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62.遭遇




文ちゃんに「泊まってもいい?」とお願いすると、予想と違って渋ることもなく彼女は快い返事をくれた。


お爺さんお婆さんも、「まあ、良かったですねえ文ちゃん」とニコニコしながら了承してくれたので、私はひとまず今日の分のお泊まり支度をするために一度家に戻った。

―――とりあえず今夜のうちに彼女の家を結界で何十にも囲み、後でお父さんの手で念入りにかけ直してもらうべきかと思ったが、彼女の家がどこぞの術者の名家の分家であることを考えると、最終的な処置は彼女の本家の術者にやってもらう方がいいかもしれない。


あと、お爺さんお婆さんにも話を通すべきか―――どうしよう。話したら話したで「オカルトの話はちょっと…」とか言われたら。……いやでも立派な神社の神主さんだもの、こっちの世界のひとだよね。その手の反応はないよね?


……それよりも、もしお爺さんたちが文ちゃんの力を隠したがっていた場合、これからの私と文ちゃんの仲を良く思われなくなるかも……うう、ここは出しゃばらず、お父さんに頼むべきか?



「―――おーい、彩羽。準備できたかー?」


羽継の声に、私は慌てて返事をした。

既に済ませてある荷物の中に結界を強化する道具を入れ、手鞠も無理矢理押し込んでから急いで部屋を飛び出すと、同じく鞄を一つ持った羽継がリビングで待っている。


……流石に男の子は泊まらせてくれないだろうと思ったが、お爺さんたちは「客室がまだあるから」と許可してくれた。

どうやら普段から流鏑馬が泊まったりしていて慣れているのか、それとも羽継のどこまでも真面目で文ちゃんと距離を取って気を遣っているところを信用してくれたのか……まあいいか。


ちなみに流鏑馬は羽継も泊まるというと、「じゃあ俺も泊まる!」と楽しそうに笑った。育ち盛りの男二人も加わるとなると、きっと今頃は文ちゃんとお婆さんは夕飯の支度に大忙しだろうなあ。


「なんか手土産持った方が良かったかなあ」

「んー…もうこの時間だしなあ。後日でもいいんじゃないか」


外はもう黄昏。我が家から文ちゃんの家は少し遠いので、あまり寄り道はしたくない。

かと言って何も持たないのも肩身が狭いので、文ちゃんの家への通り道から少しそれた場所にあるコンビニで、適当にお菓子でも買っていくことにした。


夜はゲーム(と言ってもボードゲームとかだけど)をして遊ぶ予定だし、ちょっと多めに買っておこう。

―――そう考えながら家の鍵を閉めている間、鞄の中で携帯が鳴っていたことに私は気付かなかった。







「ありがとうございましたー」


コンビニから出ると、外はもうだいぶ暗かった。

人通りも少ないのを見て、羽継は「公園を横切って行くか?」と私を見る。

今から行く予定の道は街灯が少ないが、公園辺りは明るい。同じ人が少ないでも明るい方がマシと思ったのだろう彼の意見に、私は「そうだね」と頷いた。


すると羽継は私をジッと見た後、難しい顔で手を出したり引っ込めたり―――、一分ほど謎の行動をし、ついには素早く私の手を掴んだ。


「じゃ、じゃあ……行こう」


最初は痛かったけれど、しばらくすると包むような力に変わる。

忙しなくあっちこっちを見るところを察するに、きっと例の事件を気にして不審者がいないか警戒しているのだろう。……と、思う。


きっとこの手を握った理由はそれだろうに、私の顔も手も熱くなってきた。……今が夕方でとても良かったと――――……ん?



「…ねえ羽継。公園からなんか…音がしなかった?」

「え、音?」


私に呼ばれ、何故かビクッと反応した彼だが、すぐに表情を改めて真っ直ぐ公園を見つめる。


私よりも視力も聴力も良い羽継は公園の影になっている辺りに目を向けると、「あっ」と声を上げた。


「襲われてる…?」


私も目を凝らすと、影のように黒い誰かが尻餅をついている誰かに近寄っている。

引きずるように手に持つそれは、棒のような―――


「ここで待ってろ!」


振りかぶる、その様子を見て、羽継は荷物を私に押し付けて駆け出す。


言いつけを守らず、慌てて私も追いかけると―――…一瞬、冷水の中に落ちたような感覚が体を突き抜ける。

夏なのに冷え切った空気、重々しく息苦しい気配。明かりが多いはずなのに公園内は薄暗く、光の届かない影の世界で何かが蠢いている……、その全ての理由に気がついた時、私は思わず「失敗した」と呟いた。


これは―――この空間は―――結界!



