平原の国(14)……旅路
その襲撃があったのは、商人たちと会った次の日の晩だった。
明日には、リューン公国の中枢たる都に到着するであろうというタイミングである。
リューン公国とは、平原の国と森の国の国境に位置するリューン公爵領のことを指す。
ピアニーが面会しようとしているリューン公爵、つまり公国で一番偉い人物は、この平原の国の第六王子という話だ。
普通に考えてとんでもない話だが、ピアニーは堂々としているからきっと大丈夫なのだろう。もし不安そうにしていれば気付く自信はあったし、相談に乗れることはあると思っていた。それに万一失敗しても彼女の身の安全は絶対に守ると決めている。──要するに、ラズはピアニーのことを信頼しきっていて──……それはピアニーにとっても同じだと思っていた。
日がな一日怪物の襲撃をいなしつつ移動し、暮れてからは、ピアニーとリンドウ、リゼルは商人たちと共に宿泊していた。一方、ラズとシャルグリートはいつものように怪馬とともに街道近くで野宿。
……ちなみに、隠密の<犬>はトロトロした馬車移動に付き合うのは時間がもったいないからと、昨日から商人から馬を借りずっと単独行動をしていた。
その晩は幸い、雨だった。
†
剣戟の音が激しい雨音に掻き消される。
ぬかるみに足をとられてバランスを崩した襲撃者の足首を狙い剣を振り下ろして立てなくしてから、ラズは顔をあげた。
向かって来た者はこれで全員──二十人ほどか。貼り付く黒髪をかき揚げて状況を確認する。
近くの宿の窓からは宿泊客が様子を伺っている。街道添いに形成された町の外れの建物には少なからず犠牲者が出ているようだった。ただ、闇と雨で流れた血がよく見えない。
ラズが駆けつけられたのは、町中に警鐘が鳴り響いてしばらく経った後だった。
シャルグリートは別行動で、反対側の街道から町に入っている。
こんな数の襲撃者が町の近くに潜んでいてどうして気付かなかったのか。気が緩んでいなかったといえば嘘になる。国境の紛争地帯という認識はあったはずなのに、人間同士の争いがこうも突然始まるなんて、想定できていなかった。
指先に明かりを灯すと、倒れる襲撃者の革鎧や剣がだいたい似通っていることが分かる。盗賊では考えにくいことだ。これが商人の言っていた森の国のゲリラ兵だろうか。
雨で視界が悪い。
商人たちが泊まっている宿は、町の中央付近のはずだ。そちらからは、雨音の中戦いの音が聞こえてくる。
(リン姉……、ピア)
不安にかられ、怪我の処置をしている傭兵の前を通り過ぎ、ラズは走り出した。
向かう先で、ランタンの光が揺れる。
……ぼんやりと見えるのは、敵か味方か分からない複数の影。
張り付いた前髪をかきあげて、注意深く目を凝らす。
争っているような激しい物音。
そして──
どしゃ。
何かが、目の前の石畳を滑った。
なぜか背筋がぞっとして、足を止める。
──革鎧を纏った、……人間?
その身体には──胸から上が無かった。遅れてゴトリ、と視界の端で何かが落ちる音。
「なっ……」
真っ黒な水溜まりから慌てて視線を上げる。
斬ったのは、前方の甲冑を纏った人物──。
その巨大な影は、振り下ろした矛を手元に寄せて、兜を被った頭を横に振った。
「お怪我はありませんか? ──お嬢さん」
若い、男の声。
兜の視線の先に、見知った人物がいる。レイピアを持った少女。夜着の上に上衣を羽織っているが、濡れているせいで身体にぴったり張り付いている。
「……ご心配には及びませんわ、騎士様」
彼女はラズをちらりと見て、固い表情で答えた。──騎士?
