平原の国(21)……爪の竜
それは目前の大事に比べれば些細であったが、ラズの心を少なからず軽くする出来事だった。
翌日の午後、平原の国占領下にある国境地域の村近くでのことだ。
目標としていた三つの砦のうち、二つ目も、今朝攻略に成功したから、残す砦はあと一つ。
そもそもそれぞれの拠点間の距離は普通の馬で一日分くらいもある。しかし騎獣の数は限られているから、一行の半数近くは走るしかなく、さしもの竜人たちにも疲れが見え始めていた。
林の木陰で休憩している間に、竜人の何人かの姿が見えなくなったことを訝しんで、行方を尋ねたラズは、そこ答えに己の耳を疑った。
『近くの村に、食糧を奪いに行っただって……?!』
手持ちの食糧は確かに少ないけれども、だからといって強盗なんて絶対よくない。
ラズの差し迫った表情に顔を見合わせる竜人たちにその場で待っているように言い置いて、ラズは慌ててその村に向かって駆け出した。
すでに疲労で身体が重い。
しかし都の時のような注意散漫さはなくなったと思う。
──……たぶん、原因と会わずに済んでいるから。
いや、竜人たちと共に戦うことになって、緊張続きで気を緩める暇がないだけだ。
今だって、あのことを考えている場合ではない。
獣道を走り抜けて見えた村の柵を飛び越える。この辺りは大型の怪狼も出るので木柵は大人の背の二倍くらいあるが、とっかかりが多いので登りやすい。
雑草の生い茂る地面に着地したとき争うような声が聞こえてきて、ラズは背筋が寒くなった。
(まさか、もう────!?)
気持ちが逸る。錬金術を使ってでも速く駆けつけるべきだろうか。──いや、疲労している今は、無茶はしない方がいい。
木造の家屋の角を曲がるうちに、さらに言い争うような声がした。
大柄な男たち──竜人が数人、そのうち何人かが村人の胸の高さに腕を振りかぶり────
「やめろよっ──!!」
ラズは叫んだ。
竜人の腕力で殴られたら、普通の人間なんて卒倒するどころじゃ済まないかもしれない。
「!?」
竜人たちがばっと振り返る。
その手には────何かの動物の首根っこを掴んでいた。
(……──へ?)
少々遅れて、村人たちがラズを見る。
驚いたような表情には恐怖の色はなく、その手には赤、緑と、色の濃い────夏野菜?
割り込む一歩手前で踏みとどまって、ラズは大人たちを交互に見た。
『あー……えっと』
竜人の一人が頭を掻く。
どうやら、カツアゲしている雰囲気ではないような。
『お前、勘違いしてるだろ、俺たちのこと』
『……うん、してたかも』
『通訳してくれよ、来たんなら』
簡単に言えば、彼らは肉と野菜を物々交換しようとしていただけらしい。
竜人といえば力にものを言わせて弱者を従わせる者たちなのだが、搾取をするとは少し違う。強い者は自分に従う弱い者を守るし、労働に見合う対価も払う訳で。
『……でも人間相手に交渉しようとしてくれるとは思わなかった』
『まあ、お前が必死なのは嫌いじゃないからな』
ラズが通訳に入ってから、おっかなびっくりだった村人たちと多少打ち解け、少しだが野菜を入手できた。
この辺りは元森の国の農村で、今は平原の国に占領されている。そして統治は平原の国の旗下にあるリューン公国に任されている。
若い男は見当たらず、女子供と老人ばかりだ。皆疲れた顔をしている。……戦時中だから、無理もないのかもしれない。
ひと段落しかけた頃合いで、村人たちが急にざわつき始めた。
「──何かあったんですか?」
「……公国兵が、取り立てに」
「!」
ばたばたと家に入り戸締まりをする者、逆に細腕に農具を持って出てくる者もいる。
皆一様に表情を硬くして通りの一点に注目するから、ラズと竜人たちも立ち去るタイミングを無くしてそちらに顔を向けた。
「……なんだぁ? お前ら」
どかどかと物々しい足音を立てて現れたのは、五人ばかりの兵士だった。
公国兵の下っ端らしく、装飾のない、木を削りだしたような胸当てにをつけ、それぞれ短剣を装備している。大きな荷物を持っていないのは、村の入り口に馬を繋いできたから、だろうか。
