60.がんばるね
朝食の味が分からないまま、ふわふわした気持ちで私は羽継の家を出た。
それまでいつもよりも甘えん坊だった羽継はガラッと雰囲気を変え、時折周囲を見渡しながら用心深く通学路を歩く。
今のところ、(文ちゃん暴行事件に関わった)男子生徒ばかりが襲撃されているとはいえ、犯人が特定出来ていない以上は自分たちも用心すべき―――そう普段の調子で、難しそうな顔で言う羽継に、少し安心した。
ちなみにタカ君は昨日の反撃というか魔導書の迎撃から未だに回復していないようで、メールで「今日は休ませてもらう」と教えてくれたが……あの、私、君にメアド教えたっけ?
思わず顔が引きつるのを見て、羽継は私から携帯を奪い取り「貧弱」の二文字を打って送った後、私のメアドを勝手に変えた。
流石に怒ろうかと思ったのだが、羽継が捨てられた子犬みたいな顔をするものだから最後まで叱れなかった。それに羽継は機嫌が良くなったが、すぐに差出人不明のメールが羽継の携帯に来て―――そこに書かれた「駄犬」の二文字を見た瞬間、般若の顔で携帯を破壊しようとするので慌てて止めた。
その代わりに手鞠の頬をむっちゃむっちゃと撫でこね回し、学校に着く頃にはいつもの羽継に戻ってくれた。……よかった。
朝から疲れてきた私とすれ違う生徒はみんな昨日の事件のことを話しており、急な朝の集会では校長先生からの説明が入り、「全員気をつけて帰るように」「戸締りをきちんとするように」などと締めくくった。
「―――いやあ、こうして事件が続くと怖いねえ」
「ねー…、あーあ。こんなに物騒だっていうのに。今日は両親が遅くに帰ってくるとか……」
「大丈夫、沙世ちゃんの呪いの部屋に篭れば奴さんだって逃げるよ」
「ちょ、呪いの部屋って何よ!?」
「あんな人形だらけの部屋、呪いの部屋じゃなかったら何なのよ……」
教室への帰り道、四人でのろのろと歩く。
ポーズじゃなく本当に怖がっている様子の沙世ちゃんだが、私としては君の部屋が怖い。
彼女の部屋は人形―――ああ、リカちゃん人形とかそういう女児向けのじゃなく―――アンティーク人形だとか、お高い大人向けの人形がたくさんある。
その多くは彼女の祖母の物だったらしく、亡くなられた際に譲って貰ったらしい。あんなにたくさんあるのに、どの子も大事に飾られている。
だけどその年代物の人形ばかりならまだしも、沙世ちゃんは「一目惚れした!」子がたとえ曰くつきであろうと欲しがる人形馬鹿なので、定期的に怪異に襲われては私に泣きついてくる。
その度に私が出向き、酷い場合は羽継による「強制退散」をするのだが―――初めて羽継を例のあの部屋に連れて行ったとき、あの子は久しぶりに私の目の前で「ひっ」と怯えたのである。
どうやら彼のトラウマにもなってしまったらしい彼女の部屋。なんとか私がお願いをしても絶対に彼女の部屋…どころか、家にも入ろうとしない。玄関前で原因の元を手渡すことを条件に退治してくれるのだった。
まあ、気持ちは分かる……怪異の巣窟となったあの部屋に入った瞬間、全ての人形が一斉にこっちを振り返って見たんだもんなあ……。私も怖くて、その日は羽継に泊まってもらって一緒に寝たっけ……。
「そーいや、彩羽のとこはどうなの?やっぱり今夜もご両親は帰り遅い?」
「ん?うん…でも羽継がしばらく居てくれるし」
「いーなー。ちょっと代わってほし……ん?あれ、彩羽、シャンプーか何か変えた?」
「ああ、昨日は羽継の家に泊まったから―――」
「嘉神の家!?」
すごい興奮した顔で沙世ちゃんが食いつき、穂乃花と叶乃ちゃんも興味津々な表情を浮かべ「珍しいねえ、泊まったの?」と言う。
……本当はそんなに珍しいことでもないのだが、思えば羽継の家に泊まったことを口にしたことはそうないかもしれない。
「なんでなんで!?何があって!?」
「何って……家出で」
「家出!?なんで?」
「お父さんと喧嘩して…」
「へー、でも彩羽の家ってそういうの許さないと思ってた。もしくは出てった後、すぐ連れ戻されるか」
「ん?大丈夫だよ、二人とも行き先知ってるし。お母さんが予めお泊りのお願いを電話でしてくれてて―――」
ついでにお土産も持たされて、お邪魔したの。……そう言うと、何故か三人は呆れたような、頭が痛そうな顔をした。
「……彩羽、それ家出じゃなくてお泊まり会だよ。お泊まり会の前にパパと喧嘩しちゃっただけの、ただのお泊まり会だよ」
「羽継もそう言ってた…。でも、喧嘩して家を飛び出したんだから家出じゃないの?」
「お泊まり会だよそれ。素晴らしいくらいにお泊まり会。……ってちょっと待って。あんたそれじゃあ嘉神と一夜を過ごしたの?」
「ん?うん。羽継の部屋でトランプとかウノしてたよ」
別に羽継がゲーム機を持っていないわけではないんだけど、昨日は手鞠も混ぜて二人と一匹で色々遊んだ。
案外手鞠はルールをすぐに覚えてしまい、何度か負けてしまったのが衝撃だった……。
「あんたねえ、男の部屋に遊びに行ってそれって……嘉神は泣いていいよもう…」
「まあいいじゃん、彩羽なんだし。―――それよりさ、嘉神の部屋、どんなだった?汚い…はないか、やっぱ急に押しかけても綺麗なんだろうなあ。……あ、そうだベッドの下!ベッドの下に何かなかった!?」
