竜の旅人(3)……虚の夢
レノたちと共に洞窟に戻ると、シャルグリートが上体を壁にもたげたまま視線を投げた。
『お前、義姉さんになんもしてねーだろーな』
『一体何をするっていうんです』
剣呑なシャルグリートに、レノが呆れて答える。
『……騒がしい奴らだな』
さらに不機嫌そうな低い声がした。
牙の竜は深紅の鱗を燐光で煌めかせながら、頭を持ち上げている。
『昨夜、<翼>が来ていたようだな』
その言葉に、シャルグリートの義姉が目を丸くした。
『<翼の竜>様が……?! まさか』
『あれだけ竜が騒げば、そりゃあ何事かと訊きにくるでしょう。状況は伝えましたが……』
『皆まで言うな。想像はつく』
牙の竜は素っ気なく首を背けた。
『……にしても、なぜお前は人の姿をしている、白銀』
『私はこの方が自然なんですよ、本当は。以後お見知り置きを』
レノは洞窟の壁にもたれて薄く笑って見せた。
『餌の姿をとる気が知れん』
『そんなことを言って、大の人好きの癖に』
竜同士の会話はあまり雰囲気が良ろしくないように聞こえる。
一方シャルグリートの義姉はあまり気にしていない様子で、先程外で汲んだ水を牙の竜の鼻の先に置いた。
『お目覚めなら、お水をどうぞ。牙の竜様』
その様子を見て、レノはからかうように目を細める。
『あなたが人間を、巣穴に招き入れるなんてね』
『非常食だ』
憮然とした声色に、彼女は曖昧に笑った。言われ慣れているらしい。
対してレノは口の端を釣り上げた。
『へえー……』
『チッ、擬態しても腹の立つ顔をする』
『それはどうも』
なんとなく、普段より、レノの雰囲気が開放的に感じる。やはり牙の竜とはなんだかんだ同族の気安さがあるのだろうか。
『レノさんも……お水、どうぞ』
赤竜の口元の桶と交互に見比べながらシャルグリートの義姉がおずおずと茶碗をレノに差し出した。もしかすると、桶の方がいいのではと思ったのかもしれない。
その仕草に、レノも思わず笑みがこぼれたようだ。
『……ああ、どうも。これは確かに、面白いですね』
後半の言葉は、牙の竜に向けて言う。
『──なぜか、庇護欲を掻き立てられるのだ』
牙の竜はふん、と鼻を鳴らして答えた。
「レノって……牙の竜と仲、いいの?」
ここまで竜人の言葉だったので、今ひとつ理解が追いつかないながら尋ねると、レノは少し目を泳がせた。
「親密という訳ではないですが──共感できる要素が人とは異なるのでそう見えるかもしれませんね」
牙の竜は大きな鼻先を桶に付けて水を飲んでいる。その様子は意外と上品だ。
『お前こそ人の臭いを染み付かせて、食わないのか』
『食べませんねえ……この話、前もしましたよ』
『いちいち指摘するな。匂いは美味そうだが食べたら吐くので食うのを止めたんだったか』
『覚えてるんじゃないですか』
シャルグリートが瞬きした。
『なんだ──そりゃ』
「……どうしたの」
「……以前、私は育ての親を殺したんだという話をしたでしょう」
どういう話の流れか考えながら、ラズは一つ頷いた。
(たしか──『レノの同胞が都市を襲ったとき、深い傷を負った育ての親が、どうせ殺されるならレノに殺されたいと言った』って話だったはず……)
そして、ついさっき、その育て親というのは人間だったと言っていた。
「正しくは、『どうせ喰われるなら、お前がいい』と言ったんです。そして、今の私のこの姿は、彼の容姿を借りています」
レノはなんでもないことのように言うが、内容はラズにとって衝撃的だ。
「それが最初で、最後です。人を食べると考えるだけで気分が悪いんですよ、正直なところ」
シャルグリートは微妙な顔で天井を見上げて息を吐いた。
「……どうスルつもりダ、この空気。ラズなんか泣きそーだゾ」
「な、泣いてないし」
「あれ……思ったより、受け入れてます?」
レノは意外そうにシャルグリートを見つめた。
「シャルって一晩寝るとだいたい忘れるよね」
