領の動乱(6)……Day 1
──この戦い、あまり時間はかけられない。
女戦士は自分から仕掛ける気はないらしく、双剣を大きく構えている。つまり、先に仕掛けるしかない。
じりじりと間合いを詰めていく。次第に、女戦士の表情から笑みが消えた。
敵の間合いに入る直前で踏み込む。
繰り出すのは、鎧の肩口の隙間を狙った小手調べの突きだ。剣の切先が加速すると同時に、女戦士が野太い声を張り上げた。
「うらぁ!」
気合いの声と共に、左手のサーベルで弧を描く。
避けるのではなく、サーベルで弾くつもりか。今まともに打ち合えば、こちらの体勢ごと崩されかねない──剣身が衝突する寸前で引いて、次の動作に切り替える。
ラズが踏み込むと同時に、ピアニーも動いていたらしかった。その速度は記憶の中の彼女よりゆっくりだ。疲労しているラズのペースに合わせてくれているのだろうか。タイミングを絶妙にずらして女戦士の右側を狙っている。
(今の僕と比べたらあの子の方が強い)
助けに来たはずなのにこちらの方が気遣われるとは。
──しかし、何故かとても安心する。
女戦士は二対一の攻撃をいなしきれず、後ろに退がった。この調子なら、すぐに決着はつきそうだ。
「ちっ……ちょこまかと」
彼女は舌打ちして、距離をとる。こちらが追い討ちをかけようとしたその時、牽制するようにその場で双剣をぶん!と振り回した。
ざわっ……
砂まじりの庭の土が、剣の軌道に沿って浮かび上がる──
ピアニーは半歩下がって女戦士を睨んだ。
「なにあれ……!」
「気配は錬金術……に似てるけど!」
どちらかといえば、怪物の特殊能力に近い気がする。操れるのは砂粒子だけのようだが──それでも、常人にしてみれば相当厄介だ。
砂埃が舞い上がる。まるで小さな砂嵐のようだ。あの中では、とても目など開けていられないだろう。
どうする──思考しているうちに、女戦士が吠えた。
「来ないならこっちから行くよ!」
砂嵐ごと動き出し、向かってくる──!
たちまち細かい砂粒が目に入りそうになって腕で顔を覆う。息が苦しい。
側でピアニーの小さな悲鳴が聞こえた。
「──痛ぅっ」
「!!」
とっさに感覚を研ぎ澄ませ、<波動>を使って周囲の状況を確認する。全く疲れない訳ではないがこれくらいなら大丈夫そうだ。
砂塵の揺らめく描く起動は──
(っ! 狙いはピアニーか!!)
彼女の目の前に、女戦士──その重い蹴りが繰り出される前に、動く。
斜め下から切り上げると、女は片方のサーベルで防いだ。その音に反応してピアニーが退がった気配。もう片方のサーベルが正眼から振り下ろされるのを、引き戻した剣の腹で受け止める。それはすぐに流して、次の攻撃を弾き、その反動を利用して大きく退がり、砂嵐から逃れた。
唾液に混じった砂をぺっと吐き出して、砂嵐を睨む。口を開ければ砂が入ってくるが、少しだけなら。
背後にいるピアニーに、囁く。
「ピア、ちょっと」
思いついたことを、敵に聞こえないように耳打ちする。
彼女は黙って頷いた。
横目で少し笑みを交わしてから、目を瞑る。そのまま、こちらから砂埃の渦に突っ込んだ。
女戦士の双剣が放つ二段斬りを転がって避け、背後に回り込む。その位置で、剣を土に思い切り突き立てた。
女戦士の驚いた声がする。
「?! 何を……」
手ぶらのまま、意識を研ぎ澄ます。
(──気配を絶って、砂嵐に隠れる!)
「……!? なんだ!? どこに……!!」
女のごく近くは台風の目のように砂がない。彼女がこちらをはっきりと捕捉できたのはそのためだろう。とはいえ、砂で視界はぼやけるのか、真後ろでなくても気付かれていない。
相手の術の影響範囲内だったらこちらの位置を逆探知できるかもと思ったが、どうやらそうではないようだ。──まあ、できたらできたで避け続けて撹乱するだけだが。
女戦士は焦った様子で、サーベルを振り回した。攻撃は最大の防御、という戦法か。
カァン!
地面に突き立てたままだったラズの剣に、サーベルが当たって、乾いた音を立てた。──これは合図だ。
「そこ!」
ピアニーの鋭い声と共に、女戦士の目の前に短剣が飛んできた。女戦士は両方の剣を使って短剣を弾いた。ギンッという鈍い音が砂埃の中で反響する。
その隙──がら空きの背後を見逃さない。
腰の後ろから抜いた短剣で、膝の裏を狙う。
その痛みに、女戦士は低く呻いてよろめいた。
「うっ、ぐ……」
片足で踏み止まった女戦士はこちらにギョロッと振り向いた。途端、双剣が並行に振り下ろされる!
