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平原の国(24)……爪の竜

 朦朧としかけていた意識を、誰かの声が叩いた。


「────ラズ!!」


 背中に回された両の手の確かな感触。


(……ピア?)


 周囲の音が戻ってくる。──同時に、身体の感覚も。

 全身のあちこちに裂傷。右足の膝裏から止めどなく血が流れ出ていた。

 視線を上げると、ふわりとウェーブがかった栗色の髪……予想したとおりの人物がすぐ側にいた。

 彼女の左手には輝石の指輪が嵌められている。つまり、触れている間なら、錬金術が使える。


「くっそ……」


 口の中で毒づいて、止血に意識を集中する。動脈の壁はなんとか塞いだが、左足は筋肉も腱もズタズタだ。どおりで力が入らない。

 右の膝を立てて身体を起こす。絨毯を踏んだ瞬間、じゅわ、と音がした。足元に、これが全部自分の血かとぞっとするほどの血溜まりができている。


(ピアニー……)


 彼女はなぜか街娘のような格好で、髪を下ろしている。今までずっと近くにいたのだろうか。そして、ラズとピアニーを守るように剣を構えるリゼルの背中が見えた。


 落とした輝石は、見当たらない。雷撃でどこかに弾け飛んだのか。


 公爵は少し離れたところで近衛に身体を支えられている。ベルトや鎖などの金属部分に接する衣類が黒く焦げ、嫌な匂いがした。身体が痺れるらしく、足元が覚束ないようだ。

 その視線はラズではなく、ピアニーに注がれていた。──驚きと憤り、そしてショックを受けているような眼差し。

 呂律が怪しいが厳しい口調で、ピアニーに向かって口を開く。

 対するピアニーは焦りを感じているように見えた。「レイン様が、そんな……」と口の中で呟く。どうやら彼女も五日前宿場町にいた騎士の正体を今知ったらしい。


「ピアニー……いや、フレイピアラ嬢──抵抗するなら──」

 

 ピアニーは公爵の呼びかけに応えず、ラズの腕を引っ張った。


「立って! ──こっち!!」

「──ッ」


 体を動かすと激痛で目眩がした。

 しかしへたり込んでいる訳にもいかず、言われるがまま左足を庇いながら立ち上がり、腕を引くピアニーの後を追う。

 天幕の外は煙幕を使ったのか視界が悪く、混乱する兵士達はこちらに気づかない。


 逃げ道にあてがあるのだろうか、彼女は迷いなくラズを先導し、一つ角を曲がったところの天幕に飛び込んだ。

 そこはおそらく指揮官用の天幕で、今は誰もいない。

 彼女は入り口から見えない荷物の陰に身を隠し、深く息を吐きへたり込んだ。

 血が地面や入り口についていないか振り返って確かめた後、ラズも近くに腰を下ろす。……あの場に残してきたリゼルは大丈夫だろうか。


 また傷口が開いて血が滲んでいた。

 足を治さないとこの先逃げるにも心許ない──とはいえ。


(……輝石がないと無理だ)


 さっきまではピアニーと手を繋いでいたから……彼女の左手の小指に嵌っている小さな翡翠の指輪はラズが贈ったもので、もともとはリンドウの輝石であり、ラズにも適性がある。


(でもなぁ……)


 また手を借りたいというのは、なんだか言いづらい。<犬>の話を聞いて、もう一度ピアニーと話をしようかとは思っていたが、いざ目の前にするとどういう態度をとったらいいか分からなかった。

 幕の向こうで慌ただしく人影が動くのを目で追いかけながら、浅く息を繰り返して痛みに耐える。みるみる生命力が失われていくので、痩せ我慢している場合ではないのも、分かってるつもりなのだが。


