聖者の憂鬱(7)
荒野に戻ってから飛ぶように日が過ぎていく。
ラズは元タキの郷で修行や文字の勉強をしながら数週間過ごした後、またノアの郷にいるリンドウの元に戻った。
元タキの郷にいる間に、ピアニーの子飼の隠密がアイビス青年を訪ねて来たりもした。
グレン……二ヶ月前、人間の軍の斥候としてノアの郷に来て、しばらくこちら側の捕虜になっていた男も一緒だった。彼は今は外地の軍を辞めて内地の憲兵隊に入隊したそうだ。
アイビス青年は字がうまくないとのことで、伝言で済ませようとしていたところをラズが代筆して手紙にし、それを持って隠密たちは帰って行った。そろそろ手元に届いたろうか。
リンドウにアイビス青年が片手サイズの銃を手配してほしいと手紙で要望していた件を言ってみたところ、彼女は目を輝かせて試作品だった連射式の拳銃を持たせてくれた。それを受け取ったアイビス青年は見たことのない仕組みにひとしきり感動した後、『替えの弾丸もないのでは練習もできない』と苦笑していた。
ちなみにリンドウの最近の研究テーマは石油から食品を錬成することらしい。昨日は、書き直された化学式と数時間にらめっこしていたが、ついぞ理解できず、徒労に終わってしまった。彼女には申し訳ない。
気がつけば季節は春になっていた。
今日、ラズは怪馬スイの背中に乗って、ファナ=ノアと、三人の司祭……ソリティ、ニール、ウィリと共に東に向かっている。
目指すは、ファナ=ノアの生まれ故郷だ。
『そういや、小人の文字は読めるようになったのか?』
並走する馬上から、ファナ=ノアが軽い調子で訊いてきた。
『それが、全然……。まあ、こんなもんだとは思ってたけどさ』
数字と簡単な音までは分かるようになった。文法は分かっているのでエンリ特製の辞書でなんとか頑張っている。
暗記はそこそこ得意とはいえ、さすがに情報量の桁が違うので一足飛びにマスターという訳にはいかない。
教典にレノのことは書かないであげてくれとソリティ司祭に必死にお願いしたが、納得してくれたかどうかは不明だ。
『お墓参りって何するの?』
ファナ=ノアは軽い調子で笑った。
『それらしいことは掃除だけかな。打ち合わせをしたら、あとは宴』
『少し時期が早いから、<白い花>はまだ蕾ね、きっと』
女司祭ウィリの言葉に、ラズは首を傾げた。
『白い花?』
ソリティが楽しそうに答える。
『ファナ=ノアの生まれ故郷の丘だけに咲く花があるんだよ。ミステリアスだよね!』
そのテンションの高さに、ファナ=ノアは苦笑した。
†
ファナ=ノアの生家は、外装は朽ちていたが、年一度手入れをしているためか、それほど荒れてはいなかった。
人間……ファナ=ノアの母親もそこに住んでいただけあって少し広く、天井も高い。書物こそないが、そこに遺された道具類は人間が使うものばかりだ。
ウィリとソリティも物珍しそうに内装を見ている。彼らも入るのは初めてのようだ。案内するファナ=ノアはどこか固い。
「──ファナ? 緊張してる?」
「……こういう時は、気づかないふりをしてくれ」
声をかけると、ファナ=ノアは困ったように笑った。
掃除をしながら待つこと数時間。
『やっほぉ〜! 久しぶりぃ〜〜』
最初に現れたのは、ふわふわとした雰囲気の女性だった。
やたら長いぴょこんとした耳当てのせいで、兎みたいに見える。
『ソリティ〜、この子がラズぴょん?』
『そうだよー、ミロ』
ソリティがにこにこしたまま振り返って答えた。
ミロと呼ばれた女性はにぱっと笑う。
(今、ぴょんって言った!!!)