ぱっと横に転がって避け、地面に刺さったままの剣を回収する。
地を蹴って素早く向きを変え、よろめく女戦士の首筋に切先を向けた。──剣術の試合ならばこれで終わりだが。
「術を──止めろよ」
押し殺した声で囁く。
女戦士は目を見開いてから、がっくりと腕を落とした。さらさらと、砂が地面に還っていく。悠長に会話している暇はないが、一つだけ言っておかないといけないことがある。
「二度と、鋼務卿に加担しないことを勧めるよ。近いうちに、僕が──僕たちが潰すから」
駆け寄ってきたピアニーは、大きく瞬きしてから肩を竦めた。
「あなた、鉱山都市の武装組織の関係者よね? 傭兵なのなら、うちで雇うわよ。例えば、スパイとして働いてくれるなら、報酬は言い値で支払うけれど」
女戦士は何かを噛み潰すようにギリ、と奥歯を鳴らした。
そして、ぞっとするような悲愴な様相を浮かべ、緩慢に口を動かす。
「……期待に応えられなかったあたしは、用済みなんでね」
それだけ言って、かくりと膝をつき──
「え、──」
倒れる。ラズは信じられない気持ちでその女を見下ろした。
その浅黒い顔に浮かんでいたのは、死の相。
「────」
頭の中が真っ白になる。──毒を、口の中に仕込んでいた? それを、自ら?
しかしそれは一瞬で、すぐに遠くの喧騒で慌てて意識を引き戻す。
ピアニーを見ると、彼女も唇を噛んで俯いていた。
「──行こう」
彼女は頷く。
そして二人は、すっかり宵闇に包まれた、鋼務卿の屋敷を後にした。
† † †
数時間後──。
青白い顔でこと切れた女戦士を、一人の青年が見下ろしていた。
鉱山都市の武装組織には、特異な力を使う者が長を含めて五人いる。<死の仮面>、<傀儡師>、<狼男>、<鷹の目>、<砂嵐>……この女戦士はその一人、普通の人間では手も足も出ないはずだった。
青年は本来愛嬌のある目元を腹立たしげに歪める。──ディーズリー夫人と令嬢という駒を失っても、まだ打てる手は残っている。ただし、よりにもよって今日やってきた荒野の使者……<錬金術師の少年>がどう動くのか見当がつかないのが厄介だ。
この現場に駆けつける際上がった息を、どうにか整えるように深く、深く息を吐き、彼は死者の名を呟いた。
「アンジェラ──くそっ」
耳触りの良いテノールの声に、年齢の分かりづらい童顔。その整った顔を歪め、青年は死者の身体を蹴った。ただし、彼は線が細く女性並みに小柄なため、それくらいでは筋肉質の女の死体はびくともしない。
しかし幾分気が晴れたのか、彼は後ろに立っていた弟を振り返った。
「……あ、兄上」
戸惑うような、緊張感のない弛んだ顔。どこか顔色の悪い弟に、彼は普段通りの親しげな微笑みを向ける。
「いいよ。お前には、何も期待してなかったから」
「──……そんな」
弟は一瞬ほっとした表情を浮かべてから、すぐに羞恥と嘲りに対する不満で顔を歪めた。
「夫人と令嬢の捜索は軍務卿が既に手を回している」
「──はい」
「いいかい? もう余計なことは一切しないでおくれよ。生きていたければ」
そう言って、彼はすたすたと歩き出す。
すれ違い様に、弟の膨れた顔に、紅い斑点が浮かび上がっているのが見えた。
歩きながら、聞こえないくらいの小さな声で、呟く。
「どうせ、生きられたとしても、せいぜい一ヶ月だろうけどね……」
彼が感情を乱した場に居合わせた人間は、不治の病を発症し遅かれ早かれ死んでしまうのだ。
かつて、傲慢な父親の元で共に育ち、大きな体格にものを言わせ兄を殴りつけて顎で使おうとした愚弟のことだ。いかにごまをすって来ようと、今更愛情など湧きはしないが──
「そのうちいつの間にか家族が誰もいなくなって──周りは敵しかいなくなる。でもその方が、気楽かな。誰が死んでも気にしなくていい」
仮の自室に戻り、平民の衣装に腕を通す。そして、舞踏会風の仮面を手に取った。武装組織の長──その仮面には、そういう役が割当たっている。
髪の裾が赤銅色に透けてなびいた。
「あの子は、まだ生きているのかな……ユウは」
彼は窓から見える月輪を見上げて小さく呟いた。仮面のせいで、表情は分からない。
彼──ビライシェン=エンデイズはフードを被って屋敷の外──暗闇に足を踏み出した。