彼らは、ラズ……というよりは後ろの竜人たちをじろじろと見た。
そして、後ろの一人が、その正体に気づいてあんぐりと口を開ける。
「いやおい、まさか、竜人……!?」
「貴様らが匿って──?!」
兵士たちは焦ったように顔を見合わせた。
「報告──報告だ!」
「森の国の小汚いやつらめ……!! 竜人と手を組むとは!!」
「ここで俺たちで竜人を仕留めるべきじゃないか!?」
「お──おう、そうだなっ!!」「やるしかないよなっ!?」
ラズは黙っていられず、思わず口を挟む。
「何言ってんの? 竜人に敵う訳ないだろ。怪我する前に砦に帰りなよ」
「なっ……」
兵士たちは初めてラズを見た。信じていない顔だ。
この人たちは竜人の戦いの凄まじさを目にしたことがないんだろうか。一人一人が規格外の腕利き剣士である金髪騎士リゼル並みかそれ以上に強いのに。しかも彼らは錬金術を使う。
一方農具を握った村人が鬼気迫る表情で叫んだ。
「こ、こいつら生かして帰したら! 今度はこの村を皆殺しにしにくるに決まってるっ!!」
これを皮切りに、村人たちが口々に嘆く。
「隣村みたいになりたくねぇ!! 小せえ子を連れてどこに逃げるっつうんだ!?」
「なら、ど……どうする!!」
徐々に、村人たちが殺気立っていくのが分かる。
例えば村をあげて竜人たちをここで倒し、公国に突き出せば村人は助かるかもしれない。あるいは、兵士たちを砦に帰せないようにして事態をもみ消せば。そんな目で、竜人たちと兵士を見比べている。──この雰囲気は、非常によくない。
言葉が分からない竜人たちは、怪訝な顔で状況を見守っているだけだ。
(どうする……!?)
考えろ。
村人たちを落ち着かせる方法を。
ラズは大きく息を吸って、声を張り上げた。
「────誰も、殺させない!!!」
突然の剣幕に、全員が注目する。
「僕ら竜人は明日、北西の砦を落とす!! だからこの村を滅ぼしに来るやつはいない!! さあ、砦に帰れよ。──帰って、明日は、あんた達の番だって伝えろ!!!!」
びりびりと、空気が震えた気がした。
背後の竜人たちがどんな顔をしているかは分からない。ただ、目の前の兵士たちに畏怖を与えるのには成功したらしかった。
「い、い……行くぞ」
声を掛け合って、兵士たちは踵を返す。
馬の蹄の音が遠ざかってから、遠巻きにこちらを見ていた元森の国の村人に挨拶して、ラズと竜人たちもその村を後にした。
†
村を離れ、林の中に戻ろうとして、ラズはふと足を止めた。
(誰かいる)
油断なく目を配る。散々シャルグリートに注意散漫だとけなされてこの二日、疲れが溜まる程に感覚は鋭敏になっていた。
幹の間に見える白い影は────
「なんだ──……<犬>さん。……──って、えええっ?!」
慌てて駆け寄り、太い幹を回り込む。
果たしてそこには、目元だけを覆う犬の面を被った女性が立っていた。さらにその後ろに、茂みに隠れるように大きな六本脚の馬の怪物が膝を折っている。
「スイまで」
「……探しました。ラズ殿」
「は……はい」
──そりゃそうだ。忘れていた訳ではないが、連絡もしていないから、皆には相当心配をかけているはずだ。
「皆、無事だよね」
「あ、はい、もちろんです」
相変わらず小さい声で<犬>は頷く。
「……お嬢様は今、ビライシェンの暗殺を止めるために、薬師を装って公国軍に潜入していますよ」
「……──え、来てるってこと?」
「はい」
ラズは眉を顰めた。
(まさか……?! そうか、公国軍に公爵がいるんだもんな。都で待ってる必要もないのか。でも、そしたら状況はどう転がる──? 一度会って話をすべきかどうか────)
ここまで考えることを避けていた、優秀な旅の仲間である少女のことを想像する。
(……何考えてんだろうな、ピア)
──でもきっと、ラズでは思いもよらないことだろう。
黙ったまま考え込むラズに、<犬>はおずおずと口を開く。
「ラズ殿はまだ──お嬢様に対して、怒ってますか」
意外な問いに、ラズは首を捻った。
──怒ってる?
