領の動乱(17)……Day 3
ガチャン!
と、隣の部屋の鍵が壊される音がした。
扉に張り付いていた女兵士がこちらに目配せする。そして、バン、と勢いよく扉を引き、開け放った。
剣を手に先導を切って飛び出す彼女らに続き、ピアニーも母の手を引っ張って部屋から走り出る。
右手の廊下には傭兵風の出立ちの男達が五、六人。裏口の方向にも一人。……既に、挟まれているような位置関係。
「やあああ!!!」
女兵士が威勢のいい掛け声をあげて奥に立つ男に切りかかった。
しかし男は難なくその剣を弾く。そして、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。こちらは四人、全て女──隣の部屋に待機していた護衛も三人だけ。楽な仕事だ、と思ったのだろう。
「諦めなァ!」
「──そうはいかないわ!」
女兵士が斬りかかると同時に、ピアニーもサポートに動いていた。
彼女の脇から、素早い突きを繰り出す。体重を乗せた突きが、男の膝を砕いた。
「うぐっ……!?」
即座に剣を引いて、低い体勢のまま足払いをかけると、傭兵姿の男が倒れ、道が開ける。護衛の女兵士は目を輝かせた。
「か、感謝いたします、お嬢様!!」
背後では、隣の部屋に待機していた憲兵──といっても正規の任務でないため格好は傭兵たちと変わらない──が、襲撃者たちと交戦している。──今のうちに、裏口から出られるだろうか。
女兵士が再び走り出す。ピアニーはディーズリー夫人を守るように手を引いて、その後に続いた。殿はもう一人の女兵士だ。
追い縋ろうとした敵の傭兵たちを、廊下の窓から飛来した複数の弓が貫く音がした。近くに待機していた護衛の弓兵だろう。背後に構わず、短い廊下を駆け抜ける。
裏側の階段を駆け降りれば厩だが──
階下に、複数の人影がちらりと見えた。
「へへへ、ようこそ──」
吹きさらしの土間には馬の姿はない。
そこには待ち構えていたのは、五人の傭兵だった。人数的にも不利──女兵士たちだけには任せられない。ピアニーは抜き身のレイピアを構えて前に出た。
「お母様をお願い」
「しかし──」
「無茶なんかしないわ。五分持ち堪えれば、こちらの増援が来るのだから」
護衛の兵士二人は迷いを見せたが、すぐに命令に従うようにディーズリー夫人の側で構える。実の所、この場で最も戦力になるのはピアニー自身だ。彼女らもそれは理解している。
傭兵達は、ピアニーが前に出たのを見て狼狽えたようだった。
「なっ……お嬢ちゃん──ピアニーお嬢様……だよな?」
今のピアニーは街の少年のような格好をしていてとても侯爵令嬢には見えない。
動じず、優雅に微笑み返す。
「ええそうよ。傷痕が残ってはいけないから、怪我をさせては、だめね?」
言い終わるや否や、素早く踏み込む。
前列の傭兵の脇に滑り込み、下段から細剣を振り上げる。狙うは、隣の男の剣を握る腕だ。ピアニーのレイピアは刺突用だが、エッジには十分な切れ味がある。摩擦で深く手を抉られ、男は叫び声を上げて剣を取り落とした。
「このぉ!」
別の傭兵が上から殴りかかってくる。その腕をすり抜けながら、腕から血を流す男の足を払い、体勢を崩した胴の下に入る。
ばきっと鈍い音。誤って仲間を殴り倒してしまった傭兵の背後に回り、膝の裏をレイピアで貫く。──あと三人。
「ぐあっ」「どうする──」
引け腰の中年男の肩を突くと、もう一人が横から短剣で切り掛かってきた。その抜き身の剣を見て、他の傭兵が止めようとする。
「お、おいやめろっ! 怪我させたらまずい!」
「けどよ──」
