68.頼りにされたい子どもたち
―――話がまとまると、一安心した表情のお祖母さんが「少し早いけれど、お昼は如何です?」と立ち上がる。
私は置いてきてしまった羽継を思って断ろうとしたのだけれど、榎耶が「いいねえ、僕、お腹空いたよ。ね?」と私を見たためにお昼を頂くことになった。
「そろそろかしら」と部屋から出ていったお祖母さんの足音が遠くなるのを聞いてから、私は携帯を取り出し―――榎耶に、待ったをかけられる。
「彩羽、御巫の家のことなら昨日のうちにおじさんに教えたよ」
「え、そうなの?」
「うん。ただ能力のことは伝えてないから、それはお家に帰ってから伝えなよ。そうすればおじさんとの会話に困ることはないでしょう?」
喧嘩しちゃったって、おじさん落ち込んでたし。ちゃんと仲直りしなよ―――そう笑う榎耶に、一瞬張り詰めた息がすっと出て行く。
………なんだ、お父さんから聞いていたのか。
「……勝手に色々決めちゃったし、もっと怒られるかな?」
「大丈夫だよ。なんだかんだ言いつつおじさんって彩羽に甘いから。…それに、安居院の領地に住む能力者を庇い、正しい方へ導くのは間違ったことじゃない。
なにより、篠崎の遠戚とはいえ今でも庇護下にある御巫の子を、外部が指導するに相応しいのは安居院しか―――次期当主である彩羽しかいない」
「榎耶……」
「もしダメって言われても、篠崎から要請しちゃうから。だいじょーぶ!」
とても頼りになる榎耶の言葉に、私は情けないやら恥ずかしいやらで少し俯いた。
……だって、あの時言い切っておいて―――実は私には、決定権というものがない。
分家の言う「お綺麗なお人形さん」という悪口の通り、私はお父さんの許しが出た、私の実力で解決できるような怪異事件しか手を出していない。大物が相手の事件ではお父さんがさっさと終わらせてしまって、私の出番などない。
元々過保護だったお父さんは、去年のアレのせいで更に過保護になった気がする。……他所の家なら、文ちゃんの件も魔導書の件も、当たって砕ける手前まで頑張ってこいと放り投げ出されているものなのに……。
榎耶なんて、すでにベテランでも死亡者の出る魔導書を二冊くらい封印しているし、面倒な怪異事件もさっさと解決したと聞いている。その実力から、例え榎耶が勝手にあれこれ決めたとしても文句は言われない―――。
(……なのに、私は………)
大切にされているのは分かるけれど、この本当の意味は、信用がないということだ。
私では、敵わないのだと。だから安全なところで過ごしていなさいと。そう、やんわりと―――可能性を殺されているような。
「……彩羽?」
「…私、本当に…ダメな子だなあ」
ぽつりと、呟く。
「榎耶の優しさに甘えて―――ううん、この件以外にも、私は色んな人に甘えて生きてきた。…情けなくて、涙が出そう」
「……人は甘えながら生きていくものじゃない?それに僕たちまだ子供だよ。甘えてもいいじゃないの」
「…でも、榎耶は一人で…さくさく難題も解決しちゃうし」
「それ、魔導書のこと?それならね、アレって本当は僕の実力じゃないよ。お母さんに手伝ってもらったし」
「えっ」
「お母さんの術を仕込んだ紙を投げてね…まあなんだ、一人で解決したっていうのは正しい意味じゃあないなと。―――その、彩羽に見栄張りたくて、ちょっと誤魔化してたっていうかー……」
「そ、う…なの?」
「当たり前じゃない。流石の僕も魔導書相手に単騎で突っ込めないよ。お父さんもお母さんもその部下も使って解決したの。……で、お父さんが娘自慢の延長でこう……ね?」
