64.体調不良
朝。目が覚めると―――文ちゃんの部屋で、何週目かの人生ゲームの途中で全員が爆睡していた。
雑魚寝状態の中、丸くなって寝ている文ちゃんの隣で手鞠を枕に寝てた私たち女子にはブランケットが掛けられているが、別の部屋を割り当てられていた男子たちにはそれがない。……もしかして、羽継が掛けてくれた―――いや、それならちゃんとしたところに寝かせるだろうし、彼らもこの部屋にいないだろう。お祖母さんたちってこともないだろうし。
てことは手鞠が掛けてくれたのかなあ……。
「…ん――、」
部屋を見渡しぼけーっとしていると、微かに呻いた文ちゃんが目を擦りながら体を起こす。
しばらく不思議そうに私を見ていた文ちゃんだけど、だんだんと目が覚めてきたのかスっと居住まいを正すと頭を下げた。
「おはようございます、彩羽さん……」
「う、うん、おはよう……」
その挨拶に私も姿勢を正して頭を下げると、「うー」と流鏑馬が呻いた。
見ればすぐそばに寝っ転がっている羽継に抱きついて、「文ィ……味噌汁……」とむにゃむにゃ何か言っている。対して抱きしめられている羽継は「彩羽…ひとの布団に入るな…」と何故か幸せそうに寝惚けている。私は無言で携帯のカメラでその姿を撮った。
「……み、みんな寝ちゃったんだね…」
男たちの何とも言えない寝姿に静かに引いていた文ちゃんだが、気を取り直してぎこちない笑顔で私に話しかける。私もこれ以上見てられないと目の前の美少女に微笑みかけた。
「流鏑馬がしつこかったからねえ」
「国光くんは負けず嫌いだから……でも、彩羽さんだっていけないよ?あんなに挑発しちゃって」
「最初に喧嘩売ってきたのは流鏑馬ですぅ」
「ウノのことはもう水に流してあげなよ」
「勝負吹っかけても華麗にスルーして勝ち続けた文ちゃんには分かんないよ!あれは水に流すことのできない……っと、そろそろ起こさないとまずいかな」
ふと文ちゃんの背後にある時計が目に入って、私はとりあえずブランケットを手早く折りたたむ。そのそばで、文ちゃんはどこか寂しげな顔でボードゲームを見つめていた。
あまりにも名残惜しむものだから、私は彼女の肩にポンと手を乗せて笑う。
「今回は寝落ちだったからね。次こそ決着つけなきゃ」
「……また、遊んでくれるの?」
「もちろん。……そうだ、今度は私の家で遊ぼう!また雑魚寝になるかもしれないけど、夏休みにお泊りするのもいいねえ。遊び疲れて寝ちゃった次の日には、服でも買いに行こうよ。羽継たちは荷物持ちで!」
「…―――うん!」
途端に嬉しそうに微笑む文ちゃんの手を取り立ち上がると、私は未だに幸せそうに寝ている男二人に近寄る。
「朝だよー」と呼ぶもまったく起きず、私は手鞠に彼らのことを任せて文ちゃんと一緒に下に降りた。
―――居間ではすでにお祖父さんたちがお茶を飲んでいて、こちらに気付くと「やあ、よく眠れたかい?」と優しい声で気遣ってくれる。私は「とても」と笑みを浮かべつつ、「お祖父さんたち昨日眠れたかな…」と不安になった。結構騒いじゃった気がする……。
「もうすぐご飯ができますから、二人とも顔を洗ってらっしゃい」
「はーい!」
「はい…ありがとうございます、お祖母さま」
ぺこ、と頭を下げる文ちゃんときゃっきゃうふふとお喋りしながら洗面台を目指す。
その背中をお祖父さんは安堵した表情で見つめ、お祖母さんは楽しそうにご飯を盛っていた。
なお、夢から覚めて「真実」を知った男二人は、死んだ目で「ぽそ…ぽそ…」と朝食を口にした。
*
「―――おい、流鏑馬大丈夫か?」
「うん……?」
さて学校へ行こう―――としたが、朝日の眩しさに目を細めていた流鏑馬が急にフラッとよろめくので、羽継は慌てて彼の体を支えた。
昨日の夜はいつも以上に元気だったから体調が回復したのかと思ったのだけど…もしかして、文ちゃんを思って空元気を出していたのかもしれない。昨日よりもその顔は青白かった。
「あんた、絶対病院に行ったほうがいいって。貧血バカにしちゃダメよ」
「んー……」
呻くだけの流鏑馬を、文ちゃんが泣きそうな顔で支える。そしてその白い手で何度も優しくさすると、やっと流鏑馬は顔を上げた。―――さっきより、少し顔色がいい。
(……文ちゃんか?)
