回顧と黙示(6)
「ここが聖地、ノア」
朝に郷を出て、夕方ようやく着いたそこは、大渓谷から吹く風が作りだした天然の宮殿だった。
人間の身長の十数倍もある高さの紅い岩石の間にできた空洞を、不思議な曲線を描いた壁が囲んでいる。
夕陽の輪が紅い岩の天井の隙間から差し込み、幻想的な風景を作りだしていた。
「すごい、きれい……」
リンドウが思わず呟く。
山脈の鍾乳洞にも、天井に穴が空いていると幻想的な風景が生まれるが、これはスケールが違う。
「あれ……、人間がいる?!」
例によってファナ=ノアを歓待する人混みの中に、人間としか思えない背丈の男女が三人いた。
教会の前の広場に残った小人たちの間を通って近づいてくる。
先頭の四十歳ぐらいの女性がにこりと微笑んだ。
「こんにちは。私はエンリといいます」
彼女は郷を案内してくれた。
教会の側には様々な動物の彫刻が刻まれ、荘厳な雰囲気を作り上げている。
郷には四十人ほどの小人が住んでおり、半数が教会の関係者なのだという。もう半数は、人間の襲撃によって壊滅した、武芸に秀でた者たちが住む郷の生き残りと、元奴隷。ほかにも平原の国からやってきた彼ら人間が住んでいるのだそうだ。
「始めは、ちょっと誘拐っぽかったんですけどね。今ではここがとても好きです」
彼女は、小人たちに人間の言葉を教えていると言った。彼女自身はもう、小人の言葉を流暢に話せるらしい。
「エンリさん、僕にも小人の言葉を教えてもらえないかな……?」
しばらく小人の郷に滞在するならば、早く言葉を覚えたい。
その申し出に、彼女はにっこり微笑んだ。
教会の前の広場を通り過ぎて、岩壁を削って作られた民家のある通りに出たとき、急に、聞き慣れない低い声が岩の間に響いた。
「レノ!!!」
「え……?」
振り返ると、広場にはいなかった、人間と思われる十代後半くらいの青年が突進してくるのが見えた。
銀髪碧眼で身軽な格好をした、とても背の高い青年。瞬く間に近づいてくる。その獰猛な目つきは一直線にレノを見据えていた。
肩を掴もうとしたのを、レノは振り返り様にひょいと躱してしまう。
「おわっ」
男は勢いのままつんのめったあと向き直ると、キラキラと目を輝かせて叫んだ。
「レノ×××! ×××! ×××××!!」
「……シャル、×××××××……」
レノは淡々とした様子で何か返答する。
二人が交わした言葉は、小人たちのそれとイントネーションが全く違っていた。
周囲にいた小人たちも驚いた顔をしてレノと青年を見比べている。
「レノの知り合い?」
ラズが訊くとレノは苦い顔をした。
「……旅先で何度か会った程度です。それと彼、竜人ですよ」
「竜、人?」
竜人というのは初めて見る。平原の国では竜人は山地に住む野蛮な民と言われていた。角があって羽と尻尾があるとかないとか……とにかく想像していたのと全然違う。
「レノさんは、竜人の言葉を話せるんですか?」
とても驚いた顔をした案内の女性がおずおずとレノに訊いた。
「日常会話程度なら」
「すごいですね! ここには分かる人がいないんです。彼も小人の言葉は分からないし、人間の言葉は少し喋れるんですが、その……ちょっと怪しくて」
レノと何かやりとりをした後、シャルグリートはニコニコしながらリンドウに近づく。その笑顔に、強烈な違和感を感じて、ラズはシャルグリートを二度見した。口を開いた時、見えた歯がとても尖っていたからだ。
ラズの視線なぞどこ吹く風というように、シャルグリートはリンドウの手をとる。
「ハジメマシテ! シャルグリートいいマス!」
「え、ええ……リンドウよ」
リンドウは頬を引きつらせている。
シャルグリートは彼女の反応に負けることなく、さらに愛想よく世辞を続けた。
「黒髪、美人デスネ!」
それからようやく、ラズの方を見た。心なしかテンションが下がったような気がする。
「ニンゲン? ×××?」
「人間だよ」
「ハジメマシテ。シャルグリートいいマス!」
「僕はラズだよ。よろしく!」
握手すると、シャルグリートの手は少し硬くてゴツゴツとしていた。
「黒髪、かわいいチビですネ!」
(かわいい……!? チビ……!?)
