平原の国(13)……旅路
商人を助けたその日の晩。
宿場町の裏手に怪馬を隠し、久しぶりに皆で宿に泊まることになった。
「僕たちご飯食べ終わったよ、リン姉」
コンコンコン、と控えめにノックして、ラズは声をかける。背後では、同じく先に食事を済ませた商人たち……部屋に残った叔母リンドウと商人の妻子以外の人々が様子を伺っている。
ややあって、部屋の扉が開き、リンドウが顔を見せた。その腕には生後間もない赤子が抱かれている。
赤子の父親である商人が、ラズの後ろから心配げに部屋を覗き込んだ。中央の寝台に彼の妻……若い母親が横になっているのが見える。
「容態は……」
「過労だよ。食べて休めば大丈夫」
「そうか──ありがとう。……サラ」
リンドウとやりとりした後、赤子を引き受けながら商人は気遣わしげに妻に話しかける。彼の妻の年齢はラズと五つかそこらしか変わらないはずだが、今は随分くたびれてかなり年上に見えた。
彼女は横になったまま、商人を見上げて拗ねたように口を尖らせる。
「おそーい。あなただけ楽しそうにして」
「きみが元気になるまではわたしは笑ってはいけないと?」
妻の嫌味に商人は顔を顰める。
夕食の席で、商人は努めて明るく振る舞っていた。その笑い声が部屋まで聞こえたんだろう。その場にいれば空元気であることは分かり切っていたが、疲れ切った母親には伝わらなかったらしい。
夫妻の険悪なムードに、後ろから来た金髪騎士がまあまあ、とが宥める。
「ここは『そばを離れてすまない』って言ってやろうぜ?」
廊下にいたシャルグリートがうげ、という顔をした。背が高くて扉の上枠を越してしまっているから、角度的にそれが見えたのはラズだけのようだ。騎士リゼルがキザすれすれのセリフを口にするとシャルグリートはだいたいこんな感じだ。リンドウに向かってもっと歯の浮くようなことを言ってる気がするのだが。
遅れてピアニーがとたた、と近寄ってきて、商人の腕の中の赤子を覗き込んだ。
「わぁー、かわいいっ!」
明るく言って笑いかける。
赤子はぼんやりとしかピアニーを見上げてもぞもぞ腕を動かした。その動作がいっそう愛らしくて、場の空気が和む。商人も気を取り直し、優しげな顔で抱いた赤子を揺らした。
「あぅ、あー」
「ふふ、お名前は?」
「サリーだよ」
「可愛い名前ね! サリーちゃんっ」
ピアニーはちょんちょん、と小さな手に指を近づける。その指を、赤子がきゅっと握り込むのが見えた。
「あの、抱っこしてみていいですか?」
「ああ。結構重いから気をつけて」
おっかなびっくりの様子で抱き方を教わりながら、ピアニーが赤子を持ち上げる。彼女の背は、リンドウより指一本低いくらいで、商人の妻と比べるとそう変わらない。だからなのか──結構、さまになっているような。
(って僕何を考えてるんだか!)
最近彼女は大人っぽいと感じることがよくある。世間的には結婚できる年なんだから当然といえば当然なのだが。いやそれでも適齢期という意味ではまだあと数年は先のはずだ。
ラズにとってみれば、成人間近とはいっても、実際の結婚適齢期はあと五年以上は先なのだ。ましてや、子どもを産み育てるというというのは全く実感の湧かない世界である。目の前で同い年の少女が生後間もない子どもを抱いているというのはとても不思議な感覚だ。
ピアニーは見よう見まねで赤子をあやそうとしている。
しかし、残念ながら赤子の方はお気に召さなかったらしい。ふごふごと口を動かしてから、おもむろに泣き出してしまった。
「うああう……、あああー」
「大丈夫よ、大丈夫。サリーちゃん」
「はは……人見知りかな」
「ピアニー、代わるよ。おじさんたち疲れてるだろ」
ずっと傍観してるのもどうかと思い、ラズも赤子に近づいた。ベビーシッターなら故郷で少しばかり心得がある。
実際に抱いてみると、思っていたより小さくてとても軽い。包むように支えれてとんとんとリズムよく揺らせば、赤子はすんすんと鼻を鳴らして泣くのをやめてくれた。
一同が意外そうな顔をする。
「何お前、そんなこともできんの?」
「なんか私より慣れてるね」
「あーもう、偶然だよ」
口々に言うリゼルとリンドウ。