 ふいに、ピアニーが、ラズの顔を覗き込んできた。左手をラズの腿に添え、身体を前に傾け、心配そうな表情で囁く。


「────血は……止まってるのね。傷を見せて?」


 はらりと柔らかに、長い髪が肩から流れ落ちる。胸元のカットが少し深めのワンピースは旅装束と違って雰囲気が甘やかだ。

 心底心配しているような表情を向けられると、安心感と不快感がない混ぜになって胸が苦しくなる。


「────いいって。自分でやるから」

「……」


 そう言って身を捩ると、彼女は目を伏せた。上向きのまつ毛が微かに震える。

 そして、小声で呟いた。


「嫌いでいいから。信用しなくていいから──拒絶しないで」

「……何だよそれ」

「私のことを利用しなさい、と言っているの」

「な……」


 ────利用? 何の話をしているんだろう。 

 ぱっと振り向いて、彼女の目が涙で潤んでいるのに気づき、ラズはぎょっとした。

 決して溢れさせまいと唇を引き結ぶ表情に、普段の威勢はない。そこにいるのは、ただの、同い年の女の子──


(……分かってる)


 本当は分かっていた。<犬>が真相を口にした時から。ピアニーはラズに対して演技なんてしていない。むしろ不器用なくらいだ。<犬>のしたことを黙っていれば良かったのに、わざわざ自分のせいにして。

 ラズはぶっきらぼうに口を開く。


「そんな関係、望んでないし」


 友達というのは共感し合える、一緒にいて楽しいと思える人のことだ。彼女は目的を共にする仲間でもあるが、目的のために相手を利用する、そういう関係では断じてないはずだ。

 ピアニーは俯いて唇を噛みながら首を振った。


「だってラズ、私のこと……嫌いでしょう?」

「へっ? いや、(きら)ってなんて」

「でも、言い方が怖いし」

(こわ)……これは、……どう接したらいいか分からないだけ」


 少しバツが悪くなって、ラズは口を尖らせた。

 もっと言えば、きっと拗ねているだけだ。<犬>のために嘘をついて、ラズのことは結局二の次なんだろう、と。でも彼女が何を一番に守ろうとするかに文句があるなんて筋違いも甚だしい。

 はぁ……と深いため息をつくと、視界が回るような錯覚を起こした。

 さっきまで猛烈に痛かったのに、今は足の感覚があまりない。血を流しすぎたのか──


「やば……頭がボーッとしてきた。……ごめん」


 ここで気を失ったら危険は増すばかりだ。都合よく仲間の金髪騎士が見つけてくれればいいが、この天幕の持ち主が戻ってくる方が先だろう。


 背に腹は変えられない。


「輝石…………貸してくんないかな」

「えっ……!?」


 彼女ははっとしてラズの胸元を見た。赤く染まったその場所には、いつも提げている石がない。それから、彼女自身の左手小指に嵌めた指輪に目を落とす。──外してしまうと、彼女も体力を維持できなくなるとためらっているのかもしれない。


「や、近づけるだけでいい、から……」

「こう?」


 床に投げ出していた左手に、ピアニーの左手が重ねられた。

 触れないぎりぎりの間隔から、そおっと様子を窺うように、肌が触れる面積を増やしていく。


「……」


 どこかでストップと言えばいいんだろうか。しかし徐々に増していく温かさはどうにも抗い難いものがある。

 触れた部分からじんわりと優しい気配が浸透してくるのは、例の生命力の移転の力を使ってくれているからだろうか。


「…………そこまでしなくてもいいのに」

「そんなに……(いや)?」

「……」


 ────嫌じゃないから、困るのだ。


(くっそ、なんで──……)


 どうしてか、とても嬉しい。

 柔らかな指の感触が、頑なに拒んでいた心を包み込んで、(いと)も簡単に()かしていく。丁寧な触れ方はどんな言葉より気持ちを感じさせて、抱いていた不満など些末なことに思えてしまう。

 そっと握り返すと、彼女の大きな瞳からはたりと涙がこぼれ落ちた。


「! ────なんで、泣いて……」

「え? これはその……嬉しくて」


 手を繋げることが? ちょうど同じ感情を抱いていただけに、うっかりもらい泣きしそうになる。


「泣くほどのことじゃ、ないだろっ……」

「! ラズだって泣いて……」

「泣いてないっ! なんだよ、もう」


 なんだかかっこ悪いな、と思いながら、彼女の手を握りなおす。ピアニーは大きな目を潤ませたままふにゃ、と嬉しそうに表情を緩ませた。


「……そんなに嬉しい? ……手を繋ぐの(これ)

