一歩(1)……斥候
「シャルグリートさん」
「おわっ!?」
昼下がり、教会の裏に姿を見つけて声をかけると、シャルグリートは文字通り飛び上がって驚いた。
「な、なんだ」
「いや、それはこっちの台詞」
人目のつきにくい場所で小窓から中を覗き込む姿は、なかなかに怪しい。
「き、来てはダメだ!」
ラズが近づこうとすると手をバタバタと振る。
いたずらをしている子供みたいだ。
──そんな反応をされると、何をしてるか意地でも知りたくなる。
────しかし。
シュコォ────!!
小窓から突如吹き出た煙に包まれ、シャルグリートの姿が一瞬見えなくなったと同時に絶叫がこだました。
「ぎゃああああ!!! ごほっごほっ」
少し離れたここにまでわずかに漂う、鼻がツンとする匂いには覚えがある。
ラズの叔母、リンドウが護身用に持っている催涙ガスだ。
ファナ=ノアを助け出す際の作戦のときに見せたとき、小人たちは初めて見る様子だったので、彼らが使ったとは考えにくい。
地に倒れ、バタバタと、激しくもがくシャルグリート。
「…………リン姉? シャルグリートさん何やったの?」
「良い子は真似したら駄目なこと……!」
恐る恐る声をかけると、殺気だったリンドウから返答があった。
(いや、全然分かんないですけど!)
小窓の位置はラズには少し高いので中の様子は見えない。
「彼どっかに連れてってくれる?」
「は、はい!」
めちゃくちゃ怒っているときの声色に、一緒に怒られているように錯覚してしまう。
ラズはとりあえず言われた通り、悶絶しているままのシャルグリートを引っ張って教会前の広場に連れていった。
「動かないでくれたら、治せるけど……」
「エッ、……」
シャルグリートは涙をボロボロ流しながらどうにか動くのを我慢する。
(万象を治し素白に帰せ──<薬績>)
──なんとなく集中しやすい気がして、治癒の句を心中で詠んでみる。小難しい響きだが嫌いではない。
目や鼻のほか、全身に染み込んだ催涙成分を無効化すると、シャルグリートは苦しみが消えたことに驚いた表情をした。
「……おお! アナタがした?! えっと、ナマエ……」
「ラズ」
「アリガトー! ……ラズ、君のママ、めっっちゃ怖いね……ちょっとノゾいただけなのに」
「リン姉は僕の『ママ』のお姉さんだよ」
──親子と思われていたのか。一応訂正しておく。
──母とリンドウは二卵性なので、そっくりというほどではないが、リンドウと母似の自分の顔立ちには共通点があるとは思う。
「じゃ、ラズはレノのベビーでもない?」
「へ!? 全然違う」
「黒髪なのに」
確かにレノも髪の色は黒いが、顔がちっとも似ていない。
この調子だと、レノとリンドウの関係も勘違いしているかもしれない。
「アナタたちは、なぜココに?」
「いろいろあって……」
「どこから来たデスか?」
「山脈のほう」
「?」
シャルグリートが首を捻るので、地面に地図を描く。
彼は眉間に皺を寄せて唸った。
「遠イ?」
「うん、世界の反対側」
シャルグリートはひゅう、と口を鳴らした。
「帰るとき、俺も持ってけデス」
「……『連れて行って』ってこと?」
「そう!」
「シャルグリートさんってほんとは偉い人なんでしょ? なんで山脈に行きたいの?」
竜人の族長の言伝を持ってきたくらいだから、何か重要な立場にいるんじゃないんだろうか。
「エライ? んー、あんまりだ。世界の情報、集めて回るのが俺のシゴト、だ!」
「へえ」
「俺、族長の末のベビーだからな。エラくなるのは兄貴の仕事」
「兄弟がいるの?」
「おう、十八人」
「え、多いね……」
「アナタは?」
「兄が一人だけだよ」
「そうか。……違くて、アナタは、エライのか?」
「? 偉くないよ」
「術、強いのに? 剣もやるダロ」
「そんなんで、偉くならないよ。一人じゃできること知れてるし」
「いいや。強さは、エラさだ。強ければ、人従えられる」
その返答にラズは目を丸くした。
