平原の国(9)……旅路
荒野を発ってはやひと月。ラズたちは砂漠を越え、旅を続けていた。
ここ、西方自治区の中央都市は、丈の低い草原に囲まれた、乾燥気候の街である。国境まではあとひと月といったところか。
ここまで来ると、家の装飾として木の柱がちらほら見受けられる。ただこの辺りの自生している木は幹が細いので、下流にある海の国から輸入しているのだろう。
「果物が露店に並んでるわ……っっ」
感極まった様子でピアニーが両手を合わせた。彼女の趣味はお菓子作りで、最近では旅の合間にも簡単な砂糖菓子などを作ってお茶を楽しんでいる。野宿ばかりの旅はお嬢様にはきついかもしれないと思っていたが、砂漠を越えてからこのところは毎日とても機嫌が良い。
「好きなだけ買ってきたら? 持つのくらい手伝うし」
「ふふ、ありがとうっ!」
ピアニーは心底嬉しそうににっこり笑って、踊り出しそうな足取りで市場に踏み出した。
しかし、すぐに足を止めてラズの方を振り返る。
「あっ、ねえ、あそこに見えるのはもしかして、船!?」
「いや、あれは多分……。見に行ってみる?」
彼女は後ろを歩いてきたリンドウの方を振り返った。
「最後の用事は私たちで行ってきていいかしら」
「へ? あ、ああ。そうだね、薬の取引は時間がかかるから」
リンドウは腑に落ちない表情で首肯する。その様子に、ラズはなんとなくそわそわした。実は叔母リンドウの認知するところでピアニーと二人きりで行動しようと言うのは初めてである。
ピアニーは何も気にしていない風で金髪騎士にウインクした。
「じゃあリゼル様、リンドウは美人だからしっかり守ってあげてね」
「あーいよ。ラズ、嬢を頼むな」
「はっ……うん」
本当は油屋の買出しは金髪騎士が一人で行く流れになっていたはず。若干の居心地の悪さを感じつつラズは頷き返した。
「じゃあ、行きましょ」
彼女はぱっとラズの手を握って、ちらりと見えた帆のような影を求めて走り出した。高い位置で結えたツインテールが元気に跳ねる。
ちらりと横目で振り返ると、金髪騎士が手をひらひらさせるのが見えた。
大通りに出たところで、整備の行き届いた街路を、御輿が通るのに出くわした。船ではないことは一目瞭然だ。
足を止めたピアニーがつぶやく。
「葬列……かしら。亡くなられた公子の」
「だね。街を練り歩くのかぁ」
白い布がかけられた壺のような丸い棺桶を、屋根付きの輿に格納して担いでいる。木彫の独特な紋様の飾りは、東方の文化寄りだ。
うっかり物珍しげに見物してしまっていたが、はっとして慌てて跪く。ここで平民は平伏が基本だ。当然目をつけられてはまずい。『小人に組みする黒髪の錬金術師』の悪名は荒野から遠く離れたこの街にも轟いている。だから今日だって髪をわざわざ茶色に染めてきているのだし。
「……立場のある方の葬列にしては、侍従が少ないわ」
「噂の『疫病』のせいかな」
隊列が通り過ぎた後、ピアニーは思案顔で立ち上がる。
「貴族と家人だけが罹るって変じゃない? 普通民衆から広がるのに……」
「ちょこっと貴族の屋敷の方も見に行ってみる?」
「……ううん、いいわ。怪しまれるもの。それより、ラズも久しぶりでしょう、街。行きたい場所はないの?」
ラズは一つ瞬きした。初めての旅の道中における、この辺りの街の記憶を思い起こす。買い出しをした後工業地区に忍び込んだり……
(観光らしい観光なんてしてないんだよな)
そういう気持ちの余裕がなかった。今も、先を急ぎたいから、最低限の用を済ませたら街から出るつもりで寄っているのだが。
「じゃあ、一箇所だけ、いい?」
街の中心にある石造りの時計塔を指差して問うと、彼女はもちろん、と言って笑った。
