救出(3)
岩窟から街までは徒歩で約一時間の距離だった。
日がある間に、せめてできる限り情報を集めておきたい。牢屋の場所、街の構造、警備の体制、隠れられそうな所……知りたいことは山ほどある。岩窟を出る前に、散々注目された黒髪は脱色しておいた方がいいだろうと、リンドウが錬金術を使って茶色に染めてくれた。てくてくと、路地裏を含めてあちらこちらを歩きまわる間、幸い、見咎められることはなかった。
昼過ぎになると、『黒髪の小人』『黒髪の女の薬師』の話を兵士が伝令して回っていた。手配書の似顔絵は似ていなかったが、怪我の場所が書いてあってヒヤリとした。肩と脇腹は包帯を巻いていて、もし調べられれば銃創であることは分かるだろう。髪と耳の特徴が違っていても、まずいことになるかもしれない。
ラズは行き来する憲兵の目を盗んで領主城の裏手の丘の斜面に登り、買った地図でしばらく街の景色を確認することにした。
(あれ、この地図、だいぶ歪んでるな……これじゃ作戦をたてにくいし、描き直さないと)
背嚢から筆記具を取り出して、記憶を辿りながら地図を書き起こす。自慢じゃないが一度目で見たもの、聞いたことはそうそう忘れない。路地の幅まで思い出しながら頭の中に作った街のジオラマをさらさらと平面図にしていく。
(この街に牢屋っていうと、憲兵の詰所と領主城の地下だって、警らのおじさんが言ってたけど、どっちだろう……。もし領主城の方だったら)
背後の丘をちらりと振り返る。遠目に見えた領主城は、反り立つ岩壁に隠れて天守しか見えない。街の地図を信じるなら、その岩壁の前に、身長ほどの深さの空堀があるはずだ。登って侵入できたとしても、怪我人を運び出すまでは難しいだろう。というか悠長に登り降りしていたらすぐに見つかる。となると、穴を開けるしかない。あまり厚みはないように見えるが、あとで別の角度からも確かめておかなければ。
今この斜面には誰もいないが、下道には憲兵がたむろしていた。地図によると堀のあたりにもぐるりと城を囲む道があるから、上にも警らのルートがあるんだろう。
(城門は前と後ろに一つづつ。岩壁に横穴を開けてこっそり入るなら、こっち側の方が城の見張り台からの死角が多くて近づきやすいかもな……)
思案しながら手を動かす。
しかしいつの間にか、作業に没頭しすぎてしまっていたらしい。
丘を降りたところにある道を、誰かが歩いて近づいてくることに、気づいた時にはもう遅かった。
「あら、先客かしら」
そう言って首を傾げたのは、ラズと同い年ぐらいの少女だった。ふんわりとウェーブがかかった腰に届く長い髪は整っていて、街の人々より上等な服を着ている。そして、その後ろには従者らしき帯剣した老人がついている。
まず間違いなく貴族だろう。
「見かけない方だわ? それに、今は丘に上がるのは止められるはずよね?」
どんぐりのような大きな瞳を瞬かせ、彼女はラズを興味深そうに見つめた。
(げ、それは知らなかった……。あの憲兵、そういうことだったのか)
下手を打ってしまった。立ち入り禁止の場所で、しかも見つかるなんて。ご令嬢はまだしも、後ろの老人は静かな迫力のある目を向けてきており、今にも飛びかかってきそうだ。
とにかく、しらばっくれるしかない。
「申し訳ございません! この街には来たばかりで、やって良いことと悪いことが分からず。すぐに降ります」
手早く荷物をまとめて立ち上がり、斜面を降り始める。
「お待ちになって」
令嬢の呼び止める声がした。何気ない響きに有無を言わさないものを感じて、数歩降りた足を止める。駆け去って撒くこともできるだろうが、そうしたら騒ぎになるかもしれない。今晩の前にそんなことになって、警備がさらに厳しくなっては困る。
「……何か」
内心の焦りを隠し戸惑った顔をして見せると、彼女はにっこりと笑った。
「これからここでランチをしようと思っていたの。 ご一緒にいかが?」
「……え?」
「ピアニー様!?」
驚く従者に、ピアニーと呼ばれた少女はキラキラした表情で微笑みかける。
「ルータス、外の話を聞いてみたいわ。ね、お願い。私、体が弱いのであまり外に出られないの」
最後はラズの方を向いて可愛らしく上目遣いをしてきた。これはもしや、うまく楽しませれば、軽い規則違反くらい、見逃しがしてくれそうな雰囲気?
