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平原の国(4)……出立

 視界いっぱいに広がる緑。

 見上げると木漏れ日が眩しく、空の青と、緑が照らされた黄色が色とりどりに光っている。


 ────ラズの故郷、大山脈の裾の森で見られる、夏の風景。


 旅に出てまだ数日しか経っていないから、この景色はただの記憶……夢だ。

 それでも懐かしくて、ラズは木々の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

 肩の上に陣取った黒い猫が二本の尾を振る。そして、幼女のような高くまろい声を発した。


「嬉しそうでありんすね」

「うん──到着する頃には秋だから、この景色は見れないだろうけど」


 この喋る黒猫は、今も頻繁に夢に現れる。ラズの中には一つの独立した()()があって、眠っている間だけその世界に干渉できるのだそうだ。独立した世界といっても、意思のある生き物はラズと猫のみ。それ以外は記憶と空想でできていて、泡のように現れては消えていくだけの空間である。

 夢の世界の源泉となる記憶は、ラズだけのものではない。以前死にかけたラズを助けるために、異世界から紛れ込んだ存在であるラズレイド・レノが生命力を分けてくれた。その際、彼の記憶までもらってしまったのだ。これをきっかけに紆余曲折を経て、同じく異世界の存在である猫がラズの夢の中の世界に居候することになって現在に至る。

 ちなみにレノの自称従者である黒猫によると、レノの記憶はすでに『食べて』隠滅したらしいのだが、今も時々、知らないはずの知識や技術が思い浮かんだりすることがある。ラズが現実世界で、小人の言葉や竜人の言葉を理解できるのもその影響だ。

 ところで……と、猫が髭を揺らして、金色の大きな目で一点を凝視した。


「あれは……ぬしの世界でいう、巨人、というものでありんしょうか」

「────!」


 猫の視線の先に、五歳くらいの子どもがいた。しかし、丈は見上げるほど……人間の大人くらい。くるくると巻いた短い髪。表情は虚ろで儚げだ。

 巨人……大山脈の高地に隠れ住んでいた、存在すら幻だった亜人族。かつて仲間を滅ぼした人間に復讐するため、ラズの故郷を焼いた者たち。

 ことの発端は、あの巨人の子どもと、ラズが出会ったことによる。巨人の子どもを助け郷まで送り届けたラズはその住処を知ってしまった。だから巨人たちは、人間に攻め込まれることを恐れて先手を打ったのだと……レノはそう推測していた。

 故郷に帰ったら……巨人たちと人間の争いを止めたい。それが、死んでしまった故國の人々に対する償いだと思っていた。しかし、いざあの子を目の前にすると、何をしたらいいか分からず、身体が竦んだ。


「ラズ殿?」

「あ……うん」


 二尾でぺしっと頬を叩かれ、はっとして思考を中断する。ここで動けなければ、現実世界で何ができよう。

 佇む巨人の子どもに歩み寄り、見上げる。


「……人間に、巨人を攻めさせないって約束させるから」


 語りかけながらも、脳裏には憎悪に満ちた兄の顔が()ぎる。街を灼かれ、家族を殺された人間たちが、それだけで納得するだろうか。

 巨人の子どもの丸い瞳はガラスのように虚ろだが、ラズは言葉を続けた。


「君たちに、人間はもう巨人を迫害しないって理解してもらうんだ」


 巨人の子どもは膝をついて、ラズと目線を合わせ、緩慢に口を動かす。


『そんなの、むり』


 ……そのあどけない声は、絶望感で満ちていた。




 †




「え……? 仕事はいいの?」


 うろんげに見上げると、金髪碧眼の騎士はあっけらかんと笑った。


「もともと(なあん)にもしてねえかんな」

「それ、大隊長(レイブンさん)がまた激怒するよ」


 ピアニーからフリッツ家に寄り従者をつける予定だとは聞いていた。しかし、まさかそれが憲兵隊でブレイズに次ぐ実力を持つ騎士、リゼルだとは思わなかった。

 彼はうまくサボることに全力を捧げていると豪語している残念イケメンで何かと貧乏くじを引く人だが、なぜか人望がある。二ヶ月前の作戦で受けた傷はまだ完治はしていないが、鉱山都市で武装組織の残党を捕らえる時には憲兵を指揮していた。

 リゼルは笑いながらラズの背中をばんと叩いた。


「俺と話してないで、さっさと男爵閣下に挨拶行ってこい」

「うっ……うん」


 修理されたばかりの屋敷の門の前で、ピアニーが手を振っているのが見える。彼女は礼儀だからときちんとした服に着替えているが、ラズは旅装束のままだ。

 もともとシャルグリートやリンドウ、怪馬たちと共に町の外れで待つつもりだったのだが、彼女に手を引かれるままここまで来てしまった。ひと月前の荒野での和平会談に来たのは副官だったので、財務卿本人と会うのは初めてだ。──堅苦しいのは苦手なのだが、ピアニーの頼みは何となく断れない。

