平原の国(11)……旅路
爽やかな夏の青空に、どこまでも続く膝丈の草原。陽光に熱されて、どの方向を見ても陽炎が揺めき、息をすると肺から熱されて苦しいほどだ。その暑さも、乾いた風が吹けば幾分か和らぐ。
「暑うございんす……」
二尾《の黒猫が膝の上でぐったりとして呟いた。
「ぬしの思い通りになるんでありんすから……もう少し……涼しく……」
「修行が足りませんね、とかレノに言われない?」
「主殿の側は年中快適でありんした」
「嘘だろ、甘。それ本当にレノ?」
「本来気温の変化に弱い種族でありんすよ、あのお方は」
「へえ、意外……」
ラズと旅をしていたときは暑い時も寒い時も常に涼しい顔をしていたのだが。もしかして、秋の終わりに眠そうにしていた辺り、爬虫類と同じで変温体質なのかもしれない。ならばおそらく普段から錬金術を使って体温を調節していたのか。
ラズは暑いのも寒いのも割と平気な方だ。耐えられればそれぞれに違った楽しさがある。──汗が滝のように流れるのだって、たまには爽快じゃないか。同意してくれる人は滅多にいないが。
そしてこの猫は普通にひ弱──辛そうに尾を振る猫を抱き上げたのは、歳のほど近い白い髪の子どもだった。
「ファナ、久しぶり」
穏やかな赤い相貌を見上げて、ラズは笑いかけた。旅に出てから約二ヶ月、夢で会うのはこれで三度目だ。
ファナ=ノアは流れ落ちる汗を拭いて困ったように笑った。この幼馴染は陽光も暑さも苦手なのだ。十分もすれば倒れてしまうかもしれない。
ふわ、と術を使う気配がして、ひらひらした僧服の足元から冷たい風が渦を巻き大きく広がった。その腕の中で涼を得たらしい黒猫は、大きな金の瞳を気持ち良さそうに細める。
ラズも立ち上がって草原に意識を向けた。
(木のイメージ……)
錬金術で植物を作るのは難しい。擬似的にそれらしい形を作るまではできても、全ての細胞に正しく遺伝子を定義し微生物までも再現して、生命活動をさせるのはほぼ不可能だ。だからこれは、夢の中で作り上げる幻の一種に過ぎない。
にょきにょきと幹が伸び、葉が生い茂る。大山脈に時折見られる巨木。一帯がその影に入って陽に熱される息苦しさが軽減する。
「荒野の夏は涼しいんだよね」
怪馬たちがわざわざ避暑のために春から秋にかけて荒野に群れで移動するくらいだ。不毛の大地でも、短い雨季の後には実りがもたらされる、と小人たちの書物で読んだ。
暑さでいうと平原より海の国の方が暑いはず。一方森の国は大山脈から流れてくる雪解け水と、生い茂る広葉樹のお陰で過ごしやすい。怪馬たちが森の国の方に移動しないのは、そちらの方に天敵となる怪物が生息するからだそうだ。
ファナ=ノアは微笑を浮かべながら、いつの間にかの手に持っていた羊皮紙に羽ペンを走らせる。曰く、
『平原の国はこんなに熱いんだな。皆は大丈夫なのか?』
その筆跡は素朴で丁寧だ。かわいいと言えなくもない。たしか、祝詞を認めるときはもう少し堅い字体にしていたはずだ。
ラズは受け取った紙に返事を書いた。上手くはないがのびのびとした字が紙面に躍る。注意しないと筆の流れに任せて勝手に字画を略してしまい、読めないと怒られるのがラズの字だ。
『ピアニーとリゼルさんは堪えてるけど、なんとかなってるよ。シャルはすっげー元気でめんどくさい』
二人は荒野と同じ気候の地方出身だから、初めて体験する暑さにバテ気味だ。せめてもの配慮で、街が近いときには別行動にして、宿に泊まってきてもらっている。ちなみにピアニーが雇っている隠密の女性<犬>はもともと国境付近の出身だそうで、体調を崩している様子はなさそうだ。
『そっちはどう? 皆元気?』
『ああ。ブレイズ殿もだいぶ回復したから、一昨日フリッツ領に行かれたよ』
『そっか……良かった』
ファナ=ノアとは現実世界でも手紙のやりとりをしているがタイムラグが二週間はある。旅の間に、隠密の<猿>が二回往復してくれたが、そろそろ荒野に戻った頃だろうか。
『疫病の件はあれから何か分かったのか?』
『それが、診たとこ伝染性じゃなくて、貴族……それも跡継ぎ争いしているところばっかり発生してるんだ。接触した人の話を総合すると──』
