竜の旅人(9)……虚の夢
その夜更け、洞窟を出たところにレノの姿を認め、ラズは声をかけた。
「……話が、あるんだけど」
赤竜は動かないので分からないが、他の仲間はすでに寝静まっている。ラズは静かに抜け出してきたのだった。
「珍しい。どうしたんですか?」
「いろいろ考えてて……確認したいことがあって。何と戦おうとしてるのか、正しく理解しておきたいんだ」
「ほう?」
「夢に出てきた猫は、『夢の中は想像の世界だ』って言ってた。心の中にある世界、とも。つまり、この世界にいる僕の中に、もう一つ世界があるってことだよね」
──急に何の話を始めたのかと思うだろうか。
恐る恐る表情を窺うと、レノは微動だにせず続きを促した。
「……それで?」
「この世界も、誰か……<虚の王>の、夢の中だとしたら。<虚の王>が住む、外の世界もあるのかな。たとえば、<虚の王>の『友達』が見る夢の中には、また、別の世界があったりして」
レノは一つ瞬きをした。その目は月輪の灯りを受け静かに光をたたえている。
「『死にかけた世界を、レノが助ける』夢……記憶?を見たんだ。この世界の状況からはどうしても説明がつきにくい。<虚の王>をレノがやってるにしては……別に、死にかけてるようには見えないし。猫は想像の話だってごまかしたけど」
「──死に関係なく、世界の主を代わることもできるかもしれませんよ?」
あくまで静かに、レノが口を挟む。
たしかに、レノが誰かに<虚の王>の役割を引き継いだのなら説明はつくかもしれない。──が。
「この世界の外にもまた別の世界があって、レノはもともとそこにいたんだとしたら他の謎も一気に解けるんだ」
そう考えれば、不思議な景色も、想像などではなく、ありのままのレノの記憶だと言いきれる。
想像で片付けるには夢で得られる情報はリアルで細か過ぎるのだ。
それに、猫はラズの身の回りの常識に疎かった。それも、全く別の世界から来たからなのではないだろうか。
「それから……あの猫、『禍ツ神』に襲われたって言ってた。それで他の世界からやってきて、しばらく世話になるって。それって、簡単には出られないって意味にもとれる」
黒猫は、決して気に入って居座ろうとしているようには見えなかった。ほかに選択肢がないから仕方なく留まる……そんな言い方に思えたのだ。
レノは黙って聞いている。
「レノは奥さんに会いたいって言いながら、今はできることがない、って言う。それは、別の世界にその人がいて、この世界から出る何か条件が揃わないから、とか?」
──ではその条件とは何だろうか。
「能動的に動きようがないこと……それは時間。何かが起こるのを待っているとしたら? ……例えば、<虚の王>の死」
はあ、と彼はため息をついた。
「……考えすぎです」
「じゃあ、どうやって会おうとしているのか、いつになれば会えるようになるのか、教えてくれる?」
「…………」
レノはじっと思案するように、空にかかる月のアーチを見つめた。
ほかに瞬く光などなく、空にかかる一曲線からできるグラデーションだけが虹のように夜空を彩っている。
しばらくの沈黙の後、レノは静かに口を開いた。
「──やれやれ」
軽く目を伏せ、視線を落とす。
「突拍子もない夢物語だと思いませんか。もし本当だったとして、君はそこに行きたいとでも?」
「え?」
問われて、目を瞬かせる。
ここじゃない、天使や悪魔や妖精がいる未知な世界。あるいは、よくわからない機械がたくさんある高度な文明の世界。もしそこに、本当に行けるなら…………っ!?