「──ふ、普通よ! だいたい、誰が怪我しても、私はこうするわ!」

「あー、そう。誰の手も、そうやって握るんだ」

「!!」


 最後は少しからかうように言って口の端を上げてみせると、彼女は珍しく焦ったように手を強張らせた。頬を朱に染めてぷい、と顔を背ける。


「ラズって、そんなに意地悪だったかしら」

「そーだよ。知らなかった?」

「───〜〜っ」


 今まではそんな隙がなかっただけだ。多分、レノに対する時と同じで、尊敬とか尊重の気持ちが強かったんだと思う。あとは普通に、嫌がられたくなくて。


「あーあ。ショックだったんだけどな、裏切られて。へー。誰にでもすることかー、なぁんだ」

「ララララズってばっ」


 ピアニーは真っ赤になって口をぱくぱくさせる。──一体何を考えているかは分からないが、反応が面白い。無意識だろうが、左手をぎゅう、と握り締められて痛いのは黙っておこう。

 上目遣いに睨む表情が新鮮で、不謹慎にも笑いが込み上げてくる。


「……ふ、あはは」

「もう、ずるい!」


 囁くように文句を言ってから、ピアニーも堪えきれないというように口元に笑みを浮かべた。それから手を握り直す。なんだか互いにさっきまでの遠慮はなくなったような気がする。

 深く息を吸う。こういうのを、安心感、というのだろう。状況は何も改善していない。しかし、彼女がいてくれるなら大丈夫な気がしてしまう。

 傷ついた左足の容態は、正直すこぶる悪い。普通ならたぶん完治に一ヶ月はかかる怪我だ。白銀の輝石がない分、治療のような細かいコントロールが難しくて、太い血管の壁に血小板を集めて固めるくらいしかできていない。気力は持ち直したとはいえ、動けるようになるまでまだ数時間かかりそうだ。


「──リン姉は?」

「……<犬>さんと一緒にほとぼりが冷めるまで離れているわ」


 耳まで赤くなったまま、ピアニーは返事した。切り替えるように、一度深呼吸する。


「シャルグリート、は?」

「補給部隊の足止めに行ってる」

「……ビライシェンがいるのよ」

「分かってるよ」


 ビライシェンの目的は知らないが、竜人と公爵の件が終わるまで大人しくしていてほしい。そのために、シャルグリートに動いてもらっている。

 そう、とピアニーは口の中で呟いた。


「何にしても、この天幕はそろそろ離れないといけないか」

「それは大丈夫よ。持ち主と話はついているから」

「えっ、……すごいな」


 いつの間にそんな根回しをしていたんだろう。ラズが目を丸くすると、ピアニーはふふ、と笑った。


「あなたが制圧した砦の司令官よ。侯爵様」

「わあ、そんなに偉い人だったんだ……」


 侯爵といえば、ピアニーの父、ブレイズがそうだ。ラズは厚かましくもタメ口をきいているが、あれでもリーサス領のツートップ、実はものすごく偉い人なんだと彼の側近に怒られた。

 あの砦の司令官とは、半ば脅迫気味であるが『公国を守るために、竜人を虐殺するような兵器類に細工をし、わざと負けるように公爵軍を攪乱して欲しい』と協力を取り付けていた。昨日の<犬>の伝言では協力者について言及しなかったのに、既にそこまで察して動いていたとは。

 そもそも彼女がタイミングよく助けに入ってくれたのは、もともとずっと公爵の作戦用の天幕にほど近いここに隠れていられたからなのかもしれない。軍に潜入するのに今のような街娘みたいな格好をしていたはずがないから、ここで着替えた? 正確な理由までは測りかねるが。

