回顧と黙示(2)
しばらくして、周辺の探索からレノが戻ってきた。
小人の少女は少し離れた怪馬の側で毛布にくるまってうとうとしている。ジルは今晩は見張りをすると言って、近くで静かにナイフを研いでいた。
レノはラズがまだ起きているのを見て、少し驚いた顔をした。
「案外元気そうですね」
──なんだか、さっきも同じことを言われたような気がする。
ラズは苦笑しつつ答えた。
「うん。ここ、自分の輝石を持ってるみたいに錬金術が使えるんだ」
「ああ、そういえば。……これは私の想像ですが、荒野の地下には広大な輝石の地層があるんだと思います」
「なら荒野にいる限りは、輝石がいらない? レノも?」
「ええ、前にこの辺りに住んでいた頃、一度試したことがあります」
ということは逆に、小人たちも自分の輝石を手に入れれば、荒野の外で術を使えるようになるのかもしれない。
レノは、ラズの横に腰を下ろした。
──今なら、ゆっくり話ができるだろうか。
ラズは最近気になっていたことを訊いてみることにした。
「レノは、小人の郷までついてきてくれるの?」
「ええ、そういう約束ですからね。案内する必要はもうないでしょうけれど、小人の郷には興味があります」
その答えに、ラズはなぜかほっとした。
「僕……たちといたら、レノの立場も悪くならない?」
「今は追手の気配もないですし、別段問題とは思っていませんよ。気にしすぎでは?」
「うん……ありがとう。──じゃあさ、明日からまた稽古付き合ってくれる? 銃の対策とかも教えて欲しい」
「構いませんよ」
ふっと、レノが笑った。
スイに叱られて、あれから考えたのだ。
──今回危なかったのはそもそも銃に撃たれたためだ。それがなくても、ブレイズから逃げられたか分からない。自分の弱さを痛感したし、強くなりたい、と思った。レノには、まだ訊きたいことがたくさんある。
「……あ、そうだ。スイとリン姉が助けに来てくれたの、レノのおかげだって言ってた。ありがとう。結局、助けてもらっちゃった」
彼は、岩窟で気を揉んでいたスイとリンドウに、スイの脚力と今の彼女の術の力ならラズを助けられると後押しをしてくれたのだそうだ。
ラズの礼の言葉に、レノは首を振る。
「たいしたことはしていません」
「ううん。ここまでこれたのも全部、レノのおかげだよ」
「……そんなに褒められることをした覚えはありません。それに私は本当は、……君たちにたくさん嘘をついています」
少し顔を背けたので、暗がりでレノの表情がよく見えなくなった。
その言葉に少しドキリとしたが、少し考えてからラズはきっぱりと言った。
「……レノがどんな嘘ついていても、僕はレノのこと嫌いにはならないと思うよ」
彼にどんな事情があって、力を持ちながら消極的なのかは分からない。しかし結果として、自分もファナ=ノアも小人たちも助かった。ラズにとってはその事実だけで十分だった。
レノは少し驚いた顔でラズを見て、そして微笑んだ。
「君のそういうところは、リクに似てますね」
リクとはラズの父の愛称だ。レノはもともと、父と仲が良かったから、ラズの故郷……谷の國を訪れてくれていた。
彼は焚き火の灯りを懐かしそうに見つめている。
「この世界で、唯一の友人だった」
「……ごめんなさい」
「何を謝っているんです?」
「國があんなことになったのは、僕のせいだから……」
「……なぜそう思うんですか?」
「山で巨人の女の子と会って……」
ラズは口ごもってしまう。
「危害を加えてしまった?」
「……そんな! ……崖から落ちて怪我してて、近くまで送ったんだ……」
「そう……ですか。人間に住処を知られたことを危惧して、先手を打ったんでしょうね」
焚き火の明かりがレノの横顔を照らしている。揺らめく火を見ながら、少し哀しげな表情が垣間見えた。
この話を人にするのは初めてだった。
これまで、口にして罵られるのが怖くて、自分から言うことができなかった。また、『君は悪くない』と甘い言葉をかけられるのも余計に嫌だとどこかで感じていた。
彼はしばらく考えてから、再び口を開いた。
「昔の話ですが────都市にとって敵対するものの子だという理由で、私は小さな檻に幽閉されて育ちました。世話係の人間が育て親で、唯一心を許す存在だった」
レノが自分のことを話すのは珍しい。ラズは黙ってただ耳を澄ませた。
「私の同胞が都市を襲ったとき、深い傷を負った彼は、『どうせ殺されるなら私に殺されたい』、と言いました」
その話を聞くとなしに聞いてしまった様子のジルが俯いた。彼は自分に重ねているような辛そうな表情をして、「見回りをしてくる」と足早に歩き去ってしまった。
一方ラズは、その時のレノの気持ちを想像しようとしてみた。
──大好きな人に、殺してくれと言われる気持ちを。
「────どうしたの……?」
彼は少し目を伏せて、自嘲気味に言葉を紡ぐ。
「その時私には他に選択肢がありませんでした。……『これからは自由に生きて、大事にできるものを探せ』というその時の彼の言葉通りに、私は生きています」
彼も、大切なものを自分の手で壊してしまった過去があったのか。
目を潤ませるのを見て、レノはラズの頭をくしゃくしゃと優しく撫でた。
「だから私には君のことを責めることはできない。君の痛みが分かるとも言わない。……君はあの日、自分の存在を否定して、生命を無意識に断とうとしていました。私はそれを無理矢理、自分の都合で繋ぎ止めた……」