急な回復が気になるが、それでも流鏑馬の体調不良は治らない。
羽継は溜息を吐くと、流鏑馬を抱え直した。
「しょうがないな。俺が病院まで付き添う。……保険証持ってるか?」
「あ…持ってない。国光くん、そういうの持たないひとだから…」
「じゃあ流鏑馬の家にあるってこと?」
これが羽継なら私が彼の部屋を漁って取りに行ってもいいのだけど、流鏑馬となるとそうはいかない。
足腰悪そうなお祖父さんたちに任せるのも悪いし、子供達だけで行っても……やっぱりここは、流鏑馬のご両親に連絡入れるべきじゃあないだろうか。
そう提案すると、文ちゃんはすごく言い辛そうな顔で首を振った。
「国光くんのお母さま、今は外国にいるの。お父さまはすぐ電話に出てくれるのだけど、何でも最近は仕事が忙しくて帰れないって、昨日国光くんが……」
ちなみに、流鏑馬のお父さんって何の職業のひと? と聞いたら、「警察官」と帰ってきた。……ああ、それはもう忙しいだろうなあ……。
「……じゃあ、しばらく御巫の家で様子見しないか?それで落ち着いたら俺が流鏑馬に付き添ってこいつの家に行くよ。確かタクシー代もそうかからない距離だろうし…」
「うん……そうしようか。国光くん、歩ける?」
美少女とイケメンに挟まれて、流鏑馬はよろよろとしながらも一歩一歩なんとか文ちゃんの家へ歩く。
私は三人の背後で「何をすればいいんだ」と仕事のない手のひらを見つめ、とりあえず背中でも支えるか―――と手を伸ばしたとき、携帯が鳴った。
どうやらメールが届いたらしい。見れば―――榎耶からのものだった。
【これから、二人でお話しようよ】
短い文。けれどとても重い言葉だった。
文ちゃんを「僕の分家」と言った榎耶―――それが本当ならば、私はこれから文ちゃんも知らないような秘密を知ってしまう。
それと同時に、きっとお祖母さんたちは榎耶の報告によって私の正体に気づくだろう。
あんなに孫と私のじゃれあいを心底嬉しそうに見つめていた二人―――私の、私の家のことを知ったとき、どんな反応をするのだろう……。
「…彩羽?」
いつまでたっても家に入らない私を、羽継が心配そうに見つめる。
私はその綺麗な翡翠色の瞳を見て思わず力を抜き、いつものように微笑んでみせた。
「なんでもない。……私も用事出来ちゃったから、今日はみんな休もう。私から連絡入れるね」
羽継はまだ何か言いたげだったが、文ちゃんでは流鏑馬を支えきれないことを思い出して「…分かった」と言うと私に背を向けた。
そんな私たちの姿を、猫のぬいぐるみは窓からじぃっと覗きこんでいた。
*
――――朝から湯に浸かるのはいい。湯上りに飲む酒というのもよし。
……ただ、髪を乾かす使い魔がうるさいが。
「お嬢たま!お酒飲んじゃらめれす!」
割烹着を着た兎―――名前は「鍋」。ちなみに名付けたのは僕ではない。
元々は母の物だったが、小学校に上がる頃に僕の身の回りの世話を任されている。非常に口煩いやつだが、嫌いではなかった。
「いいじゃないの。……こうでもしないと、やってられないんだから」
酒を呷る。
勝手に実家から拝借したそれは、やはり美味い。―――深く長い息を吐いた。
「あーあ、今回も変わらないんだろうなあ」
「お嬢たま?」
「彼女には期待しているのに。何回やってもこの騒動の結末は変わらない。役者が何人犠牲になろうが、逆に救われようが―――彼女は何の願いも叶わず、死ぬだけ」
「……。だからって、手を抜いたらダメなのれす。今のお嬢たまは東の守たる篠崎家当主代行としてここにいるのれすから」
「手を抜く気はないよ。サボったら彩羽が死んじゃうし。むしろやる気だよ?―――だってさ、」
組んでいた足をぶらりと下げる。
振り返れば櫛を手に一生懸命梳いている使い魔がいて、その愛らしい顔を見て笑みを浮かべた。
「この舞台なら―――あの忌々しい嘉神羽継を、何の問題なく殺せるんだから」
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