(でもランチって────そんな気分じゃないんだけどな)
とはいえ、これはこれで、情報収集になるかもしれないし。
少し迷った後、ラズは丁寧に頭を下げた。
「……こんな汚い旅の者でよいのでしたら、ご一緒させていただきます」
彼女はぱあっと顔を輝かせた。
「まあ! ありがとう! あなた、お名前は?」
「──ラズ、といいます」
「ラズ、ね、おいくつなの?」
「この冬で、十一です」
「まあ、同い年だわ! 私はピアニーよ。ね、子ども同士なのだから、気安く話しましょうよ」
「ええと──それはさすがにご無礼でしょう」
問答している間に、彼女はちゃっちゃと土の上に布をひき、すとんと座ってバスケットを開ける。
「大丈夫よ。ちやほやされるだけで、何も為してないんだから。ルータスも、早く!」
本当に病弱なのかと思うほど、活き活きとした様子で彼女は従者にも同じ布に座るよう薦めている。
「僕……あ、いや私は土の上で十分ですよ」
「敬語はなしにして! お願いだから」
ラズは困惑して瞬きをした。地域によっては貴族が通るだけで平伏しないといけないのに、驚くほど気さくな調子だ。あえて家名を名乗らないのは非常識ともとれるが、それも気遣いなんだろう。
「……この街の貴族の人は、皆そんな平民に優しいの?」
従者がふう、とため息をついた。
「そんな訳がない。お前も、その態度が許されるのは今だけだぞ」
「……分かりました」
「もう、ルータスってば! はい、サンドイッチ」
頬を膨らませながら、彼女は従者とラズに食事を手渡した。サンドイッチ? 故郷では母がよく作ってくれたが、この辺りではまずありえない料理のはずだ。
受け取ったものを、まじまじと観察する。
「柔らかい……パン? すごく高級なんじゃ」
小麦は平原の国でも東側でしか生産されないから貴重なのだ。砂漠を越えてからは歯がいたくなるような乾パンが主流である。
「そう、博識ね。雑穀で嵩を増やしているの」
にこにこと彼女……ピアニーは、なんでもないかのように説明する。
「食べてみて」という笑顔に促され、とりあえず、はむ、と口に頬張ってみる。
東で作られるものよりもそもそするが、雑穀の風味があって香ばしい。
「おいしい! 変わった食感──」
パンもそうだが、具も変わっている。ここらであるとすれば羊肉のハムくらいのはずだが、これにはスライスしたゆで卵が挟まっている。しかも、ソースはあまじょっぱいクリーム状。もったりとしていて、舌触りがいい。これはなんだか、組成が気になる。こっそり錬金術を使って調べてみるか。
「……! 卵で油を乳化させてるんだね」
「乳化? でも、そう、混ぜると面白いのよね」
思わず口をついて出た言葉に、ピアニーがきょとんとした。その反応に、すぐに失言に気がつく。旅人が化学用語に詳しいなんて絶対おかしい。というか、味に対して化学で考察するのはやめなさいと母によく叱られたんだった。
言い訳して蒸し返すのも微妙なので、どう返答したものか思案する。さっき、『混ぜると面白い』と彼女は言った。生地に雑穀を混ぜるくだりもそうだが、作業の工程をよく知っている。ということは。
「まさか、君……あなたがこれを作ったの?」
そう問うと、彼女はくすくす笑った。
「普通の言葉で良いって。ええ、これは手作りよ」
貴族の令嬢が自ら厨房に立つなんて、本格的に変わった子のようだ。従者の老人も幸せそうにサンドイッチを頬張っている。
「……ごめんなさい。すごいね。本当においしいよ」
まるで、母が時々作ってくれたものとそっくりだと思った。年下の子達にものを教えるとき、みんなで食べなさいと持たせてくれたサンドイッチ。懐かしさに、少しだけ気持ちが和らぐ。蓋をしていた何かが溢れてうっかり目尻が少し潤んでしまい、慌てて左肩の袖で拭う。
ふと、こちらを見つめていたピアニーと目が合った。
彼女は大きな琥珀色の瞳を何度かぱちぱちさせる。涙の理由を訊かれるかと思ったが、彼女は曖昧に微笑んだだけで、すぐに表情を明るいものに戻し、別のことを聞いてきた。
「さっき、何か書き物をしていたのは?」
「ああ……、これ。街の地図だよ」
気遣いにほっとしながら、脇に丸めて置いていた紙面を見せる。特に作戦とか計画を書き込んでいる訳ではないただの地図なので、問題ないだろう。
それを見て、彼女は目を丸くした。
「……とても正確ね。測量でもしたの?」
「いや、歩いただけ。地図は昔からよく描くから」
山脈を登ったり降りたりしながら、後から迷わないように地図を描いていて身についた特技であり、趣味のようなものである。
「すごい……。あ、でも駄目よ、それは街に出さないでね」
「え? どういう意味?」
「有事のために、わざと歪めた地図を発行しているのよ。正確な地図を出回らせる人がいたら、捕まえないといけないわ」
「へえー……」
街で売ることは考えていなかったが。あのおかしな地図は、国とか領が意図的に歪めていたのか。他の誰かに見せる前に教えてもらえてよかったかもしれない。彼女の口ぶりは、ラズを捕まえるつもりはなさそうだった。
(ちょっと、踏み込んでみようか)
何気ない口調を心がけつつ、警備に関することを聞いてみる。
「ところで、さっき、ここは今は入ったらいけないっていうのは、どういう?」
「お城に小人が捕まってるからよ」
(!)
