一歩(7)……決戦
「えーと……こんばんは」
「……なんだそれは」
両手を挙げて敵意のないことを示すと、警務卿ブレイズ=ディーズリーは拍子抜けした顔で護身用の剣を鞘に納めた。
気配を消すのをやめただけでばっと起き上がったので心底びっくりした。ラズにはできない芸当だ。
ブレイズはちらりと入り口側を見る。警備兵の影は中を気にする様子はない。彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「今外に、中の声は届かない」
「……お前がやったのか」
ラズはこくりと頷いた。声が外に漏れないように、天幕の内側に術で真空の膜を維持している。──このせいでファナ=ノアの見聞きの術の<波動>も打ち消してしまっているのだが。
「今日は、人質を助けに来た訳じゃない。話がしたい」
「……ほう?」
ラズの目をじっと見つめたまま、ブレイズは動かない。
「夜しか行動できない臆病で卑怯な種族と思われたままは不本意だから」
「今度こそ鮮やかに撃退してやろうと待ってたんだがな」
軍隊ともなれば、戦略を練る専門の人だっているだろう。子供の浅知恵は何度も通用しないと思うと、少し背筋が冷える。
「……やめといて良かった」
目を離さないまま、ブレイズは床に腰を下ろした。右手は短剣の柄にかかったままだ。
ラズも倣って正面に座る。狭い天幕内で、すでに相手の剣の間合い、初動が遅れる胡座の姿勢。──緊迫感に口の中がざらつく。
「で、何が目的だ?」
「えっと、まあその前に、一杯どうぞ」
持ってきた小さな器に飲み物を注ぎ、術で温めてブレイズの前に置いた。 ──國長であった父を見て学んだ作法の真似事だ。
「谷の國は今ごろ紅葉が綺麗な季節かな」
わざと少し軽い口調で切り出すと、ブレイズは眉をぴくりと動かした。
「山脈の中腹にあるから、赤や黄色にどこまでも色づいた森の国を一望できて、とても綺麗な景色になるんだ。巨人たちも紅葉に免じて戦争をお休みしてたらいいんだけど」
息を吐いてわざとらしく肩を竦める。
ブレイズは少しだけ笑った。
「……ふ、森の国には若い頃行ったことがある。谷の國からの絶景というのも見ておくべきだったな」
「隠居したら遊びに来なよ。その頃にはきっとまた、谷に入れるようになるから」
「森の国の大規模な巨人討伐が成功すると?」
「さあ、どうかな。あそこは下からの攻めに対して守るときの地理的条件が良すぎるから、空から攻めない限りは難しいと思う」
「ほう」
ラズの何気ない語りに、ブレイズは耳を傾けているようだった。
「巨人って、もともと山脈のすごく高いところに住んでたんだよ。普通誰も行かないくらい、高いところ。小さな鳥の卵を集めたりしながら暮らしてる。……なんでか知ってる?」
「いいや」
「昔、二百年くらい前、森や平野にいた巨人たちを、人間が殺し尽くしたんだって。それで、人間に見つからない高いところに隠れて生き延びてたんだ」
ブレイズは目を細める。
「だから、二百年ごしの復讐か。で、小人もそうすると?」
「それは分からない」
彼は考えるようにゆっくりと息を吐いて、ようやく剣の柄から手を離した。
「領民の笑顔を守るのが俺の仕事だ。戦うのは趣味みたいなものだが、それが役立って感謝されると気分がいい」
「貴族の当主様がいい人で、ここの人は幸せだね」
素直な賞賛に、彼は面白そうにラズを見下ろす。
「ははっ、舌の回るガキだ。……でだ。俺が言いたいのは、俺は政治ごととか、数百年後とかを考えて動くタイプじゃないってことだ。いつか手痛いしっぺ返しがあるからやめておけと言われたところで、俺に領主の説得を期待するのは無駄だぞ」
「そこまで厚かましいことは考えてないよ。でもこの先、利害が一致すれば、力を貸してくれると嬉しい。逆に手伝えることがあれば……たとえば錬金術の指南とか協力するし」
「ほう? 誰でも使えるようになるものなのか?」
「向き不向きはあるけど、血統とかは関係ないよ」
正確には、血縁に術者がいるほうが才能がある可能性は高い。しかし両親が使えても兄のように全く使えない人もいるし、その逆もある。また、リンドウは大規模で多彩な術が使えるが、双子であるはずの母は料理用の小さな火を起こすのでやっとだ。
それから、才能があるほど、輝石がないと体が弱くなる。だから、病気がちな人は術が使える可能性があるのだが、そのあたりは術師にとって弱点となる情報でもあるので、迂闊に言うなと教えられた。
ブレイズはふん、と鼻を鳴らし、敷物にどっかと腰を落ち着けた。