確かに、意識を失う前、自分を責めて、絶望感を感じていた。死んだ方がましだ、と思ったのも否めない。
目が醒めたあと、死にかけていたから生命を分けたのだ、とレノは言っていた。唯一の友人の子どもだから、助けようとしてくれたのだろう。
ラズのことを、まだ、生かしてくれる人がいて、理解してくれる人がいる。自分を否定すると、その人たちに、助けて悪いことをしたのかと思わせてしまうのか。
「でも、僕のせいでって……思わないでいられない。その気持ちが、 皆からの言葉とか、嬉しいことや、やりたいことと矛盾して辛い……」
そう正直に吐露すると、彼は揺らめく火を見つめた。
「後悔は、繰り返さなければいい。過去は変えられませんが、未来は変えられます。今の君が大切なものに対して、後悔するようなことがもう起きない未来を目指す、それなら矛盾はしないのでは?」
(そっか……繰り返さないこと……)
気持ちの上ではまだ納得しきれないことはあるが、レノが言いたいことは理解できたように思う。
「……考えてみるよ」
ラズも焚き火の灯りを見つめた。
あの日の炎は地獄の業火のようだったが、目の前の火は柔らかく優しい。
「レノ……ありがとう。僕、生きて、ここまでこれて、良かったと思ってる。だから、無理矢理自分の都合、とか言わないでいいよ」
そう言うと、レノは穏やかに微笑んだ。
父親のような、大きくて温かな笑みだった。
──心の奥底から、じんわりとした安心感を覚える。この半年、こんなに穏やかな気持ちになったことはなかった。
「……ありがとう」
もう一度口に出すと、少し目尻が熱くなるのを感じた。
「──本当は、お礼を言うのはこちらの方、なんですけどね」
「え?」
小さな声だったのでよく聞き取れず首を傾げると、レノは困ったように笑った。
「一つ……前にはぐらかしていたことを教えましょうか」
「えー、それってごまかすこと? ……まあ、いいや。何?」
「──生命を分け与えて、助けることができる条件について」
たしかに以前、瀕死の小人の老人を助けたいとレノに懇願したことがあった。あの時は、条件が揃わないからできない、としか教えてくれなかった。
「──聞きたい」
レノは一つ瞬きして、口を開く。
「条件の一つは、生命のあり方に、共通点があることです」
「生命のあり方の、共通点?」
「私のもう一つの名前は、ラズレイド、というんです。……君の名前は、リクが私の名前にちなんでつけたんですよ」
「……ええっ、……そうなの?」
──最初に会った時から、レノと名乗っていたのに。『ラズレイド』 のイメージがすぐに紐づかなくて、ラズは目を瞬かせた。
『ラズ』という名前の由来についても、母からは別の話を聞いていた。
「知らなかったなぁ……ほんとにびっくりだよ……」
「君が生まれてからは、ややこしいのでレノの方で呼ばせていたんです。最近はそっちで慣れてしまいましたが」
レノは懐かしそうに笑った。
「なんで二つも名前があるの? 家名でもなく?」
ラズの國には姓の概念はない。十二歳になると成人名をもらうが、幼名と似たものをもらうことが多い。例えば兄のツェルは、ツェンヴェルが諱名だ。
国に住む貴族なら、それぞれ家名を持っている。呼び方が複数あるならそれくらいしか心当たりがない。
「……まあ、いろいろあって。ラズレイドは私の故郷の名前でもあり、……とても長い間、その名前で呼ばれていたんですよ」
それにも深い理由があるのだろうか。話題をそらし、苦笑いしながら、レノは話を続けた。
「話を戻しますが、名前は生命のあり方に大きく影響します。他にも条件はあるでしょうけど、すみません……うまく言えません。私はこの力の操作がなんとも下手で……でも、あの時どうにかなったのは、名前の要因が大きかったのだろうと思っています」
「そう……なんだ。なんで前は教えてくれなかったの?」
奴隷の小人が目の前で死んでしまいそうなとき、レノは首を振るだけで教えてくれなかった。
「……悲嘆している君の前で、リクのことを話したくなかったんです。いらない気遣いだったかもしれませんが」
ここまで、レノもリンドウも、國であったことを極力触れないようにしてくれていた。ずっとその気遣いに甘えていたが、そろそろあの日何があったのか、リンドウにもちゃんと話さなくてはならない、とラズは思った。
「疲れているところなのに、長話してしまいましたね。そろそろ休んだ方がいい」
「うん……いろんな話ができて嬉しかったよ」
重くのしかかっていた罪悪感が、幾分か楽になったように思う。
(『今の僕が大切なものに対して、後悔するようなことがもう起きない未来を目指す』……)
レノの言葉を反芻して、ラズはゆっくり目を閉じた。
「……ありがとう、レノ。おやすみ、また明日」
「ええ。おやすみなさい」
低い声だけが耳に届く。父とは違う、ハスキーで芯の通った声。
すごい実力があって、何かと秘密を持っていて、ラズの父のことを親友と言い、ラズに名前をくれた存在。
彼は、どうして旅をしているんだろうか。──次に機会があったらもっとちゃんと訊いてみたい。うつらうつらしながら、ラズはそう思った。
ラズの父の諱はフェリクス、
母の諱はミリエナといいます。