時計塔の周辺は公園として整備されていて、花壇には夏の花が彩りよく咲いている。専用の用水路が引かれているのか、小さな泉は住宅街を流れる側溝の水よりは澄んでいた。
普段は市民の憩いの場であろうに、喪中のためか人通りが少ない。時計塔の立ち入りも禁止されているのが残念だ。
「……ちえ。中を見てみたかったのにな」
「時計塔の中に興味があるの?」
「あれってすごく大きな歯車が噛み合って動いてんだよ、たぶんだけどさ」
「工場機械と同じなら、近くは危険なのじゃないかしら。……ところで今って何時?」
「十一時。あの時計、三時間遅れてるね」
公園の隅で話していると、時計塔の裏に大小数人の人影が見えた。尖った耳と、歳格好の割に低い背……まず間違いなく小人だろう。技師のようだが、怯えた表情で偉そうな態度の役人に促されるまま塔の中に入っていく。
「……ラズ?」
「────あ、いや、なんでも……」
「いいのよ、我慢しなくて」
彼女は華やかに笑ってポーチから何か取り出した。
「騒ぎになれば、小人への迫害に拍車をかけることになるでしょうけれど。騒ぎになれば──ね」
† † †
カーン、カンカンカラ、リンゴーン……
正午を知らせる鐘が街に響く。
手持ちの薬をお金に変えた後の帰り道。
人通りが増え出した市場を後にして、リンドウは同行する金髪騎士に話しかけた。騎士といっても、今の格好は傭兵とそう変わらない。気さくで話しやすく、軽いように見えて愛妻家なのだとか。そして今は両手に買い込んだ荷物を抱えている。
「あの子たち、戻って来なかったけど」
「まあ、なんかあったら<犬>っちが知らせに来るさ」
街の外に待たせている竜人の青年とは、昼に戻るという約束である。あの竜人、もともとは会う度にナンパしてくる若者だったが、幸い旅に出てからはラズと連んでいることが多いため、意外と困っていない。そしてリンドウ自身は、暇があればピアニーの錬金術の修行に付き合ったりしている。
ピアニーという少女は、明るくハキハキと話し、なんでも率先して動く『いい子』だ。そして頭の回転が速く、驚くような切り返しをしてきてヒヤヒヤすることがしばしばある。それでなんとなく『敵わない』と感じているのはリンドウだけではなさそうだった。
街の入り口に続く大通りを歩きながら、街のランドマークである時計塔を見上げる。
「あの子たち……ほんとに仲がいいんだね。びっくりした」
さっきはためらいなく手を握り合って、あっという間に通りの向こうに消えてしまった。二人が雑談しているシーン自体はよく遭遇するにしても、浮いたやりとりをしているようには見えなかったのだが。
金髪の騎士はふっ……と意味ありげな顔をした。
「ん? 知らなかった? あいつら隙あらばベタベタしてるぜ?」
「げ、ラズ……嘘でしょ」
ちょっと前まで全く興味がなさそうだったのに、いきなりこんな場面を見せられることになるとは。……息子に彼女ができたときの母親ってこんな気分なんだろうか。
なんとも言えない顔をするリンドウを見て、金髪騎士は「もっとも、たいがい嬢からだけどな」、と付け足し笑った。
この金髪騎士とピアニーは従兄妹同士と言っていたか。彼も兄として複雑な気分なのかもしれない。
「お嬢様の遊び相手には宜しくないんじゃ?」
「その辺は、嬢が一番よく分かってるさ。ほっときゃ良いんだよ、もう十二なんだし」
「……まあね」
リンドウがこの旅に同行した理由は、旅そのものが好きだということもあるが、道中で十二になってしまうだろう甥の側にいてやらないといけないという責任感のためだった。子どもだ子どもだと思っていた少年がいつの間にか成人扱いになり、周りから認められているのを耳にするのは嬉しいやら寂しいやら複雑な気分だ。
