平原の国(2)……出立
<聖教国ノア>の首都として機能しつつある、タキの郷。人口は現在二百人ほどで、小人らしい岩窟を利用した住居のほか、煉瓦造りの屋根の低い建物がたくさん建っている。大使として訪れた竜人に石灰の元素を得意とする術師がいて大工を手伝ってくれたから、真新しい大使館はこじんまりしてはいるものの、領主城に見劣りしない仕上がりになっていた。
大股に通りを歩くラズに、小走りで追いついたピアニーが声をかける。
「ねえ、さっきお父様から何を言われていたの?」
「べべべ、別に!?」
ラズは背中越しに返答してから、自分の頬を両手で叩いた。──こんなことにいちいち動揺するなんてかっこ悪い。……彼女には絶対にバレたくない。
深呼吸して歩調を緩める。
「お父様のせいで気を悪くしたなら……謝るから」
「してないって」
──いや、したのか?
いずれにしてもピアニーが謝ることではない。ラズは無理矢理話題を変えた。
「国境の公国に用事って何?」
「公王殿下の協力をとりつけたいの」
「……?」
隣に並んだピアニーは考えながら言葉を紡ぐ。今はほとんど背丈が変わらない。あと少しで追いつきそうなのだが、彼女も身長が伸びているせいで微妙な差がずっと続いている。
「おそらく四ヶ月後、本国から前回の動乱に対する査察官が派遣されてくるわ。──そうしたら、平原の国の目に荒野はどう映るかしら」
「……。でも、戦時中だから軍を送ってくるなんてことはないだろ」
「今はね。戦争がどう着地するか、ただ待っているよりは、打てる手を打ちたいと思って……あ」
彼女はラズの肩越しに何かを見つけたように足を止めた。
視線を辿って振り返る。郷外れの小高い丘に、石の椅子に座るファナ=ノアと、両手を掲げた立ち姿のユウの姿が見えた。
「ファナ=ノアにもご挨拶したいわ。急いでいる?」
「実は全然。僕も行こうかな」
もともと適当な都合をつけて中座したのだ。夕方に修練場に顔を出す予定があるのは本当だが、まだ数時間ある。
ピアニーは満面の笑みを浮かべて、通りを曲がる。彼女の足取りは軽く、とても楽しそうだ。……二ヶ月前の結果は決して良いとは言えないものだったはずだし、両親のことを始め、問題は山積み。しかし、以前一時感じたような暗さはなく、吹っ切れたように明るい。貴族の令嬢だった生活に戻りたいとは思わないのだろうか。
坂を登りながら、ピアニーはラズに笑顔を向けた。
「ユウちゃんと二人で何をしているのかしら」
「週一で、術の修行を見てるんだって」
「ふうん。どうして司祭様じゃだめなの?」
「ええと」
遠目に見えるユウは器用に小石を動かして、少し離れた地面に絵を描いている。感覚的にやってのけているのだろうが、実はコントロールに関して言えば既にファナ=ノアを超えている。もはや彼女の術を打ち消すのは至難の技で、暴走した時に備えるとなると、術の修行はもはやファナ=ノアでなければ付き合えなくなっているのだ。
丘を上がってくる二つの人影に気付いて、ユウが顔を上げた。
「ラズお兄しゃん!」
にぱーっと笑う。齢五歳くらいの容姿で、小人らしい尖った耳をぴょこぴょこさせている。陽光で茜色に煌めく髪は結って背中に流しているが実は身長ほどの長さがある。女司祭ウィリが不潔だと言って切ろうとしたところ、癇癪を起こして大変だったそうだ。
ユウの後ろで、ファナ=ノアが杖を使って立ち上がる。
「お帰り、ピアニー。お母上は変わりなく?」
「ご無沙汰ね、ファナ=ノア。おかげさまで……今は、落ち着いているわ」
ファナ=ノアの赤い瞳が心配そうに陰る。ノアの教主で、荒野を統べる聖教国ノアの法王……肩書きは仰々しいが、歳はラズと同じ十一で、ラズにとっては唯一の幼馴染だ。小人の成人年齢は八だから、立派な大人である。長いまつ毛に、整った容姿、髪の色と同じ白い法衣には金の刺繍が散りばめられており、袖の中には金の腕輪が見える。火傷の跡は随分薄れて、今は手袋はしていない。
「あなたって、いつ見ても天使みたいね。どうやって髪のお手入れをしているの?」
「別に何も……いや、あれか」
ピアニーとファナ=ノアが話し始めた隙に、ラズはユウの前に屈んだ。彼女が描いていた絵──それに、見覚えがあったからだ。
地面に描かれた線は、どうやら生き物のようである。頭がやたら大きくて、三角の耳、細長い尻尾が……二本?
