。
「もう一回寝てくる。おやすみなさい」
気弱な笑みを浮かべて、リンドウは手をひらひらさせた。
レノは返事しなかったが、少し笑って手を振り返してくれた。
† † †
日が昇ってからもしばらくは軍は動かなかった。おそらく、天幕の片付けだけでなく、兵糧の再分配や、タキの郷に残っていた食糧の回収をしていたからだろう。
日が高くなった頃、遠視の術に集中していたファナ=ノアが目を開けた。
「憲兵隊が離れていく。捕まった四人はそちらにいる。ニールは軍本隊の方だ」
ファナ=ノアが進路を紙の上に描く。
「モズの郷の方向だ」
ジルが苦々しく呟いた。
現在地とノアの郷の間にある郷の名前らしい。
憲兵隊は間にある岩山で軍本隊と分かれて迂回するようだ。
「離れられると動きが把握できなくなる……それに、例の術はたぶん一回が限界だ」
ファナ=ノアは顎に手を当てて考える仕草をした。
──優先すべきはどちらの隊か。
ラズは少し考えてから意見を述べる。
「それは向こうも同じだから、先に本隊の方に集中しよう。報せが飛ばないようにすれば、憲兵隊の人質に影響はないよ」
距離から言って、どちらの隊も郷に着くのは夕方頃になる。
怪馬で移動すれば本隊の対応の後に憲兵隊に追いつくこともできるはずだ。
「ちなみにニールってどれくらいの術が使えるの?」
「ウィリと同じくらいだが、攻撃になるような術は苦手だ。私が来ていることには気がついている」
名前を呼ばれた女司祭ウィリは言葉が分からず眉を寄せた。
彼女の実力は、これまでで聞いた話によると、郷一つ分くらいの範囲で、ファナ=ノアと同じように起きたことを見聞きできるほか、飛んだりはできないが、治癒もできるし、風の刃を同時にいくつか放ったりできるらしい。
それなら、少しの間、自分の力で人間から身を守ることくらいはできそうだ。
「憲兵隊が十分離れたら、行こう」
ファナ=ノアが静かに言った。
† † †
タキの郷の教会を任されている司祭、ニールは少し気が弱いタイプの青年である。
それでも突然攻めてきた人間たちから仲間を守り、逃がそうと手を尽くした。
術が使える小人はその場で殺されるはずだった。が、偶然、ニールが逃した怪馬の背にいた小人がそうだと勘違いされ、ニールの方は『術が使えないが立場がありそうな小人』として捕らえられたのだった。
ニールには人間の言葉が分からないので、術が使えると殺されることを分かっていた訳ではなかった。
しかし、何十人と囲まれては手首の縄を切ったところで逃げ出すすべはない。何より、失敗したときに残った仲間にさらに危険が及ぶことを恐れていた。だから結果的に、彼は殺されずに済んでいたのだった。
(ファナ=ノア……)
その気配に気がついて、ニールはその人が近くにいる嬉しさと、見たことのない数の人間に、ファナ=ノアが殺されてしまうのではないかという恐ろしさを同時に感じていた。
「逃げてください。あなたまで失いたくない」
人間たちが何度もその名を口にしていたから、彼らの目的はファナ=ノアであることは間違いない。
口の中だけで呟いたが、おそらく、この言葉は聞こえている。
──しかし、あの人はいつだって、誰もやりたがらないことを率先して実行する人なのだ。
二年前に郷の長となってから、ファナ=ノアは一年間、同じ志を共有できる者を仲間にしながら、各郷を訪れて回っていた。
ニールと出会ったのもその時だ。
当時彼は十六歳で、ファナ=ノアは伝わっていた教義とは少し違うイメージだったが、旅をしながら次第に心を通わせ、術を教わった。
──この人となら皆の笑顔を守っていけると思った。
それから一年後、ファナ=ノアは教義と体制を刷新し、教育や医療を支える教会を各郷に作った。その時から彼は故郷であるタキの郷の教会の司祭を依頼され、郷同士の交流から子どもたちの教育まで、毎日身を粉にして励んできた。
しかし、愛するものも、積み上げたものも、全て壊されてしまった。
頼みの術も、何の役にもたたなかった。喪失感と無力感を感じながら、それでも一緒に捕まっている同胞の前では、ニールは気丈に振る舞っていた。
「僕は、大丈夫ですから……」
──思ったより声が震えた。
慰めるように、柔らかい風が頬を撫でた。
† † †
「なぜ止まった?」
出発してそれほど時間も経っていない。
隊列の後方で、鋼務卿は状況が分からず護衛に状況を尋ねたが、誰からも答えは帰ってこない。
苛々して、早く進めと叫ぼうかと考え始めた頃、軍務卿が馬を寄せて来た。
「鋼務卿、見ろ。あれがファナ=ノアだ」
乗馬しているのはそれほど人数がいないので、前方を覗けば遠くまで見渡せる。
鋼務卿は目を凝らした。
小さな白い人影が確かに見える。その周りに、五人の人影。怪馬を駆るという話だったが、見当たらない。別の場所だろうか。
「『話がしたい』と言っているが、殺す判断でいいな?」
「無論です!」
さては、命乞いをして来たということか。ならばようやく溜飲が下がるというものだ。しかしそんな楽観的な鋼務卿と対照的に、軍務卿は緊張した面持ちで、次々と配下に指示を飛ばしていく。
「前衛の銃と弓で討ち取れ。討ち漏らしたなら、歩兵で畳み掛けろ。同時に本体の銃士、騎兵、歩兵にも戦闘準備を。いつでも動けるようにしておけ。それから、人質をここに連れてこい」
「……なぜそんなに構えることがあるのです?」
「よく見ろ、鋼務卿。黒髪もいる。それに、怪我が治っているように見える」
「は? ……まさか」
伝令の兵士が慌ただしく行き来している。
「風が強くて狼煙が散ります! 憲兵隊へは三騎送りました!」
「……ご苦労」
前衛の前進とともに、馬を進めながら、鋼務卿は恐々とした気持ちでその姿を観察した。
単独で竜巻を起こすほどの力を持ったファナ=ノアを最も厄介だと思っているのは鋼務卿だ。
小人を追い払って開拓した鉱山は大きな利益を産んだ。捕まえた小人も安いが売れる。
ファナ=ノアがいると、いつ鉱山都市を襲われるか分からないし、これ以上の開拓が望めない。
ファナ=ノアが提案した友好協定や通商協定は基本的に人間側に利がある内容に見えたが、鋼務卿にとっては、運営する鉱山都市の競争相手ができてしまうだけだった。
しかも元々、家畜以下と見做している小人のことだ。奴隷の解放や小人が行き来できる商業特区の設置など、鋼務卿には到底我慢ならなかった。
鋼務卿の家には小人の奴隷が多くいたが、数週間前のある晩、女の小人が二人、首を切られて死んでいた以外は姿を消してしまった。
馬や家畜の世話、細工物の生産など、非常に便利だっただけに、かなりの痛手であった。
今回の出兵はファナ=ノアの殺害が目的であるため、ファナ=ノアを誘き出す人質として以外には奴隷用に捕まえることができない。──成功した暁には、たくさん捕らえて帰りたいものだ。
(頼みますぞ、軍務卿……!)
だんだん近づくにつれ、凛としたその整った顔立ちが見て取れる。
手負いの様相ではない。もしも、竜巻を起こされでもしたら。鋼務卿は奥歯をがちがち鳴らしながら、その顔を睨みつけた。