てへへ、と笑う榎耶の眼差しに、「僕の家族は女神と天使なんだ!」と焼きとうもろこしを片手に素晴らしい笑顔で言い切ったおじさんを思い出す。
あの人ならきっとはしゃぎながら何度も自慢しちゃったんだろうなあと思えて、その自慢話にお父さんは死んだ目で付き合ったのかとも思うと―――ふと、可笑しくて笑ってしまった。
「どこの家も、お父さんは子煩悩なんだねえ」
「子煩悩なんて可愛いもんじゃないね。彩羽の家はまだいいけど、うちのお父さんなんて朝っぱらからうるさくってさあ―――」
子供の前でイチャイチャした挙句にどんなニュースでもハイテンションでうるさいし、私を陰陽師じゃなくて魔法少女にしたいとか言うし―――と、榎耶はするりと話題を変えて、「困った困った」と言う。
……きっとこれは気遣いで、あまり榎耶も触れたくない話題なのだろう。なんせ、榎耶は昔から私が「榎耶はそんなことも知っているんだね」と術者としての技能を褒めると、困ったように笑うから。
(……)
なんとなく、突き放されたような、気がした。
「―――、彩羽」
「ん?」
一通り話し終えたのか、気付くと榎耶は少し躊躇うように私を見た。
「あの…あのさ、その……悪い意味でとらえてほしくないんだけどさ…その―――彩羽はね、たぶん、一人じゃ実力が出ない子だと思うの」
「……うん」
「意思が弱いとかじゃなくて、彩羽ってその―――もたれ掛かるものがあってこそ、実力を発揮するタイプというか……」
「え?」
「悔しいけど……嘉神羽継みたいに、信頼できるパートナーがいてこそ、彩羽の才能は活きるんだと思う。でも、まだ二人とも大物相手に暴れ回れるほどに育っていないから、おじさんも過保護なんだと思うよ」
長期的に見ればその判断は正しいのだと、榎耶は私の手を握る。
「……でも、彩羽がもっと高みを目指すなら―――僕と、組む?」
「………、………え?」
「嘉神羽継ではなく。僕と……組んでみる?」
「榎耶…?」
「―――彼よりも、僕は強いよ?頼りになるよ?君を……」
―――と言いかけたところで、お祖母さんが仕出し料理を手に戻ってくる。
「こんなものでごめんなさいね」と差し出すそれは豪勢で美しく、私は「美味しそう」と微笑んで、すぐに―――逃げるように箸を掴んだ。
だって、私の手を握っていた榎耶の手は、なんだか―――死人のそれのように、ぞっとするものを感じたのだ。
*
一方その頃。
文の家でも昼食を食べようと―――彼女が席を立ち、「出来たら呼ぶね」と羽継に国光を託して(あの奇っ怪なぬいぐるみを抱き上げて)部屋を出る。
少し離れた部屋に居る祖父に「お祖父さま、今日のお昼ですが何がいいでしょう」と尋ねるのが聞こえて、羽継はやっと触りたくてしょうがなかった携帯を手に取る。
見ればやっぱり着信も何もなかったが、かまわない―――いつもの倍以上の速さで「話はどうだ」「危険はないか」「迎えは必要ないのか」と打つ。
打って、そして送ろうとした時。何故か知らないアドレスからメールが届いて、不思議に思ってすぐ中を見ると。
〔彩羽は僕と一緒にランチしてまーす!無事に話も終わったんで、嘉神くんはずぅっとそこで待っててね? お土産もあるよっ〕
最後に「ちなみに榎耶です。一応登録しておいてね♥」とあり………羽継は思わず携帯を握る手を強める。今ならこのまま破壊出来そうな気がする。
(あの女……小鳥遊と同じものを感じるとは思っていたが―――なんでお前まで勝手にアドレス知ってるんだよ!!)
しかも先読みしたようにあのメール……知らず羽継は不快感で顔を顰める。
(彩羽はああ見えて本人に了承もなくアドレスを教える奴でもないし…勝手に見た、というのもないだろうし……何かの術か?)
