聖者の憂鬱(2)
リンドウとファナ=ノアにそれぞれ軽く腕を回して挨拶してから、ラズは改めてにかっと笑った。
「ただいま! すっごい久しぶりな気がする」
「ほんと……声変わりまでしちゃって」
リンドウはぽん、とラズの頭に手を置いて苦笑した。もともと頭ひとつ分あった差が、少しばかり縮まっている。
「どうでもいいけど関節が痛いんだよね。まだ伸びそう」
「はは、楽しみだな」
ファナ=ノアは少しも変わっていない。人間の血が半分混じっているはずだが、背丈などの特徴は小人そのものだ。
「ウィリからだいたいは聞いたが……無事で良かった、本当に」
「あの時……ファナも大変なことになってたってピアニーから聞いたよ」
笑みを曇らせて、ラズはファナ=ノアの顔を覗き込んだ。
「……気に病んでなどいないよ、大丈夫だ」
「あー、その顔は嘘だ。あとでちゃんと話そう。僕も話したいことがあるし」
そう言うと、ファナ=ノアは何度か瞬きしてから頷き、微笑んだ。
「……分かった。どうせ今日は宴会くらいしかやる事がないし、ゆっくりできるだろう。──で、そちらの方は?」
ファナ=ノアは怪馬から降り立った人間の青年に笑いかけた。
視線を向けられたアイビス青年は、ラズの和んだ雰囲気につられていた顔をすっと引き締める。
「一月前は主君が助けられたとのこと……心よりお礼申し上げる。訳あって追われる立場になったんだが、ラズ殿のご厚意によりこちらに身を寄せさせていただくことになった。俺の名はアイビスという」
「改めて、私がファナ=ノアだ。ピアニー殿に助けられたのは私の方だよ。礼を言う。ところで、堅苦しいのは無しにしないか?」
「いやいや、紛りなりにも荒野の君主に対して、これでも礼を欠いている方と思うが」
「治める相手と同じ目線でものを見られなければ、真の問題は解決しない。だから私は皆に平伏など求めない。ピアニー殿は違うのか?」
「……これは失礼した。どうやら思った以上の御仁のようだ」
「試されるのは慣れている。アイビス殿、とお呼びすればいいかな?」
「どうぞ気安く。アイビスでいい、ファナ=ノア」
両者の緊張が解ける。
ファナ=ノアは落ち着いた笑みで彼に手を差し出した。
「ではよろしく、アイビス」
彼は身を屈めて握手を交わす。姿勢を戻したところをふらつくのをラズが支えた。
「……悪りぃ」
「いや、そもそも、衰弱してるのに僕の都合に合わして一回休憩しかしてないんだし」
「……なあ、ところで……」
彼が耳打ちしてきた言葉に、ラズは思わず苦笑いした。──曰く、女なのか?と。
「それは僕も知らない。どっちでも良いってことで」
ファナ=ノアがふ、と笑った。
「ラズ……知ってるか? 小人は耳がいいんだ」
「夜目も効くよね。……あれ? ここで訊いていいこと?」
「いいや、気遣ってもらえて嬉しいよ」
何の話かと眉を顰めるジルとリンドウに笑って誤魔化し、ぼちぼちと郷への道を歩き出す。
「鉱山都市はどうだった? ピアニー殿もいたのか」
「偶然ね」
「ピアニーってあの可愛い子だよね。あんたが指輪をプレゼントしたっていう」
「あっ、……うん。リン姉の輝石を少し割ってあげたんだ。勝手にごめん」
「それはいいけど、あんた。師弟でもないのに、女の子にアクセサリー贈るなんてよくやったねえ」
「うっ。別に、特別な意味はないって……。もう」
鬱陶しげに顔を背けるラズを見て、リンドウは声を抑えて笑った。以前なら、もうちょっと可愛げのある反応を返したような気もするが、なんだかとても気恥ずかしい。
そのやりとりを聞いて、ファナ=ノアも笑う。
「はは、私も輝石、ラズに作り直してもらおうかな」
「どうしたの?」
