領の動乱(16)……Day 3
小さな鉄門扉……屋敷の裏口の側には、ラズ の他にも、憲兵隊の兵士が五人回り込んでいた。ただし彼らは塀の外、ラズは塀を越えた内側で物陰に隠れている。
風が黒いフードを少し揺らした。顔を上げて、建物の方を凝視する。
(……来た)
扉が開く。
朝陽に影を落としたのは、舞踏会風の仮面を帯びた小柄な人物。一房にまとめられた髪が風に吹かれて赤銅色に光った。
ざわ。
ぞっとするような、気配。
(……!?)
錬金術の波動……と呼ぶには禍々しい。反射的に、自分の<波動>で相殺してしまった。──今ので、確実に気づかれた。
(なんだよ────今の!!)
仮面に象られた昏い目が、物陰に隠れたままのラズの方に向けられる。ぶつぶつと、低い、くぐもった声を漏らしている。
「隠密──? なぜ、倒れない……即死のはず……」
「──……!」
この声には、聞き覚えがある。つい昨日の昼間、領主城で。……鋼務卿の嫡男、武装組織の長。
(ビライシェン=エンデイズ!)
再び、彼の周りから、禍々しい波動が溢れ出る。浴びたら危険だ。一体これは何なのか。打ち消しながら、<理解>を試みる。
(電磁波、それも高周波の……! 防げなくなったら──……死ぬ?)
思い至って、ゾッとする。電磁波なら、岩の塀だって貫通するはず。塀の向こうの憲兵は無事だろうか。
はっとして耳をすませると、後方から慌ただしげな声が聞こえた……どうやら無事のようだ。ファナ=ノアが助けてくれたのかもしれない。
背中ごしに、塀の向こう側に警告する。
「──っ危険だから! 出来るだけ離れて!!」
声に反応して仮面の青年がみじろぎした。
「! 君は──まさか錬金術師の……」
仮面の奥に、赤銅色の瞳がちらりと見える。感情は読み取れない。
「騙したのか──」
「何を、だよ? 誰と勘違いしてるか知らないけど、こんな街中に大量の武器を運び込んでたら、領主の主権を脅かすと疑われても仕方ないだろ?」
咄嗟に、あらかじめ考えていた言い訳を口にする。姿を現したラズは黒いフードに色眼鏡……声と背格好、能力まで露見して誤魔化し通せるとは考えづらいが、とにかく否定するしかない。
背中の剣を鞘ごと下ろして左手に握る。
「悪いけど──」
右手で抜きながら、姿勢を低くして足を引く。
「ここで、終わらせる」
術を使って強く地を蹴る。屋敷の裏口に立ったままの仮面の青年まで、跳躍する──
途端、青年から気配が迸った。近づくほどに、強大なエネルギーを孕んだ高周波が発せられる。
(────打ち消しきれない!)
背筋に悪寒を感じ、咄嗟に引いて距離を取る。交戦を続けて、こんなに強い電磁波を振り撒かれたらどんな被害が出るか分からない。
「……街中に、死を振り撒くつもりかよ?」
「それも、いいかもしれないな。……そう言えば、通してくれるかな?」
自嘲気味の、苦しげな声色。
保身のために、周囲の犠牲を省みないということか。──歪んでいる。この人は、支配者ではなく、破壊者だ。
微かに身体が震えた。
(捨身で接近して、一撃でなら──?)
──だめだ。あまりにも危険すぎる。……もともと、この取り締まりは組長であるビライシェンの存在有無に関わりなく決行している。
(……ここは見逃すしか)
奥歯をぎり、と噛み締め、剣を鞘に納めて戦闘体勢を解く。
「そうだね──命は惜しい。行きなよ」
「では、また……錬金術師殿」
その呼びかけには答えず、目の前を通り過ぎる仮面の青年を凝視する。マントの内側の腰ベルトには小銃。彼の足取りは軽く、武術の心得なんてほとんどなさそうだった。
ガシャン、と裏門が開く。騒ぎに集まってくる市民が遠巻きに見つめる中、仮面の青年は堂々と街の外に続く西への道を歩き去って行った。
握った拳の行き場がなく、ラズは石塀を叩く。鞘を握ったままだったのでガキン、と音がした。
「────くっそ……」
何も、出来なかった。
足早に塀の外に出ると、憲兵隊の兵と鉢合わせする。その肌は、日焼けしたように赤くなっていた。
「大丈夫!? ちょっと診せて」
手を延ばし、彼らの容態を確認する。
(皮膚がすごく傷んでる)
ただ幸い、影響は真皮まで到達していない。
コツコツと、路地からフードを被った小さな人影が、杖をつきながら近づいてきた。
「──ファナ=ノア」
「ひとまず彼らは私が看よう。……守りきれなかった私の落ち度だから。それより、少しまずい状況になっている」
フードの影で、紅い瞳が不安げに瞬いた。
† † †
† † †
空が白んですぐの頃。
硬い寝台から伝わってくる微かな物音に気がついて、ピアニーは薄目を開けた。
そこは憲兵隊が密かに借り上げた、民宿の一室だった。それほど広くない部屋の中には、一般人の格好をした女性の兵の見張りが二人と、寝台で深い眠りについたままの母……ディーズリー夫人。
耳を澄ませる。階下の食堂に、複数の人間がいるようだ。──こんな明朝に?
寝台から起き上がり、側に立てかけたレイピアを手にとる。見張りの兵らはきょとんとした顔でピアニーを見た。
実は昨晩も、何者かの襲撃はあったのだ。ただし、ピアニーの機転により直前に宿を変えたため、遭遇は避けることができた。まさかあの鋼鉄ペンが盗聴器だとは思わなかったが、何で居場所が漏れるか分かったものではない。
しばらくして、宿の階段を登る足音がいやに大きく響いてきた。鎖帷子が擦れるちゃらちゃらという特有の音が混ざる。見張りの交代の時間はまだだし、連絡役ならそれと見て分かるような武装はしない。
「……任務明けの傭兵が朝帰りしただけなら良いのだけど」
小さく呟く。見張りの兵らも緊張した様子で、扉を見つめた。
ガキン、と扉の鍵を壊すような乱雑な音が、三つ隣の部屋から聞こえた。……宿泊客のやることではない。
「お母様──起きてください」
揺り動かす。未明の会合から数時間と経っていない。ディーズリー夫人は疲れた様子で起き上がった。
二つ隣の部屋の鍵が壊される音。夫人の表情が怯えたように歪む。
女性の兵士が緊張した表情で囁いた。
「隣の部屋に入った時に扉を開けるので、裏口から逃げてください」
「そうね──」
両隣の部屋に、護衛として憲兵隊が待機している。彼らと戦闘している隙に逃げるのが最良か。
青い顔のディーズリー夫人の手を引く。
「領主様の兵かしら……」
「いいえ──おそらく、鋼務卿の私兵です」
領主の兵なら、もっと大勢で、堂々とやってくるはずだ。
答えながら、髪を高い位置で一つにまとめ、首から下げていた音の鳴らない笛に息を吹き込む。──子飼いの隠密への合図の笛。
そして──
ガチャン!
と、隣の部屋の鍵が壊される音がした。