気味が悪い、と舌打ちする。
意外と室内に響いたそれが原因なのか、しょんぼりした手鞠に伸し掛られながら眠っていた国光が低く呻いた。
「……文は?」
目を開き、すぐそばに居た羽継に目を向け―――部屋中見渡しても見つけることのできなかった文の所在を問う。
案外その顔色は良くなっていて、羽継はひとまずメールの件を置いて「昼飯の準備をしてる」と答えた。
「そっかぁ……今日は何かなあ」
言って、国光は体を起こすと「いやー、よく寝たわ」と笑う。
「まだ寝てたらどうだ?」
「ん?大丈夫だよ。もう立ち眩みもしないし」
「それでも、今日一日は安静にしておけ」
「うーん…でも、本当に大丈夫だって。昨日よりも体が軽いし。…変な夢も見なかったし―――」
「変な夢?」
ぐ、と体を反らせたり腕を伸ばしたりする国光から携帯へと視線を移そうとした羽継だが、ふと気になる言葉を聞いてもう一度国光を見る。
国光は羽継の気を引いたことに気づかぬまま、どこかまだぼんやりした表情で言うのだった。
「うーん…なんていうのかな……俺が……そう、黒いんだ。でも、黒くて当然だと何故か思っていて…体が軽くて……ああそうだ、なんだか神様にでもなったみたいに傲慢なことを考えてる。すごく……残酷な―――」
いまいち分からないその説明―――だと、国光も思ったのか。「うーん」ともう一度唸りながら、ちゃんと思い出そうと目を閉じる。
「酷いことを、していた。俺が持っていた…そう、太刀で。
とても軽くて、何でも斬れて……初めて斬り捨てたとき、びっくりしたんだ―――その、切れ味に。
…酷い話だろう?斬ってしまった相手のことなど何も考えずに、あまりの切れ味の良さに惚れ惚れしてたんだ」
「……夢だろ」
「そうだけど……そうだな。うん。―――それで―――俺は……これなら、やっと…文のために、文に恩返しができるって、大喜びで惨劇を始めようとするんだ」
「………」
―――その、夢は、つまり。
今までの……御巫文を辱めようとした男子生徒への、襲撃の光景ということなのだろうか。
(……こいつ、気づいているのか?)
国光の表情はどこか寝惚けたようで、夢と現を彷徨っているようだ。
もしここで下手なことを聞けば、今にも羽継に牙を剥きそうな危うさも孕んだ、瞳だった。
「でも…」
「……でも?」
「でも……いざ、殺そうとすると……誰かが俺の…振り上げた刃の先を握って、止めるんだ。俺が無理矢理に引き抜こうとしても抜けなくて、確かに振り向いて見たはずのその人の容姿どころか性別も思い出せないんだが―――とにかく、俺を止めるその人が、あの地獄のような光景の中で一番怖い」
「……」
「そのせいで立ち止まっているうちに獲物が逃げてしまったり、俺が夢から覚めたりするんだ。―――変だよな、こんな夢……きっと、俺があいつらを殺してやりたいって思っている願望の表れなんだろう」
そこまで言い切ると、やっと国光の危なげな様子が消える。
あまりの内容に相槌も打たなくなった羽継は、それ以上の夢の話を避けるように―――今まで気になっていたことを、国光に尋ねた。
「……おまえは」
「ん?」
「おまえは―――なんでそこまで、御巫のために動こうとするんだ」
好きな人のために―――そんな理由で犯罪に手を染めてもかまわないと行動できる人間なんて、物語ではともかくこの現実ではそうそういないものだ。
羽継とて、彩羽への献身的な行動理由は幼い頃の贖罪と彼女のそばに在りたいがための下心が大半を占める。
それでも他者からみれば一途だとか言うのだろうが、彼からしたら最も無垢で純粋な愛情とは家族の愛である。……と、考えているのだから、羽継もなかなか育ちの良い子供であった。
「嘉神」
「なんだ」
「放置子って、知ってるか?」
「……いや?」
「つまりな、…俺は、両親から―――いや、母親から、面倒を見てもらえなかった」
国光は、穏やかな声で話した。
―――俺の母は実家と仲が悪い。というか、実家から良い扱いを受けずに育ち、苦労して夢を掴んだからか仕事に熱心で、俺が生まれたばかりの頃は初めての育児というのもあってストレスを溜め込み欝になった。
親父もまた忙しい職種なものであまり母の手伝いはできなかったそうだ。…と。
