竜の旅人(18)……魂を喰らう者
「終わりにしましょう──そろそろ」
「終わるものか……!」
レノがもう一歩踏み出すと、マガツは地を蹴り拳を振り上げた。
その拳を受け流しながら、自在に舞い踊る金剛石の球をすい、と避ける。
「良い身体を得た割にお粗末な。もともと武を修めていないことが明らかだ」
金剛石の操作はまだしも、強化した身体に判断力が追いついていない。──接近戦を避けていたのはこの為だろう。
たん、と地を蹴り瞬時に背後に周り、手足を狙い下段から爪で薙ぐ。
「がっ……!」
マガツは血を撒き散らしながら、一部を金剛石で防ぎ、そのまま反撃してくる。
振り向きざまに向けられた笑みには、余裕と冷酷さが窺えた。
「くくっ、少年が罠にかかった……もう時間の問題だ」
罠──それが何かは想像するしかないが、<後継>であれば何であろうと抗える可能性はある。
(──ラズ)
あの少年は一度自分の存在を完全否定している。その自責の心を一時的にでも塗り替えなければ、助けることはできなかった。あれから半年。たった半年だ。『信じる』と言ったが、それは真の信頼というよりは、願いだった。
(なぜ、助けてしまった──?)
<後継>なら他にもいる。ラズを助けなくても、自分の望み──世界の代替わりそのものはつつがなく行われただろう。あの時思った、『<後継>が死んだら彼女を探すのが遅れる』という理由は完全に自分への言い訳だった。
ただの人間に親友と言われた。そして、名を共有した子ども。
(『お前にも、人との繋がりがもっとあってもいいと思ったんだ』)
──いいや、繋がりならある。もう遥か昔に分かれた妖精の少女との再会の約束が。また会えると信じている訳ではない。絶望せず淡々と行動するだけが、己の存在定義だった。
なのに、小さな望みに気付いてしまった。小さな黒髪の頭を撫ぜる度。この少年の、かけがえのない存在であり続けることができればと。
願う。
──諦めないでくれ。
奥歯を噛み締めて、体勢を低くして飛び交う金剛石を避ける。
内心に渦巻く不安をひた隠し、レノは微笑んでみせた。──今、やるべきことを淡々とこなす。その点において、<喰らう者>ごときに後れをとったりしない。
「────まあ、猫又が付いていれば大丈夫でしょう」
「側でオロオロしているだけなのに、過剰な期待だな」
「分かっていないんですか? ああいうタイプは、守る者がそばに居ると折れない」
マガツが大振りで拳を振るう。かつ全方位からの槍と硬球──いつかのシャルグリートと同じ戦法か。
「二度は食らいませんよ、さすがに」
バチバチバチッ──!
拳を振り上げる隙に電撃をまともにくらい、マガツが膝をついた。
雪の上に落ちた金剛石が、ぶつかりあってガチャガチャと音を立てる。
シャルグリートの時はあえて食らってみたが、おかげで初動が見えたタイミングで先手を打つことができた。
「ぐぅっ……!」
マガツは意識を失うまいと顔を歪める。
その頭に手のひらをかざし、レノは目を細めた。
「私は、与えるのは苦手ですが、……奪うのは得意なんですよ」
† † †
「禍ツ神を倒す……?」
シャルグリートの兄──ディグルエストが困惑した表情で顎に手を当てる。
すぐに猫又が意見した。
「絶望を撒くことを喜びとするような輩でありんす。都合よく弱点などありんせん」
「ああ、なら、絶望をもう撒けないこと、それが一番嫌なことだね」
「……む」
猫又が耳をぱたんと動かした。
「何を無意味なことを話している」
老人がゆらりと降りてきて、兄──ツェルの姿に変化した。
「私が絶望を撒けないようになる、だと?」
構わず、ラズは黒猫に話しかけた。
「猫さん、ディグルエストさんはどうして助かったの?」
「……わずかに反応した気配から、絶望した時の記憶を喰ったんでありんす。あとは本人次第でありんしたが」
「……さっきから、何の言葉を話しているんだ?」
ディグルエストが首を傾げた。