周囲では同じような甲冑の戦士が戦っている。見える範囲では五人ほど──軽装の襲撃者に対し彼らは圧倒的だった。
瞬きする度に、死体が増えていく音がする。そのことに、背筋がぞわぞわした。
(止め……ないと)
足を踏み出した時。
「そこで止まれ、不届き者」
「────!?」
突然、頭上から重たい矛が降ってきて、ラズは目を見はった。
剣の柄で流して横に避ける。
「なっ──!」
「ちっ」
騎士は舌打ちして地面に着く前に矛を横にぐん、と薙ぐ。
重い甲冑を着ていてなお熟練した動き──まるで元警務卿ブレイズのようだ。手加減して倒せるような相手じゃないことは確実である。
というか、斬りかかられるようなことはまだしていないはずだが。武器を持って近づく仲間じゃ無い者は敵兵とみなすということか。
(戦う、べきなのか──?)
どうする。
思案するラズの耳に、ピアニーの声が届いた。
「────ラズ!!」
──もしもここで戦って、平原の国に楯ついたことが知れたら、彼女もリンドウも、商人たちもどうなるか分からない。
(…………森の国の兵を見殺しに、するしか)
濡れた服が重たく、口の中に入る泥はとても苦いと思った。
横薙ぎの刃を退がりながら避ける。
「……待って、くださいっ」
背中のベルトを外して鞘を下ろし、剣を納め、がしゃんと石畳に押さえつけて膝まづく。
振り絞った声が、雨と共に石畳を打った。
「僕は傭兵で、その子の護衛です────」
同時に、ピアニーが叫びながら間に入る。
「やめてください! 彼は私の仲間です!!」
彼女はぴたっとラズに向けられた矛を真っ直ぐ見返した。甲冑の騎士は兜の中で眉を顰める。
しばしの、間。
「…………では後だ。そこにいるように」
そして、残党の方に注意を向けた。襲撃者たちは既に他の騎士たちに包囲されほとんど戦意を無くしているようだった。
一息ついて鞘を拾い、振り向いたピアニーと顔を合わせる。
「……リン姉やおじさんたちは無事?」
「ええ、大丈夫よ」
宿を見上げると、誰かが二階の窓から様子を窺っているのが見えた。ピアニーの後ろから歩いてきた金髪騎士リゼルが傘がわりに布を広げる。
「嬢、先に中に入ってるか?」
雨音と叫び声。暗がりに転がる死体。ぬるぬるとまだら模様の赤い水が一帯の石畳を染めている。戦場に縁遠い令嬢には酷だろうと心配しているのは明白だった。
しかしピアニーは吐きそうな顔をしながらも首を振る。
困り顔のリゼルと目を合わせてから、ラズも促す。
「……風邪ひくし、早く着替えたほうがいいよ。僕なら大丈夫だから」
最悪な光景だが、血と火の組み合わせではないからフラッシュバックは起こらない。だったら平気という訳でもないが、放棄する気にもなれなかった。
依然としてピアニーはその場から動かない。
仕方なく、ラズは疑問を口にした。
「あの人たち、この公国の騎士……だよね。なんで、このタイミングで襲撃があるって知ってたんだろう」
偶然居合わせたなんてむしが良すぎるのだ。
甲冑なんて着るのに十分近くかかるから、事前に知っていたとしか思えない。
ラズの呟きに、ピアニーがびくりと肩を震わせた。
「ご……ごめんなさい」
「──え?」
なぜ、彼女が謝るのか。
どういう意味だろう。公国の騎士がここにいる原因が、彼女にある……?
ランタンがおぼろげに照らす中、騎士たちの戦いは既に終わりつつあった。仲裁の隙もない。
……いや。街道の反対側から、バシャバシャと激しい足音が近づいてくる。
(────あれは!)
ピアニーへの疑念を残したまま、ラズは咄嗟に飛び出した。
地面を蹴り、加速────鞘のまま、剣を突き出す!
「うらあああああ!!!!」
「────ッッ!」
ガァァァン!!
