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戦姫の迷い(5)

 農村を発って一週間と少し後、ラズたちは人間の領地……リーサス領を西に迂回(うかい)するルートで大渓谷(だいけいこく)にほど近い荒野に差し掛かっていた。


 凍った荒野の大地に、懐かしい風が吹く。


「……ただいま」


 風に乗った親友の気配に、ラズは微笑んだ。

 ここから南は、ファナ=ノアの見聞きの術の範囲内のようだ。これほどの広範囲で術を使えるほど、瀕死(ひんし)の怪我から回復したのだとも言える。

 女司祭ウィリも、ここまでの旅で見せたことのない、安堵(あんど)と親しみの入り混じった表情をしていた。

 彼女はこちらの視線に気がついて、ぷいと顔を背けてから、取りなすように口を開く。


『やっぱり、人間の街に寄るつもりなの?』

『うん』


 はっきりと頷き返し、遠くに見える鉱山都市に目線を戻す。

 せっかく近くを通るのだから、情報収集をしておきたい。春になったら始まるであろう、小人と人間の交易で一番の障害になるであろう貴族、鋼務卿について。


 その街──領西端の鉱山都市は、鋼務卿の直轄地だという。

 残る道程は、もっとも人間の領地に近い場所にあった、タキの郷の跡地まで怪馬の足で一日と少し。ノアの郷までは二日と少しといったところだろう。


『話してた通り、ウィリはキールと一緒に荒野に戻ってて。……スイも』


 怪馬で人間の街には近づけないから、ここからは徒歩だ。不満そうに鼻を鳴らす愛馬スイの首筋をぱんぱんと叩いてから、ひらりと地に降り立つ。


『明日、迎えを出すわ』

『ありがとう。行ってきます』


 少し緊張した面持ちで、足を踏み出す。──とても治安が悪いと聞くが、一体どんな街なんだろうか。




 †




 数時間後。

 ラズは一人、閑散とした鉱山都市の市場を散策していた。

 肩にかけた荷物は一人旅を想定してそこそこ大きい。武器はコートの中に隠した、腰ベルトの後ろの短剣のみだ。


 大通りの端にはごみが目立つ。下水設備がないのは仕方ないとしても、臭いがひどい。衛生観念が他と違いそうだ。


(領主の城下町と全然違うな……間に一都市しかないのに)


 昼間の市場は人がまばらで活気に欠ける。この街における仕事は鉱山開発がほとんどで、朝晩以外はこんな感じなのかもしれない。

 一方で、建物に挟まれた細い路地にたむろする浮浪者がやたら目につく。


「ガキ……、一つくれよ」


 路地から病的な顔色の男が呼びかけてきてラズは足を止めた。


(『一つ』? ……ここで昼間から一人で歩く子供は、物売りに見えるのか)


「今切らしてるから、また今度ね」


 何を求められているか知らないが、適当に断りひらひらと手を振ってタッと走り出す。イラついて殴ってきそうな雰囲気だったからだ。


(鉱夫だって家族がいるはず……奥さんや子供はどこにいるんだろう)


 市場から出て、大きな通りを道なりに散策する。鉱山とは別の方向で煙が立ち登っているのが見えた。何かの工場だろうか。

 突然、後ろから声がした。


「おい、そこの見慣れないカオ!」


 荒々しい声に振り返ると、ラズより少し年上と見られる少年たちがこちらを睨んでいる。お世辞にも友好的ではない雰囲気に警戒しつつ、ラズは短く返事を返す。


「……何」

「スカしてんじゃねえぞ、俺らのナワバリで商売するなら、出すもん出しやがれ」

「……?」


 少年たちの言葉の意味を図りかねて、首を(ひね)る。


「誤解だよ。……隣街からきたばっかりで。商売って何?」

「──へーえ」


 ぱっと思いついた言い訳を並べると、少年たちは顔を見合わせて、にやっと笑った。


「これだよ」


 薬包紙を一つ手渡される。

 錬金術で中のものを分析して、ラズは眉をひそめた。


(麻酔薬に似てる……この地方で採れるのか? そんなまさか……)


 平原の国の東側の、土地が豊かな地域では畑も見かけたから知っている。これは知識のない者が扱える品物ではないはずだ。──興奮作用に依存性があり、乱用した場合幻覚や呼吸困難を引き起こす、危険な薬物、だったはず。