(要らないって言われたら、どうするんだろ、私)
リンドウはこっそりと胸の内でため息をついた。
† † †
† † †
大小異なる鐘が絶妙な和音で鳴り響き塔内部を震わせる。
見上げれば巨大な歯車が、それぞれの速度で回転しながら噛み合っては離れ、美しいまでに整然とした光景を作り上げている。
「おおー……」
思わず感嘆して見惚れていると、職人姿の小人たちが得意げに顔の皺を増やして笑んだ。
時計塔に入ったのは一時間前。
ピアニーは時計塔の前にいた役人に金貨の袋を見せて地位のある家の娘と思わせた上で、会話を引っ張って気を引いてくれた。ラズはその間にこっそりと塔に侵入したのだが、彼女が後から役人を連れて堂々と塔に入ってきたものだから驚いたものだ。巧みに会話して味方につけてしまったらしい。いつもこうはうまくいかないんだけれど、と舌を出して照れていたが──思い返せばラズも会って数回で自分から彼女に協力しようとしていた訳で、なんとも言えない気分だった。
時計が遅れていた原因はすぐに分かった。今朝に整備に来た小人が事故で歯車に……これ以上思い出すのはやめておこう。とにかく、小人達と協力して問題を解決して時間の針を正し、今ようやく時計塔は本来の仕事を再開したのだった。
小人の技師たちが、口々に礼を言いに来る。
『葬儀までやってもらって……すまないな』
『こちらこそ。全員が故郷に帰れるよう、ファナ=ノアと教会が力を尽くしてるから──もう少しの辛抱だよ』
本当は、ピアニーが傭兵を雇って彼らを逃すこともできると言ってくれたのだ。しかし、本人たちから職人として責任を持って働いており仕事は投げ出したくない、と断られた。彼らの待遇は銃の製造工場で働かされる者たちよりは恵まれているらしかったが……それでも死ねばゴミのように捨てられるのだそうだ。
ラズとピアニーが市場に戻ったときには、リンドウたちの姿はもうなかった。スイに確認したところ街の外で既に食事中らしい。
手近な露店で果物と串付きのソーセージとトウモロコシを買って時計塔を見上げながら頬張る。
「ピアが歯車に巻き込まれそうになったときは焦ったよ」
「ほんと。『分解して』って叫んでくれなかったら危なかったわ」
なぜか機嫌良さそうに、ピアニーは半分こしたトウモロコシをかじっている。指先で回しながらはむ、と含む様は小動物みたいだ。
「付き合ってくんなかったら死人出てたと思うとゾッとする」
「それって、私が賛成しなくても一人で忍び込んでいた?」
「んー……たぶん?」
そもそもピアニーが誘ってくれなかったら時計塔の問題には気がいかなかったとは思うが。
ピアニーは少しいじわるそうな笑みを見せた。
「やっぱり。ラズって向こう見ずよねえ」
「なっ! ピアだってすぐ熱くなるくせに」
「私は皆と相談して行動するわよ! ……次は」
「はいはい、どうせ僕は興味と取り敢えずで単独行動する派ですよ」
ぼやき返すと、ピアニーは交換したソーセージを横に持ったまま可笑しそうに笑った。
「──何だよ?」
「だってラズ、歯にトウモロコシが挟まってるの……ふふ」
「えっ、……挟まるよね? 挟まらない食べ方ってある?」
「知らないわよ。なんで挟まるの?」
「訊かれてもっ!」
──だってトウモロコシの食べ方なんて、一つしかないよな!?!?
ピアニーだって普通にかぶりついているだけに見えるのに、納得いかない。謎の敗北感──ここは錬金術で歯からトウモロコシの実を除去してキリッとしてみるとか……? いや、それたぶんアホっぽいから却下────
頭を抱えているとピアニーがそっと背中に手を置いた。
「ラズ……私は全部の歯にトウモロコシが挟まっても友達でいてあげるわ」
──────!?!?