騎士の手前で、ラズはその攻撃を受け止めた。水滴が散る中、碧い三白眼が見開かれる。
「ンなッ」
「ッ状況見ろよ!!」
叫びながら、濡れた石畳を全力で踏みしめ弾き返す。後ろに跳んだその青年──シャルグリートに向かい、今度は後ろの騎士が矛を振りかぶった。
びゅんびゅんと柄を回転させ、勢いをつけて接近する。剣圧が凄まじく、弾かれた雨粒がラズの頬を叩いた。
「シャル!!」
「おおうっ」
シャルグリートは楽しそうに笑いながら高く跳躍して攻撃を避ける。しかし滞空するシャルグリートに向かって騎士はさらに突きを繰り出した。
ピアニーが慌てて声を張り上げる。
「駄目──彼も、仲間です!! やめてください、お願いします!!!」
雨音はザアザアと煩い。彼女の懇願は聞こえただろうか。
一方シャルグリートは手に纏うナックルを黒色化させて矛を危なげなく殴り返し、宙返りして地面に降り立った。ニヤッと笑う。
「ソウソウ──俺はただのイケてる手品師だゼ!」
おどけたように言って、訛りのある口調でぱんぱん、と手を叩く。
次の瞬間、キラキラと水晶が舞って周囲に小さな花が咲き誇った。
水が滴り、あるいは跳ねて不思議な造形を作り出す。マッチョで悪人面な彼の周りで咲いていさえいなければ絶景かもしれないが。
「………………」
騎士は矛を収めてしばし眺めた後、ほーお、と唸った。
「もぐりの錬金術師は現行犯逮捕って知ってるか?」
「!!」
ラズはぎょっとして騎士の方を振り返る。
「て、手品だと言ってるダローがッ」
「最近は自覚が無いやつも多いしなぁ」
ムキになって反論するシャルグリートに構わず、騎士は手近な部下に拘束の指示を出す。
にじりよる甲冑の圧に、シャルグリートは引き攣った顔で後ずさる。
「オイ!!! くそラズ! ナントカしろよ!?」
「……知んない。自分で撒いた種……っていうか花だろ」
ここで騒ぐくらいならあとで助けに行く方がまし。そう考えていたラズの肩に、騎士がぽん、と手を置いた。
「お前もだぜ? さっきの常人離れした踏み込み、見逃すと思うか、なぁ?」
「…………そ、でした、っけ」
ぎごちなく首を回して振り返る。騎士の兜の中に覗く目は思ったより冷たい。
──捕まっても、隙をみて逃げればいいだけの話。別に金属の牢に入れられても、錬金術を使えば簡単に出られるし。……術の媒介である輝石を奪われさえしなければ。
これはまずいと思ったのか、赤く冠水した石畳を踏み越えて、ピアニーが割り込んできた。
「危ないところを助けて下さって感謝しております──! 私、心ばかりですけれど御礼をさせていただきますわ!」
「礼?」
騎士はまじまじと彼女を見る。
ピアニーは濡れた上衣を胸の前で撚り合わせてにこりと微笑んだ。いつも緩く波を描く長い髪は雨の重みで細い身体にしっとりと絡み付いている。
「素敵な手品、でしたでしょう?」
小ぶりになってきた雨の中、兜の十字の切れ目に覗く口元が緩んだような気がした。
「……──ああ、見事な芸だったな。今度の夜会に招きたいくらいだ」
「……それはおすすめ致しかねますけれど」
ピアニーはぱんぱん、と手を鳴らしてラズとシャルグリートに目配せした。
「二人とも、もうスイたちのところに戻って」
「…………」
捕縛する騎士たちの腕が緩みきょとんとしたシャルグリートに目配せし、ラズも踵を返した。
「……分かった。シャル、行こう。……ここはピアニーに任せる方がいい」
それはひどく、後味の悪い幕引きだった。




