領の動乱(3)……Day 1
馬車に揺られながら、ピアニーは向かいの母の手を握っていた。
「ピアニー……怪我はないのね」
「大丈夫ですわ、お母様。レディですもの、傷なんてつけられっこないでしょう」
母……ディーズリー夫人は眉を下げる。
「このような状況で、どうしてそんなにしっかりしていられるのかしら。我が娘ながら不思議だわ」
「あら、気の強さはお母様譲りですのよ」
にっこりと笑いかける。
話している間に、馬車が止まった。西の外れの鋼務卿の屋敷まではそれほど距離がある訳ではない。
「……そうね。ねえ、あなた一人なら、鋼務卿の護衛たちから逃げられるのかしら」
同乗している女兵士に聞こえないような声で、母が囁いた。
ピアニーは首を傾げる。今、護送は七、八人。後ろにも馬車があるからその倍くらいか。
特段手練れがいる雰囲気はなかったが、ほぼ全員銃を装備していたので油断はできない。
彼らに促されて馬車のステップを降りながら、ピアニーは小声で答えた。
「お母様を置いて? お父様に怒られてしまうわ。心配しないで、お母様は私が守ります」
「…………」
母は複雑な表情で押し黙る。──思い詰めたような暗い表情……彼女を安心させるためにも、しっかりしなければとピアニーは思う。
後続の馬車が止まり、降りてきた婚約者の方を振り返る。その背中越しに、立ち上る煙が目に入った。
(そんな。そこまですること────!?)
ピアニーは思わず泣きそうになった。 ──生まれ育った屋敷が、さっきまでいた中庭が。従者や侍女は、無事だろうか。
彼も振り返ってから、わざとらしく悲しそうな顔をする。
「おいたわしい、ピアニー様。父君の犯した罪のために、このようなことに」
小太りの顔が嫌らしく歪んだ。
「もっと、おろおろと、泣き喚いたりしてもいいんですよ」
その言葉に、かあっと頭に血が上るのを感じた。しかし、今冷静さを失う訳にはいかない。すっと目元を袖で隠し、どうにか声を絞り出す。
「そんなこと、仰らないでください。せっかく気丈に振る舞っていますのに……」
目頭が熱いのは本当だし、目の前の男がとても憎い。
しかし、ここで反抗したら、母にも危険が及ぶ。
二人はそのまま、追い立てられるように鋼務卿家の屋敷の門をくぐった。
玄関ホールの階段から、鋼務卿──当主グラディアス=エンデイズが見下ろしている。
強張った面持ちで手摺りを握り締める彼を、母が青い顔で睨んだ。その気迫にたじろいだように、鋼務卿は引きつり笑いを浮かべる。
「……こ、これはこれは。ディーズリーのご夫人とご息女に置かれては、災難であったな。これも全て、ブレイズ=ディーズリーの裏切りのせいか」
「──当主の嫌疑であれば、私も召されるべきでしょう……どうして」
「御夫人に牢はあんまりであろうし……、お嬢様お一人では心細かろうという領主様の心遣いなのだ」
鋼務卿は肩を竦めた。
「心配しなくとも、明後日の審問にはお連れすることとなる。お二人には罪はない、と私からも申し上げるつもりです」
「……それでなぜ家を焼く必要があります……!?」
「──は、家……?」
涙を堪えるような母の震える声に、ピアニーは目をぎゅっと瞑った。
鋼務卿は息子に戸惑いの視線を向ける。当の息子──婚約者は薄っぺらい笑い方をして手を振った。
「さすが、忠実な家臣の方々ばかりで……。激しい抵抗にあったとのことで、やむなくの事故ですよ、父上。兄上も、やむを得なければそうするようにと仰っておりましたし」
「抵抗など、するはずが……」
「しかし、事実です。ご夫人たちを奪い返そうと」
「……根も葉もないことを! 今に、報いがありましょう!」
なんとかそれだけ言って、母は婚約者を睨みつけた。