「いいだろう。その時が来るなら、力を貸してやらんでもない」
「その言葉が聞けて嬉しい。……せっかく淹れたのに、冷めちゃうよ」
「……ん? これ、酒か」
鼻を近づけて不思議そうな顔をしてから、彼は器に口をつけた。
「……美味いな」
「荒野の特殊な草の実の中で発酵してできるお酒なんだって」
「しかし、度数が高い。お前、なんで平気な顔して飲んでる?」
「術でアルコール飛ばせば関係ないし」
少し頬を緩めて、ラズはいたずらっぽく笑った。
アルコールがなければ、ただただ甘い飲み物である。お酒は兄の身長に追いついてから、となんとなく決めていた。
ラズが見せた年相応の表情に、ブレイズは目を瞬かせ、それから深い笑みを浮かべる。
その温かい空気に、ラズはつい口を滑らせてしまった。
「度数が高いお酒は燃えるから、兵糧の側で呑む時は気をつけないとね」
「……何?」
「ごめんなさい。やっぱり先に謝っとく」
目を逸らして言うと、ブレイズは額に手を当てて盛大にため息をついた。
「軍務卿の方だな……退却狙いか。全く」
言いながら立ち上がる。
一瞬、焦茶色の瞳が迷うように揺らいだように見えたが、次に目が合ったときにはもう、鋭い光が宿っていた。
(あ、やばい雰囲気……)
ラズも後悔しながらさっと手をついていつでも動ける体勢に切り替えた。
「密偵に酒を振る舞われて逃げられたとなれば、ブレイズさんも立場的に困るでしょ? とりあえずここは穏便に」
「捕まえればいいことだろう。悪いようにはせんぞ?」
ブレイズはニヤリと笑った。しかし剣の柄にはまだ手をかけていない。
「仕事熱心だね」
「はは、そりゃ、いかなる理由があろうと火付けは重罪だ」
指揮官の天幕は広いといってもたかが知れている。じりじりと間合いを取り合っていると、すぐに幕の端に追い詰められた。
冷や汗を流しつつ、ラズは二言宣言する。
「話は終わり。もう行くよ」
「そうはいかん」
ブレイズの笑みに凄みが増し、ラズはごくりと唾を飲んだ。──前回よくこの人から逃れられたものだ。
「……ブレイズ様?」
天幕の外から、訝しがる声がした。周囲の音が戻ってきたのが分かる。
音の遮断に集中していたら逃げるどころではないので術を解いたのだ。
「……すまん、寝言だ」
ブレイズは返事をしながら外とラズを一瞬ずつ交互に見た。
「ほんとは、また手合わせをお願いしたいんだけど、今日はこの辺で」
外に聞こえないように小さな声で囁くと、ブレイズはニヤリと笑った。
「いいや、今だ」
ブレイズは言いながら一歩踏み込んだ。……が、突然ぐらりと体勢を崩す。いつの間にか、息が上がっていた。
めまいを感じているかのように頭を振る。
「な……!? 毒か……?!」
「ちょっと違う。呼吸に必要な酸素を減らした。お酒飲むと効きやすいかなと思って」
狭い天幕内は、ブレイズにとっても逃げ場はない。
ファナ=ノアが練習していたのは空気そのものを薄くするやり方だが、元素の細かいコントロールができるなら、酸素を直接減らす方が、気圧が変わらないので楽ができる。
「ちっ……。今回限りだぞ」
ブレイズの目には軽蔑の色はない。むしろ楽しそうに口角を上げた。──その表情に、心なしかほっとする。
笑い返し、踵を返す。入ってきたのと同じように天幕に隙間を作って通り、錬金術で布を繕った。そして、足音を忍ばせ岩陰まで移動し、息を潜める。
ほぼ同時に、野営地全体が騒がしくなってきた。丘の方が明るい。
さっき『話は終わり』と言ったことで、ファナ=ノアがジルに着火の合図をしたんだろう。
背後の天幕から、騒がしい声が聞こえてくる。
「ブレイズ様! 軍本体に火が上がったそうです!」
「ああ、詳しく聞かせてくれ」
「ブレイズ様……、楽しそうな顔をして。不謹慎ですよ」
「悪いな。出火の原因は分かったのか?」
仲の良さそうな部下らしき人物との会話が遠ざかっていく。
ラズは静かにその場を離れた。
† † †
「レイチェル」
ブレイズが呼び掛けると、今回の侵攻軍の将、軍務卿レイチェル=リーサスは渋い顔で振り向いた。会議の場では役職で呼ぶが、こういう時は名前で呼ぶ程度には気安い関係である。
「全く、面目ない」
「事故なら、仕方ないだろう」
副官の話では、見張りの兵士が躓いて松明を倒してしまったらしい。
兵糧はあっという間に燃え広がり、延焼を防ぐのでやっとだったという話だった。
(燃え広がったってのはつまり酒のせいだろうな。だとしたら躓いたというのは……小人が荒野で使う術はそんな風に使えるものなのか?)
