竜の旅人(14)……魂を喰らう者
「──少しばかり、遅かったな」
とさ、と足元に倒れ込んだ少年にもう目もくれず、銀髪の男は恍惚と笑う。
ほぼ同時に、その場に猛烈な勢いで飛び込んできた白銀の竜の爪を滑らかな動作で弾いた。
白銀の竜は着地と同時に人の姿をとる。その左腕には、衝突の隙を見て拾い上げたのだろう、倒れていた少年の身体が掴まれている。
小さな身体からぼたぼたと流れ落ちる血が、足元の雪をたちまち溶かしていく。
白銀の竜が転変した男は、俯き加減であるため表情が分かり辛い。
少年を片手で後方に放り投げ、彼は低く叫んだ。
『──ウィリ! 頼みますよ』
彼を知る者からすると、いつになく、切羽詰まった声。
後方にいた小人の少女は、唇をひき結んでその身体を受け止める。
白銀の竜とともに現れた竜人の若者が、少女を守るように片腕を上げその前に立った。その鋭い碧眼は、冷たく嘲笑う銀髪の男に向けられている。
少年の血はもう止まっていた。白銀の竜がその力で少しの治癒を与えたのだろう。しかし、その表情には一欠片の生気もない。
……──ざわ。──ざわざわ……ざわざわ────!
何かが、激しく空気を震わせた。まるで、周囲の空気がのたうって、怒り狂っているような禍々しい気配が空を──世界を、覆い始めていた。
† † †
† † †
牙の竜に弾き飛ばされたシャルグリートは、なんとか受け身をとって岩場に踏みとどまる。
顔を上げた瞬間その目に映ったのは、牙の竜がラズをその後脚で鷲掴みにする光景だった。
『ラズ! ──くそ!』
真っ先に反応したのはレノだった。
彼の両腕から閃いた白銀のワイヤーが、牙の竜の脚に絡みつく。そして同時に目の前の戦いを放棄して赤竜の前に身を投げ出した。
しかし、ワイヤーは赤竜の足元にいた竜人の振るった刃に剪断される。張り詰めていたワイヤーが勢い余ってめちゃくちゃに跳ね、一帯にいるものを切り裂いた。
レノは構わず牙の竜の脚を狙い、両腕の爪状の武器で斬りあげようとする。──牙の竜を傷つけることに、もはや一分の躊躇もない。しかし、
ギィン!
『マガツ』が生み出した複数の刃がそれを阻む。そして、赤竜とレノの間でカッと爆発が起きた。
「……っ」
レノの動きが止まる。
爆風に流されて近づけないのだ。彼は機動力が高い反面、体重が軽い。その弱点を巧妙につく攻撃だった。
牙の竜はその隙に傷ついた翼を羽ばたかせ、爆風に乗って猛スピードで飛び去っていく。──その脚にラズを掴んだまま。
(どこに向かって──ッ!!)
雪の残る山地の中腹──確か、もう一つの、『マガツ』の一団がいる場所。まずい──!
爆心地から、勝ち誇ったようなくぐもった声がした。
「私の勝ちだ、ラズレイド・レノ」
「……引き離したくらいで、調子に乗るのは早計です」
レノは焦りを噛み殺すように言い捨てる。その声のトーンはいつもより低い。そのことが、事態が最悪であることを雄弁に物語っていた。
爆風が収まる。
シャルグリートは赤竜の後を追おうとしたが、結晶の刃が暴れるように舞っていて進めない。こうしている間に、ラズがどうなるか──
『クソォォッ!! 退けッッ!!!』
黒水晶の刃で、邪魔な結晶を弾き飛ばす。
一瞬できた空白地帯にレノが踏み込んだ。その手の甲には、爪を模した十本の刃が輝いている。
『マガツ』自身は爆発から身を守るために全身を分厚い結晶で覆っているらしく、動きが鈍い。
見開かれた青灰の瞳に、白銀の刃が映る──
ドッッ!!
透明な鎧は寸断され、複数の裂傷から血が吹き出す。その銀髪の男は、ゆっくりと後ろに傾いた。
シャルグリートははっとして駆け寄る。
『お前──っ、その手! 大丈夫か!?』
レノの両腕は膿んだようにところどころ裂け、黒い血が染み出していた。──切れ味を極限まで高める超振動による、自壊。
しかし彼は間髪入れず振り返り、シャルグリートの腕を掴んだ。
「──シャル!! 追うぞ!」
「ッ──ああ!」
即座に頷く。
彼の姿が一瞬揺めいた。竜の姿に変じる。
そのプラチナの目は、赤竜の消えた方角を見据えていた。
† † †
「っ! あんたは……」
ラズは視界の端に銀髪を捉えるや否や、考えるより先に剣を構えた。しかし、ギシ、と身体が軋む。
(っ身体の元素を支配する術──!)
冷ややかな笑みの前に澄み切った剣が浮かび上がり、表情がいびつに歪んで見えた。その光景に、背筋が冷える。
「さよならだ、聡明な少年」
「──まだだ!」
声を荒げると同時に全力で身体を縛る気配に抗った。
「────ッ万象を裁ち!!」
金剛石の剣が宙を滑る。
一瞬一瞬が、ひどくゆっくりに感じた。
──決して挫けない、心が欲しい。
絶叫に近い声で、技の口上を繋げる。
幼い頃から繰り返した剣筋は、身体が知っている。──動け!!
「虚空に帰せ!! <是空>!!!」
全身からほとばしる<波動>が侵食する何かを吹き飛ばし、止まっていた時間が動き出す。
銀髪の男の柳眉がぴくりと動く。
ラズの振動を纏わせた剣が、目の前に浮かんだ金剛石の刃を凪いだ。
ガキィィン!!
激しい衝突音。
金剛石の刃とともに、振り抜いたラズの剣は半ばで崩壊していた。
透明な破片がスローモーションのように視界を横切っていく。
男の切れ長の青い目が雪の照り返しを受けて煌めいた。
ラズは叫んだ。
「──返せよ、シャルの兄様に、その身体!!」
静止することなく、雪上を踊るようにステップを踏んで足の関節に突きを繰り出す。半ばで折れた剣の切っ先があった長さまで空気が振動している。イメージだけで作り上げた剣がその足を貫いて、血が吹き出した。
マガツは表情を変えない。薄い笑みを浮かべた口から、低い声が漏れた。
「無駄な、ことを」
ぎし、と身体の自由が一瞬奪われる。
「──っ!」
ドッ
突然現れた金剛の槍が、身体の中心を貫いた。
────動けない。
身体を小刻みに震わせながら目線だけを上げて銀髪の男の顔を見上げる。
その額に、色白の長い指先が触れた。
「足りない──何もかも。期待通り」
ぐわ、と意識が揺らぐ。金縛りにあったかのように、心と身体が引き剥がされるような錯覚に襲われ視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
「────っ」
その何かに、ラズは必死に抗おうとする。
「消滅は虚無。何も感じん。楽になれるぞ」
死ねば楽になれる──過去にそう思ったことが一度ある。
────『死ぬ気だったろ、あの時』
そう言った時のファナ=ノアのどこか怒ったような悪戯っぽい笑みが脳裏を過ぎる。
もうそこに逃げる訳にはいかない。
────『君にまだ死んで欲しくない』
(絶対──、失望させたくない)
レノはこうなることを予想していたんだろうか。
帰らなければ……リンドウに怒られる。
(もがくほど──沈む──どうしたら────)
──何かの渦に飲み込まれ、意識が薄れていく。
どこからかまろい声がした。
「……己の在り方を、思い出しなんし」




