平原の国(29)……越境
「────っ!!」
糸が切れた操り人形のように崩れ落ちるラズに向かって、ピアニーは反射的に手を伸ばす。
届かない──
いや、そうではなくて。
(これ以上近づくことを、体が拒否している──?)
怖い。怖くて震えが止まらない。
得体の知れない気配を身に纏った、彼のことが。
この感覚は初めてではない、気がする。
去年の冬────ファナ=ノアが術を暴走させた時。
空を覆った不穏なゆらめき。……あれは<虚の王>の怒りなのだと、誰かが言っていたけれど。
どうして、ラズが。
(いったい、何なの……!?)
あまりに息苦しく、痛ましい……絶望感。
彼自身が望んであの気配を纏っている訳ではないだろう。
届かない手の向こうで、ラズが苦しんでいる。
────助けないと、いけないのに。
「……! ラズっ……!」
名前を呼ぶと、彼はぐらりとよろめき、膝をついた。
禍々しい気配が、薄れていく。
穴の空いた風船みたいに、緊張が解けていくのを感じた。
──そうだ、輝石。
今のラズには輝石がないから、生命力を身体に留められないのだ。そのせいで?
ピアニーは立ち上がった。震えは──もう大丈夫。
一歩、ラズに近づいてその顔を覗き込む。まるで紙みたいに蒼白だ。
「起きて──」
気を失っている場合じゃない。公爵と竜人の女性が戦っている最中なのだ。
他でもないラズが焚き付けた勝負だ。ラズが結果を見届けなくて、どうする。
(────でも、目を覚ました途端またあの状態になったら?)
ピアニーはぐっと手を握り込んだ。──怖気付く訳にはいかない。ラズがどんな業を背負っていようと、生きていて欲しいと言ったのはピアニーだ。何が起きたって一蓮托生。
手を開いて腕を振りかぶる。
「目を──覚ましなさいってば!!」
† † †
ぱしーん────っっ!!!
そのあまりの衝撃に、ラズは文字通り飛び起きた。
「うっっわっっっ!?」
何があった? ──たしか、さっき<爪の竜>を止めようとして……?
必死に頭を回転させる。
頬が熱い。ヒリヒリする。
左足が痛い。じんじんする。
竜と竜人たちが遠巻きにこちらを凝視している。
反対側には、睨み合う公爵と女族長。
その向こうで不安げにこちらを見つめるリンドウがいる。
目の前には、腫れた手のひらを胸に抱えた一人の少女。
「ピ……ピアニー?」
「も、戻った?」
不安げに覗き込まれて、ラズは何度か目を瞬かせる。
──『戻った』……?
さっき、激情に任せて……何が起こったというのか?
(まさか────『暴走』……、した…………?)
以前のファナ=ノアのように、術の制御を失って誰かを傷つけてしまったのだろうか。
表情を曇らせるラズに向かって、ピアニーがぴしゃりと言い放つ。
「思い詰めた顔をするなら、また叩くわよ」
「ええっ……!?」
「あなたがしっかりしないと、この戦争は止められないんだから」
「わかっ……てるよ」
──相変わらず手厳しい。
差し出された左手を握って頷き返す。
自責にかられて大局を見失っていたかもしれない。
首を捻って<爪の竜>を見下ろす。上目遣いで窺う様子は完全に威勢が削がれているようだ。しばらくは人間を殺めたいなどと言い出すことはないだろう。
再び口を開きかけた時、激しい衝突音が響き渡った。
ギィィィ──ン!