「うっせ。日一日生き直すのがポリシーなんダ」
レノはふっと笑う。
「そうでしたね」
それにしたって、昨日の感情を忘れてもレノが竜であることを隠して嘘をついていたことに変わりはない。人のことは言えないが、物わかりが良すぎではないだろうか。
「……お前って、いつもすぐ目の前から消えようとするダロ」
シャルグリートはムスッとした顔で目を逸らしながら口を開く。
「俺が、人間の国を旅してた時と同じ……、長く居るとバレるからナ。──嘘、つきたくないんダロ……本当は」
レノは一つ瞬きした。
「ペラペラ喋るのがいい証拠ダ」
「……成長しましたねえ。二言目には戦え、と言ってたのに」
「それは変わらナイ。むしろ竜ナラ負けてられナイ」
「ええ……面倒な」
ギッっと睨んで言ってから、シャルグリートは笑った。
(そっか、シャルはもともとレノのこと気に入ってたもんな)
その刺の取れた笑顔を見て、ラズも少し安心する。雰囲気が悪いよりずっといい。
ラズはそれまで黙ってシャルグリートの治療をしていた女司祭ウィリに声をかけた。
『治すの、代わろうか。骨折は苦手?』
『──ええ』
朝からずっとしているので疲労の色が濃い。
小鬼に殴られた時は一箇所ひびがあった程度らしいが、今回はそれよりずっと重症だ。
『小人の治療の術って、自己治癒力の促進なんだね』
『そう、私達は人体の細かいコントロールまではできないから、すでにあるものがしようとしていることを助けるのが基本』
ラズはシャルグリートの両手に手を当てて、左右を比べながら修復を試みる。
『器用ね……』
『骨をモノだと思えば、なんとか。……でも正解がない複雑な形だし、他の器官との連結部分とかさすがに分からないから、あとはウィリの真似しかできないよ』
自分の身体のことなら、なんとなくもとの状態が分かるのでそこに近づけるだけだからまだ簡単だが、それでも一足飛びに治せる訳ではない。
ウィリははぁ、とため息をついた。
『非常識なやつ……。この治癒の術だって、荒野でも十三人しかできないのに』
『同じ方法ではないけど……僕の國では術で治療できる人、四人いたよ』
中でもラズは術に関しては神童と言われたくらいだし、非常識とかおかしいとか言われるのは良くあることだ。
こういう時は過度に反応せず、さらっと受け流して話題を変えるに限る。
『ところで、ウィリっていつからファナと一緒にいるの?』
『六、七年前から、ずっと』
彼女は、懐かしそうに微笑んだ。
最初はこれくらいだったかな、とお腹の辺りの高さに手を持ってくる。小さい頃のファナ=ノアはたしか今より髪が短かったはずだ。
『ノアの名前をもらう前だよね。なんで、いつもノアって付けて呼ぶの?』
『ソリティなんかは、仲間うちだけのときはたまに呼び捨てしてるけれど』
ウィリは頬杖をついて目元を緩めた。
『私はね、あの人がノアの名前を持つことが誇らしいの。だからそう呼びたい』
『ウィリって本当にファナのこと好きだね』
『か、勘違いされそうな言い方しないでよね』
ウィリは尖った耳を赤らめてぷいとそっぽを向く。赤い耳飾りがきらりと揺れた。
不意に、脳裏に愛馬──スイの念話が届く。
『───お前、わざとやっているな』
壁際で横になっていたスイはふんと鼻を鳴らした。
ラズは悪びれることなく心の中だけで返事する。
(ウィリって分かりやすくて面白いんだよね)
『───あまりデリケートな話題でからかうとまた嫌われるぞ』
(う。気をつけます)
スイとそんなやりとりをした後、ふとラズは瞬きした。
『──ん? そもそもファナって男の人なの?』
ウィリの目が点になった。
『変な顔』
『もー、うるさいっ! ──ファナ=ノアは、どっちかだったら態度を変えるのか?って言って明言したことがないの』
『……へえ』
そんなぼかし方をするファナ=ノアの想像がつかず、今度はラズの方が目を丸くする。
『帰ったら訊いてみよっと』