なんだこの……面白い人は。ラズは引きつった笑みを浮かべながら、彼女に握手を求めた。
『はじめまして、ラズだよ』
『ミロです〜、えへへ! よろしくね〜』
彼女はにぱっと笑ってラズの手を取りぶんぶん振り回した。
それからぱっと踵を返し、今度は隣のウィリに抱きつく。
兎耳のミロを唖然とした点目で追いかけるラズの脇腹を、ソリティがつっついた。
『あれくらいで驚いてたら保たないよー?』
『そ、そうなんだ……』
その後も、白い僧服をいろいろな形で着こなした小人が続々とファナ=ノアの生家を訪れた。
普段北東の郷にいるという小太りの女性、レイヤ=ハイチ。
到着するなり彼女と何かゲームを始めた、最西端の地区をまとめる豪快そうな男、ベンゼ。彼には会うなり背中をばんっと叩かれた。
ベンゼと共に来たヨークという職人のような青年はソリティと仲が良さそうだ。ずっとボソボソ言いながら手元のものをいじっている。アクラキールと気が合うかもしれない。
ウィリとずっと話し込んでいるキクという女性は単眼鏡をかけていて真面目そうである。ラズの寝癖の残った頭髪を一瞥し、直しなさいとぴしゃりと言われてしまった。苦手な人ランキングにこっそりと付け足したことは内緒である。
部屋の隅で、故郷を喪ったニールを慰めているのは、トートというのんびりした雰囲気の老人だ。みんなのお爺ちゃん、とでも表現しようか、包容力と独特の親近感がある。
すでにファナ=ノアとラズを含め、十人がそこに集まっていた。
(あと一人……)
空きっぱなしの岩戸に、ズザーっと背の低い小人が飛び込んできた。その肩に、小型の鷲が舞い降りる。
『セーフっすかー?!』
『君で最後だよ、トリン』
思い思いに過ごしていた小人たちが振り返った。
『いっつも一番乗りなのにね』
『フフフ……今回は日の出と同時に来ちゃったので、一度南の郷に寄って来たっす』
(……?)
ここから見て南の郷と言うと、数時間で往復できる距離ではないはずだが。
ラズの疑問をよそに、これで全員揃ったのか、小人たちはファナ=ノアを中心に円を形作る位置に移動した。
『こうして揃うのは一年ぶりかな』
『シャンパン! シャンパン開けようぜー!』
『グンゼ……酒なんてダメに決まっているでしょう』
『おキク〜固いこと言うなよ……レイヤはもう飲んでるんだぜ』
『レイヤ=ハイチは常に飲んでるから』
それぞれ性格が全然違いそうなのに、大家族のような雰囲気だ。
ラズは輪にぎりぎり入るか入らないかの距離感で、ファナ=ノアの正面の壁際に立ってその様子を見守っていた。
彼らの同胞であるメグリとクシナの訃報について、人間との交易について、竜人との交流について、荒野の中で起きていることについて、ソリティの進行で議論が進んでいく。
話題が進むなか、小人たちは代わる代わる親しげな様子でラズに笑いかけてくれた。
(やっぱり、ファナが心を許す仲間、なんだな)
かつて若干一名は初対面でラズに突っかかってきたが、そちらの方が例外だったようだ。
†
『……で、ラズくんには、来週、会談の日程調整の名目で送る使者として、人間の街に行ってもらう予定だよ』
『それならボクも行くよー!!』
ソリティの発表に、手を上げたのは最後に到着したトリンだった。
『三人くらいなら、カムイが運んでくれるっす!』
(『カムイ』?)
