平原の国(10)……旅路
山を一つ越えると、いよいよ平原の国直轄地だ。二つの公国と四つの領からなり、その広さだけで森の国の可住地面積に匹敵する。以西全てを支配するこの巨大な王国が、隣国たる森の国や海の国に対し優位に立てないのは、豊かとは言いきれない土地と、多様すぎる民族が絶えず起こす独立運動のせいらしい。
そんな土地柄、峠には野盗なんかも多いと聞いたのだが、幸運なことに遭遇することはなかった。
その代わり、もっと厄介なものに追われることになるとは、思ってもみなかったが。
ドォオォォンッ!!!
飛来した岩が地面に衝突して土砂を撒き散らす激しい音。
「シャルそっち任せた!!」
「クソ、ズリィぞテメー!!」
竜人シャルグリートの怒鳴り声を聞き流しながら、ラズは小山ほどある亀の甲の下から伸びた太い足を避ける。
(……スイ! そっちは大丈夫だよな!?)
亀。
しかも巨大な。
この怪亀と遭遇するのは実に三回目。
一回目は足を削いで機動力を奪いその間に逃げたのだが、翌日には回復して執拗に追いかけてきた。亀なので見た目の動きは鈍いのだが、とてつもなく大きいせいで人間のスケールからすると恐ろしいほど速い。
二回目に遭遇したときは頭を落としたので、今回はさすがに別個体かと思ったのだが、甲羅には前回つけたと思われる、見覚えのある傷。このままでは街までついてきかねず、ぞっとしない。
『───ああ、十分離れた』
脳裏に愛馬の声が響く。念信できる距離ということは、この怪亀の足だと三分そこらなので、安心はできないが。
身の丈ほどある脚が八本、巨大な頭には牙が並んでいて噛みつかれたらどう考えても終わりだ。見るからに分厚そうな甲羅の上からは土や草木が崩れ落ちてくる。ラズたちと遭遇する前はずっと土に埋もれていたのだろうか。その頂点はこの位置からは見えそうにない。
「ピアニー、甲羅の上はどうなってると思う?」
「どうって!?」
飛んでくる石礫を避けながらピアニーが叫び返した。本当はリンドウや怪馬たちと一緒にいて欲しかったが、この亀が来る前まで狼に囲まれていたため、離れるタイミングを逸したのだ。
亀の素早さは控えめに言って怪馬並み。シャルグリートは竜人なのでまだしも、人間の身体能力で亀が振り回す足を回避し続けるのは無理がある。ラズはジャンプ力を術で強化できるけれども、ピアニーはまだ無理だ。それでも彼女は初動をよく観察して位置取りを間違えないからすごい。
「甲羅の上の方が危険だったりするかな」
亀は今鼻先のシャルグリートに気をとられている。シャルグリートは持ち歩ける量の水晶では決め手に欠けるらしくどうにも攻めあぐねているようだ。亀の甲羅の主成分は硫黄を含むタンパク質──シャルグリートの得意とする珪素ではない。ちなみに前二回、亀の脚や頭を切り落としたのはラズの風の刃<八風>である。
同じやり方では倒せないなら、急所は甲羅に守られた本体にあるに違いない。
「甲羅が変形して槍襖にでもならない限りは、安全だと思うわ! でも、普通に考えて弱点はそこには無いんじゃないの!?」
「けど、あの亀に関して、確認してないところって、そこくらいだろ!」
「────あなたそれ、登ってみたいだけでしょうっ!」
「うっ、そんなまさか! ヤバそうだと思ったらすぐ降りるから」
進路から逸れた岩の上に上がり、ピアニーに手を貸しながら甲羅のへりを見上げる。
首はかなり自由に動かせるようだから油断はできないし、あの脚力でジャンプされたりすれば振り落とされてただではすまないかもしれない。
「ピアニー────お願いがあるんだけど」
「逃げてって言うつもりならお断りよ?」
「違う、その逆……ついてきて欲しい」
† † †
亀の顎が大きく開く。
高く跳躍していたシャルグリートはしたり顔で口の端を引き上げた。──こちらが空中で身動きが取れないと思ったんなら、所詮動物だ。
怪馬すら収まりそうなその巨大な口に、鋭い歯が並んでいるのが見える。黒水晶の槍を生み出しながら、シャルグリートは吠えた。
『これでも喰ってろ!!』
口につかえた槍に、亀は無言で痛みに苦しみ悶える。視界の端で、ラズが側面から甲羅に飛び乗るのが見えた。ピアニーも一緒のようだが、何を狙っているのか。──しかし何にせよ、今度こそこの亀は自分が倒す!
山の斜面に降り立って、シャルグリートは楽しそうに尖った歯を覗かせた。
『大技はあいつらの専売特許じゃねえんだぜッ!!』
亀の口の中で黒水晶の槍がぐぐ、と動く。今日の為に考えたのだ。
──回れ!
イメージした通りに槍は円環状に変形し、巨大なチャクラムとなって回旋を始めた。まだ、速度が足りない。
円月輪がぎゅるぎゅると巻いて、亀の口を削り取る。
『──ぅおぉぉらああああ!!!』
さらに回転速度を上げる。回すイメージに引き摺られてだんだん気分が悪くなってくるがここで止めると技が暴走しかねない。
ギリ、と奥歯を噛み締めて、気合いを込めてシャルグリートは吠えた。
『削ぎ落とせ! <宵月輪>!!』
黒水晶の円盤が亀の頭を破壊しながら宙に飛び出した。陽光を受けて光りながら、回転したまま低く飛行し太い脚を斬り落していく。
(一本! 二本! ……三本!!)