ちらりと見えた袖の中に激しい火傷の跡を見つけ、ラズは眉を顰めた。手袋をしているから分かりづらいが、その中もひどい有様のようだ。
「聞いたんだろう? 術が暴走した跡だよ」
何でもないようにファナ=ノアは答えた。
リンドウは辛そうな顔をする。
「これも元どおりにできなくて。ラズなら治せる?」
「自分の身体じゃないし、元どおり、は難しいな……。別の場所から皮膚だけ移植するのは?」
「あっ、そうか……。それなら、培養でも作れるかも」
「ばいよう……うん、リン姉ならできそう。そういや、牙の郷の竜がさ……」
話しているうちに、郷の入り口である岩場に差し掛かる。
その途端、わっと人に囲まれた。
「おかえり!」「長旅ご苦労」『『おかえりなさい』』
「ビズ、ノイ、ソリティ、ニール……」
名前を呼びながら、ラズは顔を綻ばせた。
「ただいま!」
ファナ=ノアの補佐役であるソリティがニコニコして近づいてきた。彼は小人の唯一宗教ノアの広報活動……聖典の執筆なんかもやっている人物だ。
『お土産はウィリから、た~くさん、もらったよ~~』
『……え、ええと』
明らかに、竜人の郷でもらった工芸品のことではなさそうな気がする。
(もし……レノのことも『聖典』に書く気だったら……)
呆れるような脚色とダサいネーミングセンスでもっぱらの噂である。校正が入らないまま出版されるのはあまりに不憫だ。しかし小人の文字が読めないラズには止めようがない。
ファナ=ノアを横目で見ると、笑みを貼り付けたまま顔を明後日に背けられた。
(くっ……! 忙しいだろうから泣きつくのはやめよう)
──こうなったら、自力で文字を覚えるしかない。
気を取り直して顔を上げたとき、小さな声がした。
「……はじめまして、です」
目線を落とすと、五歳くらいの小人の女の子がおずおずとこちらを見上げていた。ゆるく結えた、くるぶしまでありそうな長い髪に、どこか赤みがかった茶色い瞳。
ラズは目をぱちくりさせた。妙な既視感を覚えたからだ。
(この子……どこかで会った?)
しかしすぐに思い当たらない。気のせいだと思うことにして軽く屈んで目線を合わせ、ラズはにこりと笑いかけた。
彼女は人間の言葉で話しかけてくれたが、小人の言葉で返したほうがいいだろう。
『はじめまして。僕はラズだよ。よろしくね』
「あわわ……」
少女はもじもじとファナ=ノアのローブの裾を掴んだ。
「ユウ? 彼のことは話したろう。大丈夫だよ。……ラズ、この子は人間の言葉しか分からない」
「えっ……、あ、ごめん。じゃあ改めて、ユウちゃん? 僕はラズ」
「らず……」
彼女はまじまじとこちらを見上げた。
その瞳の奥に、言い知れないものを感じ、なぜか胸騒ぎがする。
(……さっきから、なんだろう)
困って目線を泳がせているうちに、彼女はとてとてと寄ってきて、ぽすん、とラズに抱きついてきた。
様子を見ていた面々が目を丸くする。
「えっと──? ユウちゃん?」
──何か、悲しいことでも思い出したのだろうか。
抱きしめ返すのもなんだか変なので、ストレートの髪をよしよしと撫でると、尖った耳がぴょこぴょこ動いた。
ファナ=ノアが優しく問いかける。
「──ユウ? ラズがびっくりしているよ?」
「くろいおにいしゃんは、ユウのすきなひとににてるのです」
ユウはラズから離れないまま、ふにゃっと機嫌が良さそうに答えた。
「……ラズ」
ファナ=ノアが意味深な目配せをしてくる。
(────事情があるから優しくしてやれってことかな)
そう解釈して、少女の頭をもう一度撫でる。
「ユウちゃんの好きな人って?」
「えっとですね……ユウのだんなしゃんっ!」
「えっ?! ──あ、あはは、こんど紹介してね」
無難に乗っかると、彼女は満面の笑みを見せてくれた。それから、思い出したようにしゅんとする。