はっとして音がした方を振り向く。
そこには、膝を折る女族長と、矛を振りかぶる公爵、守るように間に入るシャルグリートの姿があった。今までどこにいたんだろう。相当急いで駆けつけたのか、肩で息をしている。
先ほどの音は、そびえ立つ黒水晶の柱が、矛を弾いた音だ。
『一対一の戦いに手を出すなど、見損なったぞ、シャルグリートッ!!』
『どう見ても勝負はついてただろーが! 自殺ならよそでやれ!!』
険悪に罵り合う竜人二人を尻目に、公爵が荒く息を吐いて矛を構え直した。
「……それで、次の相手はお前か? エセ手品師」
シャルグリートは口元を隠す白い布を鬱陶しそうに引っぺがしながら、ニイ、と心底楽しそうに尖った歯を見せた。額に青筋が浮いている。
「──ァアン?」
「ストップ、ストップ! そういうのは後っ!!」
ラズは慌てて叫んだ。これ以上は無意味だ。
女族長の傷は遠目に見てもかなりひどい。これでさっきまで戦っていたなんて信じられないくらいだ。竜人は身体能力が高いだけでなく頑丈である。
『ちっ、つまんねえ』
シャルグリートは興を削がれたように拳を腰にあててラズの方に歩いてきた。
『……にしてもテメー、その紙みてーな顔で無理しすぎだろ、アホか』
「うわ」
ぺし、とはたかれバランスを崩したラズの背中を、シャルグリートが膝で支える。
ひとまずは戦意をしまった長身の竜人に対し、公爵は矛先を下ろさず睨みつけていた。
小さく息をついて、ラズは立ち上がる。──戦いが終わったなら、この場を収めないといけない。
公爵に向き直って口を開くと、絞り出すような掠れた声が出た。
「竜人には三つの民族があって、彼女が裾野にいる<爪の民>の族長、そしてこの銀髪の人が、大渓谷側の<牙の民>でいちばん強い……」
「シャルグリートいいマス」
大仰に会釈をしたシャルグリートに、公爵は怪訝な顔をした。
「竜人にも派閥があるということか?」
「ええ、<爪>と<牙>は互いに不干渉です。表立って対立しないのは双方が擁する竜のせいだそうですが」
なにせ神竜が介入すれば双方ただでは済まない。怒った<牙の竜>が野良竜を煽って首都を襲わせ甚大な被害が出たのはついこの間の話だ。
「竜人<牙の民>は小人の<聖教国>と軍事的同盟と友好協定を結んでいます。殿下がシャルグリート殿に刃を向けるなら、私たちもいよいよ覚悟を決めないといけませんね」
「…………」
ラズの言葉に、ゆっくりと、血濡れた矛の切先が下げられていく。やがでカチンと壁上の石を叩いて、止まった。
それは同時に、一つの意思を表していた。『リューン公国は<聖教国>と争うつもりがない』と。
ピアニーが口を開いた。
「レインドール殿下、改めて──竜人たちに御慈悲を、お与えくださいますか?」
「────ん、ああ……そういう話だったな」
公爵はひざまづいて俯く竜人の美女を見つめながら顎に手を当てた。
ここまでの話と戦いで、女族長以下竜人が公爵の言うことを聞くかを納得しただろうか。一瞥すると、<爪の竜>の側で見守っていた竜人たちは唇を噛みつつ公爵に向かって膝を突いた。親の仇であろうと、力がないならば従うのが竜人のルールだ。
そして、『竜人と戦争のフリをして平原の国を欺き、国力を養う』──その提案が竜人を滅ぼすよりも意味があるなら、良案をもたらした<聖教国>に一目置いてくれ──そういう話を、この戦闘が始まる前にしていたはず。
公爵……十代後半の派手な鎧の青年はしばらく思案した後、猛虎のような鋭い眼光に、悪戯っぽい光を宿してピアニーに向き直った。
「貴国との友好を裏付ける確約を────そうだな、公女がわが国に輿入れするなら、考えなくもない」
──ん?
今、なんて。
条件を増やさなかったか。
輿入れ? つまり……ええと?
置いてけぼりのラズの視線の先で、ピアニーは公爵と正面から向き合って、にっこりと微笑み返す。
「光栄ですけれど、気の早い話ですわ。荒野を礎とする平和な国となった暁には、きっと色良いお返事をいたします」
言って、優雅に一礼する。
────え? 断った? 承諾した!?
どっちだ。
顔を上げた彼女の令嬢としての振る舞いは完璧で、本心が全く読み取れない。
(あれ……なんで、こんなに気にしてるんだろ)
胃の辺りがモヤモヤする。──きっと双方とも社交辞令だ。まともに考えるだけ無駄……じゃなくて。もしかして、ラズ自身彼女に対してそういう独占欲を抱いていたというのか?
(違──っ! ないない、絶対ない!!)
──話題に敏感になっているだけだ、きっと。
みぞおちの辺りを上からきつく押さえつけて、ラズは思考を切り替えようと努力した。
ピアニーが公爵に懇願するように一歩前に出る。
「そろそろ、ラズに輝石をお返しくださいませんか? 彼が落とした、首飾りです」
「キセキ? ああ、錬金術の媒介か」
公爵はラズをチラリと見る。
「俺はまだ、全てに納得した訳じゃない。ここで石を返せば、俺にとってのリスクが増すことを理解してくれないか?」
「……」
彼女の視線が一瞬ラズに向けられる。まるで謝るような目配せに、ラズは首を振った。……まだ、仕方ない。
「場所を変えませんか。戦争はもう、終わりでしょう」
ラズの言葉に、公爵は目線を下げて少しの間考えるように沈黙し、そして静かに頷いた。
1ページ漫画お落書き。
https://twitter.com/elyahashi/status/1516761635741913089?s=21&t=knwK-7j-JpuyLIM1Ew-8NA
次回で平原の国編最終話です。