「これは、何?」
ファナ=ノアを取られてつまらなそうにしていたユウはぱあっと表情を綻ばた。
「あのね! ハリー、です」
「ハリー? 名前かな。猫じゃないんだね」
「ちがいますぅ。ハリーは、おめめがキラキラしてて、モヤモヤなんです。ネコってなんですか?」
どういう意味なのか全く分からない。術の腕前はすごいのに、中身は見た通りの五歳児……いやもう少し幼い気がする。ここに来るまでの記憶が曖昧らしく、親のことすら分からないそうだから、仕方ないのかもしれない。
ラズは苦笑いしながら傍にしゃがみ込んだ。
「こんなのだよ」
小石を握って線を描く。並べて見ると、たしかに全然違う生き物だ。
ピアニーが覗き込んで感心したように言った。
「上手ね」
「へへ、ありがと」
自慢ではないが図画は得意だ。芸術という意味では微妙だが、形を正確に捉えて平面に立体的に描くだけなら簡単だ。というかこれができないと、錬金術の錬成イメージを創るのに苦労する。
「ファナも描いてみなよ、ほら横に」
「……分かって言ってるだろう」
「うん」
ファナ=ノアは絵が下手だ。小人の術はラズから言わせれば錬金術と同じだが、物質の錬成はからきしなのは、図画が下手なのに起因している気がする。
それでも、ファナ=ノアは笑みを湛えたまま杖の先を赤土の上で滑らせた。
みんなで輪になって覗き込む。
「でた、いつもの『なんとなく二重丸』」
「……これのこと。いや、今日のこれは目だ」
「そんなこと言って、ヘソも肉球も同じじゃん。えい、目玉描いてやる」
お題は猫のはずなのだが、不揃いの丸が縦に三つ。あちらこちらに二重丸があしらわれていてタコの吸盤に見えてくる。
その謎の生物に、ラズは無遠慮にどんどん線を書き加えた。
「──どうこれ、超力作。名付けて猫型自動人形」
「このぬいぐるみみたいなのが? ふ……あはは」
「この袋から魔法の道具とか出すんだ。世界樹の剣〜〜! なんちって」
「まったく、設定が酷いなっ──はははっ」
ファナ=ノアは堪えきれないというように笑い続ける。
「お兄しゃんたち、なかよし、ずるいっ」
「本当ねえ」
頬を膨らませるユウの隣で、ピアニーはぎこちない笑みを浮かべている。
ひとしきり笑ってから、ファナ=ノアは目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「ラズとこういうやりとりができるのも……しばらくおあずけかな」
その口調から滲む寂寥感に、ユウがパチパチと瞬きした。
「おあずけ?」
「ラズはもうすぐ、故郷に帰るんだよ。……もうピアニーには話したのかな?」
「聞いたわ。私も一緒に行こうと思っているの」
「ブレイズ殿には?」
「さっき伝えたわ。お母様にも。アイビスたちにはもっと前に言っているし」
「そうか。なおのこと、寂しくなるな。無事を祈っているよ」
ブレイズとのやりとりを思い出して目線を泳がしていたラズに気づいたように、ファナ=ノアはくすりと微笑んだ。
突然、ユウが大きな声で割り込む。
「わたしも!! ユウも! 行きたいです!!!」
「──……へ?」
がばっと抱きつかれて、ラズは目を白黒させた。
「……え、と。なんで?」
「あの、ええと。でも、行きたいんですぅ……いい子にしますから……」
うるうると目を潤ませる。理由をうまく言えないらしい。
ファナ=ノアはうーんと唸った。
「ユウは、探しに行きたい、と言っていたな」
そういえば、ラズと初めて会った時、『すきなひと』がラズと似ているとも言っていた。
「鋼務卿家から解放されてた小人たちにはいなかったの?」
「全員確かめたんだが、違うらしい。ビライシェンは敷地の小間使いと別に何人か囲っていたそうだから、おそらく……」