 改めて感心していると、ピアニーはようやく琥珀色の瞳に落ち着きを取り戻したようだった。


「ねえ、竜が軍を攻めるって具体的に何をするの?」

「笑気ガスっていって、幻覚を見せる毒ガスを使うんだ。右翼と左翼を戦闘不能にして、中央から指揮官(レインドール)を引っ張り出す」

「あの公爵様、そういうことで戦意を折られるタイプではないと思うけれど」

「そうなんだよなぁ……」


 さっきの交渉の結果を思い出すと頭が痛い。

 たしかに、レインドールを想定して作戦を変えた方がいいかもしれない。

 雷撃による火傷は直ぐには治らないだろうが、直後に立てる程度なら、痺れはそれほど長引かないだろう。それにあの特殊な力の正体は未だに不明だ。できれば戦いは避けたい。

 あとは、あの天幕のどこかにある輝石も早く探さないといけない。川なんかに捨てられたら探すのは絶望的だ。


「そういやこないだ宿場町にいたのが公爵だって、ピアニーは知ってたんだ?」

「……私もさっき知ったのよ」


 彼女は悔しそうにため息をつく。


「ビラシェンを買収するための、資金協力をお願いしていたの」

「そっか。……死んでなくて、良かった、んだよな……」

「ラズ?」


 歯切れ悪く口籠るラズに、ピアニーが眉を(ひそ)める。


「加減する余裕が無かったんだ──殺したかも、って思った」

「……ラズが本当に殺す気だったなら、雷じゃなくて分解とか、もっと確実な力を使ってたんじゃないの」

「それ、ハサミで首狙って殺す気はなかったって言い訳するのと同じだよ。力をどう使ったかって点で、僕は──」


 ──人殺し。繰り返さないと、あれほど誓ったのに。

 言い澱み、俯く。

 彼女は重ねていた左手に指を絡めるように握り直して、そっと持ち上げ右手を添えた。そして、祈るように額を近づける。


人殺し(それ)でも、それがラズなら私は受け入れるわ。どうかこれからも、生き残って。……どんなに辛くても。────お願い」

「……──厳しいなあ」


 苦い笑みが溢れる。──そこは正論ではなく、ただの個人的な感情で慰めるのか。そこに込められているのは友情、だけ?

 (よぎ)った疑問を、慌てて頭から振り払う。それを確かめたところで、ラズ自身の気持ちがよく分かっていないのだから不毛なだけだ。


「…………じゃあさ。ずっと、友達でいてよ」

「そんなこと。絶対、約束するわ」


 涙に濡れた大きな瞳で、彼女は柔らかく微笑んだ。──その時。


「──おっっほん!!!」

「ひゃっ」


 突然響いた咳払いに、ピアニーの声がひっくり返った。

 天幕の戸口に誰か立っている。こちらは物陰にいるので互いに姿は見えないが。


「もういいか?」

「ぷくくっ……おトモダチ……」

「リゼルさん? 聞こえてるけど」


 冷静を装った男の声は二日前に聞いた砦の司令官……侯爵とやら。笑いを堪え切れていないのは金髪騎士リゼルだ。無事でよかった。

 気配には気付いていたのだ。だいたい、人殺しの(くだ)りからだったろうか。戸口から動かないので味方だろうと様子を窺っていたが、ピアニーは気づいていなかったらしい。両手を頬に当てて目を白黒させている。


「いやー、思ったより元気そうで良かった」

「そうでもないけどさ。こうしてお嬢様と手を繋いでないと衰弱するんでちょっと人前に出られないっていうか」

「は? 何言ってるか分かんねーんだけど」


 軽い足音が近づいてくる。

 ひょいっと物陰を覗き込んできたリゼルに、ラズは質問した。


「リン姉は? 頼みたいことがあるんだけど」

「あー……うん。落ち着いて聞いてくれ」


 金髪騎士は急に顔を曇らせる。

 その只ならぬ様子に、ラズはごくりと唾を呑んだ。

 ──叔母の身に、何かあったのだろうか。

 深刻な表情で、リゼルは告げた。


「リンドウは……あの公爵に惚れちまったらしい」


ピアニーとようやく打ち解け……っ(´;ω;`)

平原の国編いよいよラストスパートです。

お楽しみに!

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