「ここだけの話、卑怯なことをして捕まえたのだって、お父様が家でキレてたわ」
彼女はくすくす笑いながら続けた。
飛び出した言葉に内心驚く。『小人を捕まえた』ことは街の人も言っていたけど、どこかは知らなかったし、憲兵も言い渋っていたというのに。
それにしても、小人のために怒る、そんな貴族もいるのか。
「その小人は……」
「小人の王様? ……良く分からないわ。もしかすると仲間が助けに来るかもしれないからと、今は夜警も増やしているの」
「そしたら、僕みたいな背丈が小人と紛らわしい人間が丘にいたら即捕まりそうだね……ありがとう、その前に教えてくれて」
「ふふふ。どういたしまして」
もしかして、親が要職なんだろうか。事情に詳しい子と巡り会えたのは、運が良かったかもしれない。
(警備が手薄そうな場所とか訊いてみようかな)
ピアニーはお人よしそうににこにこしていて、こちらの後ろめたい考えにまったく気づいていないように見えた。
「今度はこっちの番。ね、どこから来たの?」
「ずっと東。叔母さんたちと一緒に」
「それなら、首都も行ったの? 膝丈の草がたくさん生えているって本当?」
「首都は寄ってない。膝丈の草原は本当にあるよ。怪馬や怪獅子が居て、目の前で狩りするところを見た」
その後、しばらく彼女の質問に答え、また街の状況についてそれとなく訊いてみた。彼女は変に勘ぐる様子もなく、こちらの欲しい答えをくれる。さすがに、警備の巡回ルートとか、お城の抜け道とかは教えてくれなかったが、足で稼いで聞き込みする手間がだいぶと省けた。
……でも。
(この子、人が良すぎる。騙してるみたいで悪いな……)
そして、話しやすい。たぶん、気が合うというやつだ。にこにこと笑顔を向けられると、つい警戒を解きそうになる。……こんな風に同年代と雑談したのはいつぶりだろう。だからなのか、話すほどに余計に罪悪感が募った。
適当なところで話を切り上げ、その場を去ろうとすると、彼女はもう少しだけ、とラズを引き留めた。
「隠しているけど、怪我しているでしょう。それに時々、暗い顔をしていたわ」
「!」
その言葉に、目を見開く。
ここまで彼女はずっと和気藹々と振る舞っていて、怪我を見抜いたそぶりなんてどこにもなかったのに。思わず、右肩に手を遣り、肩口から包帯がはみ出ているのに気がついて、襟をたぐり寄せた。憲兵の事情にあんなに詳しい彼女は、手配書と同じ右肩の怪我の意味に気づいているんだろうか。
しかし、ラズを見つめてくる澄んだ瞳には、咎める色はない。
ピアニーはにっこりと、花が綻ぶように笑った。
「これ、あげる。元気になるおまじない。あなた、良い人だから特別ね」
そう言ってスカートのポケットから小さな帯を取り出す。腕に巻く飾り帯だろうか。先に小さな石が付いている。
「あ、いや、もらえないよ、さすがに」
これ以上、何かしてもらうのは気が引ける。
慌てて断ると、従者がぎろりと睨んだ。どうやら、断れない雰囲気らしい。
「何か難しいことを抱えてるみたいだけど、上手くいきますように。また、この街に寄るならお話、しようね」
「……うん。ありがとう。それまで元気でね」
迷った末に飾り帯を受け取ると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
こんな状況でなければ、きっと仲良くなれたのだろうが。
失礼します、と従者に頭を下げて、ラズはその場を後にした。
夕方、少し迂回してラズは岩窟に戻った。
足を踏み入れるなり、小人の男……ジルがつっけどんにこちらを睨みつけ、「街の状況を教えろ」と言ってきた。
相変わらずの目つきと態度の悪さに辟易しながらも、街で集めた情報を報告する。
岩窟内には、見慣れない小人が二人増えていた。
駆けつけた二人は人の言葉が分からないらしく、小人の少女が同時通訳をしてくれた。
リンドウが作った大きな紙に、街の形を描いていく。
街の中央区画、外堀に囲まれた高い内壁の内側に丘があり、領主城がある。
「領主城の壁は、気付かれず登れるような高さじゃない。兵士が多いから、穴を開けたらすぐばれる」
昼間会った貴族の少女の話では、その地下に、牢屋があるのだという。