これがファナ=ノアが言っていた竜人の価値観か。
「……それもあるかもしれないけど、それだけかな」
「……またか。アナタたちはそれ好きデスね」
話が平行線で終わってしまったのを寂しく感じながら、ラズは話題を変えることにした。
「竜人の郷ってどんなところ?」
「岩と山。コロシアムして、弱いやつは追い出されるマス」
「……商人とか、職人とか、農民とかいないの?」
「強いやつに従ってれバ、いるマス」
「コロシアムって何?」
ううん、とシャルグリートは唸った。説明に困ったようだ。
「こう、シカクの中で、」
腕で四角を描き、次に両手の人差し指をトントンと剣を合わせるように叩く。
「戦って、シカクから出るか、降参したら負け」
負けたらすぐなのか、何回か猶予があるのか分からないが、それで追放されるなら、殺伐とした社会のように思われた。
「あ、でも、コロシアムは四年に一回。最近は、人間と戦うで人減ってるカラ、追い出しナイ」
「そう……なんだ」
広場の縁石に腰掛けて話していると、教会からリンドウが出てきた。シャルグリートを見ると眉根を寄せる。
ラズに対してではないのに、ぞくっと背筋が冷えるような……氷点下の視線。
それからふいと顔を背けて、別の方向に行ってしまった。──確か、昨日、薬師が住んでいると紹介された家の方。
その様子に、なぜかシャルグリートはうっとりしている。
「リンドウさん、おキレイですネー」
「あとで謝ったほうがいいと思うよ……」
そんなやりとりをしている間に、今度は教会から慌ただしく、二人の小人が走り出て、ジルたちの住んでいる家の方向……ノアの郷の入り口の方へ駆けて行った。
ファナ=ノアも教会の中庭から高く飛翔していくのが見えて、急に不安になる。
「ファナまで……何かあったのかな」
ファナ=ノアが飛び去った先は、先ほどの小人たちと同じ方向。
ちらりと見えた表情は、あまり穏やかではなかった。
「心配だから、見に行ってくる」
「俺も!」
(ええ……)
郷の中は入り組んでいるので、岩を登って上から行った方が早いと思うのだが、一緒に行くなら下道を行かないといけなくなるだろう。
「上から行くけど……」
「ん? おお」
岩壁の上を指差して言うと、意外にもシャルグリートは感心した風に頷いて、
「え?!」
片手を伸ばしてガシッとラズの胴を掴みあげた。
「ほい、ほいっと」
シャルグリートはそのまま、何度か岩壁を蹴って軽やかに登っていく。
「ちょ、ちょっと待って! 剣持ってないし!」
「作れば良いでショウ!」
簡単に言ってくれるが、素材も保証のない環境で使い勝手の良い剣が作れるとは限らない。
「よっと!」
頂上は、下の幻想的な風景と対照的に殺風景な亀裂や穴だらけの場所だった。
「あ、ありがとう……。って、ちょっと!」
降ろしてくれるのかと思ったら、ラズを小脇に抱えたまま走り出そうとするので、さすがに慌てて声をあげた。
「あのさ! 自分で走れるから!」
「気にするナイ! 持ってくデスよ!」
「文字通り感がすごく嫌だ!」
運んで貰っているところ暴れるのも悪いが、聞き入れてくれる様子がないので、ラズは体を捻って抜け出した。──自分の自由に動けないのは好きではない。
「あ、おい、バカ!」
「嫌だってば!」
捕まえようとするシャルグリートの腕を擦り抜ける。
もう少しで岩の峡谷の入り口だ。
足元の岩にはところどころもろい部分がある。気をつけないと踏み抜いてしまいそうだ。
(シャルグリートさんは普通に走ってたけど……慣れてるのかな)
もう捕まるのは御免なのでスピードを上げたつもりだが、シャルグリートはやはりついてくる。──なぜか、どこか楽しそうな、おもちゃを見つけた子どものような悪い笑みを浮かべて。
ファナ=ノアが向かった郷の入り口までもう少しだ。
なんとか逃げ切った視線の先、風に身体を任せて浮かんだファナ=ノアが振り返った。
「……ラズ。シャルグリート殿」
そこには、地面にへたり込んだ一人の人間の男がいた。