そうか、ここはそうやってボケきるって手もあったり……?
「って、ダサすぎる!」
眉間をつまんで半眼でつっこむ。ちょっと想像してみたのは秘密だ。
「はー……。もう行こう」
「貴金属の換金はいいの? せっかく作っていたのに」
「いいよ次の街で。カンテラの油だけ買っていこう」
この都市の向こうには峠がある。その先は川が流れていて草木も増え、土地が豊かになっていく。夏の暑さと怪物にだけ気をつければ、行き倒れることはないだろう。
「錬金術が使えれば、お金の心配もないし、水の確保も簡単なのね」
「まさに金を練る術ってね。錬金術師ってだけで目をつけられやすいし、気をつけないとな」
「……じゃあ、森の国の錬金術師の従軍の噂は、どういうことなの?」
「…………」
串を露店に返してから、ラズは振り返った。
「森の国の全てを知ってる訳じゃないけど、錬金術師ってだけで有名人になって、法律に反する錬成は下手にできなくなるって聞いたことある」
「国の監視下に置かれるということね」
頷き返す。──もしかすると、戦時となれば強制召喚されたりとかもあるかもしれない。
錬金術は戦いにも使うことができてしまう。いつか会ったナックルを赤熱させていた錬金術師でも、普通の人からすれば恐ろしいだろう。その気になれば触れたものをすべて燃やせるんだから。
ちなみに、故郷を離れて森の国の領地に住んでいたリンドウは、錬金術師ではなく薬師として認知されていた。それには多分、あの領の領主の思惑があったのだろうが。
「……谷の國のご先祖さまは錬金術師だったから恐れられ迫害を受けて大山脈に追いやられた訳だけど、別の地域に逃げた人も少なくないんだよな」
技術を受け継いだ人々は森の国各地に散らばっている。ラズが旅に出た時は最短経路でほとんど街に寄らなかったため、遭遇することなんてなかったが、時々遠方から首長たる父のもとを訪れる術師がいたことは覚えている。
「ふうん。じゃあ、森の国の錬金術師というのは、あなたの遠い親戚かもしれないの」
「……うん」
「ラズ?」
隣りを歩くピアニーがこちらの顔を覗きんでくる。心配をかけまいと、ラズは無理矢理笑顔を作った。
「あー……この力で殺し合いはしたくないなって、思ってさ」
「分かっているわ。誰もあなたに、そんなことを命じたりはしないから」
力強い口調で言い切って、彼女は微笑む。
(『命じたりしない』……か)
今は身分を失った元貴族令嬢であるが、今日役人を味方につけたみたいに、この先彼女を信奉する人はどんどん増えていって、いずれはたくさんの人を導くような立場に戻っていくんじゃないだろうか、と思う。ファナ=ノアみたいに。
(ピアについてけば、殺し合いしなくて済むのかな?)
──いいや。たとえ将来そんな立場に彼女がなったとしても。
かつてラズに『強くなれ』と言ったのはスイで、前に進む勇気をくれたのはファナ=ノアで、生きる目的に気づかせてくれたのはレノだった。誰も憎しみ合わなくて済む、自由な世界の在り方を目指すのはラズ自身の願いであって、ピアニーを頼ってばかりではいられないし、そのつもりもない。
ただ少なくとも今は、上下関係など皆無な、旅の仲間だ。お互いやりたいようにしてるだけで、それが楽しいから一緒にいる。
「行きましょ?」
「──うん」
──それは、とても希有なことじゃないだろうか。
躊躇いなく引いてくれる手を、ラズは軽く握り返した。
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◆少し前の野営の時の話(隙あらばイチャイチャの件)
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◆本話直前に服飾店に寄ってた話
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(雑い)挿絵落書き
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