平原の国(28)……越境
『人間に子どもたちを殺されたんだって』
その言葉に、ラズは胸を刺されるような痛みを感じた。
竜人の子どもはたった二人しか居なかったから覚えている。落ち着いたら話をしたいと思っていた。牙の民のローウインみたいに、友達になれるかと────
「ラズ!」
ピアニーの声が意識を叩く。腕に添えられた手から、心配しているのが伝わってきた。
「……ごめん」
彼女に小声で状況を伝え、外壁の端に立つ。話をするなら降りた方がいいが、片足が動かない状態でそれは無茶だ。
睨み上げてくる女族長の目を見返して、口を開く。
『……族長、ここにいるのは、この地域の人間の、一番偉い人なんだ。──だから』
喉から溢れた声は、存外に低かった。──怒っているのかもしれない。人間に対してというよりも、自分自身に対して。
『──この人を倒せば、竜人の勝ちだ』
その言葉に、女族長は無言で地を蹴った。
身体能力だけで、壁を垂直に駆け上がり、長城の上に躍り出る。
ラズは女族長が動き出しても、まだずっと同じ地面を見つめていた。
『──やあああァッ!!』
甲高い雄叫び。
それと同時に、近衛兵が何人も薙ぎ倒されたような、金属鎧の激しい音がこだました。
背を向けたままのラズに向かって公爵が叫ぶ。
「────なんの、つもりだッ!!?」
「竜人は一騎討ちで互いの力を試し、強者には必ず従います。そして、彼女は竜人の族長、カリューンさん」
淡々と告げるラズは公爵の方を見ない。
「彼女を倒せば、その配下の竜人は全員あなたに従います。……これが、先程の問いの答えです」
竜人に、人間と戦争をしているふりを頼むのは無理な話だ。しかし頼むのではなく強者からの命令ならば相手が人間だろうと従うだろう。──きっと、たとえ、どんなに憎くても。
なんだかとても吐きそうな気分だ。
胃の辺りがムカムカする。自分の采配で人間の兵士を痛めつけたことも、竜人に犠牲が出たことも。……戦いばかり繰り返して、本当にこれで解決できるんだろうか。
(誰もが──憎しみ合わなくて済むように、したいのにッ……!)
視界が歪みそうになるのを、緩く頭を振って堪える。
一方公爵はラズの返答に、迫力のある笑みを浮かべた。そして、女族長の猛攻をいなし大きく横に凪ぐ。
「……ッとんだ交渉術があったものだ!!」
こうなってしまえば、公爵に戦う以外の選択肢はない。元々、竜人を倒すために出征しているのだから、戦わない理由がないのだ。
「大丈夫よ、ラズ。勝敗がどちらに転んでも、戦いはこれで終わり」
「……そう、かな」
「そうよ。あなたがそう言ったのよ?」
右腕に添えられた指先は優しい。ラズはゆっくりと深呼吸して顔を上げた。
族長が公爵を負かせば、いよいよ人間に選択肢はなくなるし、その逆は竜人たちは公爵に従うほかなくなる。あとはさっきの交渉で公爵が何を考えているかだ。
がん! と一際激しい衝突音がした。
振り向くと目線の先で、公爵と女族長の一騎討ちが繰り広げられている。
女族長の操る元素は銅──他の結晶を扱う竜人たちと同じく、近距離から遠距離まで巧みな戦い方ができる。シャルグリートと似た戦闘スタイルのようだ。
夕陽を受けて黄金色に輝く珠が族長の周囲に浮かんでいた。触れると形状を変えて串刺しにする仕組みらしいが、公爵は顔色を変えず矛で両断する。
(あの人……レインドール王子の力は──<切断>?)