男らしい顔立ちではないし、そう言われることもないではないが、面と向かって言われるとちょっと複雑だ。
あと身長の方は年相応のはずである。兄の背が高いので、実を言うともう少し欲しいところではあったが。
しかし彼はニコニコ顔で悪気はなさそうである。ラズはぐっと聞き流してにっこり笑い返した。
「……シャルグリートさんは背が高くてかっこいいね」
「ドーモ!」
彼は得意気にニカッと笑った。もう一度、リンドウの方に向き直る。
「お近づきのシルシに、手品でも」
そう言って、彼は懐から水晶のような透明な石を取り出した。
「三つ数えたら、花が咲きまーす」
練習したのだろう、この台詞だけ流暢だ。
「1、2、3……」
パッ、と石が薔薇の形に変化した。花弁一枚一枚が薄く精緻で、夜の灯火が映り込んでとても美しい。
「おお~!」
小人たちからまばらな拍手が起きる。ラズもパチパチと手を叩いた。
錬金術で似たようなことはできるが、ここまでのものは簡単にはできない。
「では、この花は、アナタに差し上げます……」
リンドウにおもむろに差し出すと、リンドウは微笑んで、
「私にはもったいないので、ファナ=ノアにどうぞ」
とにべもなく断った。顔に『この人苦手!』と書いてあるような錯覚を覚えさせる笑みだった。
「リンドウさんがこうおっしゃってますが、それは私がいただいていいのでしょうか?」
「!!」
「ファナ=ノア!」
ふわりと現れたファナ=ノアに皆が驚いた。
微笑を浮かべてシャルグリートの前に浮かぶ。
「ようこそ、竜人のお客人。わざわざ訪ねてきて下さったのに、お待たせして申し訳ございませんでした」
「あ、ええと、」
シャルグリートはわたわたとしながら、とりあえず透明な薔薇をファナ=ノアに差し出した。
「会えて、嬉しいございますデス。牙の民、シャルグリートです」
「改めて、ファナ=ノアと申します。今からでよろしければ、教会でお話ができればと思いますが、いかがでしょうか?」
シャルグリートは混乱した様子でレノを見て、何か言った。
レノは返事をしたが、シャルグリートの望む答えではなかったようだ。見るからにがっくりとして、ファナ=ノアに「もう一度、ゆっくりお願いシマス」と言った。
ファナ=ノアはシャルグリートを案内する前にその場の小人たちやラズたちに丁寧に挨拶をして去って行った。
「また祝宴だって」
「今度は酒を飲み過ぎないようにしてくださいね」
「悪かったって……」
リンドウは罰が悪そうに謝った。
ラズへの言動も酷かったが、翌日の寝起きも大変だった。
「ところで、訊きそびれたんだけど、竜人って竜に変身したりするのかな」
ん、とレノが振り向いて首を傾げた。
「しませんよ。竜人の祖先は竜だった、という言い伝えがあるそうですが、完全に別種族です。その逆……竜が人に変身するパターンも……ないでしょうね、普通は」
「なんだあ。それにしても、レノ、なんで竜人の言葉が話せるの?」
「竜人は、その特徴さえカモフラージュすれば紛れ込んでもばれないんですよ。それで、何年か滞在していました」
ほら、と言われて見ると、レノの歯がシャルグリートのように少し尖っていた。もう一度口を閉じて開くと元に戻っている。
「自分の体を変化させるの?! その発想はなかったなぁ…」
ラズもリンドウも驚いたが、考えてみれば割とできそうだ。
「ラズも耳だけ変えれば小人と見分けつかなくなるね」
「まあ、今だけでしょう。この四ヶ月でも少し背が伸びていますし」
「本当? 良かったぁ……」
チビ呼ばわりを実は気にしていたので、地味に嬉しかった。




