竜の旅人(11)……狩
「悪いけど、夜の仕込み、よろしくね」
あれから数時間、地形や作戦について議論し、翌朝日の出とともに行動を開始することになった。
よりこちらに地の利をつけるために、レノは暗いうちに罠を仕掛ける手筈になっている。
「気にしなくて構いません」
言って、彼は竜の姿に戻った。
竜の姿に変わる行程はよくよく見ると少しグロテスクだ。周りの空気を揺らめかせているのはわざとで、それを見え辛くするためかもしれない。
臭いについてもそうだが、レノはなんというかとても常識人だ。怪しまれることはもちろん、周りが引くようなことはあまりしたくないのだろう。
背に二、尾に一対生えた蜻蛉のような薄い翅が振動する。翅の振り幅が結構大きいのに、ほとんど音もせず、そよ風が起きる程度というのは不思議だ。
「竜の姿に戻らなくても飛べるんじゃないの? ほら、ファナみたいに」
「術で飛ぶのは実はそれほど得意じゃないんです。こっちの方が小回りもきくし、速い」
「なら、翅だけ出すとか」
夢で見た、彼の妻……妖精の姿を想像する。
「それだとバランスがとり辛い。それで飛ぶには、別の摂理の力が要るでしょうね」
「竜人の翼の民って羽が生えてるんじゃなかったっけ?」
「というより翼腕です。それにほとんどニワトリ……飛べません」
「へー! そうなんだ」
感嘆すると、白銀の竜はふっと柔らかく笑った──気がした。
「ところで、レノは──この戦いが終わったらどうするの?」
つい、と流麗な尾が宙を滑る。
「この世界の観測を。代替わりを見逃さないように……要は、また旅をするだけです。──もう君は、私がいなくとも大丈夫でしょう?」
「…………当たり前じゃん」
この半年、大事な決断をするときは、いつだって彼が後押ししてくれた。大丈夫──そう言ってくれるなら、その期待に応えたい。また会う時、胸を張って笑い合えるように。
白銀の竜がふわりと上昇し、暗闇に消えて行くのを見守って、ラズは怪馬スイのもとに戻った。
三日前からウィリが遠乗りに連れ出してくれていたのでそれほど機嫌は悪くない。
(スイ)
心の中で呼びかける。彼もラズにとってはかけがえのない友だ。
『───遺言なら聞かんぞ』
(言わないし)
明日スイはシャルグリートの義姉と共にここに留守番だ。彼なりに心配なのだろう。
(これが終わったら、谷の國に帰りたいんだ。一緒に行く?)
──小人たちの事情を優先したいのでいつになるかは分からないが、あの日の自分ときちんと向き合いたいのだ。
『───どうしてもと言うならな』
相変わらず素直じゃない。
(うん、どうしても、スイの力を借りたい。大山脈の果物は美味しいよ)
『───ふん。わざとらしいし食べ物で釣る魂胆が気に入らん。やり直しだ』
(厳しいなあ)
色んな地形を走り回ることや、食べることが好きな癖に、それを言うと意地を張るのがスイらしい。
スイは翠色の目を細めた。本馬にその気はないだろうが、長いまつ毛が横に倒れて優しい雰囲気になる。
『───まだ、最初の盟約を果たしていない』
(興味ないんじゃなかったっけ)
『───興味の如何はそれが終わったあとにでも評価すればいい。少なくともここまでの旅は……悪くなかった』
(……うん)
寝そべったスイの腹に背を預け、ラズは目を瞑った。
† † †
雪が昇りきった朝日を反射して天井が明るい。
マガツは薄目を開けた。長い銀髪が光を受けて視界の隅でキラキラしている。
(──動いたか)
方角は東──牙の郷の方向とは異なる。
その向こうは翼の民たちの領域だ。
翼の民たちは竜を擁する。よって翼の民を巻き込めば翼の竜も黙ってはいない。それが狙いだろう。
もし雑兵を増やす程度であれば牙の民の他郷で十分なはずだ。
(あのクラスの竜が増えるとそれなりに面倒だな──位置関係と移動速度から言って辿り着くまでに追いつくことは可能……あるいはそれが狙いか)
マガツはふっと嗤った。