それはきっと、今朝の夢で見たあの場所だろう。
「牢屋は……最初は深い階段があって、地下三階まで一本道。窓とかはなさそう」
「なぜそこまで言い切れる?」
昨日から徐々に起き上がれるようになっていたリーダー然とした小人が怪訝そうに訊いた。
「今朝……夢で見たんだ」
「夢だと……!?」
小人たちがふざけるなとばかり色めきたつ。
ある意味予想通りの反応だが、それ以上どう説明したらいいか、ラズにもよく分からない。
助け舟を出してくれたのは、レノだった。
「彼が見た夢なら正しいでしょう。ファナ=ノアのことも、夢で識ったから会いたいと言ってここまで来たそうですし」
その言葉に、小人たちは不安そうな表情をしながらも黙った。レノは最初からずっとラズのことを信じてくれている。そのことに、ほっとした。
『ファナ=ノアを夢で識った』という言葉に、小人の少女は神妙な顔をしたが、何も言わなかった。
話を前に進めようと、ラズは小人たちに問いかけた。
「こっそり気づかれないように忍び込まないといけないけど、隠密行動が得意な人は?」
仲間の小人を助けるために、人間の貴族の屋敷に忍び込んだくらいだ。何人かはそれが得意であるはず、という期待をかけて見回すと、小人の少女が頷く。
「私と、ジルが」
ジル……最初にナイフで切り掛かってきた、目つきの悪い小人の男だ。
「兵士と戦うのはやっぱり難しい?」
「正面切って戦えるのは、リーダーくらいだけど、今は……」
「薬でだいぶと良くなった。寝ているつもりはないぞ」
三人組のリーダーらしい小人が腰に提げた剣の柄を握る。麻紐で前髪をオールバックにして堂々と立つと、頼りになりそうな雰囲気がある。しかし、顔色が明らかに悪くて、痩せ我慢だろうことが手に取るように分かった。長期戦はもってのほか、重要な役割は任せられない。
「そっか……うん。なら、こうしよう」
一日かけて考えた作戦のイメージを話す。
小人たちが目を丸くする中、リンドウとレノが、「準備はできているよ」と頷いた。
作戦内容を聞いたジルがイライラとした様子でラズを睨む。
「その作戦……お前、あくまで殺さないで済ますと言い通すつもりか?」
「……そりゃそうだよ」
「……」
でも、多分、今回はそんな余裕がない。ラズはその言葉を飲み込んだ。
死なないように倒すのは、それを気にしないよりずっと難しい。人は急所を刺すだけで、あっけなく死んでしまうものだ。だからといって、剣の切れ味を悪くして鈍器として戦うのは、ラズの腕力では心許ない。
少し、手が震えた。
もし、相手を害してしまったとき、平静でいられるだろうか。
リンドウはラズの顔色を心配そうに伺いながら鞄から金属の針をじゃら、と出して並べた。
「あんたたちが街に出てる間に、麻酔針とかも作っといたから、使いなさい」
「──! ありがとう、リン姉」
「どういたしまして。だけど、領側に手練れの戦士がいたらどうするつもり?」
壁にもたれていたレノが口を開いた。
「──憲兵隊はディーズリー侯を筆頭に粒揃いです。相対すれば今の君では敵わないでしょう」
「……なら、なんとかは危うきに近寄らず、かな」
それだけ答えて、口を噤む。
──どうしても戦わないといけなくなれば、自分が囮になって小人たちを逃すつもりだ……しかしそれを口にすると、リンドウは怒るだろうな……ラズはぼんやりとそう思った。
ここまで連れてきてくれたリンドウやレノには申し訳ないが、どこかで自暴自棄な自分がいる。故郷の皆を苦しめて、巨人たちにも憎まれているラズが、のうのうと生きる未来なんて許されないはずだ。せめて罪滅ぼしに誰かの役に立って死にたい。だから、『あの子』は絶対に救う。だけど、ラズは救われなくていい。
ラズの表情を見てレノは何か言いかけたが、結局小さくため息をついただけだった。
ピアニーとの出会いのシーンは、
(ピアニー目線で)コミカライズしました。
https://www.alphapolis.co.jp/manga/920839317/475625874
今回の話はラズにとっては単なる情報提供者との出会いですが、
彼女との次の再会はラズにとって大きな出来事になっていきます。