「でも、どこかにいっちゃったんです」
「──そうなんだ……、寂しいね」
「あいたい──です」
彼女は呟くように言って、大きな眼をゆっくりと瞬かせた。
ファナ=ノアも初めて聞く話だったらしく、思案するように彼女をじっと見つめる。
「……きっと見つかるよ。一緒に探そう」
彼女はこくん、と頷いてふと振り向いた。
その視線の先には、何十人かの人間の男たちがいる。人垣を割るように、背の高い四十代後半の男がヌッと顔を近づけてきた。
「……お前がラズか」
「初めまして、シュラルクさん、だっけ」
ここに来るまでに、小人のジルから彼のことはおおまかに聞いている。ピアニーが言っていた、東の荒くれ、というのは間違いなく彼のことだろう。
「思ったより、ちっせえな」
「シュラルクさんは、聞いてたより優しい顔をしてるね」
「──ん?」
「もっと怖い人かと」
「あぁん?」
低い、威圧感のある声だ。周囲の人間や小人たち──ファナ=ノアとアイビス青年以外、びくっと身を固くした。
「僕は血が苦手だから、シュラルクさんが怖いな」
「──怖がっている面には見えねえが」
「だって僕の知り合い、怖い人だらけ」
にっと笑うと、彼のほうがぎょっとしたように後ずさった。
先日までいた竜人の郷は実力主義の世界だった。年上の友人シャルグリートを筆頭に、だいたい喧嘩をふっかけてくるし、戦う力がない者への風当たりが強い。
──そういえば。
「ところで、キールは?」
「アクラキールなら、あそこ」
リンドウが指差した先に、分厚いコートで頭まで隠して、岩陰でこっそり様子を窺っている竜人アクラキール青年を見つけて、ラズはぷっと笑って手を振った。
彼女も苦笑いしている。
「竜人って変わった奴ばっかだねえ」
「ふつーの人も結構いたよ」
「ウィリたちの話、小人の言葉ばっかりであんまりよく分かってないんだけど、危ないことがあったんでしょ?」
「あったあった。竜の大群が襲ってきたり、ヤバい人が一族を乗っ取ってたり」
「え……」
「まー詳しくは追い追い。でもさ、友達もできたよ」
自然と顔が綻ぶ。
リンドウも目元を緩めた。それから、ふと質問を変える。
「レノは国境の方へ行ったの?」
「──そう。たぶん。僕は怪我して一週間寝てたから、あんまり話す暇なかった」
とっさに嘘をついてしまった。どこまで話していいか分からないままぼかして答えると、彼女はふうん、と相槌を打ってから、
「──ってあんたが一週間寝込む怪我って何?!」
と今度は焦った様子でラズの両肩を掴んだ。
ラズは笑みを貼り付けたまま、冗談めかして胸を指差す。
「こう、心臓の横をスーッと」
リンドウがめまいを感じたように眉間に手を当てた。
「半年で三回も死にかけるって何……」
一回目は半年前の國が巨人の襲撃を受けたとき、二回目はファナ=ノアを助けに行って警務卿ブレイズに追い詰められたとき。
「正確には四回? 山地で二回……」
凶敵マガツに刺された時は生死を彷徨ったし、牙の竜に爪を立てられた時も危なかった。
しれっと答えたラズに、リンドウはわなわなと眉を吊り上げる。
「……あのね。 ちょっとは深刻そうにしなさい!」
「ははっ! ほら、過去に囚われるなって父様もよく言ってたし」
「あんたねえ──!」
リンドウが振るった拳骨はスカッと宙を空振りした。
「避けんな!」
「わー、怖いよー!」
楽しそうに逃げ出すと、男達がどよめいた。
「姐さんが……母親の顔になっている……!」
「あの姐さんをものともしない……!」
「「あのガキ……すげーな……!」」
元野盗の首領シュラルクが部下達の感想に呆れてこめかみを抑えて怒鳴った。
「お前ら、さっさと仕事に戻れ!」