(いいだろう、まずは乗ってやる)
† † †
雪の斜面に足跡をつけるのは楽しいのは最初の数十分だけで、歩きにくさに既に嫌気が差していた。
昨日降ったばかりの雪は柔らかくて、足を乗せると深く沈み込む。
膝から下を藁のようなもので覆っているが、じんわりと冷たさが伝わってくる。
ふいに、前を歩くレノが足を止めた。
「翼の郷の手前の丘で待ち伏せするつもりのようです」
「ルートは?」
「尾根伝いです。いつでも来いと言わんばかりですね」
レノや牙の竜の機動力を活かしての急襲をやはり警戒しているのだろう。
「尾根は雪でルートを変えてくれてるよね?」
「ええ。クレバスに近い地帯を作りました。一度、谷を迂回せざるを得ないように」
「……そっか。死者がでないといいけど」
雪渓にできた深い割れ目に足を踏み外すと、通常無事に出ることは叶わない。
宙に浮かぶか、氷を操る術でも使えない限り、その上を通過することはできないだろう。
反対側は崖があるので、避けるには谷側に降りるしかない場所だ。
「シャルは?」
「彼はまだ牙の郷に降りる道筋にいます」
「「尾根に上がってイイのか?」」
耳元でシャルグリートの声がした。──もっと正確に言うと、白銀の耳飾りが振動してシャルグリートの声を再現した。レノは別行動になってからずっと互いの会話が聞こえるように術を使ってくれている。
ラズは少し思案してからシャルグリートに返事をした。
「いや、あの地形だと谷から尾根の上が一望できるはずだから、待ってから上がっても見つかると思う。南の斜面に迂回できるルートはない?」
レノは少し目を泳がせてから、苦笑いした。
「……本当だ……。探して誘導します」
昨晩は暗かったし、そこまでは確認しなかったのだろう。
「マガツたちがクレバスに到達するのはあとどれくらい先かな」
「一時間というところですね」
「このまま引きつけるために、一時間も歩くのかぁ……」
いい加減、藁ぐつを板に切り替えた方がいいかもしれない。
「背負ってあげましょうか?」
レノがくつくつと笑う。どこか既視感を覚えるやりとりだ。
「そういや前に、数時間走って息が少し上がってたのって演技?」
「いいえ? 足で走るのは得意じゃありません。人間からするとパワーもスタミナもあるように映るかもしれませんが、これでもひ弱なんです」
「なら、そりでも作って引いてくれるほうが楽なんじゃない?」
「ああ、確かに。でもそれをやると後から笑い草にされそうだな」
ラズの身体がふわりと風に押し上げられた。重力と風の操作……なんだかんだ、手助けしてくれるらしい。
「術の無駄遣いじゃないの」
「君と違って、力の枯渇には無縁なんで」
「ええ、ずるい。……ファナもだけど、どこにそんな生命力があるのさ」
「君だってキャパシティは常人より遥かに多い。伸び代もまだまだありますよ」
「未来の話を言われてもなあ」
ラズがぼやいたとき、穏やかだったレノの表情が少し曇った。
「どうしたの?」
「牙の郷からもう一団発ちました。そちらにもマガツらしき人物がいます」
「!! 想定できなかったパターンだね……。そっちはどこに向かってるの?」
「直接こっちの方角です。怪馬……というか馴鹿だから速い。このペースだと早くて三十分くらいでかち合いますね」
ラズの居場所が分かるということは、そちらが本物だろうか。いずれにしても、手が込んでいる。
「──その前にシャルが間にいるはずだ! ……その下の谷で合流したほうがいい!」
耳元からシャルグリートの息を呑む音が聞こえた。
「「は? マジか、急ダナ……」」
「ウィリと牙の竜も呼びますね」
「うん。よろしく」
彼らはまだ牙の竜の洞窟にいる。ラズは小人の言葉に切り替えてウィリにも手短に状況を話しておく。
竜の姿に変わり、浮かび上がったレノの後ろ足に掴まると、白銀の竜は木の高さすれすれに浮かび上がった。