赤黒い血を飛び散らし、五本目で甲羅に食い込んで、円環は静止した。頭を潰されて、巨大亀の動きが鈍る。──昨日はこれで終わりにしたが、今度こそトドメを刺すにはどうすればいいのか。
『チッ……上手くやれよ、ラズ 』
まあこれもチームワークだ、と自分に言い聞かせ、シャルグリートは頬についた返り血を拭った。
† † †
† † †
亀の甲に跳躍し、バランスを崩しそうになったピアニーを支える。
「……っとと」
「ありがとう、これ、着地も大変なのね──」
一時的に跳躍力の強化を味わった彼女はラズの腕に捕まりながら、慎重に足場を踏みしめた。
甲羅の下ではシャルグリートが頑張ってくれているらしく、亀は上に登った人間二人を気にする様子はない。警戒していたほどの危険はないようだ。
頂点に登ると、三階建ての建物くらいの見晴らしだ。不謹慎ながら、ちょっとわくわくする。
ピアニーからの呆れた目線に内心舌を出し、ラズは足を広げてバランスをとった。
「何をする気なの?」
「まずは、<理解>」
答えながら、下向きに手をかざす。
あちこち土砂が堆積した甲羅の上には、特に目立った特徴はない。なら、甲羅の下はどうなっているのか。調べようにも、ラズの<波動>の届く範囲はそれ程深くないし、生体への術の行使は無意識の抵抗を受けるため簡単ではない。
「…………」
「大丈夫?」
「──あとちょっと」
その時、巨亀の甲が一際大きく振動した。シャルグリートが大技でも使ったんだろうか。その衝撃で、届かなかった少し先に<理解>の力が届く。
「────この下にある心臓を壊せば、再生しないかもな。脳もそこにあるっぽいから」
しかし問題はどうやるかだ。
風の刃では甲羅に傷がついて終わるだけ。なら叔母リンドウに爆薬でも持ってきてもらうか。もしくは錬金術で生体を分解してしまうかだが、さすがに体積が大きくて、キャパオーバーだろう。──ラズ一人の力では。
「ピア、手を貸してもらえないかな。前みたいに」
「ええ……やってみるわ」
ラズは二人でいるときにしか彼女の愛称を呼ばないことにしている。ファナ=ノアに対しても、山地から帰って以降はそうするようになった。それは主に立場を配慮しての事だが、彼女についてはなんとなく周りに聞かれるのが気恥ずかしいから、という理由が大きい。
ラズの手に、ピアニーの手が重なった。剣だこのある、しなやかな手。彼女の方がまだわずかに背が高いが、手はラズの方が大きい。多分、遠くないうちに身長も抜かすんだろう。ファナ=ノアとの関係はこれからもずっと変わらないと信じられるが、彼女とはこの先も友達でいられるのかよく分からない。
彼女から流れ込んでくるエネルギーを利用して、下方に術を行使する。最も単純なイメージ、<分解>。
「──足場を崩すよ」
ざわ、と亀の甲が振動したかと思うと、ラズたちを中心に溶けるように陥没していく。脊椎を削り取り血肉を抉る感覚に、背筋がざわついた。思わず手が強張る。気持ち悪い──やる前に、覚悟していたはずなのに。
「うっ…………」
「ラズ!?」
ピアニーの心配そうな声が耳に届く。怪物を殺すくらい──尻込みしてどうする。歯を噛み締め、静かに息を吐く。心臓部はすぐそこだ。
鞘から剣を抜き放ち、集中する。
「……万象を裁ち、虚空に帰せ!」
切先を大きく振りかぶる。
そして、鋭く足場に突き立てた。
「──<是空>!!」
剣が帯びた振動が、亀の心臓を貫き破壊する。
次の瞬間、ピアニーに腕を引かれた。
勢いよく吹き出した赤黒い液体が、視界を遮る。
ぐら、と目眩がした。
(なん……、これ)
だれかの、強烈な感情が流れ込んでくる。
──シニタクナイ!
──シニタクナイ!!
──シニタクナイヨウ!!!
(これは……この亀の?)
暗く歪む空の光景。戦慄。変貌。蹂躙。──走馬燈のごとく映像が浮かんで消えていく。
目の前に現れた黒髪の人間を──喰らい尽くしたい、渇望。
消えていく己の自我……そして恐怖。
──我ハ、喰ワレルノカ……?
(!!)
たたらを踏んだ足の感覚で、現実に引き戻される。今、ラズの中に入ってきたものは何だったのか。
(亀の存在を──吸収したのか)
おそらく半年前の<虚の王>の怒りによって力を得、巨大化した存在。それが、同じように<虚の王>から力を与えられたラズを狙って捕食しようとしていた? ──異世界から来た<喰らう者>のように。
思い返せば荒野の黒竜も執拗にラズたちを殺そうとしていた。最後はファナ=ノアが黒竜を葬りその魂を受け取っていた。山地の麓の小鬼のときはすぐに気を失ったから分からなかったが。
(こんなことが……この先続くとしたら)
暑いはずなのに、背筋がぞっと寒くなる。
それがもし、怪物じゃなくて人間だったら。
これから向かう国境は戦争状態にあるという。巨人たちと森の国も戦っているはず。
──怖い。話し合いなど取り合わず、ただ命の奪い合いをするしかないとしたら?
亀の感情に当てられたのか、頬を一筋水滴が流れた。
(大丈夫のはずだ……だってそんなこと言い出したら、ファナやシャルだって!)
なのに、漠然とした不安に襲われる。
背中に置かれた、優しい手の感触だけが救いだった。