『ちょ、話聞いてた?』
『ファナが隠し事するのは、不安なことがある時だと思う。誰かが訊いて、打ち明けるきっかけを作らないと』
ウィリは不服そうな顔をして目を逸らした。
『それでファナ=ノアがラズにも同じ事言ったら、慰めてあげるわ』
『うん、よろしく』
ラズの笑みに、ウィリも皮肉っぽく笑い返した。
† † †
ラズとウィリの様子を見ていた義姉が、シャルグリートの脇腹を肘でつついてきた。
『──ちょっと、彼女、とられちゃうんじゃないの』
『は? 義姉さん、冗談キツいぜ』
確かにシャルグリートはウィリに対して少し優しく接しているように見えるかもしれないが、断じてそういうつもりはない。
横で聞いていたレノが意地悪げに笑った。
『シャルの好みは年上の人間の女性ですもんねぇ』
『黙れ、アホ竜』
『ほう、じゃあ、彼女に言っていいんですか? リ…』
『だーーーーー!』
シャルグリートの焦った声がレノの声をかき消す。しかしすぐに肋骨に激痛が走って悶絶することになる。ラズは先程骨だけはだいたい治してくれたが、周囲の組織の損傷はそのままだ。
焦るシャルグリートを見てレノは楽しそうに笑った。なんだかとてもいつも通りだ。
『義姉さん!!』
『うん?』
『……いや、俺は! 昨日言ったことを曲げねーから!』
『分かってるって』
義姉は何も察していない様子でにこにこしている。
目を細めてニヤニヤしているレノが小憎らしい。手が届けば殴ってやりたいところだが。
『……くそ、レノ。これからどうするつもりなんだよ、兄貴と』
『戦う……ことになりそうですね。すみませんが、今の彼は君の兄ではない。私の敵です。手出しはしないで貰いたい』
『なんだと──』
シャルグリートはギリ、と奥歯を噛んだ。
『その代わり──になるか分かりませんが、彼を倒すことが出来れば、後は君に任せたい。もしかすると、君が呼び掛ければ、元に戻るかもしれません。本当は彼女が適役なんでしょうけど、さすがに連れて行くのは危険すぎるので』
『は──? 今、なんて』
──元に戻る、と言ったのか?
聞き返すと、レノは淡々と言い直した。
『君の兄の中に入って、マガツ、と名乗っているモノを退ければ、元に戻る可能性はある、ということです。彼がマガツに屈していなければ、深層で押さえつけられているはず』
シャルグリートは眉を寄せ、その言葉を反芻した。兄自身が<虚の王>に狂わされたのではなく、狂わされた何か幽霊のようなものが兄にとりついているということだろうか。
『なんで、お前にそんなことが分かる。根拠はなんだ』
『うーん……、まあ、同じような力を持つ者としての勘、としか説明のしようがありません』
『そんなんで、信じろと?』
『嫌なら、牙の竜に踏んでいてもらいますけど』
『それでいいなら義姉さんでもいいだろ……』
うっかり間抜けに踏まれる姿を想像してしまい、シャルグリートはげんなりした顔をする。
『ふ、冗談です。自分の身はある程度自分で守ってくれないと困る』
しかし、手を出すな、指を咥えて見ていろ、などと到底承服できない。
『……』
力があれば、そんなことを言われることもないだろうに。
シャルグリートはグッと拳を握り込み、痛みを無視してレノを睨みつけた。
『明日、いや明後日──、勝負しろ。逃げるなよ』
普段のレノならあしらうところだが、彼はシャルグリートの強い目線を受け止め、静かに頷いた。
『では、その午後に』
牙の竜がふん、と鼻を鳴らす。
『お前は速いだけで、竜人の戦士とは分が悪いだろうが。鱗の手品で戦いになるものか』
『この姿なら手が開くので色々できるんですよ。この十年で錬金術もいろいろと使えるようになりましたし。ちょうどいいからあなたも見ておいてください』
『……起きていればな』
『じゃあ、私が起こしてあげるわ』
義姉がニコッと笑う。
牙の竜はまた鼻を鳴らして、太い腕に頭を埋めた。