口論を始めた傭兵達から退がり、上がった呼吸を整える。──無理はしない方がいい。
その時、ディーズリー夫人や女兵士の後ろ……階段の上からどたどたと足音が聴こえてきた。ちらりと見上げて、ピアニーは唇を噛んだ。
階段を降りてきたのは廊下で見た傭兵たち──隣の部屋の憲兵たちは、彼らに敗れてしまったのか。
こみ上げてくる感情を唇を噛んで堪え、ピアニーは声を張り上げ牽制した。
「そこで止まりなさい!! あなたたちの組織は今まさに壊滅寸前──私たちを捕らえたところで、何にもならないのよ」
「はっ! そんな戯言、誰が信じる!!」
一際大柄な鼻の高い男が叫び返す。
取り囲まれた……絶対絶命かと思われる状況をぐるりと見回してから、ピアニーは泰然と口を開いた。
「あらそう──でももういいわ」
剣を鞘に戻し、華やかに笑ってみせる。時間は十分稼げた。傭兵たちの背後──宿の前の大通りにいるのは。
「この街で、私が害されるのを黙って見ている人はいないのよ。……早かったわ。ありがとう、クレシェン」
「!?」
傭兵らがばっと振り返る。その先には、街の青年団……ピアニーの最も信頼する友人の一人である、クレシェンが立っていた。
「人を集めて近くで待機してろって言ったのは嬢だろ?」
「まあ、あなたの人望のおかげよ」
「いや……あのさ、本当は、アイビスさんが手伝ってくれたんだ」
駆けつけた青年団は二十人を超える。戦いなんて喧嘩しか経験のない素人たちだが、彼らが動けば街の住民も力を貸してくれる。対する傭兵たちは階段から降りて来た者も含めてあと六人──形勢は逆転したように見えた。
気恥ずかしそうに頭を掻くクレシェンの隣に、堂々とした佇まいの青年が立つ。
「アイビス……! この、裏切り者!!」
「裏切るのが仕事みたいなもんだろ、俺らは。違うのは……俺は組織に弱みを握らせなかった……それだけだ」
チャキ、と拳銃を構え、青年は静かに告げる。その表情は翳っていて……少し恐ろしい。
「青年団は街の自警組織だ。その団結力の怖さは……前に言ったよな?」
「ち、ちい……」
男たちは降参したように武器をガシャガシャと地面に落として跪いた。
ピアニーはほっと一息ついて、青年団に歩み寄る。そして人垣の後列に、初老の男性の姿を見つけ息を呑んだ。
「ルータスっ!」
「ピアニー様……遅くなりました」
「な……起きていい怪我じゃないでしょう!」
顔色が悪い。きっとあれこれ無茶を言ってベッドから抜け出したんだろう。この従者はどうにも頑固なところがあるのだ。
ぴしゃりと咎めてから、従者の筋張った大きな手を握る。
「ルータス……目を覚ましてくれて、よかったわ」
「死を覚悟しておりました。命を拾ったのは……ラズ殿のおかげと聞いております」
「──そうね」
ラズがフラフラになるまで、彼の治療に尽力してくれたのだということは、看病していたメイドも言っていた。幼い頃身体が弱かった頃から、ずっと見守ってくれた老いた従者は、ピアニーにとっては親も同然だ。ラズにも、彼が目を覚ましたことを伝えてお礼を言いたいと心から思った。
……しかし、喜びに浸るにはまだ早い。
「お<猿>さん」
呼びかけると、青年団の人混みの影に、目元だけを覆う猿面の男が顔を覗かせる。変わった出立ちなのに何故だか目立たない立ち回りが流石だ。
「例の準備はまだこれからかしら?」
「いいや。東門に迎えが来ている」
「それは──きっと予想していたのね。感謝しなければ……案内してくれる?」
顔を隠すための大きなストールを受け取り、ディーズリー夫人に向きなおる。
差し出されたそれに困惑した目を落とし、彼女は一歩退がった。
