救出(5)
「……う……」
意識が浮上したとたん、左足に激痛を感じ、ファナ=ノアはうめいた。
──夢を見ていた気がする。黒髪の友達が最後に一瞬見えたような。
牢に運ばれた後、気を失ってずっと眠っていたようだ。
陽の届かない牢で、時刻は分からない。──なんとなくだが、昼頃だろうか。
太腿の包帯は新しいものに変わっている。
両手に鉄の輪がはめられ、かすかに動かすとチャリ、と音がした。鎖で繋がれている。
片足にも鉄の輪の感触がするが、起き上がれないのでどうなっているか分からない。
(荒野を出ると……こんなにも辛いのか)
怪我のせいだけではない脱力感が全身を襲っていた。術が使えないどころではない。──自分の体がゆっくりと死に向かっているように感じる。
(まだだ……まだ、絶対に死ねない)
──心だけは絶対に折れない。絶対にあきらめない。
冷たい石造りの天井を見つめ、浅く、懸命に息をする。
声がした。
「ちょうど目が覚めたか。気分はどうだ」
目だけそちらを向けると、人間の男が格子の向こうに座っていた。大柄で、精悍な顔つきの壮年の男性……身分のある人物だと想像できた。
「……良い夢を見ましたよ」
気力を振り絞って声を出す。
「それは何よりだな……近く、お前たちの郷を燃やすことが決まった。──止めたければ、人間への服従を誓うしかないぞ」
「……あなたは」
「──俺は、領内の治安維持を受け持つ候、ブレイズ=ディーズリーだ」
ファナ=ノアは目を閉じた。
「……」
ファナ=ノアは、荒野の埋蔵資源を提供する代わりに、小人の郷への侵略を止めるよう求めていた。
荒野の街で設けられた会談で、人間たちと条約を取り決めたその夜、襲撃があった。
ファナ=ノアは決して油断していた訳ではなかったが、鉄の筒が火を吹いた次の瞬間には足が撃ち抜かれ、倒れたところを殴られた。術を使う暇もなかった。
倒れる最中、同室にいた仲間たちが同じように血を流しているところが目に焼き付いていた。
──二人は無事だろうか。少なくとも今、側にいる気配はない。
「……申し訳ありませんが、私が頷いたところで同胞たちが従うことはないでしょう。郷を襲おうとも、皆今まで通り逃げるだけです。しかし、いつかあなた方に牙を向ける。私はそれを止めたいだけなのです」
話しすぎたのか、目眩がする。
「牙、か。そういえば二日前、黒髪の小人とやらが奴隷を逃したそうだ。……まあ、銃を二発胴にくらわせたというから、命はないだろうが……。また気を失ったか」
男は嘆息して立ち上がった。足音が遠ざかっていく。
──黒髪なんて、一人しか知らない。もし彼のことなのなら、さっき夢で見たのだからきっと無事だ。彼は人間だが、まだ小さいので見間違うこともあるかもしれない。
──怪我をしたなら心配だが、彼だといい、と思った。
──会ったこともない、人間の友達。
──いつか会おうと約束した。近くに来ているのだろうか。
† † †
† † †
最後の階段を降りると、そこには三つの牢があった。
正面奥の寝台に横たわる小さな人影がある。遠目にも分かる、長く、さらりとした白い髪。
「ファナ=ノア!」
周囲に人の気配はない。ジルが叫んで駆け寄った。
彼に急かされ、慌てて牢の鍵を壊す。
夢で見た通りの透き通った白い髪と肌。尖った耳。
その子は、薄く目を開けた。紅い双眸が松明の明かりを受けて鈍く光る。
面を取って覗き込むと、目が合った。とくん、と心臓が跳ねる。
(『誰?』とか言われたら……どうしよう)
一瞬過った不安を、その血の気のない唇から漏れ出た言葉が吹き飛ばした。
「──ああ、やっぱり。……やっと会えた。君の、名前は?」
──幼い頃から共有してきた時間は、幻ではなかったのだ。
無二の友の冷たい手を握り込んで、ラズは一緒懸命語りかけた。
「ほんとだよ……!! ──あのさ、僕の名前はラズだよ」
それは、ずっと言いたかった言葉の一つだった。目頭が、熱い。
「……ラズ。そうか……、ラズ。私はファナと呼んで欲しい」
ファナ=ノアは微かだが、微笑んだ。
ラズも笑い返して、頷く。
──押しつぶされそうな罪悪感を背負ってここまで来たのが、少しだけ赦されたような気がした。
何度か瞬きして、涙を堪え、ラズは表情を引き締めた。地下牢に、兵士たちの声が響いている。
話したいことはたくさんあるが、今それどころではない。
「──ファナ、さっそくだけど、逃げないと」
ファナ=ノアは小さく頷いて、怪訝な顔をしているジルを見た。
「……ジル。××××××××××」
ジルは何事か返答してうなずき、拘束が解かれたファナ=ノアを背負った。
(スイ。皆に、ファナ=ノアを見つけたって……伝えて)
† † †
城壁内の物陰に、じっと息を殺して潜む小人の少女の姿があった。
何度目か松明を持った兵士が間近を通るのを、石のようにやり過ごす。
その時、報せが届いた。
思わず目が潤みそうになるのを、堪えるように瞬きを繰り返す。──あの人間の子供は、もしかすると彼女らの主と並び立つような存在になるのかもしれない。
しかしまだ、安心できる状況ではない。彼らを生きて逃さなければ。
少女は持ってきた黒髪の鬘と、鬼の面を身につけた。そして、一番大きな荷物────ファナ=ノアを模した人形を背負う。
そして、リンドウから受け取った爆弾と、催涙弾を握り締めた。
† † †
ラズたちは地下三階で息を潜めていた。
あれからすぐに、牢の門戸が壊れされたような、大きな音がしたからだ。
牢は隠れる場所が少ないので本当は地下一階の囚人に紛れたかったが、間に合わなかった。
隣の牢の寝台の影……闇の中で息を殺す。
松明の明かりが、慌ただしい足音とともに階段を降りてきた。
ダッダッダッ……、ガァン!! ガシャン!