ラズの表情の変化を見て、レノは頬を引き攣らせた。
「あ、いや……。君に訊いた私が愚かでした。目の前の問題を据え置いても冒険に出て行くタイプでしたね、君は……」
「ままま、まっさか! そんな無責任なこと、しないよ……! だいたいあのときはレノに諭されて」
「分かってます」
そうだ、あのときと今は違う。たとえ素晴らしい冒険に出るチャンスがあるとしても、ファナ=ノアたちの危機を取り除き、故郷の弔いをする方がラズにとっては重要だ。
「──つまり、全部、僕の見当違いってこと?」
だとしたらすごく恥ずかしい。
口を尖らせるラズを見て、レノはとりなすように笑った。
「私が時を待っているのは認めましょう。でもそれは、<虚の王>の死ではありません。代替わりそのもの、とでも言いましょうか。……だからあの日、私は君の命を助けました。結局は、自分の都合なんです。<後継>に死なれては、彼女を探せる機会が遠ざかるから」
彼は皮肉げな笑みを浮かべた。
親友とその子のためではなく、あくまで自分の都合であると──だとしても、助けてくれたことには感謝してもしたりない。
「……そっか」
気にしないよ、というように肩をすくめてみせると、彼は少し目を見開いた。
それから、曖昧に笑う。
「話は、終わりですか?」
「うーん……ずばり、マガツは異世界からやってきたんじゃないか! って言いたかったんだけどなぁ」
「その答え如何でこれからやるべきことが変わる訳ではないと思いますよ。でも、それくらい予想外のことが起きる心づもりはしてください。<虚の王>に近しい存在として生まれた、禍々しき神なのでしょうから」
言いながら彼は天宙に浮かぶ月の輪を見上げる。
「────今回、マガツが現れたのは、おそらく私がここにいるから……だと思います」
「……どうして?」
レノは月を見上げたまま、一言つぶやいた。
「君の中の世界に猫又が現れた理由」
それから、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「あれは、私の中に逃げようとして間違えたんでしょう」
「ふーん……つまり、猫は本当は知り合いだったってこと」
「──ええ、私のことを主と呼ぶ、古馴染みの猫又です」
「どうして隠してたの?」
「それは、もう今の君なら分かるはずです」
そう言われても。
けど今の言い方だと、猫はレノの記憶と想像の産物ではなく、まったく違う意志をもった生き物ということになる。人の心の中に入り込む力のある怪物だとすると、ちょっと気味が悪い。
「つまり、禍ツ神……マガツはあの子を追って来たのでしょう。あの子の記憶を喰らったなら、私のこともよく知り、狙ってきているはず」
「不可抗力じゃん」
「だから、迷惑な話だと言ったんです」
彼はため息をつきながら言った。
マガツとレノの関係が、少し見えてきたように思う。
ひとつ言えるとすれば、レノは有名で、ひとたび正体を明かせば追われる側だということだろうか。世界に四体しかいない神竜というのは思ったより大変なのかもしれない。
猫についてはまだ、聞きたいことがある。
「……あの意味深な伝言はなんだったの?」
「あの子の言葉の意味は私にも予想しかできないので差し控えさせてもらいたいですが……私があの子に言ったのは、君の中の私の余計な記憶を『食べて』消しておいて欲しい、という意味です」
「あ……そう。まあ、プライベートを覗くみたいで悪いなって思ってたから、それがいいかも。……ね、名前ないの? 本当に」
レノは目を細めた。大事な相手を思い出すような優しい表情だった。
「ありますよ。ただ、あの子にとって名前はほいほいと他人に教えるものじゃないんで。いつか教える気になるのを待つといい」
「はーい。……あのさ。なんでレノがあの人を選んだのか、不思議だって言ってたよ?」
上目遣いに質問すると、レノはぷっと吹き出した。
「それで君も気になってるんですか? 私としては、君がそんなことを気にするようになったことの方が面白いですが」
「うっ……それは、ほら、そっとしといて」
レノは優しげに微笑んだ。
「君の参考にはならないと思いますが……。……幾星霜、一緒にいる未来を信じられたから、です。共にいることの幸福感が、この先もずっと続くだろうと」
「『一緒にいる未来が信じられる』?」
「長く生きれば、年月で変わりようのない自分らしさを理解するものです。自分はこの先変わらない、相手もこの先変わらない、だからこの関係性も変わらない。君はこれからも目まぐるしく変わるだろうから、分かるのはまだ先でしょうけど」
「──うん、難しい。でも、ずっと大事にしあえる相手ってすごいね」
「そうですか?」
「うん──あと……」
声を潜めて、ごにょごにょと質問を追加すると、レノは少し唖然とした顔をしてからからかうような笑みを浮かべた。
「そういうのを求める気持ちは若い頃に置いてきてしまった──ということにしておきましょう」
「あ、そう」
「君は? そんなことを気にするくらいだから、気になる女性でもできたんですか?」
「ま、まだそういうんじゃ……」
答えながら、耳まで熱くなるのを自覚する。
「繊細な年頃ってやつですね」
レノは笑ってラズの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「君はそのままでいて欲しいんですがね……」
「成長期くらいで、あんまり変わんないと思うけど……」
「くらいって。何に負けず嫌いを発揮してるんだか」
彼はさらに笑う。ラズも笑った。
「今日は休まないの?」
「ええ。もう少し、自主トレーニングに励むとします」
激しく身体を動かしている様子はないが、何かの修行をしていたらしい。
「──そっか。見ててもいい?」
「どうぞ。でもつまらないですよ」
側の岩に腰を下ろし、静かに気を鎮めて何かの修練に励むレノを観察しながら、ラズはうつらうつらと眠りに落ちていった。
ブクマ、★評価を何卒宜しくお願いいたします。




