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竜の旅人(6)……虚の夢

 光の差し込む宮殿に、黒猫の姿を見つけてラズは駆け寄った。


「──ここは?」

「あの方の、世界の中心、でありんす」


 茜色と白が混じり合った大理石でできた建物は、柔らかな光を受けて温かな雰囲気を醸し出している。

 黒猫の視線の先には、日向に横たわる白銀の竜の姿があった。

 とぐろを巻いたその流麗な腹の窪みに、二の腕くらいの大きさの小さな妖精がゆったりと寝そべっている。茜色の長い髪が白銀の竜の流線状の肢体に沿って流れ落ち、赤と白のコントラストが美しい。

 ゆっくりと、竜が薄目を開け、プラチナの瞳がキラキラと光った。


「……起きました?」


 はっとしたように、妖精が竜の眼を覗き込む。


「…………」


 意識が朦朧としているかのように、竜の眼がゆっくりと平行移動して、妖精を映した。

 そして小さく、瞬きする。


「ラズレイド……」


 寂しさを押し殺すようなか細い声で、妖精が呼びかける。

 ようやく焦点が合ったかのように首をもたげた白銀の竜は小さく欠伸をして彼女に鼻の先を近づけた。


 ──ずる。


「……え」


 寝台の小さな段差から、とぐろを巻いたまま、竜の肢体が滑り落ち──


 ……がしゃん!


 硬い鱗が大理石とぶつかる激しい音が高い天井に反響した。


「──だ、大丈夫ですか?!」


 頭から落ちた白銀の竜は、衝撃にしばし目を白黒させた後、赤い小さなシルエットを見つめる。


「──ああ、……悪い。どれくらい経った?」


 竜の喉から、ラズも聴き慣れた低い声が漏れた。彼の寝起きなんて見たことがなかったから、あんなドジな面があるなんて信じがたい。

 彼女は心底ほっとしたように、泣きそうな顔で答えた。


「十年くらいでしょうか」

「じゅっ──!?」


 さすがのことに眠気が飛んだらしく、竜は白銀の瞳を大きく見開く。


「──そんなに? 待っていて……くれたのか」

「代替わりのためにたくさん力を使って……疲れたのなら、仕方ないでしょう? 私は毎日楽しかったですよ」


 妖精は心配させまいとしてか、にっこり微笑む。


「毎日って──、何をしていたんだ?」

「作っていたんです、私の想像が至らなくて枯れたままになっていた場所を、少しずつ。ほら、見てください」


 彼女は蜻蛉のような薄い翅を震わせて浮かび上がった。

 塔の眼下に広がる景色は壮大だ。雲間から、色とりどりの森や湖、草原が広がっている。

 白銀の竜もゆっくり宙を滑ってその景色を見渡した。


「綺麗だ」

「また、見て回りましょう? 一緒に」

「ああ……でもその前に」


 竜は妖精に鼻を寄せる。


「ふふ、私なんて食べてもお腹いっぱいになりませんよ?」

「なんでそうなる……」

「この冗談、言ってみたかったんです。冬眠明けの竜は空腹だって聞きましたので」


 微笑んで、竜の甘えるような仕草に応えるように彼女は立髪に頬を寄せた。


「空腹なんて、大したことじゃない。──なあ、君はもうこれ以上じっとしていたくないかもしれないが……」

「じっとしているのも好きですよ。あなたの側なら、何百年どころか、何万年でもいられると思います」

「大袈裟だな」

「じっとしていられないのはあなたの方でしょう? そのあなたが、しばらくゆっくりしたいというなら、飽きるまで付き合いますよ」

「甘甘だなあ……。十年放っておかれて、なんでそんなセリフが出てくるんだか」

「私は夕陽……過去を司る妖精ですから。時間の経過で気持ちが移り変わることはありません」

「逆も然り……寂しい感情はすぐに記憶から消し去れる、と。君の方がしっかりしてる」

「私としては、そういう力もないのに、芯が折れないあなたの方がすごいと思います。──いつも私に、未来をくれます」


 妖精は微笑む。竜も、目元を和ませているように見えた。




「過去を司る妖精……」


 レノが大切そうにしている人が妖精であるというのは想像で歪んだ認識だと思っていたが、ここまで具体的な単語が出てくるとそれも疑わしい。

 この世界に、一般的に認知されていない『妖精』という存在がいるのか、それとも?


(未踏の地、大山脈の向こう側……とか?)