赤い斑点が現れ、徐々に体調を崩し、風邪のような症状で肺を患って命を奪われる。または内臓を病んで衰弱死する。この症例はまさにブレイズ……ピアニーの父の体を蝕んでいたそれだ。
<死の仮面>ビライシェン=エンデイズの、電磁波の術──一定以上浴びれば、同じ症状を引き起こすだろう。
さらに二件ほど、患者の体に斑点が現れる少し前、訪れた客人の話が聞かれた。西方自治区の薬商人だということだったが。
『理由は分からないけど、ビライシェンも東の街に向かっているってことかもしれない。進路的に、このままだとリューン公国で遭遇する……かも』
『どうするつもりだ?』
ファナ=ノアは気遣わしげに黒猫の背を撫でながら、ラズを見つめる。
狙われた貴族の件は、<犬>が調べた裏筋によるとどこも暗殺の依頼があったという。有力な貴族に貸しをつくり、資金を集めて何をしようというのだろうか。彼が最西端の領でしでかしたことを思うと、嫌な予感がしてならない。
『目的を確かめる必要はあると思う』
それが荒野への復讐のためなら、止めなくてはいけない。森の国への侵攻が激しくなる要因となるなら……そこには今兄が居るんだから他人事ではない。──では、違ったら? 例えば、平原の国そのものを狙っているとか。ファナ=ノアが荒野に独立国を構える限り、大国平原の国は脅威だ。弱体化するなら……見過ごすべき?
(……違う、僕は)
『争いを引き起こすつもりなら止める。だってそもそも戦争そのものを止める方法を見つけにいくんだから。国境の──リューン公国で』
力を込めて綴り、赤い瞳を真っ直ぐ見返す。
……国境の占領地は公国兵の搾取により飢饉が起き、暴動が絶えないのだという。戦線を抜けて森の国に行くのですら一苦労だろうし、不安なことは多い。しかし、だからといって気後れしていては常に国主として民衆に尽くす目の前の幼馴染に顔向けできない。
ファナ=ノアは眩しいものを見るように微笑んだ。
ここまで、楽とは言えないまでも、比較的短期間解決できるトラブルばかりだった。順調な旅路だったと言えなくもない。
怪物と戦ったり、街に寄ったり。
この先の国境で、一体誰と出会い、どんなことが起きるのだろうか。
†
国境に程近い、大草原。
その一帯は、リューン公爵の領地である。ピアニーの目的地である公王城がある都まではあと二日といったところか。
ラズの背丈程もある草原を掻き分けての移動は怪馬にとっても大変らしく、あまりスピードが出ない。しかも時々猛獣が飛び出してきたり、虫にたかられたりするから厄介だ。出来るだけこういう道は避けたいのだが、今日みたいにどうしようもない時もある。
「…………?」
遠くから、風に乗って誰かの声が聞こえた気がした。こういう時怪馬の方が耳が良いのだが、愛馬スイは自分たちに危険が及ばない限りは教えてくれない。
(人間の叫び声……かな。スイってば)
繰り返し尋ねると、ムスッとした念話が返ってくる。
『───……どのみち進路だ』
(……!)
こういうことは初めてだ。ここまでの旅では街道からかなり離れた場所を通ることが多かった。しかし、今いる草原地帯は街と街が近くて人里から隔たったルートを探す方が難儀な地域。だから現在も街道にほど近いルートを通っている。
(どうする……? 助けにいくか)
怪馬に乗った旅人なんて、見られたら一発で国中の噂になること間違いない。かと言って、気づいてしまった以上無視するのは後味が悪い。
考えている間に、その現場が視認できる距離に近づいてきた。
草むらの向こう、群がる小鬼から荷馬車を守るのは戦士二人と御者。馬車の中からは、絶えず幼子の泣き声が漏れ聞こえる。馬は脚を傷つけられ振り切れる感じではなさそうだ。
────駆けつければ、助けられる。
しかも、あの人たちは。
瞬間的に、決断する。
「……おーいッ、シャル! 頼む、手伝って!!」
「ラズ!?」
「リン姉たちは後から来たらいいから!」
後列の彼女たちにもそろそろ見えているだろう。
ラズは荷物袋から剣を引っ張り出してスイの背中から飛び降りた。
「知、り、合、い、だよ!!」