「そんな時に、母方の…俺にとっては祖父が病気になってな、他にも色々金のかかることが起きてしまって、うちに援助を頼みにきた。母は何度も断ったそうだが、伯母が俺と同い年の子を抱いて頼み込むのを見て、親父が金を出してな……それで夫婦喧嘩となったらしいんだが、母もまた病気になっちまって……つまりだ、親父は赤子と生活しなくちゃならなくなったんだが―――まあ、無理だよな。
親父としては保育園とか、ベビーシッターにでも預けておきたかったそうだが、前者は俺が入れる余裕がなくて、後者は母が知らない人間に家を荒らされたくないって言って没。
それなら親父の家に預けようってなって、それも拒否」
「……我侭だな」
「ああ……でもまあ、祖父ちゃんたちもあいつに『女がいつまでも働いているなんて』とか『しっかり家の仕事をして夫を支えなさい』とか―――古臭いことを口うるさく言っていたのもあって、元々仲が悪かったんだよ」
「なるほど……で、どうしたんだ?」
「流石に親父も滅茶苦茶言うなって怒ってさ。俺を祖父ちゃんたちの家に預けたよ」
―――俺が生まれたとき、あいつは俺を祖父ちゃんたちに抱かせなかったし、早々に俺を連れて帰ったそうだ。
だから、俺の世話をしてほしいと親父が頭を下げに行ったとき、祖父ちゃんたちは拒否せず、むしろ大喜びで受け入れたらしい。
祖父ちゃんは高いカメラを買うと毎日俺のことを撮って、普段は厳格な祖母ちゃんはお弟子さんに俺を見せびらかしてはニコニコしていて…親父も夕飯の頃にはくたくたになって帰ってきて、毎日俺と一緒にお風呂に入っていたんだとか。
「あの頃の親父は大変だっただろうな。仕事が終わったらすぐに病院に顔をだして、病院から遠い実家に戻って、っていう生活してたから。
……でも、親孝行ができたって、喜んでいたんだろうなあ」
「……」
「あいつが退院してひと月過ぎてから祖父母のもとから帰宅したけれど……、すぐに働き始めたあいつの行動を責めはしない代わりに、親父は俺を祖父ちゃんの家に預けていた。あいつはそれに良くない顔をしていたそうだけど、でも俺の面倒を見れないのも事実だったから黙って受け入れていたよ。そうして、俺が五歳くらいになってからかな―――」
―――何かあったのか、あいつは家に居着くようになって、俺と関わりを持とうとしていた。
でも、当時の俺にとってあいつはよく分からない存在だったし、かまってほしいとねだると煩わしそうに追い払われてたから、俺は好きじゃなかった。
俺は比べるまでもなく祖父ちゃんたちが好きだったし、忙しくてすれ違いが多い親父だってあいつよりも好きだ。あまり多くは喋ってくれないひとだったけど、一生懸命俺を育てようとしてくれているのが分かっていた。
「当時の俺の年頃では、その好意の差を誤魔化すことは出来なかったし、誤魔化そうとも思わなかった。
だってさ、俺はあいつが教えるまでもなく、祖母ちゃんが指導した通りに行儀作法も躾もされていたし、欲しいものは祖父ちゃんが何でもくれた。慰めてくれるのは親父だったんだ。あいつにそこまでされたことがない当時の俺からしたら、あいつにそこまで気を遣う理由なんて、なかった」
そしたら、気づいたらあいつは、俺のことなんか見向きもしなくなったよ。
―――そう笑う国光が悲しくて、羽継はぎゅ、と拳を握った。
「……つまりお前は、母親からネグレクトを受けているのか?」
「いいや?強いて言うなら家庭内別居、ていうか……生活費と昼食代、お小遣いと…必要なものは、朝ご飯のそばにある封筒の中にあるし、時々一緒に食事をすることもある。でも、小学校の頃からなもんでさ……家に帰っても誰もいないし、金はあるけどそこまで欲しいものってないし……何よりさ、家の中が寒くて暗いんだ。友達の家に遊びに行けば、そこの母親が出迎えてくれて、他の兄弟に絡まれたりして……すごく楽しいのに、俺の家にそれはない。
寂しさのあまり祖父ちゃんの家に駆け込んだこともあるけど、『こんな遠いところに一人で来ちゃいけない』って怒られて……」
「じゃあ、ずっと一人で…親が帰ってくるのを待っていたのか?」