「……猫さん」

「どうしんした?」

「猫さんは、どこから来たの? ここに来るのに無理をしたって言ってたけど……」


 黒猫は髭をもしゃもしゃさせた。


「──どこと申して分かってもらえるとは思いんせん。ただ運悪く禍ツ神に相見(あいまみ)え、他者の心の世界に逃げ込まざるを得なかったんでありんす」

(マガ)ツ神……」

「別に、理解してくださらずとも構いんせん」


 ふと、思いついたことをラズは口にすることにした。


「……今……、友達のお兄さん……ディグルエストさんっていうんだけど……突然におかしくなって、残虐なことをして一族を乗っ取ったり、大変なことになってるんだ。その人、マガツって名乗ってるらしいんだけど──関係あるのかな」

「ほう」


 猫は目を丸くして首を傾げる。


「……それだけではなんとも言えんせん。ラズ殿にも危険が?」

「レノが言うには、狙いは僕だろうって……。あのレノが、自分から戦う気でいる」


 猫はパチパチと瞬きして髭を揺らした。


「ラズ殿はどうするつもりでありんすか」

「僕の力じゃどうにもならないのは分かってるんだけど……何もできない足手まといになりたくない」

「……」


 ついつい、不安や悔しさが口をついて出てしまう。

 猫は髭をもしゃもしゃさせながら、ラズの顔を覗き込んだ。


「心折れぬこと。それに尽きんす」

「どういう意味?」

「死する恐怖を希望で乗り越えること。ぬしがしっかりしていれば背中は安心でありんしょう」


 似たようなことを、山地へ旅立つ前に、レノに言われた気がする。


(竜人の郷で赤竜に襲われた時……僕は死ぬかもしれないって思った……。どこかでその恐怖に屈してた)


 こんなことでは、レノに安心してもらうなど程遠い。


「……希望って、何」

「何がなんでも、譲れぬ願望……。ぬしにはないんでありんすか?」


 それは例えば、ファナ=ノアが小人と人間の融和にかける信念のようなものだろうか。

 ラズ自身が、そのファナ=ノアに言った言葉を思い出す。


(『誰も傷つき、憎しみ合うことのない世界を作る』──それは、誰のため? もういない谷の國のみんなのため? ファナのため? 仲間のため?)


 たくさんの人の顔が脳裏を(よぎ)っていく。


(──自分がもう哀しみたくないからだ)


 ──ファナ=ノアやリンドウ、親しい人々に傷ついて欲しくないのは当たり前だ。一方で、自分の心の根幹にあるのはそういう情ではなく、むしろ未知への興味関心や期待なのだろう、と薄々感じていた。


(「ラズは本来は、冒険好きだものな」)


 人間の軍を退けた帰り道に、ファナ=ノアに言われた言葉だ。あの時は、大切な人たちをたくさん喪い押し込めていた本心を見透かされたように思った。


(──いや、スイと初めて会った時に、口について出た言葉もそうだったな……)


 大好きな人達と心を通わせながら、まだ知らないことを追い求める毎日……たぶん、ラズの理想はそんな生き方だ。


(でも今のままじゃ、それは叶いっこない)


 竜人や巨人、人間たちの戦争の話、世界は憎しみに満ちていて、目を向けると辛いことばかり。

 ラズが自分らしく生きる上で、世界が孕む憎しみや衝突がなくなる方法を探すことは、今や重要な課題だった。

 もし谷の國が滅ぶことがなければ、他国の戦争や小人の苦しみも対岸の火事のように、おそらくレノがそうしているように、ただ目を瞑って受け流すこともできたのかもしれない。でも、今のラズはその苦しみを知ってしまったから、他人事で片付けられない。


(とはいえ……)


 ──それは生きる上での自分の信念であって、死の恐怖に打ち克つものではなかった。


(命をかけて、世界を助けたいとまでは思っていない……それが、僕の脆さ。────でも)


 レノはこうも言わなかったか。マガツはラズの次にファナ=ノアを狙うだろうと。


(……だめだ。それを容認するなんて──できない)


 黒猫は黙ってしまったラズをじっと金の目で見つめていた。


「齢十一の童には荷の重いことでありんしょう。忘れて構いんせん。師の背中を信じてみてはいかがでありんすか」


 慰めるような温かな声だった。

 しかしラズは(かぶり)を振る。


「ううん、あったよ。譲れないこと。──親友がいるんだ」

「先日の白い髪の子供でありんすか?」

「ファナは小人だからもう子供じゃないけど。──ファナに危険が及ぶことだけは絶対に避けたい」


黒猫はその大きな金の瞳を、微笑むように優しく細めた。


「自信とは暗示と積み重ねでありんす。これと決めたことをまずはやり通すといいでありんしょう」

レノと秋茜の恋愛話を4話完結で掲載しています。

https://book1.adouzi.eu.org/n8465gk/

甘々、微エロなので本編の少年漫画ノリが好きな方はご注意を

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