「開けて、匂いを嗅いでみな」

「それは──遠慮するよ」

「そう言うな、よっ!」


 返そうとした包みを、少年は受け取るなり辺りにぶちまけた。白い粉が宙を舞う。

 そして、わざとらしく叫んだ。


「あーあっ!! もったいない!」

「…………」


 頭から被った粉を静かに払う。

 飛散する直前に錬金術でこっそり成分を分解したので、吸引してももう効果はない。


「ベンショーしろよ?」「そうだぜ。一つ売ってこい。カンタンだから」「できるできる!」


 ラズは静かに顔を上げ、楽しそうに笑う少年たちの顔を見回した。

 この薬品を売る理由は、医療目的ではなさそうだ。おそらく、依存性に着目した享楽の販売。顧客が廃人になることはお構いなしか。なんだかとても胸糞(むなくそ)悪い。

 この薬品を、少年たちが自分たちで作っているとは考えにくい。となると、彼らに売買を指示する何かがいるはずだ。


(やめさせた方がいい……)


 ──でも、どうやって屈服させる? ラズ一人でなんとかできる規模の組織なんだろうか。いきなり手を出すよりは、少年たちに取り入るなどして、穏便に探った方がよさそうだが、今日の明日でできることでもない。


(……ここは、逃げるか)


 ──でもいつか、絶対なんとかする。

 ラズはぱっと踵を返して、駆け出した。


「あっ!」「くそ、逃すか!」「うわっ、速え……」


 (わめ)き声をどんどん引き離す。

 同年代からすると足は速い方だが、大人に近い背丈の少年たちの足には敵わない。しかしここは荒野──輝石がなくても錬金術が自由に使える。身体を強化すれば大人並みの速さで走れるし、地を蹴るときに斥力を使えばもっと素早く跳躍できる。


(まあ、そこまではしないけど。目立つし)


 二回角を曲がったところで足を止める。もう追手はいないようだ。

 通路の陰でマフラーに引っかかった粉を払って辺りを見回した。


「ここは、工業区域……」


 窓から、女性が働く姿が垣間見えた。

 まだ残冬というのにほのかに温かい。

 つまりここで、採掘した資源を使って、鉄鋼を加工しているのだろう。東の都市では男の仕事だったが、ここではより重労働な採掘があるので、女性も製鉄に駆り出されているようだ。


 遠目に工場を見つめていた時、通りの方から軽い足音がした。振り返ると、そこには、膝に手をつき、苦しげに息を整えている一人の人物がいた。なにやら全速力で走ってきたかのようだ。

 背中の中ほどまである一房の赤銅色に輝く茶色の髪に、同色の瞳。背は叔母と同じくらいか。童顔のために年齢は分からない。


「やっっと、追いついた……! 足が速いね、君」


 声を聞いて驚く。整った容姿をしているが男性だ。服装はきちんとしているから、貴族もしくは、大商人とかだろうか。──そんな人が一体、なぜ。


「すみません……誰かと見間違っていませんか?」


 警戒しつつ声をかけると、彼は愛嬌(あいきょう)のある笑みを浮かべながら、姿勢を正した。


「でもさっき、白い粉を頭から被って走ってたよね? 心配になってさ」

「……心配? あなたは……」

「通りすがりの商人だよ。それで、なんともないのかい? 大丈夫?」

「あ、はい……吸い込んでないですし。あなたは、あれがどういうものか、知っているんですか?」

「ああ……。恥ずかしながら……ぼくの妻も、あの薬のせいで命を落とした──からね」


 哀しげに……そして寂しげに笑う。中毒死なら、最期は幻覚や自傷行為に走るのだと叔母から聞いた。想像すると胸が痛む。


「君は、どこから来たんだい?」

「ええと、東の街から……身寄りがないので、傭兵をしながら旅をしているんです」

「へえ。ってことはもしかして、草原地帯から?」

「はい」

「どおりで、薬のことを知ってた訳だ。一人で来た……訳じゃないよね」

「えっと。……はい、兄貴分が、今は仕事を探しに行ってて」

「そうかぁ……うん」


 適当にそれらしい嘘をつくと、彼はふむふむと納得した様子で、腕を組んだ。


「この街で仕事をするんなら、また会うこともあるかな──。ああ、そうだ……あの粉は、使い方を間違えなければ、疲れた心を軽くしてくれる。×に一回、一包なら大丈夫だよ。……じゃあね」