「あんたねえ……」
「ああベッドの下?ベッドの下ならアルバムがあったよ」
「「「えっ」」」
「私と羽継の、小さい頃の写真なんだけどね。あの頃の羽継は天使だったなー」と笑うも、何故か三人は引いていた。
そしてこそこそと「中学男子のベッドの下にあの子とのアルバム…」「それってロリ…?」「むしろペド?」「好きすぎて変なのこじらせたんじゃ…」とか難しい顔で話し合っていた。
終いには「やっぱり嘉神には近づかない方がいいかも」とお父さんみたいなことを言われ、私は相談したいと思っていたことを相談できず、愛想笑いで誤魔化した。
*
―――集会後、我が学年の雰囲気は重苦しかった。
その原因の多くは、被害者への同情でも何でもない。ただ、連続して同学年の生徒が襲撃されていることへの恐怖、そして―――自分の番がくるのではないかと震える未来の不安からである。
この両者の反応はすごく分かりやすく、文ちゃんに軽かろうと重かろうと何らかの害を、悪意を持って接した生徒は授業に身が入らず、何人かは保健室に行って帰ってこない。噂によると、現在の保健室は懺悔室まがいの状態らしい。
彼らの多くは文ちゃんを「祟り子」などといじめていただけに、実際この手の事件が続くと普段はただの罵り文句を信じ込んでしまうようだった。
そして前者の、後ろめたいこともなくただ純粋に、続く事件に怯える子たちの一部も文ちゃんのその手の噂を聞いてはいるが―――それを真に受けることはないようだ。ここのところは信者の沢山いる天才占い師・紗季ちゃんが気を使ってくれたらしい。
その代わりか、先ほどのメールで「女子の事件関係者たちの事情が面倒臭いことになった。少し待て」ときた。知っているかと思って穂乃花に聞いてみれば、どうやら紗季ちゃんグループの内輪もめが始まったらしい……。
何でも、言い訳があっちこっちに飛び交うわ、パシリ扱いしてる気弱な女子生徒を使って文ちゃんを誘い出したのはあの女、いいえあいつよ!と犯人の押し付け合い、いいやあの女が勝手に…と全ての罪を気弱な女子生徒に被せようと脅したり、忙しなくあちこちでドロドロし始めてるとか。いやあ、おっそろしい状態やで……。
「―――彩羽。すまん、待たせた」
思わず震えていると、日直の仕事を終えた羽継が人気のない私の教室に迎えに来る。
放課後を迎えたばかりだというのに、夏の暑さの隙間を縫うように嫌な冷気が肌に触れる―――本格的に、【怪異】が動き出しているのだ。
今回の原因が【魔導書】であれ文ちゃんの能力であれ、もしくはその両方だとしても。今までにない難しい事件になるだろうと予感した。
「…羽継、お父さんからメールがきた」
「―――、なんて?」
「『調査の結果、安居院が管理し逃がしてしまった怪異は、今回のどちらかの怪異に喰われた。
あれの能力は主に増幅させることにあり、今回調伏せねばならないモノはかなり危険度が高くなっている。
そのため嘉神羽継とは離れることなく常に共に行動し、最悪遭遇しても、可能な限り戦闘は避けること』」
―――この文を読んで最初に思ったことは、「お父さん、まだ羽継のこと怒ってるんだな…」であった。
今回の件が起こる前までは、この手のメールでも「羽継君」と書いていたのに…。
「…なるほど、どうやら今回の怪異事件―――おじさんは俺たちに任せる気はない、ということか」
羽継は何とも言えない顔をした。
ここは実力を認めて任せてもらいたい……そうは私も思うのだが、その反面で明らかに無傷では済まない事件から外されてホッとした気持ちもある。
あまりにも情けない自分にへこんでいると、羽継はポンと私の頭に手を置き、優しく撫でた。
「なら、俺たちは御巫がこれ以上怖い思いをしなくていいように頑張ろう。……たぶん、【魔導書】は――【魔導書】の持ち主は、御巫を殺したいと考えているはずだ」
確かに。
あの日、文ちゃんを襲った男子生徒たちにとり憑き、幾度も文ちゃんの家を黒い影が侵入しようと周囲をうろついていた。そして【魔導書】の持ち主は女子生徒であるとくれば、その使用目的は自ずと分かるというもの。
お父さんは文ちゃんの家の事情を探るな、とは言ったが、文ちゃんを守りたいと言った私を止めはしなかった。
―――今後どうなるかも分からない。
念の為にも文ちゃんの家に泊まり込みでもした方がいいかしれない…お爺さんたちの説得はまあ何とかなるだろうが、今回の事件を知らない文ちゃんを、上手く誤魔化すことはできるだろうか……。
まあ、最悪ゴリ押しでいけば文ちゃんも流されてくれそうだ。
文ちゃんの能力が何らかのきっかけで暴走してしまうことも不安だし、やはり泊まらせてもらおう。お父さんにも連絡を入れて―――
「……羽継」
「ん?」
「私、今度こそはちゃんと―――守りきるから」
あの子を。……を。
―――流石に恥ずかしくなって、最後はかすれた声になったが、羽継の耳は聞き漏らすことはなかったようだった。
彼は少し照れくさそうな顔をして、私の頭を撫でた。
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