あるいはファナ=ノアが回復したのかもしれない。黒髪の子ども──ラズの回復の早さも考えてみれば異常である。普通わずか一週間や二週間で完治するような傷では無いはずだ。
さっき、ブレイズは迷った末に賭けをした。捕まえられたなら、事故ではなく放火だと言う気でいた。
実のところ、ブレイズ自身も一連の騒動への対応が小人の殺戮で合っているのか、疑問を持っていたのだ。
「鋼務卿はまだ寝ているのか」
小人の掃討をこの目で確かめたいとついてきた、鉱山地域の責任者、鋼務卿はこの騒ぎでもまだ出てこない。鋼務卿は役職を頂いているが貴族としての爵位は最下位であり、家同士の事情もあってこちらも普段は名前呼びだ。
「どうするつもりだ?」
ブレイズは軍務卿に尋ねた。
本隊の食糧が燃えてしまった今、憲兵隊の食糧では、ここから軍全体が領に戻るまでの量しかない。
燃え残った食糧と、襲った郷から奪った食糧を合わせても二日か三日。
もともとは、ファナ=ノアの後を追った偵察を朝まで待って、蹄の跡に残された目印を追って進むか、近くに見つかった郷を襲うかを決める予定になっていた。
軍務卿は渋面で腕を組む。
「このまま戻ったら領主様に大目玉を食らう。まだ戻る段階ではない。途中で見つかった郷から食糧を奪いながら、進むべきだろうな」
(……やはりな)
小人たちなりに考えたのだろうが、このくらいでは人間は止まらない。
「鋼務卿が来たな」
小さくため息をつきながら、軍務卿はブレイズに作戦会議用の幕へ促した。
おそらく軍務卿は鋼務卿のことが苦手なんだろう。なぜなら鋼務卿は頭に血が上り易く、弱みを握って周りを思い通りに動かそうとする性質だ。この男を憎からず思っているのは彼からの賄賂をたんまり受け取っている領主くらいだろう。
「ばかばかしいにも程があります! どうするつもりなんですか!?」
厚手のコートを夜着の上に羽織って整えただけの鋼務卿は、開口一番、軍務卿を詰った。
軍務卿はうっとおしそうに眉を上げたがそれは気付かれない程度の一瞬で、すぐに固い表情で淡々と切り返す。
「返す言葉もない。明日は進路上の郷を征服して食糧を奪う」
「それは……小人の飯を食すと?」
「嫌ならお前は帰ってもいいんだぞ」
戦う上では足手まといである。もっとも、今日実際に動いたのはいつも小人を襲撃している五十人ほどの部隊で、ブレイズはじめ他の部隊は逃げる者がいないように包囲していただけだが。
「……構いません。自分の分は持ってきていますので。兵士というのは戦場ではなんでも食べるのですねぇ。逞しいことで」
「なんとしても勝つことで国を支えてきたんだ。警務卿は今日と同じく、こちら側から回り込んで包囲してくれ」
──また、あの吐き気のする所業を見守る役回りか。
しかし増援で同行している立場上、ここは軍務卿のやり方に協力するのが筋だ。
「……おう。捕まえた小人はどうする? このまま引き取っても構わんが」
「そうだな。一人だけ、あの服装が違う奴はこっちで預かるが残りは頼む」
「分かった」
「火の片付けはいいから、そっちの警戒を引き続きしてくれ。……あと数時間で夜が明けるな」
「ああ。じゃあな」
憲兵隊の天幕に戻ると、副官が待っていた。
「お疲れ様です。何もありませんでしたよ。残念なことに」
おどけたように肩を竦める部下の前で、ブレイズはため息をついた。その様子に、彼はおや、と訝しげな顔をする。
「そうだな、今夜はもう何もない。……お前に、ちょっと話がある」
「は? ……ええ、分かりました」




