平原の国(1)……出立
荒野の初夏に、短い雨季が訪れる。
……領の動乱から二ヶ月。
ここは石造りの簡素な教会にある、医務室代わりの小さな客室だ。
ラズは石から切り出した小さな椅子に腰掛けていた。右足のくるぶしを左の腿に乗せて、右膝に頬杖をつくという礼儀を欠いた姿勢だが、十一というやんちゃな年なのでまあ多めに見て欲しい。
この地方ではまず見られない、黒髪黒目。すっきりと短く切った髪は細くまとまりがいいが湿気るほどにツンツンはねる。左耳につけた象牙質のカフスに刻まれているのは、故郷……大山脈の榊の葉の紋だ。そして、首から無造作に下げた紐には、石が二つ。翡翠と、もう一つは白銀。それぞれ大事な人たちからもらった輝石と呼ばれる錬金術の媒介である。
ラズの目の前、小人サイズの小さな寝台に粘土を継ぎ足し無理矢理広げたその場所に、大柄な人間の男が横たわっていた。歳は四十過ぎ、精悍な威厳のある顔立ち。薄手の寝衣から身体のあちこちに古傷が覗いている。
彼は鬱陶しげに呟いた。
「……もういい加減、動けそうなんだがな」
「昨日、腸の腫瘍切ったとこだろ」
ラズは呆れた調子で返す。この二ヶ月で声の掠れはとれ、また少し低くなった。やっとテノールといったくらいの声域だが。
先ほどぼやいたこの病人こそが、元警務卿、ブレイズ=ディーズリー侯爵。家格の剥奪は国王が決めることなのでまだらしいが、領では行方不明の罪人扱いだ。西方一の武人、そしてラズの友人でもある。
あの日──高出力の電磁波をまともに浴びた彼は生死を彷徨い、偶然居合わせたラズの叔母……薬師リンドウに命を救われた。彼の身体には目立った外傷は無いが、二ヶ月経った今も内臓が修復しきっておらず、少し食べては下すことを繰り返している。お陰で筋肉隆々だった彼の身体は随分痩せた。
こんなになっても、彼の最愛の妻は見舞いに訪れない。なんでも彼女は大の小人嫌いなのだという。今回夫を助けたのが小人であり、夫も小人に肩入れしていることを聞いて前後不覚に陥り、世を儚んで毒まで含んだのだそうだ。幸い一命を取りとめたものの、この話はブレイズには絶対秘密である。
とにかく、彼は早く動けるようになって妻の下に行きたいのだろう。快復に向けた希望があることは何よりだ。
人間の領にほど近いこの小人の郷は、最近になって随分人間が増えた。
領主が来訪しファナ=ノアと会談したのがひと月前。和平協定の調印が行われ、少なくとも小人蔑視は撤回された。外交の取り決めについてはまだ数ヶ月揉めそうだが、ならばむしろ今のうちにと訪れる商人が後を断たない。
それに、ブレイズなき憲兵隊を離反して荒野に来た者達も少なからずいる。ちなみに、ラズを一番可愛がってくれていた金髪の騎士はまだ憲兵隊に留まっている。
りん、と医務室の戸口のベルが鳴った。戸口と言っても、布で仕切ってあるだけだが。
ブレイズが低く返答する。……足音で誰か大体分かったのだろう。ラズも彼女のために一度席を立ち、居場所を作った。
「今日は顔色がいいのね、お父様」
ツン、とした表情で入ってきたのは、ピアニーこと、フレイピアラ=ディーズリーだ。父親とは似ても似つかない、人形のように整った容姿。大きな琥珀色の瞳には気品が漂い、同じ色の緩くウェーブした髪は、歩くとふんわりといい香りがついてくる。歳は、先月で十二だ。つまりラズと約半年しか違わない。
彼女は動乱の後はブレイズと同様、ここ、タキの郷の教会に身を寄せていた。ちなみに、彼女の幼馴染で市井の孤児院の出身である少年クレシェンは、今も領で小人との交易で揺れる市民の混乱を鎮めて回っている。また、彼の兄貴分でピアニーが信頼する部下であるアイビスは荒野に滞在する人間たちを仕切ってくれている。初老の従者ルータスは、療養を兼ねディーズリー夫人のところにいるそうだ。そして、子飼いの隠密<猿>と<犬>は伝令役で代わる代わる荒野と領を行き来していて大忙しである。ファナ=ノアが移動用に怪鷲を貸してくれているので馬で片道一週間の距離が一日で済んでいるのだとか。
ブレイズは上体を起こして、腰掛けたピアニーと目線を合わせた。
「妻の様子はどうだった」
ピアニーは努めて明るい調子で答える。
「お母様ったら、隠れていないといけないのにフリッツ家の書庫の整理を始めたそうなの。財務卿が呆れていたわ」
彼女は半月かけて、領の東端の男爵家に匿われているブレイズの妻……実母に会いに行っていたから、ラズも顔を合わせるのは久しぶりだ。成人の儀も、そこで密かに行ったらしい。もともとそれに合わせて行われるはずだったエンデイズ家との婚儀は、ついに開かれなかった。……当の婚約者……鋼務卿の次男が少し前に病で亡くなったためだ。
誕生祝いはこの郷でもしたのだが、ラズが贈った品は微妙な顔をされてしまった。実用的な物の方が良いと思ったのだが……乙女心はよく分からない。
ブレイズは妻の様子を想像するようにふっと笑った。
「あいつらしいな。俺に何か言伝はあるか?」
「……元気になって早く側に行ってあげて下さい」
目の奥を少し翳らせた娘の様子には気付かなかったらしく、ブレイズは短く「ああ」と答えた。