「ピアニー、どういうこと……?」
「財務卿のご援助がいただけたの。街を出るんです……お母様」
「夫は──?」
「後できっと会えます。まずは私たちが無事でいなければ」
ディーズリー夫人は宿の勝手口の前に佇んだまま、ピアニーをまじまじと見下ろした。
「どうして……私は何も聞かされていないわ」
「財務卿から確約がいただけるまでは言えなかったの。ごめんなさい」
「…………」
「お母様?」
──てっきり褒めてもらえるものだと思っていた。返事をしないディーズリー夫人を、ピアニーはおずおずと見上げた。
「私は──」
ディーズリー夫人が強ばった表情で何か言いかけた時、横から傭兵の男が短剣を手に飛び出してきた。
はっとして、ピアニーも動き出す。──母を、守らなければ。
「お母様っ!」
乾いた銃声が響く。アイビスの撃った銃弾が傭兵の喉元を掠めた。
「嬢っ! そいつは──」
弾道を避けるために動きが鈍った一瞬の隙を見逃さず、ピアニーはレイピアの突きを繰り出す。
細剣が男の肩を深く貫くのと、男がディーズリー夫人を羽交い締めにし首筋に短剣を当てたのは、同時だった。
「ぐっ……」
男は呻きながらも、ディーズリー夫人を離さない。膠着状態──その場の誰も、動けない。
ピアニーは震える声を張り上げた。
「お母様を解放なさい! その剣を動かせば、あなたも命を落とすのよ!!」
傭兵の出立ちをした大柄な男は、肩を貫かれる痛みに脂汗を浮かべながらも、顔に残った傷跡を歪ませて笑った。
「どうせ──俺たちは失敗したら消されるんだよ」
男から、ぶわっと弾けるように気配が迸った。
「────なっ!」
ざわざわと髪が伸び、どころか顔全体も変形して焦げ茶の毛に覆われる。これはまるで──
(御伽噺に出てくる──……狼男!?)
盛り上がった筋肉に押し出されたレイピアを手元に引き戻しそうとしたが、狼男は剣身を鷲掴みにして強く引っ張った。
「っ!」
剣を手離すのが一瞬遅れた。前のめりに崩れた体勢を立て直す前に、毛むくじゃらの獣のような手に腕を掴まれる。素手でこの豪腕を振り解くのは無理だ。石畳に落ちたレイピアががしゃんと音を立てた。
「奥様──! ピアニー様!!」
初老の従者が悲鳴を上げる。
次弾の装填が終わったアイビスが、再び拳銃を構えて引き金を引く。
パァン、という音と共に、狼男の肩から血が噴き出した。ピアニーを捕まえる腕の力が弱まる。掴まれた腕を支点にくるりと身を捩って下半身を持ち上げ、銃創に蹴りを繰り出した。
「ぐうっっ!」
つま先がもろに肩に入り、たまらず狼男の手が緩む。足に力を込めて反動をつけ、その手から抜け出し、距離をとった。
後ろではアイビスが銃弾を込めている。いくらディーズリー夫人を盾にしたところで、アイビスは正確に狼男だけを狙って躊躇いなく撃つだろう。アイビスとは知己のようだから、狼男もそれは承知のはず──であれば、装填を待たず、逃げに徹するかもしれない。母を連れて行かれてしまう!
間髪入れず、ピアニーは叫んだ。
「っ、お母様の代わりに、私を連れて行きなさい!」
狼男がぴくりと反応する。
「────何?」
「その怪我でお母様を担いで行くのは大変でしょう? ……アイビス、手を出さないで」
振り返らないまま、ピアニーは背後に声をかける。
「ルータスとお<猿>さんはお母様をお願い。アイビスとクレシェンは、街の皆を守って。<犬>さんは、このことをお父様に伝えて」
手を広げて、狼男に一歩近づく。
「直接領主様のところへは行かないのでしょう? 私を、あなたの主の元に連れていきなさい」