確かに苛々はしていたかもしれないが、今はもはやそれどころではないと思う。
「いや……もう、そんなには。怒る……とは少し違うかな。……遠い、っていうか」
もともと無警戒に信頼していた相手だったから、 距離の取り方が分からなくなった──というか。
夏の木漏れ日で林の中は明るい。その明るさから隠れるように木陰に佇んだまま、<犬>は静かに口を開いた。
「あの日、公国に襲撃者のことを密告したのは……私です」
「…………?」
<犬>の唐突な告白に少々面食らう。その声が震えるのを、ラズは不思議な気分で聞いていた。
「私の独断だったんです…………お嬢様に襲撃のことを報せたのは、深夜──直前のことです」
「………………だから?」
一言返すのに、なぜかかなりの時間がかかった。
犬面の奥の暗い瞳が暗く歪む。
「あなたを裏切ったのは、お嬢様じゃなくて、私なんです」
「──────あ、そう」
ずいぶん、淡々とした声が己の喉から漏れた。
──思い出すのは暗がりに広がる血の池。ザアザアという雨の音が、悲鳴も剣戟も、人が倒れる音も不明瞭にかき消していた。朝の宿場町には行かなかったから、あの後どうなったのかは知らない。
あの惨劇を選んだのはピアニーだと──そう聞いていたが、今の話を信じるならば、目の前の<犬>が仕組んだことになる。
いや、もしかするとラズの心証を良くする為にピアニーが<犬>にそう言えと指示したのかもしれないが。
(……それはないか)
そんな周りくどいことをするなら、最初から<犬>のせいだとはっきり言うだろう。
(結局……ピアニーが僕に嘘をついたことは変わりない)
彼女は<犬>ではなく自分自身が事態を引き起こしたと説明した。それが<犬>を庇うためなら、なおさら彼女はラズを信用していなかったのだと感じる。
小さくため息をついて顔を上げ、俯く犬面を見上げた。ピアニーがどうかは一旦置いておいて、この犬面の女性がそういう行動をした理由も気になる。
「もしそうだとしたら、僕に直接文句を言えば良かったろ? 森の国の兵士を助けるなんて嫌だって。……僕のことが怖い?」
彼女ははっとしたように顔を上げた。
少しだけ間を置いて、もごもごと答える。
「怖い……です。理解、できないです」
そして、怯えたように首を振った。
「巨人はあなたの一族の仇なんでしょう? 争いを止めるってなんですか。……あなたは、気持ち悪い」
「……はは」
──気持ち悪い、か。
ここまでぶちまけられると笑うしかない。
彼女は苦悩するように犬面に指を這わせ、なおも言葉をこぼした。
「赦せるはずがない……そんなこと、あっていいはすがないでしょう……?」
「…………なんで、そう思うの?」
彼女は一体何をそこまで思い詰めているのだろう。犬が苦手なのに犬の面をつけ、不可思議な紋様をその目に刻む彼女に、どんな過去があるというんだろう。
しかし、<犬>はふるふると首を振り、拒絶する。
これ以上彼女の事情に立ち入るのは難しい気がした。……反省はしているようだし、今後どうするかの方が重要だ。
「じゃあ──そう思っておけばいい。ただし、邪魔はしないで欲しい。そのことで、君はひとつも得しないだろ」
そう言ってから、ラズは冗談めかして笑ってみせた。
「でも、できればこれからも力を貸して欲しいな。自分だけで情報収集しようとしてみたけど全然駄目だったよ。情報屋の見つけ方とか……ここも探し当てちゃうし、本当にすごい」
「お、煽ても何も出ませんっ……!?」
彼女はあわあわと頬を赤らめた。こういうところは隠密らしくない。だからこそ、話す機会があまりなくても、旅の仲間として一定の信頼をしていたのだと思う。──何より、ピアニーが信頼しているようだったから。
おずおずとラズの表情を窺うように、<犬>が口を再び開く。
「…………それだけ──ですか?」
「え?」
「お咎めは……」
「なんで。誰も怪我してないだろ」
旅の仲間という目で見れば、機転を利かせ増援を呼んでくれただけなのだ。軍隊ではないのだし、それくらいの自由意志は受け入れられて然るべき。ラズ個人が<犬>のしたことに思うことがあったとしても、人殺しだと責めることはできない。なぜならラズだって結局誰一人助けなかったのだから。懸念としては<犬>が今後も相談なしに行動を起こすことであるが、これもラズは人のことを言えないし。
「私が言ったこと、お嬢様には──」
「言わないよ。そんなん告げ口するみたいだし」
雇い主の意向を破ったとなれば、彼女たちの信頼関係にも関わることだし、下手に口を出さない方がいいだろう。
犬面の女性は口を引き結んで困ったように俯いた。
(ピアのことは、仲間────だとは思っていいんだよな)
少なくとも、演技の理由が腑に落ちたことは、ラズの心の中のわだかまりを一つ解消してくれたように思う。
そして、ここまでの二ヶ月苦楽を共にした友人が、すぐそこにいる。どこまで信じていいか分からないが、敵ではない──そう思っていいだろうか。
ラズは軽く息を吸った。
「────『明朝、公国軍の本陣を制圧する。取引材料は砦三つの返還。要求は竜人による裾野の占領を一時的に許容すること。既に火薬には水を巻いたし、油は不燃物にすり替えてある』」
一息ですらすらと並べてから、踵を返し手を振る。
「以上、お嬢様に伝言よろしく」