ピアニーは普段朗らかで人当たりが良いが、父親に対してだけはそうではない。嫌いという訳ではなさそうだが、ラズがいるから仲良くするのが恥ずかしいのだろうか。
そう思って、ラズは何気ない風を装い挨拶した。
「じゃ、ブレイズさん。僕は修練場に行く予定があるから」
「あ、待って。なら私も行くわ」
──ん? 来たばかりなのに何故こちらに。
なんとなく、ブレイズの目線が痛い。
「ゆ、ゆっくりしてけばいいのに」
「お父様の次はラズと会うつもりだったの」
ブレイズは不機嫌丸出しでラズを睨んだ。落ち窪んだ目が怖いのなんの。
「ピアニーがラズに用があるなら、俺の前で話せばいいだろう」
「もう、せっかく久しぶりなのに」
両手を腰に当てぷう、と頬を膨らませた後一息ついて、ピアニーはラズに向き直った。
「ラズはいつ荒野を発つの? 私が帰るより先に発ってしまっていたらどうしようと思ってたの」
「あ、うん。むしろピアニーが帰ってくるのを待ってたんだよ。そのほうがいい……ってファナ=ノアに言われて」
小人の盟主で幼馴染であるファナ=ノアと相談した結果、近いうちに故郷の大山脈へ帰ることを決めた。旅の準備はほとんど終わっているのだが、ピアニーにちゃんと挨拶してからの方がいい、と勧められて延ばしていたのだ。
(「荒野と領の状況は落ち着きつつあるし、味方も増えたから心配しなくていい」)
ファナ=ノアのその言葉に、後ろ髪を引かれながらも従ったのは、故郷を滅した巨人族が、人間たち……ラズの兄を含む、森の国の人々を蹂躙し続けているという話がずっと気が気でなかったからだ。おまけに、そのせいで弱体化した森の国に、隣接する大国……平原の国などが戦争を仕掛けて、国境は大変なことになっているらしい。
この二ヶ月、武装組織の残党を捕まえたり、危険な薬物を扱う商人の商売ルートを握り潰したり……できることはだいたいやった。それに、小人の文字も日常使われるものはほぼ習得したから、離れていてもファナ=ノアたちとやりとりはできる。
ラズの返答に、ピアニーは、にっこり微笑んだ。
「前に言っていた通り、大山脈に戻るのよね。私も付き合うわ」
「うん、悪いけど皆をよろし──って、え? ピアニー?」
「側で支えたいって言ったでしょう」
「え……えと?」
彼女はさも当然、というように首を傾げた。
なんだかくすぐったい感情が胃のあたりを通り抜けていく。確かにピアニーは、彼女が実母に会いに行っている間を除いて、ずっと近くで手伝ってくれた。彼女の剣術やリーダーシップは飛び抜けているから、一緒に戦えることは非常に心強い。しかし今回は、ちょっと近所に遊びに行く、という距離ではないのだ。怪馬の足でも片道三ヶ月……しかも相当危険かもしれないのに。
口籠もるラズに、彼女はくすりと笑った。
「っていうのは建前で、国境に近い公国に用があるのよ。財務卿から紹介状もいただいたし」
「あ……そう」
彼女も東方に用事があるから、ちょうど良いということか。──それなら断る理由もない、うん。
唐突に、ブレイズが叫んだ。
「ダメだ!!」
ピアニーは眉根を寄せて、父親に視線を移す。
「ダメって何?」
「……少し前まで、街からも一歩も出たことがなかった子どもが、長旅など無茶にも程がある」
「決めつけないで。それに私はもう大人よ」
「…………」
決して良いとは言えない顔色で、ブレイズは娘の意思の強い瞳を見つめる。こうなったら言うことを聞かないんだろう、やがて諦めたようにため息をついた。
「……おいラズ」
「何」
ちょいと指先で促されて耳を寄せると、ブレイズは低い声でぼそりと囁いた。
「手を出すなよ」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を出して、ラズは後ずさった。その拍子に椅子に足が当たり、尻餅をついてしまった。ブレイズの目は本気だ。──一体なんの心配をしてるんだ!?
「万が一があったら殺すからな……」
「分かった、分かったから!!! もう行こ、ピアニー!」
腕を振り回して怒鳴り返してから、さっさと立ち上がって踵を返す。何の話か分からなかったらしい彼女はきょとんとしていたが、すぐに軽い足取りが追ってくるのが聞こえた。
前話より二ヶ月の間の出来事は、番外編に掲載しておりますので、お楽しみ頂けると幸いです。(恋愛スピンオフ)
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◇エピローグ(Day 3の晩)
https://book1.adouzi.eu.org/n9449gj/4/
◇鉱山都市征伐(Day 3の一週間後)
https://book1.adouzi.eu.org/n9449gj/5/
◇ピアニーの十二歳の誕生日
https://book1.adouzi.eu.org/n9449gj/6/
◇女子会(?)
https://book1.adouzi.eu.org/n9449gj/14/
◇目次
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