すなわち、分子レベルの結合を断ち切る力なのだろうか。その一点において竜人の支配力すら凌駕している。射程はどうやら長矛の届く距離と同程度……身体能力はさすがに女族長の方が上だが、その間合いに近づけず得意の近接戦にもっていけていない。みるみるその身体に小傷が増えていく。
<爪の竜>は竜人たちの側に飛膜を畳んで四肢をつき、じっと戦いを見守っている。四つん這いになると壁の方が高い。
『……ねえ、ラズくん』
きゅう、と瞳孔を細め、声を発する。女の子のような可愛らしい声だが、くぐもった深い響きはどこか不気味だ。
『人間が集まって来てるけど、殺していいよね?』
『はっ──?』
一見小ぶりな口を少し開けると、青い体毛と対照的な色をした赤い舌が覗いた。首筋にぞくりと寒気が走る。
──この竜は、本気だ。
ラズは即座にきつい口調で<爪の竜>に向かって叫んだ。
『だめに決まってるだろ! ──ッ』
しかし<爪の竜>は図体に似合わない素早い動きで飛膜を広げて、ばさりと大きく跳躍した。
巻き起こった爆風に、思わず腕で目を覆う。腕の隙間に、壁の内側で槍を持って遠巻きに見上げる兵士と目が合った。
「逃げ──」
言い終わる前に、兵士は目眩を感じたかのように頭を押さえて、かくりと膝を折る。
『ッ!! <爪の竜>ッ!!! まさか、殺してないよな!?』
公爵軍が先制攻撃をしてきた場合は、<爪の竜>がその力で制圧する手筈だった。笑気ガスを使って戦意を奪うだけだ。今も、同じはず──
宵闇のようなその紫色の虹彩を光らせ、<爪の竜>はニタリと笑った。真っ赤な舌で鼻を舐める。
『さぁ? 知ーらない』
超常の力を持った竜。
人を餌にする生き物。
この世界には、死した生き物の魂は、害した者に喰らわれるという、理がある。殺すだけで、力を奪えるなら。
(まさか────!!!!)
息をすることも忘れたように、ラズは青竜を凝視した。
『<爪の……竜>────ッ』
倒れた兵士はぴくりとも動かない。死相か中毒症状かくらい、この距離なら見分けがつく。
(死ん……で……)
許容できようはずもない。いかに竜にとって人間がちっぽけな存在であろうと。命を奪ってしまっては。
(僕の──せいだ)
ラズが戦場で<爪の竜>の力を頼ったから。
胸が苦しい。息ができない。
棘のついた鎖で心臓をがんじからめに縛り上げられたみたいに、痛い。
────ただただ、「またか」と思った。
あの日に、血も涙も、流し尽くしたと思っていた。
ラズのせいで死なせてしまった母…………血を流し、横たわる、その直前まで幸せに暮らしていた人々。
──全部全部、ラズのせいだ。
──繰り返さないんじゃ、なかったのか。
渦巻く怒りと責念が、虚ろな感情に飲み込まれ溶けて混じり合う。
『……やめろ──』
無意識の底から、低く、言葉が零れた。
ぞぞ、と背筋を何かが這うような感覚がした。
これは怒り、だろうか。虚無感、と言った方が正しいかもしれない。
巨竜の羽ばたきが目に映る。
『──それ以上は……君を赦せなくなる』
言葉と共に。
見えない何かがぞわ、と地を這い、伸び上がって竜を絡めとった──ような気がした。
『────────キュッッッ!?!?』
<爪の竜>は、その何かに過敏なほどに激しく反応した。
何かを振り払うように滞空していたところから飛び退き、竜人たちの側に四足で着地すると、尾を丸めて震えながら大きな丸い目をぎゅっと瞑る。
いつのまにか、戦っていたはずの公爵と女族長も緊張した面持ちでこちらを見ていた。
まるで、化け物を見たかのような目つきだ。
────どうしたっていうんだろう。
右腕に触れる細い指先が、小刻みに震えている。
す、と目線を動かすと、彼女はびくりとして後ろに倒れた。尻もちをついたまま、ラズを見上げる。
その怯えた視線を空虚に受け止めて、ラズはこくりと首を傾げた。
(あれ……?)
視界がゆっくりと暗転する。
抗えない虚脱感。
底なし沼に沈むかのように、ラズの意識はふつりと途切れた。