「羽継!伏せて!!」


目当ての物を引き抜いてから荷物を放り投げ、棒状の凶器を持つ男へ手のひらを向ける。


ふわっと金色の花弁が舞ったと思えばすぐに刺々しい力に変わったそれは、雷撃となって男へ襲いかかった。


同じくこの怪奇現象に気がつき、懐に手を伸ばしていた羽継は迫り来る魔術を避けるために転がり、バリバリと耳に残るような凄まじい音を立てる攻撃を見、すぐに襲われていた誰かに駆け寄る。


私も急いで近づけば―――襲われていたのは、あの日文ちゃんを弄ぼうと最低最悪のことをしでかした、男子生徒達の中でも主犯格の生徒。


「お前は……山瀬か」


羽継に「山瀬」と呼ばれた男子生徒は、「お、おれ……!」と羽継に縋り付いた。


「お前、謹慎処分中だろ。なんでこんなとこに……」


冷め切った声で言う羽継の隣まで来ると、山瀬の片頬にはひどく殴られた痕があった。


「お、俺……あの後、親父にすっごく…初めて、泣きながら叱られて…家に招いた御巫の爺さんたちに玄関先で土下座して謝り倒してるの見て……その……」

「―――やっと、我に返った、てか?」

「あ、ああ……それで…俺、転校することになるから……その前に、その、……ちゃ、ちゃんと謝りたくて……」


びくびくしながら、泣きそうな顔で言うその姿に、嘘は見られない。

……こいつのやらかしたことは最低の屑であることに変わりはないし、許されることではないが―――しかし、彼は今、やっと少し、まともになったのだろう。


文ちゃんの写真やら何やらでニヤニヤしたり、報復を恐れて震えているだけの連中よりか、であるが……それでも、ここでひとつ成長したことで、彼のお父さんたちに報いることはできた。あとはこのまま、正しく生きていって欲しいものである。



「―――ひぃ!?」


ちょっと感心していると、山瀬は私たちの背後を見て情けない声を上げる。

振り返れば―――雷撃を喰らわしたはずの不審者が、ゆらゆら揺れながら近づいてきていた。


「……ねえ……あいつ…」

「ああ……黒い、な」


焦げではない―――全身が、全て黒い。

よく目を凝らせば、パーカーにズボン、ということだけは分かる。

どうやら猫耳のフードを被っているようでふざけた男だったが、その雰囲気は禍々しい。


羽継よりかほんの少し小さい背の男は、大きく揺らめくと、一度軽く棒を振った。

棒は風景に滲むように、水に墨汁を数滴入れたように薄れると―――長く、大きな太刀へと姿を変え、


「――――彩羽!」


軽々と太刀を振り上げた男は、私目掛けて振り下ろす。

羽継が庇おうとするも私はそれを押し退け、念の為に荷物から引き抜いておいた護身用の警棒を何十倍にも強化して受け止める。


非常に重い一撃ですぐにたたらを踏んだ私は、もう一度雷撃を放つ。

この近距離で喰らえばかなり手痛いはず、と笑みを浮かべれば―――男は、こともなげにひと振りで雷を斬り捨てた。


「えっ」


衝撃のあまり固まっている私へ、男の斬撃が迫る。

避けられない―――死ぬ、と体が一気に冷えた私の手から警棒を奪い、羽継は力任せに斬撃を防いだ。


「―――ッ!」


防いだ、が、剣術の経験もない羽継にこの一撃は重い。

二度目は防げないと警棒を持たない手で懐を探り、黒く長い針を引っ張り出すと同時に男へ投げる。

男はステップを踏むように避け、もしくは太刀で防ぐが―――その合間に息を整えて放った羽継の針を受けると、弾こうとした刃がぶわっと霧散した。

勢いを殺さずに針は男の頬辺りも貫くと、男はわずかに震える手で攻撃を受けた箇所に触れようとし、気持ちを切り替えるように腕を横に振るともう一度霧散した闇を太刀の姿に戻した。


「……チッ、トンファー持ってくればよかった…」

「は、羽継って、そんなものも扱えるの?」

「通信教育ってのはいいぞ、彩羽ッ!」


言って、羽継は勢いよく針を投げる。

男は無駄のない動きで避けるが、先程よりも力を込めたからか掠ってもいない刃が少し形を歪めた。

それに舌打ちをする男に暴風を叩きつけると、流石に吹っ飛んだ男は太刀を杖がわりに立ち上がり、そのまま太刀を闇の中に放り投げ―――闇に溶け消えるそれを見届けることなく、男は私たちに背を向け逃げ出した。


「待て!」


あんな怪奇現象の塊を逃がしてなるものか、と追いかけると―――「彩羽!!」と羽継が私の腕を掴み無理矢理下がらせる。

あまりにも強引すぎて尻餅をつく私の足元に、トトトッ、と何かが刺さった。


「……折り紙?」


羽継の呟きに、私は文句を言うのを忘れて牽制してきたものを見る。

そこにあるのは鮮やかな千代紙の手裏剣。しかしただの紙ではない―――術者が術ごと折りこんだ、立派な武器である。



「……どうして邪魔をしたの」


私はしばし沈黙するも、お尻についた汚れを払いながら立ち上がる。

羽継は私の問いに答えようとしてくれたが、私の質問は彼に向けたものではない。

この―――牽制してきた、折り紙を使った術を、私は幼い頃に何度も見ている。共に魔術を披露し、遊んだその魔術師―――否、陰陽師へ、私は問を投げたのだ。



「君のためだとも。僕の可愛い魔女さん?」



―――声の主は、街灯の上に立っていた。

艶やかな黒髪、赤みの強い勝気な瞳。闇に映える白い肌。遠目で見ても綺麗な彼女は、悪戯っぽく笑いながら言った。



「手伝いに来たよ。彩羽」



嬉しい? と首を傾げる彼女の名は「篠崎しのさき 榎耶かや」。

我が安居院家の対である、「西の守」を務める陰陽師の家の―――次期当主である。






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