「うん……でも、二人とも帰ってくるのは遅い……だから当時の俺は、誰も俺のことなんか気にしてないんだって思ってた。かまってほしくて、友達の家に長居したり公園でずっと遊んでたり……コンビニに通いつめたり」
「…怪しまれなかったのか?」
「ああ、近所のコンビニに日替わりで行ってたから。それに、さっさと好きなもの大量に買ってたせいか万引きを疑われることもなかったな」
「それはよかった」
ホッとして呟くと、国光は少し嬉しそうだった。
「―――でも、何度か万引きをしてみようかと考えたことはあるよ。万引きをして、わざと捕まって……そしたら、親父たちはきっと俺を叱ってくれる。かまってくれる」
「………」
「だけど、別に欲しいわけでもない商品に手を伸ばして、こっそりポケットにでも入れようとするとさ……今まで俺の世話をしてくれた祖母ちゃんたちのこととか、自分の時間を削っても俺のことを見てくれた親父との思い出がふっと浮かんでさ―――結局盗めずに、カゴの中に放り込んでしまうんだ」
「…そうか」
「うん」
「…今もそんな生活を送っているのか?」
「いいや。俺は、文と出会ってから変わることが出来たんだ。
当時の俺は、文に勝手に親近感を覚えていたんだよ―――まあ、両親を亡くしたあいつと同じ寂しさや悲しみを背負っているだなんて馬鹿なこと、今はもう思っていないけれど」
申し訳なさそうな顔をした国光が一瞬だけ調理場の方へと視線を向けると、ゆっくりと視線をそらして羽継の方を見つめた。
澄んでいるその瞳には、ここにはいない彼女への愛しさだけがある。
「文は、俺のそういった最低の部分も知ったうえで一緒に居てくれた。文がいてくれたから毎日が楽しくて、キラキラと輝いていたのだと思う。
きっと出会わなければ、俺は…文を虐げてきた奴らと同じ人間になっていただろう。でも、文がそばにいて、俺の名前を大切なもののように呼んでくれるから―――俺は、そんな文を守れるような人間でありたいと、腐らずに生きてこられたんだ」
―――その告白を聞いて、羽継は少しだけ安心した。
国光もまた羽継と同じく、「大切なもの」を失わないために戦っている。
彩羽を想う羽継は怪異から彼女を守る存在でありたいと願い、文を想う国光は「人間」から彼女を守りたいのだ。
その違いゆえに似た者同士でありながら羽継は落ち着いているし、国光は悪意を引き寄せてしまう文を理想通りに守ってやれないがために荒々しい一面がある。今回の一件だってそうだ。
けれど―――彼を鬼へと変えるのが文であるならば、彼をただの恋するひとに引き戻せるのも、文なのである。
(不安定だが……最悪の事態は引き起こさないだろう)
国光の今までの行動は鬼の呵責が如く苛烈であるが、「殺す」という引き返しようのない最終手段はとっていない。その手段をとれば、彼の前から文が消えてしまうと、分かっているからだ。
何より、彼の夢の中で何度も惨劇を阻止した存在もある。あの連続襲撃事件に国光が関与―――いや、「怪異事件」に国光が取り込まれているのであれば、羽継がそばにいて引き戻してやればいいのだから。
(……それなら、彩羽をあんな危険なものと対峙させずに済む)
そこまで考えて、羽継は国光とあまり変わらない思考だと気づいて、呆れるように笑った。
「流鏑馬」
「なんだ?」
「おまえの、そういう一途さは嫌いじゃない。むしろ共感するよ」
「嘉神…」
「俺は彩羽ほどに御巫のことを想えないが、それでも―――御巫を守ろうとするおまえに、協力したいとは思う。
……ああ、もちろん彩羽がおまえの大暴走を望んでいないから、一緒に殴り込みしようとか言うのはナシだぞ。やりあうなら、きちんとルールに従って蹴り飛ばすのが頼りになる男というやつだ。
おまえが知恵を貸して欲しいというなら一緒に悩むし、愚痴を言いたいなら聞いてやる。―――だから、御巫を想うなら、もう暴力に走るな」
彩羽が「うつくしい」と称える、碧の瞳で真っ直ぐに国光を見つめる。
宝石のようなその輝きが彼の誠実さを現すようで、一瞬見惚れた国光は、親しみと信頼のこもった笑みを彼に返した。
「じゃ、頼りにしてるよ。羽継」
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