ユウと一緒に逃げてきた小人たちは、母親らしき者も含め助からなかったのだという。つまり彼女の『すきなひと』が生きている可能性は低いのだ。一方で、ビライシェンがユウを見て過剰に反応していたのが気にかかる。
ファナ=ノアはゆっくりした動作で杖にもたれ、ユウの前に膝をついた。
「ユウ。私は君を故郷に帰すと約束したから、君が行きたいなら手助けしたい。ただ、ラズとは一緒に行けないんだ」
「なんでですか……?? ぐすっ」
「旅にはシャルグリートも同行するよ。リンドウも」
「…………っ!!」
ユウの表情が急に怯えたものに変わった。前回の一件で、望まない空の旅を強いられたリンドウはユウをかなり厳しく叱ったらしく、以来ユウはリンドウを避けている。シャルグリートについては見た目が怖いそうだ。竜人特有の尖った歯が苦手らしい。……元野盗であるシュラルクの方が断然強面だと思うが。ちなみに、その二人は連日のように物騒な喧嘩を繰り広げていたので、シャルグリートが旅に出ると聞いて住民は大層ほっとしたことだろう。
ファナ=ノアは穏やかに続ける。
「私は、ユウにここにいて欲しい。もう少し落ち着いたら、私も自分の足で色々なところを回りたいと思っているんだ。そのとき、一緒に行こう?」
そう言って、優しい表情で微笑む。ユウは眉をハの字にしたまま、ファナ=ノアの首に細い腕を回して抱きついた。足が悪いためにバランスを崩しそうになる体を、ラズが支える。
「いやです……いや……」
「うん、分かるよ」
ファナ=ノアはよしよしと長い髪を撫でる。
ラズとしても、ファナ=ノアの意見に賛成の気分だ。もし何かあった時、リンドウはまだしもユウも……となると守りきれる自信がない。それにユウは──二ヶ月前の騒動然り、なまじ力が強いせいで、何をしでかすか分からないから余計不安だ。しかしやみくもに突き放すと無茶をしてついてくるかもしれない。
ラズはファナ=ノアの肩を支えたまま、できるだけ優しい口調で話をしてみた。
「……昔、僕が小さい頃、レノに連れてって、ってよく泣きついたんだ」
「れの?」
「ラズレイド・レノ……僕の父様と友達で、よく國に遊びに来てくれた旅人でさ」
ユウは目を丸くして、見上げてくる。
「レノはさ、僕がわがままを言う度、頭をくしゃくしゃに撫でてこう言ったんだ。
───『あらゆる選択肢の中で、それが本当に最善ですか?』
って」
そして、『私は君の父親に恨まれたくありませんからね』といたずらっぽく微笑んでいた。
隣で聞いていたピアニーが首を傾げる。
「子どもに対して随分難しいことを言うのね」
ユウは意味が分からないというようにまばたきして俯いた。──まあ、幼い頃のラズも似たような反応をしたと思う。
「でも、レノはいつも、間違った事は言わなかった」
だから、レノの問いに答えられないうちはついていく資格がないのだと思ったのだ。
どこか遠くを懐かしむようなラズの表情を見つめて、ピアニーはふわりと笑った。
「尊敬してるのね、その人のこと」
「うん。……あ、ブレイズさんとは飲み友達だし、去年はこの辺に住んでたらしいけど、知らない?」
「あら? じゃあ知っているかも。癖っ毛の黒髪の人?」
「そう、それ!」
思わず食い気味に返事して顔を上げると、彼女はちょっぴり苦笑いした。
「直接の面識がある訳ではないの、ごめんなさい。その人も今は東方にいるの? ──あっ、無理に答えなくていいのよ」
彼女はラズの顔色の変化を見て、慌てて質問を取り消す。──そんなに悲しそうな顔をしていただろうか。
返答に詰まったラズの代わりに、ファナ=ノアが口を開いた。
「今回の旅では会えないだろうが、必ずまた、荒野に顔を出してくれる。──だろう、ラズ?」
「──うん」
また、慰められてしまった。気持ちを理解して、希望を示してくれることに、いつも救われている。ラズはへへ、と頬を緩めて笑った。
「もし寝坊するようなら、起こしに行くつもりだよ」