牙の竜のような胴がずんぐりした竜は背に人を乗せられる。
一方、レノのように蛇のような細長い竜は、シャルグリート曰く角に捕まれば乗れるらしいのだが、レノの蜻蛉のような翅は振動の方向を自在に変えて素早く小回りがきく動きをする為、背に乗られると邪魔なのだそうだ。
掴まってぶら下がるのはもっと大変かと思っていたが、さっきからレノが起こしてくれていたラズの周りの風は消えることなく、体を押し上げてくれている。これなら、うっかり手を離すことがもしあっても即落下することにはならなそうだ。
すっと、視界の雪景色が滑り出した。
「はやっ……」
「口を閉じないと舌を噛みますよ」
どんどん加速して、すぐに減速する。
……飛行時間自体は一分ほどだっただろうか。
トンボの飛行から想像すると、加速や減速の過程はほとんどないはずなので、あれでもラズの身体に負担がかからないように気をつけてくれたのだろう。
「……すっごい重力感じた……」
地面に降り立つと足がふらつく。すぐ側に人の姿に戻ったレノが降り立った。
その表情は険しい。
「……尾根の一団も引き返そうとしています」
「いろいろと嫌な予測が的中してるじゃん。クレバスの仕込みが無駄になったね」
昨日の議論では、マガツはレノのような通信手段は持っていないだろうという結論に達した。怪馬の念話を支配下に置いたなら、スイが教えてくれるはずだからそれもない。
それなのに、どちらの『マガツ』も、ラズの気配の位置を把握して行動しているということはつまり、マガツが部下にそういう力を与えることができるということだろうか。
ちなみに昨日、レノもそういうことができるのかと訊いたら、彼は『それで失敗して記憶を漏らしてしまったのだから、私に期待しないでください』とため息をついた。
「上の一団は雪崩で足止めしましょう」
「そんなことしたら下の谷まで雪崩れるんじゃない?」
「途中で流れを変えて尾根にぶつければ問題ない」
「そんなことできるの? すごいね」
滝の郷での誘電然り、レノは飛ばした鱗越しに錬金術が使える。雪崩のきっかけを作り、その流れを変えることまで、一人で何役もこなすのはとても頼りになる。
一方で、彼自身は、竜にしては、だが、パワーにも防御にもスタミナにも欠ける。つまり実のところ、補助役が一番得意なポジションなのかもしれない。
低めの崖を怪馬が滑り降りてくるのが見える。その背から飛び降りたシャルグリートが、雪を掻き分けて走り寄って来た。
「あと五分くらいカ?」
「いや……十分はあります。今のまま来るなら」
「その間に足場が悪いのなんとかできないかな」
「牙の竜が来れば全て溶かしてくれるでしょう」
† † †
(なぜ、急に移動した──? 挟まれるのが困るなら谷に移動するのではなく、直接どちらかを先に襲えばいい……)
マガツは目を細め、指を顎に当てる。
(そこになにか不味いものがあるということか)
白銀の竜は人を乗せて運ぶのは不得手なはずだ。牙の竜にしても大きいと言っても運べるのはせいぜい三人。一方、滝の郷の時点で確認された敵の人数は、三人。
歩いて移動するということは、使者として送った三人を味方に引き込んだからだと思っていたが、随分あっさりと移動手段を切り替えている。
そもそもそう思わせて撹乱するのが狙いだったのかもしれない。
ドゴ……ドドドドゴォ…………
「……!!」
急に低い地響きが耳に入り、マガツは思考を中断した。
「雪崩か……!」
誰かが答えを口にする。
「ほう……やってくれる」
滝の郷の雷雲といい、自然現象を利用するのが上策らしい。
尾根にいる隊に直撃はしないものの、進路を阻まれたことには間違いない。
これで、二隊に分断した狙いを潰してきたか。
(尾根の部隊が谷に降りたあとに雪崩を起こし、皆殺しにすることもできただろうに……)
「甘さは命取りだということが分かっていないらしいな……」
マガツは口元を歪め、不敵な笑みを浮かべた。