 そう言って、青年は踵を返そうとした。


「──待ってください」


 反射的に呼び止めてしまった。これ以上は不躾(ぶしつけ)かもしれないが、しかし。


「……正しい使い方は、外科手術の麻酔か、精神を病んだときにごく少量、のはずでしょう。それがあんな薬包紙に包んで取引されてるなんて……正しい使い方をふまえた売り方が、そもそもされてないじゃないですか」


 商人と名乗った青年は半分背中を向けたまま、顔だけこちらに向ける。


「やけに、詳しいね?」

「……旅の仲間に、薬師がいるので」


 愛嬌のある目元はそのまま……しかしどこか、感情のない目。

 

「そんなだと、この街で食べていけないよ。どんな正義を持っていようとも、賢く生きなきゃあ」

「────」


 ふい、と顔を背けて、彼は路地から歩き去った。

 後ろ髪が風になびいて、赤銅色に透ける。

 追いかける理由が見当たらず、ただ見送るしか出来なかった。


(なんだよ、あの人……)


 身内を亡くしているも関わらず、薬に対する諦観のような……違う、既にあの青年も毒されて、抜け出せないのか。

 ──正義かそうじゃないか? そんな問題ではないだろう。賢く生きる、というのは伴侶がたとえ死んでも(げんいん)を断たないということか?

 そもそも。こんな荒野の真っ只中にある都市で、こんな危険な薬が横行していること自体に危機感を感じる。ファナ=ノアたちは対等な交易をしようとしているが、もしこれが小人たちに出回ったら?


(……やめさせないと)


 でも、どうやって。

 思案しながら、ラズもその場を離れた。




 †




 人と会ったらトラブルになることを学んでしまったので、足音を潜めて街の様子を見て回る。


(……ん?)


 先ほどと違う少年たちの一団が揉めているのを見つける。今度は一体なんだろう。

 角に身を隠したまま、ラズは話に耳を澄ませた。


「──アイビスさんに会わせろだ? 無茶言うなよ」

「俺の──クレシェンの名前を出せば分かるはずだ!」

「あー、わかった! お前たちあれだろ、アイビスさんの元子分。でも、アイビスさんは今……。とにかく、無理なものは無理!」


 八人の少年に取り囲まれているのは、クレシェンと名乗った少年ともう一人。


「アイビスは、今……? なんて言った?」


 少年にしては少し高い張りのある声で、クレシェンの後ろの帽子を被った眼鏡の人物が訊ねた。


「カンケーねーだろ、東の街のやつらには」

「教えてくれ……それしか手掛かりがないんだ!」


 クレシェンとやらが必死に言い募る。

 八人の少年たちの後ろで黙っていた年長の少年が、イライラした雰囲気で口を開いた。


「あんまりしつこいなら、お前たちを捕まえて突き出してもいいんだぜ……。あ! おれ、良いことを思いついたな。絶対その方がいい」


 その発言を境に、場の雰囲気が急に変わった。

 チャキ、と折り畳みナイフを開いたその少年に(なら)い、ほかの少年も喧嘩腰の表情に変わる。

 最初に応対していた少年も、少し迷った後、仲間に倣った。


「……!」


 クレシェンという少年は顔を強張らせて一歩下がる。一方、後ろの帽子の人物のほうは頭ひとつ分小柄であるにも関わらず、落ち着いた様子で片足を退げ半身の構えをとった。武術の心があり、とても慣れている雰囲気。


(ていうか、()()()ってたぶん……)


 ラズの予想が当たっていれば、帽子の人物をこの場で戦わせるのはなんとなくよろしくない気がする。

 ラズは隠れるのをやめてすっと割って入った。


「……無関係の立場で口を挟んで悪いけど! 喧嘩(けんか)はよくないと思うんだ」


 少年たちは、いきなり現れたラズに面食らったようだ。


「急に……なんだよ! お前!」


 少年たちの剣幕に慌てたふりをして手を上げ、大通りの方を指さす。


「──でも! 警務の詰め所のおじさんたちを呼んだから、もうすぐ来ると思うよ?」


 それを聞いて、クレシェンとやらの後ろにいた帽子の人物が口の両端を上げて笑った。


「それはまずい。みんな今すぐ逃げないと! 行こう、クレシェン」

「あ、……おう!」


 言うや否や踵を返したので、クレシェンも慌てて後を追う。

 八人の少年達の方は半信半疑の様子だったが、声を掛け合いながら反対方向に走り出した。

 一人その場に残されたラズを、振り返った帽子の『少年』が手招きした。


「こっち!」

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