ラズは質問の意味が分からず目を瞬かせる。
猫又が耳元で囁いた。
「ぬしは無意識に主殿の記憶を使い、わちきらの言語を使っているんでありんす。ぬしらの言葉はわちきは話せんせん」
「────そうだったんだ」
新たにもたげた疑問を、今は関係ないと頭から振り払って、はたと気がつく。
「僕の中のレノの記憶って、つまり魂……力そのものなんだよね」
「……間違っていんせん。ぬしには使いこなせないでありんしょうけれど」
「でも、猫さんなら使えるんでしょ」
猫は黙って頷いた。
「……ぬしの中には結構な量……わちきがすぐに喰いきれぬ程の魂が入っておりんす。本人の意思の外で内部世界を作りだすほどの……。解放すれば、この程度の世界、内側から壊せるやもしれんせん。しかし……ぬしの魂が壊れるやも」
「自分を見失うなって話なら、耐えてみせるよ」
三つの輝石を握りしめてラズは笑った。
禍ツ神の表情が強張っていく。
「させる、ものか──! たかが、<後継>が──!!」
† † †
膝をついたマガツの頭に手をかざし、レノが意識を研ぎ澄ませたとき、突如大きな歪みが発生した。
「……──!!」
その歪みは大気を震わせ、風となって髪を揺らす。
(これは──! まさか、こんな手を使うとは)
──想像の斜め上を行ってくれる。思わず強張った笑みが漏れた。
「う、あ、ああああ、ああ──!!!」
銀髪の男は頭を押さえ、苦悶の声をあげた。
マガツの魂が、内側から崩れていく。
「ラズ──!」
喉から漏れた声は掠れていた。
その呼びかけに呼応するように揺らいだ気配があった。できるだけ丁寧に触れ、掬い取り少年の身体に導く。
──これで元通りに、なるはずだ。
あれほど騒がしかった<虚の王>の怒りの気配が、潮のように引いていく。
(あとは──)
崩折れた銀髪の男の内側から、風船の空気が抜けるように魂が溢れ出ている。そのほとんどは、ラズに与えた自分自身のもの。
その勢いを利用して、もともとそうするつもりの通り、ディグルエストの身体からマガツの存在を引き剥がした。無理矢理剥がすのは相当難しいと思っていたが、ガタガタの魂はあっさりと手中に収まりイメージした通りのもやを形成する。
あとは握り潰せば消滅するはずだ。
『────ぐぅう……っ──おのれっ……』
「──……!」
マガツの魂が揺らめいた。
(世界の理を曲げた──!?)
禍々しい声が、脳裏に直接響き渡る。
『これで終わりだと思うな、ラスレイド・レノ────!!』
「っ……!!」
もやが自散し、辺りはしん、と静まり返った。
────逃げられた。
(……しかも)
手の平に浮かび上がった禍々しいアザを見つめて、レノはゆっくりと息を吐いた。
† † †
降り積もった雪に、竜人たちが血を流し倒れている。
シャルグリートは息を呑んで、その顛末を見守っていた。
「……」
一瞬凄まじい気配を放った後、無表情に腕を下ろしたレノの後ろ姿は、どこか声をかけるのがためらわれる。
倒れた銀髪の男──兄をそのままに、す、と彼は歩き出す。その先には、シャルグリートが倒した罪人の男が倒れている。
『お、おい……!』
かがみ込んで何やら頭に手をかざすレノに、ようやくシャルグリートは渇いた声を絞り出した。
『終わった……のか?』
レノは振り向かず答える。
『……一応は』
『兄貴はどうなったんだよ』
立ち上がったレノは何故かふらつき、なんとか倒れず踏み止まった。
『……っ、魂は無事です。起きるかどうかは何とも言えません』
『……お前は、大丈夫なのか』
シャルグリートの焦った声に、ようやくレノは振り返り、淡く微笑んだ。
『君たちの前で倒れるなんて、無様なことはしませんよ。……それより、殴ってやるんじゃなかったんですか』
レノはシャルグリートの側を通り過ぎ、青白い顔をしているウィリと、倒れたままのラズの側に膝をついた。
その頬にほのかな朱が差しているのを確認して、彼は安心したようにその頭をくしゃりと撫ぜた。