内心疑問に思っていると、ウィリが首を振った。
『まだその段階じゃないわ』
ファナ=ノアも同調する。
『人間には見せるべきじゃない』
──何か、特別な騎獣の話だろうか。
『……そっかぁ……出番だと思ったんだけどなあ』
残念そうにしゅんとするトリンにウィリが笑いかける。
『雛たちは順調に育ってるんだし、活躍の日も近いわよ』
話の意味が分からないラズは、彼女の言葉を胸中で反芻する。
(『雛』……)
思案するのを見て、ファナ=ノアがふっと笑った。
『ラズ、疑問は訊いていいんだぞ』
『だって、あんまり話を止めるのも』
重要ではないなら後で訊けばいいことだ。
老人がほのぼのと目元を緩める。
『ニール並に遠慮しいじゃの〜』
『あれえ〜? そういえばニールは?』
『いますよ、ここに!』
慌てて主張したニールに一同が笑う。
『……トリンの肩にとまっている怪鳥がカムイだよ』
誰も説明を始めないので、ファナ=ノアが口を開いた。
『初めて見る種族だね』
『ああ。大渓谷の崖に巣を作る小型の鷲だ』
大渓谷近くにはまだ行ったことがないので、その怪鷲なるものはラズは見たことがなかった。
『理屈は分からないんだが、石油を飲むと数時間巨大化する』
『え、あんなの飲めるの?』
トリンの肩に留まった鷲はクルクル鳴いて首を傾げた。
こほん、と咳払いしてソリティが仕切り直す。
『条文と取引品目は皆確認してくれていると思うけど、……』
その後も小人たちは今後の方針について話し合っていた。
立国のことも含めてあらかたの話題が終わったと思われた時、ファナ=ノアが目を伏せたまま、おもむろに話を切り出した。
──先月起きた、術を暴走させ、炎の竜巻を生み出した事件について。
かいつまんで事情を話した後、ファナ=ノアはゆっくり頭を下げた。
『自分の力を制御できなかったこと……取り返しのつかない虞を生んでしまったと、思っている』
『…………』
初めて、重い沈黙が下りる。
強大な力を暴走させるなど、一度たりともあってはならなかったのだ、というファナ=ノアの自責はラズの心にも波紋をたてた。きっと、他人事ではないからだ。<虚の王>の怒りにさらされたら、ラズも同じように力を暴走させてしまうのだろうか。想像がつかない。
沈黙を破るように、ラズは大きく息を吸って口を開く。
『マガツはまだ消えてない。<虚の王>の怒りは今後も起こる可能性はある……』
ここまでずっとニコニコとしていたソリティの顔が強張った。
ファナ=ノアは静かに首を振る。
『……ラズ、本質はそこじゃないんだ』
目を伏せ、火傷が残る手をじっと見つめた。
『<虚の王>がきっかけだろうとなんだろうと、激情によって力を使い、周りを傷つけることが恐ろしいんだ』
『──ファナ』
──そうなったら誰にも止められないことを、知ってしまったなら、それはたしかに恐怖だろう。
しかし、ラズは揺れる紅い瞳を見据えて、強い口調で言い切った。
『起こらない。ファナは……僕の知るファナ=ノアは、同じものに二度も負ける人じゃない』
部屋の反対側、真正面から、ラズはファナ=ノアの瞳をじっと見つめた。
小人たちは顔を見合わせる。
『……あーあ、先に言われちゃったわね』
ウィリが肩を竦めた。
『全くだ』
レイヤ=ハイチがひっひっと笑う。
そこには、悲痛な面持ちの小人はもういなかった。ただ一人、ファナ=ノアをのぞいて。
顔を伏せたままのファナ=ノアの表情はよく見えない。
<虚の王>の怒りとは、そんなに抗いがたいものだったのだろうか。
あるいは、他の何かが、ファナ=ノアの心を蝕んでいるのか。
ラズは口を尖らせた。
『……あり得ないけど!! ファナが止めてくれって言葉を望んでるなら!』
ファナ=ノアの睫毛がびくりと震える。
その表情を見つめながら、ゆっくりと深く息を吸って、ラズは少しトーンを落とした。
『僕が一瞬で止めてやる……なんなら、シャルにも頼んどく』
言い切ると、ファナ=ノアは瞑目した。
『…………悪い。君にそんなことを言わせて』
両隣にいたソリティとウィリが、その小さな背に手を回す。
『私たちは……、ファナ=ノアがらしくいてくれるだけで十分。強がらなくていい』
『例え力がなくっても、あなたに支えると最初に言いましたぞ』
『まーったく! やっと年相応になったってもんだよ』
小人たちは口々にファナ=ノアに声をかけた。
ファナ=ノアはゆっくり顔を上げる。
困ったような、哀しげな笑みを浮かべ、深呼吸する。
『湿っぽくなってしまったな』
『楽しみましょ〜、こんな日は』
『そうそう! っていうか〜、この家がなんなのかってカミングアウトを待ってるんだけど〜』
『ミロ……誰もが訊かなかったことを!』
『っていうか察しろっす』
彼らの明るい雰囲気に、ファナ=ノアはようやく再び、穏やかな笑みを浮かべた。
ラズからの手紙を受け取ったピアニーが胸キュンする番外編を投稿しております。
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