鎖帷子を着た兵士たちが、ファナ=ノアを囚えていた最奥の牢の鉄格子を叩いた。
「い……いない!?」
「出口は一つしかない! 牢内に隠れいているはずだ、くまなく探せ!!」
再び足音。しかし、何人かは留まったままだ。
松明が高く掲げられ、地下牢をぼんやりと照らしだす。
(こっちの牢は錠がかかったままに見えるはず……探しに来ないでよ……)
甘い期待を抱きつつ、一寸の気配も漏らさないよう細心の注意を払う。
ジルに抱えられたファナ=ノアはぐったりとしていて呼吸は微かだ。
……ドクン ……ドクン
心臓の音を聞きながら、じっと待つ。
──早く諦めろ。
「生存五、死亡一、ねえ」
「こっちの牢には……いないか」
「んー……錬金術ってなんでもありだろ? 錠が無事だからといっていないとは限らない。ちゃんと探しとけよ」
「……鍵を取ってきます」
妙に軽薄な口調の上官の指示に、再び松明が揺らめき、足音が上階に遠ざかっていく。ジルの顔が青ざめるのが見て取れた。
その時、遠くでドォン、と音がした。
しばらくして、兵士の叫び声が牢内にこだました。
「門の方です! 逃げられたと!!」
「何だと!! くそ……どうやって!!」
「喚いている場合か! 行くぞ!!」
ラズはゆっくりと安堵の息を吐いた。
兵士たちは牢の捜索をやめて、走り去っていく。
「……」
最後に一人、まだ牢に残っている。──先ほどの指示を出した上官か。
「……陽動だったりしてな。だとすると……」
ぼやくように言って踵を返す。
足音が離れるのを少し待って、ラズたちも移動を開始した。
地下から出て、侵入に使った窓に向かう。
曲がり角に差し掛かって、その先の人影に気付いた。
「!!」
慌てて廊下の角で身を隠す。軽薄そうな、若い男の声がした。
「やっぱりこっちが、当たりくじだったんだなぁっと」
一気に緊張が走った。──さっき、牢にいた上官らしき青年。一人のようだが、伸びる影の動きは滑らかで、隙がない。もう相手はこちらに気づいている。やり過ごすことは不可能か。
ラズはジルに目配せして、剣を抜く。
「引きつける。先に行って」
言うや否や、ラズは飛び出した。二歩目で術を使って地を蹴り、加速──!
ギィィン!
「おおっ」
相手も素早く剣を抜き、防がれてしまった。
これを防がれたのは今までで父とレノくらいだ。
(今、まともに戦って勝てる相手じゃない──!)
ざわ……
短い鍔迫り合いの間に、ラズは剣越しに錬金術の<波動>を伝わせる。
(──剣を、分解する)
──汚いと言われようと、ここを無事に切り抜けるのが最優先だ。
さらさらと、青年の剣が砂に変わり始め、彼は目を丸くして後ろに飛び退った。
「なっ……くそ! ……あーあ」
「?!」
「負けだ負け。オシマイ」
彼は、戦意を失ったように両手をあげた。
窓から差し込む月明かりがその顔を照らす。──意外に若い。
「叔父貴から賜った大事な剣だぞ? 恨むぜ、まったく」
軽薄な声は、何か狙いがあるようにも聞こえたが、ラズはその青年の、兄と同じ青い目を見つめてから剣を引いた。
「……すみません」
「ふぅん、なんだ、ただの素直なガキじゃん。さっきのは冗談だよ」
青年はへら、と笑った。
「殺すつもりで来ねえやつを殺気だって追っかけんのって、俺はかっこ悪いと思うんだわ。これで小人が主権握るんなら、それも悪くないと思うし。だってまさか、小人の王が人間なんて皆殺し、とか言わないよな?」
「……それは、言わせ……ないよ」
ラズの瞳が揺らいだのを見て、青年は笑みを深める。
「ならいいや。俺は伯父貴が戻るまでもーちょいここでサボっていようかね」
彼はがちゃんと鎧を鳴らして床にあぐらをかいた。そして、にやりと笑う。
窓から差す光に照らされた鎧は高価そうだ。彼は貴族出身……それなりの地位なのではないだろうか。
それが、一合打って剣を失っただけで負けを認め、ラズを見逃すと言う。道楽にしては、その目はどこか真摯だった。
「……失礼します」
ラズはなんとなく頭を下げてから、すぐにジルの後を追って窓から抜け出した。
† † †
回廊で膝に頬杖をついて、少年が消えた窓を見やり、青年は呟いた。
「どうせ、俺が何もしないでも、外には伯父貴がいるからな……どうなるかねぇ」
冗談じゃないです。二枚目の金髪騎士イリゼルト=フリッツ(通称リゼル)は、基本的に爽やか兄貴ですが、剣を壊されたことはめっちゃ根に持ってます。