女の人が抱くと母乳をせがんで泣くことがある……なんて説明が煩わしくて適当に誤魔化し、ラズは緩い表情でうとうとする赤子を見つめた。……全てを委ねてくれる様は、かわいいかもしれない。
ピアニーはゆっくり瞬きして何故か微笑んだ。それから、小声で周囲に目配せする。
「リンドウはご飯を食べてきて。それから、商人たちは休んだ方がいいわ。イリゼルト」
「うん?」
「変わったことがないか宿の外を一回りしてきてくれる?」
「りょーかい」
てきぱきとした指示に、大人たちはそれぞれの部屋に戻っていった。眠そうな商人の妻、ラズと赤子、ピアニーだけが部屋に残される。
指示のなかったシャルグリートはリンドウを追って食堂に行ってしまった。まあリンドウはよくナンパされるので、あんなでも一人よりかはいいだろう。ちなみに隠密の女性<犬>は昼からずっと別行動で情報収集だ。
「……サリーちゃん、寝ちゃったのね。私に何かできることあるかしら」
「うーん、布団に下ろしたり抱く人が変わったらまた泣くかもしれないし、しばらくはいいよ」
「ラズくん、すごぉい。将来安心ね、ピアニーちゃん」
「えっ」
商人の妻の言葉に、ピアニーの声が小さく裏返る。しかしすぐにいつも通りの笑顔を浮かべた。
「やだ、奥さんったら。私たちはそういうんじゃないから。ね、ラズ」
「え、うん。そうだね」
「ええ〜?」
「サンドラさん、寝たら? サリーちゃんに何かあったら起こすから」
掘り下げる気満々の商人の妻に苦笑いしかない。──しかしやっぱりピアニーはそういうつもりがないんだな。……別にショックじゃないやい。
† † †
宿には他に客の姿はなく、食堂も閑散としている。
シャルグリートは数日ぶりのアプローチを試みていた。
「あんたさっき食べたんでしょ? なんで私のご飯とんの」
「一人で食べタラさみしい、デハ?」
「ではないね」
目の前の黒髪美人は相変わらず手強い。
ラズからは旅に出る時に脅されたし、別の日には彼女を傷つけるなら本気で怒るとまで言われた。小さな友人の言うことをいちいち聞いてやるのは煩わしいが、闇雲に不和を招くほどシャルグリートも愚かではない。
しかし、諦めた訳ではないのだ。
だって困難なことほど、チャレンジしたくなるものだろう。すごすごと諦めるなど竜人の名折れである。
「……あんた、別に私のこと好きじゃないでしょ」
「好きデスとも!!」
「どこが」
ぶす、とフォークを肉に刺して、リンドウが迷惑そうに尋ねてくる。──よくぞ訊いてくれました!
「その麗シイ黒髪! 愛らシイ吊り目! アナタほどの美女、見たコトありまセン!」
「へーそう」
「只人を寄せつけナイ孤高の気品! 薬のこととなると熱中し過ぎて周りを見ナイ!」
「最後ほめてなくない?」
「最高の女は最高の男である俺に相応シイ!!」
「どこからそんな自信湧いてくるのか知りたいね。解剖していい?」
「モチロン! 隅から隅まで確かめ──てめ、それヒィィィッ!?」
チャキ、と左手に握られているのはテーブルナイフの数倍鋭利な刃物──メスとかいったか。
──ドスッ! と皿の上の肉に突き立てて華麗な手捌きで割る。それだけで一気に骨が露出するのは筋肉繊維の流れを正確に理解しているからだ。
彼女は武についてはからきしだ。隙なんていくらでもある──だというのに、何故こんなにも背筋が寒くなるんだろう。
「あ、間違えた。……つまんないねぇ」
モルモットを見るような、狂気を孕む視線に、シャルグリートの表情筋がぞくりと凍りつく。──いやもしかしてこれが危ない恋ってやつ?
旅に出てはや二ヶ月。
怪物遭遇の危険はあれど、ここまで概ね順調に来れた。
仲間としての連帯感は上がったと思う。いい雰囲気にはついぞならなかったが。
──そう、平穏だったのだ。この日までは。
ラズとピアの恋愛スピンオフ、更新しています。
・赤ちゃん絡みで多感なラズの気持ちのことwithリンドウ
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・早朝のデート
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