婚約者はびくっとしたが、すぐに脂の乗った頬に薄笑いを浮かべる。
「そんなことにはなりませんよ。お二人がここにいる以上」
「──……」
「──一言多いぞ、ミクレル」
鋼務卿が額に手を当てて、息子を諫める。
「部屋にお連れしろ。私は執務に戻る」
踵を返した鋼務卿に恨めしい目を送り、婚約者がこちらに振り返った。そして再び、薄っぺらい笑みを浮かべる。
「いや、お見苦しくてすみません」
言いながら、近づいてきた。
自然と後ずさるが、後ろには強面の男たちが控えている。
「ほら、お手を」
ダンスのエスコートのようにわざとらしく差し出された手を、ピアニーは悲しげな表情で見つめた。
「……あなたのその手は、当家の家人を焼いた手ですわ。何で清めようとも、その手をとりたいなどと思えません」
しかし彼は近づいてピアニーのすぐ背後に回り肩に手を置いた。
振り払いたい衝動をじっと堪える。──例えばここで手首をひねり上げて、彼を人質にとったら何か状況は好転するだろうか。
(この人を人質にしても、きっと状況は良くならないわ……)
──このタプタプの腹をした愚鈍な婚約者は、鋼務卿にとってどれほどの価値があるだろうか。……答えは否だ。今は耐えて好機を探るしかない。
「勘違いをなさっているようだが、屋敷を焼いたのはリーサスの兵です。それから、ピアニー様がなんと言おうと、あなたは私の妻になる……逆らうことなどできませんよ」
彼の吐息が首筋にかかる嫌悪感に耐えきれず、ピアニーは逃げるように前に数歩出て頭を振り、頭を下げた。
「……失礼、いたしました。突然のことで、動転しているのです。──今しばらく、時間を、くださいませ」
†
ピアニーと母は、二階建ての長い回廊を延々と歩いた先の、豪奢な調度品が備え付けられた小さな部屋に通された。妙な香りの香が焚きしめられて、居心地がいいとは言い難い。さらに、部屋の前には執事とも思えない身なりの男が数人立っている。
そして、身の回りの世話をすると告げたのは、尖った耳をした少女たち……小人の女奴隷だった。
「さ……触らないで!」
「お母様……」
あからさまに差別的な態度をとる母を宥める。追い詰められた今の心情ではただの人間のメイドでも同じような態度を取るのかもしれないが。
(彼女たちも、被害者だわ──)
衣服に隠れてはいるが、あちこちに殴られたような痕が垣間見える。──そして、常に怯えているような、空虚な瞳。
「お世話はいいから、下がっていてくださる?」
そう言うと、小人の侍女は壁際に立ち尽くす。出て行ってはくれないらしい。
香の匂いも不快だ。窓を開けて振り返ると、母は丸テーブルに両肘をつき、頭を抱えて沈み込んでいた。
「……ごめんなさい、ピアニー」
「何を謝っていらっしゃるの?」
「私がしっかりしないといけないのに……」
さめざめと泣きだした母の背中に手を置いて、ピアニーも唇を噛んだ。
「……お母様、聞いてください。私、散々あの人に嫁ぐのは嫌だとわがままを言ったでしょう」
「──ええ」
「今は、もうそれも一つの手かと思っているの。真っ向から戦おうとするのではなく、あの男を利用してやるの」
母ははっとして顔を上げた。
「そうしたら、ブレイズと私はどうなるというの」
「お父様なら、大丈夫よ。刑務の者だって、お父様の部下なのよ。例え領主様がなんと言ったって、お父様への忠誠が揺らぎっこないわ」
ただし法務は領主家だから、裁判を仕切るのはディーズリーではない。
こうやって対立が深まった時に、二つの大きな勢力が相対すると何が起きるのか。ピアニーはそれを口にすることなく、母の肩を抱きしめる。
「お母様だって、必ず私が助けるから……信じてください」
肌寒い部屋で膝を合わせ身を寄せると、わずかに気持ちが安らいだ。