 ひとつ深呼吸して、ラズは小走りに彼女のもとに駆け寄った。

 丁度出迎えに出てきた執事に、屋敷の中に案内される。

 執事の足音は妙に静かで、ピアニーのローヒールの靴音ばかりが天井に反響していた。


「ちょっとラズってば、普通に歩いてよ」

「ごめん、なんか執事さんにつられて」

「つられて足音を消すの……?」

「そもそもあんまり知らない所では目立たないように行動したくなるんだよな」

「そんな習性、どこで役に立つのよ?」

「うーん……街の外。森の奥とか」

「そういうところ、ラズって結構野生児よね……」


 そんなやりとりをしている間に、二人は応接間に通された。屋敷の内装は質素でこじんまりしていて、居心地は悪くない。

 出されたお茶の香りを確かめながら、ラズは隣りで姿勢良くしているピアニーに雑談の続きを持ちかけた。


「君の母上もこの屋敷にいるんだよね?」

「ええ。後で個人的に会ってくるわ」


 連れて行く気がなさそうな返事に、ラズはヒラヒラと手を振った。


「いってらっしゃい。……僕って嫌われてそうだしね」


 ヒステリックに怒鳴られた記憶はまだ新しい。思い出してちょっとげんなりしてしまった。

 ピアニーは気にしたそぶりもなく、茶菓子をつまんでいる。


(わずら)わしいんでしょう、本当は」

「うっ、だって、叱られにいくなんて嬉しい方が珍しいだろ」

「ラズのダメなところってそういうところよね」

「……」


 黙って口を尖らせるラズに、ピアニーはくすくす笑って、優雅な仕草でティーカップを持ち上げる。


「いいんじゃないの。そういう性格だから、お父様と気が合うのだと思うわ」

「はぁ……ピアニーはほんと周到に人付き合いするよな。尊敬する」


 荒野の郷に来てからは、あっという間に元野盗たちの人気者になっていた。剣なんかより、お菓子と笑顔の方が最強の武器かもしれない。


「それなりに擦り減るのよ。本当は、あなたと話している時が一番楽」

「……嬉しいけどさ、なんで?」


 ラズは相手によって取り繕うことはもともと少ない性格だから、彼女がラズと話すのが楽というのはそのせいなんだろうと思う。でも取り立ててそう言われると特別仲が良い相手と認められた気がして、不思議な感覚だ。

 ラズが目を丸くして問うと、彼女は紅茶を一口含んでから、淡く微笑んだ。


「……この間、キールを助けていたでしょう」

「それは別に僕じゃなくたってそうすると思うけど」


 キールとは気の弱い竜人の青年のことだ。だいぶましにはなったものの、未だに行く先々で虐められている。

 ピアニーは微笑んだまま、首を振った。


「あなたは、誰が悪いとも言わなかったわ。ただ、客観的な状況を言っただけ」

「冗談でその場を濁しただけだよ」

「……私なら」


 彼女は自重気味に続ける。


「私なら、双方の問題点について自分の意見をぶつけるわ」

「だろうね。だから、(みんな)君を尊敬してついて行こうって思うんだよな」


 舌を巻くような正論を堂々と述べる姿を想像する。思いついてもラズにはなかなかできない。そうやってあるべき論を口にすると、後々己を縛ることになることも知っているからだ。彼女が高潔を貫く覚悟を持っていることがすごいと思う。


「私がしていることは、ただの押し付けよ」

「そんなことないと思うけど」

「だといいのだけど……とにかく、私は、あなたが皆に、自分で考える機会を与えるところがすごいと思ったの」

「そんな大袈裟な」


 褒められると何だかこそばゆい。

 彼女は指先で髪をくるくると弄ってもう一度微笑んだ。


「些細なことだけど、あなたの考え方の一つ一つが、私にとっては新鮮で、素敵だと感じるんだわ。──だからあなたの前では、下手に演じないで、ただの女の子でいればいいのかなって」

「──ぷっ、実際にはとんでもないけど?」

「もぉっ、ひどい。そこは十分女の子らしいって言うところでしょう」

「ははっ」


 照れ隠しにからかって濁すと彼女は軽く頬を膨らました。


 廊下から足音が近づいてくるのが扉ごしに聞こえて、笑い声を押し殺す。

 ノックの音に立ち上がると、隅に静かに控えていた執事が扉を引いた。


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